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こんばんは。退屈ロケットのスガタカシです。今週はナイロビからタンザニアの首都・ダルエスサラームよりおとどけ。標高の高いナイロビと違って暑い…! のを覚悟してやってきたのですが、すでに南半球のここは季節的にそれほどでもなく、強い日差しを除けば、あんがい過ごしやすいところです。残り約1週間になったCAMPFIREの活動報告でも書いているのですが、今週はタンザニアのアーティストをみっちり取材。再来週以降のBiotope Journalでお伝えするので楽しみに、お待ちください。

今週のBiotope Journalはナイロビを拠点に世界を飛び回って活躍するフォトグラファー・エマニュエル。それでは今週もWebとあわせて、どうぞお楽しみください!

先週お伝えしたジョセリンと雄大の結婚式がエマニュエルとの出会いのきっかけでした。

Biotope Journal リポート #033|エマニュエル

Web "Biotope Journal" エマニュエル編 ナイロビ まだ見ぬ何かにカメラを向けて

>〈結婚写真〉Emmanuel, in Nairobi, Kenya 1/7
>〈ケビン・クボタ〉Emmanuel, in Nairobi, Kenya 2/7
>〈バスケットボール〉Emmanuel, in Nairobi, Kenya 3/7
>〈タランティーノ〉 Emmanuel, in Nairobi, Kenya 4/7
>〈リデンプション・ソング〉Emmanuel, in Nairobi, Kenya 5/7
>〈謙虚〉Emmanuel, in Nairobi, Kenya 6/7
>〈ネルソン・マンデラ〉Emmanuel, in Nairobi, Kenya 7/7

エマニュエル・ジャンボはその名のとおり背が高い。ケニア人たちの中には長身の者も少なくないが、そんな人びとの集まる結婚式会場で、彼の姿はひときわ目立つ。そして素早い。体を折り曲げるようにしてあちらからこちらへ移動し、常にベスト・アングルを確保して写真を撮りまくる。Canonのデジタル一眼レフ*には巨大なレンズが取りつけられ、まるで武器か何かのように見える。トレードマークの長いドレッド・ヘアーが、ニット帽からはみ出し覗いている。

長身を折りたたみ、望遠レンズを構えるエマニュエル
式が終われば、今度は親族友人を呼び集め、新郎新婦を中心に記念写真を次々に撮る。通り一遍の集合写真だけではない。次々に異なるポーズを要求し、おどけた写真やクールな写真を生み出してゆく。合間にジョークも忘れない。何しろ今日の彼の被写体は、素人なのだ。新郎新婦はもちろん、こんなロマンティックなドラマの主人公になるのは初めてだし、それを取り巻く人々も、名脇役にはほど遠い。別の仕事で撮影するトップ・モデルたちとはわけが違う。だから彼はジョークを飛ばし、人々を笑わせてリラックスさせ、自分も特徴的な声でイッヒャッヒャッヒャッと豪快に笑う。
結婚式でのエマニュエル

彼は写真家だ。それも、アフリカ大陸でも屈指の。

たとえば、ナイロビ市内のマーケットやら書店におもむき、ファッション雑誌のコーナーを見てみるといい。いくつもの雑誌の表紙から、美しい黒人モデルたちがクールでゴージャスな表情をこちらへ向けていることだろう。まず間違いなくそれらのいくつかは、あるいは、場合によってはほとんどすべては、このエマニュエルによって撮られたものだ。

たとえば、その隣に陳列されたビジネス雑誌を手にとってみるといい。先日の選挙で交代したばかりの新しいケニア大統領*の顔写真が載っているかもしれない。近隣諸国の大統領や首相、大会社のCEOの顔写真があるかもしれない。それらがエマニュエルに撮られたものであったとしても、なにも驚くべきことではないし、珍しいできごとでもない。彼はそんな位置づけにいる写真家だ。

「PRESTIGE - BEST IN LUXUARY AND LIFESTYLE」表紙はエマニュエル撮影(ナイロビのスーパーで購入。300円)

それにもかかわらず、結婚式会場でインタビューを申し込んでみると、彼は気さくに、二つ返事で引き受けてくれる。ちょっとランチでも一緒に食おうぜ、というような気軽さで。ただ、すぐにというわけにはいかない。彼はなにしろ、忙しいのだ。

「五日ばかり待ってくれるかな。俺は明日から、仕事でソマリアに行かなきゃならないんだ」

エマニュエルがソマリアから帰るまで、居候して待っていました

エマニュエルのスタジオで

仕事でソマリアに行くというのがどういうことなのか、想像するのも難しい。ソマリアといえば、現在の地球上でもっとも危険な国・地域のひとつだろう。いわゆるソマリアのなかでも、北部となると話は別だ。北部は事実上、ソマリランド*という自治政府の統治下にあり、その情勢はきわめて安定している。でもエマニュエルが向かうと言っていたのは首都のモガディシュ。今もなお混乱が収まらないとされている場所だ。以前は無政府状態と伝えられていたが、それは少しでもまともな方向に向かっているのだろうか。

エマニュエルのスタジオがあるのは、それほど大きくはない商業施設。
そもそも、彼はどういう仕事のためにソマリアへ行くのだろうか。今日は幸福に満ちた結婚式場でカメラを構えているのに、明日には一転、戦場カメラマンに変身するのだろうか。そのあたりはどうもよくわからない。わからないけれど、とにかく彼の無事を祈って帰国を待つしかない。
エマニュエルのスタジオのある施設。中央は吹き抜け。
約束の時間に彼のスタジオを訪れてみると、その場所は意外なことに商業施設の中にあった。そう大きくない、どちらかといえば寄せ集めのような施設だ。ランドリーがあり、旅行代理店があり、軽食の取れる喫茶店のような場所があったかと思えば、その反対側には突如として肉屋があり、各種の肉が豪快にぶら下げられている。そこには一貫性というものがない。かろうじて関係を見出すことができるのは、施設の一角にある結婚式用の衣装の店と、そしてエマニュエルのスタジオだ。彼にとっての結婚写真が重要な仕事なのだとすれば、なるほどこれらには関連がある。でも、それにしても高名な写真家の店とは思えない、フランクな店構えだ。「パスポート用写真承ります」の表示まである。もっともこれは、彼のアシスタントなりスタッフなりが撮影するのだろうけれど。
結婚式用の衣装の店と肉屋が同居している。
エマニュエルがスタジオへ帰ってきたのは、約束の時間の一時間ほど後。渋滞に巻き込まれはしたけれど、銃撃戦に巻き込まれたわけではなかったことにまずは安心する。彼は疲れた素振りも見せず、さあ始めよう、とスタジオの奥に招き入れてくれる。
エマニュエルのスタジオへの扉。サインがある。

こちらの質問よりも先に、彼はどんどん話をしてくれる。リラックスしていながらも、興奮を引きずっているような話しぶり。その内容はもちろん、見てきたばかりのソマリアのことだ。実は日本では現在、ソマリアについての報道は多くなくて、一般の人びとはあまり情報を得られないんだ。そう言うと、彼は改まった様子で話しはじめる。

「オーケー、じゃあイチから順に俺が見てきたこと*を話すよ。ぜひシェアしよう。今のソマリアってのは、端的に言うと、とても危険だし、同時にまったく危険じゃないんだ……」

ソマリアから帰ってきて荷物をどかっとおくと、すぐインタビューに応じてくれた。

彼はどうして撮りはじめたのか

エマニュエルの今回のソマリア行きは、なんと大統領*をはじめとするVIPたちに取材するためのものだった。他のジャーナリスト、それにフランスのテレビ局の2人の女性と同行したのだ。つまりこの数日間の彼は、完全に報道カメラマンだったわけだ。彼は様々な写真を撮る。ファッショナブルなものも、シリアスなものも。でもそんな数々の仕事の中でも、結婚写真というのがよくわからない。確かに先日の結婚式では、新婦の家族の人びとと彼が以前より友人だったという事情でカメラマンを務めていたのはわかる。でもその様子はどうも、「友達のために特別に」というものではなかった。スタジオの中にも多くの美しい結婚写真が飾られているし、やはり彼の仕事のなかでこの種の写真というのは大きなウェイトを占めているようなのだ。日本の感覚だと、一流の写真家と結婚写真というイメージはどうにもかみ合わない。そこで、この点から彼にたずねてみる。
スタジオにも多くの結婚写真の作品がかかる。
彼にとって結婚写真が特別な意味を持つ理由のひとつには、それが彼のプロとしての最初の仕事だったということがある。スーダンに生まれ、イギリス式の教育をする高校を出て、大学から家族とアメリカに移り住んだ彼は、アメリカで写真家としてのキャリアをスタートさせた。とはいえ、明確にプロになろうという意思を持っていたわけではない。彼は子どものころから好きだった写真をずっと撮り続けていただけなのだ。それを知る彼の友人がある日、兄の結婚式のカメラマンをして欲しいと依頼してきた。しかし彼は、躊躇する。というのも、結婚写真の撮影というのは非常に難易度が高いからだ。多くの写真に関する本を読破してきた彼は、そのことをちゃんと知っていた。結婚式における数々のシャッターチャンスは常にオンリーワンであり、やり直しが許されないこと。そして、被写体がモデルなどのプロフェッショナルではないということ。難しい理由は、こういうわけだ。

考えた挙句、彼は依頼を受けることにした。新たなチャレンジこそが、常に彼の生きがいなのだ。彼は依頼人に、たったの20ドル、つまりフィルムのための実費だけを請求した。仕事として撮影するつもりではなかったのだ。でも彼はもちろん、ベストを尽くす。その結果、素晴らしい写真が何枚も出来上がることになった。喜んだ新郎は、彼に800ドルもの報酬を払ってくれたのだ。自らの仕事でお金を稼ぐという意味では、これが彼のプロとしての初仕事だった。たったの8年ほど昔の話だ。

結婚式で集合写真を撮るエマニュエル
ただし彼は、自分はプロであると自認したことはないという。写真によって報酬を得るようになり、だいたい1年ほどが経つうちに、周囲の人が自分の仕事を認めてくれはじめた。そして彼をプロとして扱ってくれるようになったのだ。プロかどうかは自分が決めるのではなく周囲が決めるのだ、というのが彼の考えかただ。
スタジオの共用エリアにはMacが2台。Windowosが1台。
ともかく、彼はそのようにしてプロの写真家になった。そして、自分に大きなきっかけを与えてくれた結婚写真も撮りつづけている。なにしろ難易度の高い結婚写真だ。これの名手ということは、写真家としてのレベルが高いことを意味する。彼の尊敬する写真家たち*も、素晴らしい結婚写真を撮ることで知られている。そして今や、彼もケニアでナンバーワンのウェディング・フォトグラファー*になった。
エマニュエルのスタジオ内部
カメラのピントは奥にいる新郎の表情をとらえ、その眼差しは手前でぼやける新婦の横顔を見つめている。こんな写真が、エマニュエルの作品にある。新婦はこの写真を見るたびに涙を流す。ああ、この人は私をこんなにも愛してくれている、そして死ぬまでずっと愛してくれるのだ。そう感じることができるのだという。永遠の愛情が凝縮された、そんな刹那の瞬間を切り取る。それがエマニュエルの仕事だ。
バスケットボールが好きなエマニュエル。仕事部屋にはNBAで活躍する友人のユニフォームがかかっている。

自然体のプロフェッショナリズム

「素人を撮るときとプロを撮るときの違いは何かだって? そりゃマネーだよ」

ジョークを飛ばすとき、彼はイッヒャッヒャッヒャッと心底楽しそうに笑う。まったく自然体だ。

彼の場合、真剣な話の中に、ごく自然にジョークが散りばめられる。場の空気は明るい、リラックスしたものになる。だから、彼が自分の仕事の紹介をするときにも、決してひけらかすような感じにはならない。大統領を撮った写真を見せてくれるときも、Forbes*に自分が紹介された記事を見せてくれるときも、彼はただ自分の仕事を相手に知ってもらおうと真っ直ぐに思っているだけなのだ。率直で親切、豪快で繊細な、頼れるアニキ。エマニュエルはいつも、そんな調子だ。

何より大切なのは、謙虚であることだと彼は言う。写真が彼に、そのことを教えてくれた。たとえば彼は、セレブの写真も撮れば、名もない人びとの写真も撮る。豪華な結婚式*の写真も撮るし、路上のホームレスの写真を撮ることもある。でも、彼はいつでも同じ眼差しでファインダーを覗かなければならない。被写体を傲慢に見下すような者に、どれほどの写真が撮れるだろう。だから彼は、謙虚さはあらゆることに優先するのだと言う。それは彼が自然体でいるために、そして人びとの自然体を撮影するために大切なことだ。

プロとして、エマニュエルは準備を怠らない。それは何も、機材に関することだけではない。彼は様々な他の表現に刺激を受けて、自分の精神を準備しておくのだ。彼は特に、映画が好きだ。好きな監督として挙げてくれたのは、クエンティン・タランティーノ*。センスがよく、リラックスしていて、気の利いたセリフのやりとりがたまらない。そういえば先日の結婚式でも、彼は新郎新婦と友人たちを横一列に並ばせて、路上を歩かせながら写真を撮っていた。『レザボア・ドッグス』の印象的なタイトル・シーンを思わせる構図だ。
結婚式会場の庭、木に登って撮影するエマニュエル
彼はなにも、綿密な構図などまでもあらかじめ用意してしまうわけではない。ただ、いろいろなアイデアを自分の中に蓄積しておくことで、現場で最良のアドリブをすることができるのだ。用意は綿密に、けれども細かな計算はせずにおく。それが彼の計算なのだ。
その木の下には新郎と新婦
一緒に夕食を食いに行こうぜ、と彼は車に乗せてくれる。大量の機材も楽に運べてしまいそうな、大きなバンだ。車の中でも、彼の話は止まらない。渋滞に巻き込まれれば、なぜナイロビにこれほど車が溢れているのかを教えてくれる。ここ5年、ケニアのみならずアフリカ諸国の状況が目まぐるしく変わってきていること。人びとの生活水準が上がり、車の所有率がぐっと高まったこと。でも道路のインフラを急に変えることはできないから、渋滞がひどくなってしまったこと。彼は5年前に、アメリカからケニアに拠点を移したのだけど、それは正しい選択だった。ふるさとであるアフリカの変貌を、肌身で感じることができたからだ。
エマニュエルが運転するバンでレストランへ。ナイロビ市内は渋滞がひどい。

身動きできずにいる車に、物売りがやってくる。中には、大統領の肖像写真を売りに来る者までいる。先日就任したばかりの彼の写真は、オフィスなどの飾るためのものとしてニーズがあるのだ。でももちろん、路上で売られているようなものは、オフィシャルな写真ではない。窓を開けたまま、エマニュエルが大声で「あれは本当は売っちゃいけないはずのものなんだぜ」なんて解説してくれるものだから、聞きつけた物売りが怒って絡んでくる。でも彼は慌てない。

「リラックス、リラーックス。お前を悪く言ってるんじゃない、俺はただ、日本から来たこいつらに説明してただけなんだ。それに、その写真のオフィシャルなやつは俺が撮ってるんだぜ」

エマニュエルはトヨタ・ハイエースを運転。デザイナーやインターンの子たちも乗せて、家の近所まで送ってゆく

まだ見ぬ何かにカメラを向けて

エマニュエルが連れていってくれたのは、なんとスシ・バーだった。海外の「スシ・バー」には大きなトラウマがあるからびくびくしてはいたのだけれど、わざわざ日本人を連れていくだけのことはあって、手ごろな価格の割になかなかのネタを出す店だ。インド洋に面するこの国では、良質な海産物が獲れるのだ。

ナイロビのスシ・バー「ONAMI」。エマニュエルには「ONAMIって日本語でどういう意味だ?」と聞かれるも不明。

何人もの客たちが、エマニュエルに声をかけに来る。彼は顔が広いのだ。そのうちのひとりの女性は、明日エマニュエルが仕事をする予定の結婚パーティーに出席するのだという。綺麗に撮ってよね、と言い残して彼女は去っていく。彼女の後ろ姿を見送ってから、エマニュエルが質問してくる。

「ケニアの女の子はどうだ?」

「うん、黒人の女の子って身近じゃなかったけど、セクシーだよね。胸とか尻とか。日本人はフラットなんだよ*

「イッヒャッヒャッヒャッヒャッ」

スシ・バー「ONAMI」ではなぜか韓国のプルコギ的なものも食べる。けっこう美味い
下衆な話題は世界じゅうの男たちの共通語だけれど、彼にはちゃんと婚約者がいるのだ。でも、この忙しい生活と結婚生活を両立するのは、大変なことなのではないだろうか。
スシ・バーに向かう途中で寄ったエマニュエルの家。スタジオの外側に大きくプリントされていた女性が彼の婚約者であることを、ここで知る。
彼は自分のスタジオをより大きくしようと努力している。それは、安定させるためというよりも新たなことにチャレンジしていくためだ。たとえば彼は今、写真だけでなく動画による表現も模索しはじめている。アーティストのミュージック・ビデオやドキュメンタリー、そして映画の撮影にも挑戦したい。そのために、ビデオエディターを任せるためのスタッフも加えた。彼は「守り」に入るどころか、貪欲に変化を求めていく。
エマニュエルへのインタビュー風景を動画に収めていたインターンの女の子。ナイロビの美大に通う学生らしい。
もっと遠い将来には、アフリカの若い世代の表現者を育てていくことも考えている。写真や映像というメディアでの表現は、今まではもっぱら欧米のものだった。でも自分たちにも、写真や映像で大きなことをやってのけることができる。それを若い人たちに知って欲しい。そして彼らを育てるためのシステムを作りたい。東・中央アフリカには現在、こうした表現を学べる専門的な学校が存在しないのだという。
エマニュエルのスタジオでともに働くインターン生とグラフィック・デザイナー

今の仕事も忙しければ、未来に向けても夢は膨らむばかり。そんな彼だから、具体的な結婚の日取りは決まっていない。でもとにかく近々だよ、とのことだ。結婚しても写真を撮るうえでのスタンスは変わらないだろうけど、ただ制限はできてしまうだろう。時間の使い方もずいぶん変わってくる。そのあたりが難しいと彼は言う。

たとえば子どもができれば、辛抱強く教育しなければいけないこともあるだろう。でも、それはきっと自分にとっていいことだ。忍耐力というのは、写真を撮る上でとても大切なことだから。教えるということはすべて、自分自身が学ぶということにつながっていく。たとえ相手がカメラの初心者であっても、たとえ相手が小さな赤ん坊であったとしても。

真剣な目でそう語ってくれる彼の目。長身の彼の目はずいぶん高い場所にくっついているけれど、でもその目は誰をも下に見ない。彼はその目でファインダーを覗き、レンズの向こうに新しい何かを探し続けていくのだ。

文・金沢寿太郎

今週の参照リスト

 

《エマニュエル プロフィール》

 
名前 Emmanuel Jambo
国籍 アメリカ
年齢 35歳
職業 写真家
出身地 ハルトゥーム(スーダン)
在住地 ナイロビ
  ナイロビには5年前から
家族、恋人 婚約者あり(近々結婚予定)
自由な時間の過ごし方 バスケットボール、映画鑑賞(タランティーノ、クリント・イーストウッドなどが好き)

エマニュエルの記事が掲載されたフォーブス・アフリカ版

《脚注》
◆エマニュエルの使用機材
エマニュエルのメイン・カメラはキヤノン製の、EOS-1Ds Mark㈽。
>キヤノン製品ページ

◆ウフル・ケニヤッタ大統領
インタビュー直前の2013年4月の選挙で新大統領(第4代)の座に着いたのはウフル・ケニヤッタ大統領。彼はケニア建国の父であるジョモ・ケニヤッタ初代大統領の息子。2007年の選挙後に起こった暴動(1000人以上が死亡)について間接的な加害責任を問われ、国際刑事裁判所の公判を待つ身でもある。

◆ソマリランド
ソマリア北部、かつてイギリス領ソマリランドであった地域。国際的な国家承認は受けていないが、事実上国家として独立政府が機能している。この地域はソマリア領内とはいえ、一般の旅行者が立ち入れるほど安全だとされている。

◆ソマリアの現状
内戦、飢饉による大量の難民、無政府状態などのイメージが強いが、情勢は依然予断を許さないものの安定に向かいつつある。エマニュエルによれば、首都モガディシュの一部では経済活動も活発化し、ケニアなどから多くのビジネスマンが訪れる様子も見られるという。一方で、セキュリティ関係の事業は大金を生むため、利害関係者が必要以上に危険性を喧伝するなどの問題もあるのだとか。

◆ハッサン・シェイク・モハムド大統領
2012年9月に就任した、現職ソマリア大統領。アフリカ連合やアメリカをはじめ国際社会に認められており、このような大統領がソマリアに誕生するのは久しぶりのことである。一方で彼に敵対する武装勢力アル・シャハブに自爆テロを仕掛けられるなど、国内に解決すべき火種は多く残されている。

◆ジョー・ビュイシンク、ケビン・クボタ
ジョー・ビュイシンクは結婚写真の名手として知られる、アメリカを拠点に世界で幅広く活動する写真家。ハリウッドスターの写真なども多く手がける。
>公式サイト(ジョー・ビュイシンク)
ケビン・クボタもその結婚写真がよく知られ、同時に写真にかかわるソフトウェアやアプリの開発などでも有名な写真家。
>公式サイト(ケビン・クボタ)

◆Top 50 photographers awards
結婚写真のみならず他の多くの写真も評価され、エマニュエルはケニアを代表する50人の写真家の中で第1位にランキングされた。
>Kenya Wedding Planners.com エマニュエルについてのページ

◆Forbes
フォーブスは、20世紀前半にアメリカで発行開始された、長い歴史を持つ世界的な雑誌。世界長者番付などのランキングで有名。現在では地域別に多くの言語で発行されており、このアフリカ版においてエマニュエルが特集されたことがある。(写真上)

◆インドの結婚式
エマニュエルがかつて撮影した結婚式の中でもっとも豪華だったのは、わざわざ出張して行った先のインドの結婚式。なんどそのために使われた総額は400万ドルであったという。

◆クエンティン・タランティーノ
『キル・ビル』などで知られるアメリカの映画監督で、監督であると同時に、日本の仁侠映画などにまで詳しい筋金入りの映画マニアでもある。『パルプ・フィクション』ではカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。軽薄なほど軽妙、それでいて洒脱なセリフのやりとりは多くのファンを生み、エマニュエルと筆者は特に『パルプ・フィクション』序盤のサミュエル・L・ジャクソンとジョン・トラヴォルタの会話が最高であるということで一致した。

◆日本の女性もセクシーです
ついつい身内を謙ってしまうのは日本人の性分ということで、どうか日本女性の皆さまにおかれては筆者の失言をご寛恕いただきたい。日本にも肉体的にセクシーな女性は多くいるし、セクシーさというのはなにも外見にのみ由来するのではないということは重々承知しております。しかしそれはともかくとして、黒人女性のスタイルには(たとえ太めの方であってもそれはそれで)驚くべきものがある。

旅日記【ロケットの窓際】033 入エジプト記

アカバ港、待合所にて

 縦に細長い紅海。シナイ半島はその北から、逆三角形の形をして紅海に突き出している。その半島の東岸の北端、つまり半島の付け根部分は複雑だ。ここに面するのはサウジアラビア、エジプト、イスラエルそしてヨルダン。南側のサウジアラビアとエジプトはともかく、北に位置するイスラエルとヨルダンは、どうにかこうにか領土のつま先を突き出して外海へのルートを確保したという恰好だ。だから、その海岸線はきわめて短い。

 とりわけヨルダンにとって、この短い海岸線は重要だ。地中海に面するイスラエルと違い、ヨルダンはほぼ内陸国。ヨルダンにとっての海とは、この海岸線のことのみを指すわけだ。

 海沿いに広がる街の名前は、アカバという。古くより交通の要衝として交易が栄えてきたのはもちろん、近年はヨルダン屈指のリゾート地でもあり、経済特区の位置づけにある。


 ヨルダンを南下してこの地域に向かう道は、古くは王の道と呼ばれ、旧約聖書にも登場しているという。青銅器時代から人間が暮らしていたとされるその地は、しかし現在となってはただ雄大な自然が広がるばかり。自転車で駆け抜けたならさぞ心地よいことだろう、というこの道を、交渉したタクシーに走らせる。やや高くつくのだが、ともかく一刻も早くエジプトに到着したかったのだ。エジプトに向かうためにはアカバの港から船に乗るのだが、日が暮れる前にどうしても港に着いておきたかった。

 この種の船便というのは、だいたいにおいて厄介だ。その理由というのは、一にも二にも、タイムテーブルにある。とにかく出航しない。いつまで経っても出航しない。これが日本であれば、たとえどれほど寂れてしまった路線であっても、気象の問題などがない限りは定時に出航するものだ。でも海外では、特に途上国ではそのような常識は通用しない。船が停泊しているのは出航の準備のためでなく、出航したくないから停泊しているのだ、という気がしてくるほどに出航しない。フランツ・カフカの小説のごとくだ。

 定められたタイム・テーブルがほとんど意味をなさない理由は明快だ。つまり、彼らは人も荷物もできる限り満載に近い状態にしてから船を動かしたいのだ。コストを考えれば確かに理には叶っている。それにしても。


 タクシーはご機嫌な様子で港へ滑り込む。なにしろこの運転手はご機嫌なのだ。ペトラからの大口の客を捕まえたこと。そして、道中その客のかけているかっこいいサングラスと自分のものを交換したこと。さらにはその客は、チップもそれなりに弾んでくれた。またヨルダンに来るときには呼んでくれと名刺を渡し、彼は帰っていく。

 でも彼が手にした新しいサングラスは、エルサレムで購入されたなかなかの安物だった。僕だって、べつに騙そうと思ったわけではない。でも彼がいたく気にいって、ぜひとも交換してくれとせがんだのだ。一応買い値も伝えようとしたのだが、なにしろ通貨が異なるからややこしい。そうこうしているうちに、彼はさっさと話をまとめてしまった。でも少なくとも、僕のものは日本円にして二千円以下、彼のものは四千円は下らないだろう。若干の罪悪感に苛まれ、少し多めにチップを渡したというわけだ。

 とはいえ彼は満足そうだし、こちらとしても得をしたわけだから(なにしろ僕の持っていたサングラスは表面になぜか "SPORT"とプリントされていて、縮み上がるほどにダサかったのだ)、この取引は幸福な結末を迎えたと言って差し支えはないだろう。不幸なのはただひとり、ペトラ以来半死状態で横たわっている相方だけだ。


 アカバ発ヌエバア行きのフェリーは、とにかくその出航時間が不定期だということのほかに、客席はなかなかに快適であるという話も伝わってきている。とにかくすぐに身を落ち着けたいという一心で素早く出国手続きを済ませたのだが、いざ船に乗り込もうとすると警備員に制止される。おそろしく英語の伝わらない彼が身振り手振りでなんとか伝えてくれたのは、荷も客もまだ少ないからしばらく出航はしない、よって乗り込むことまかりならん、という無情の通告だった。彼があごをしゃくる先には、売店が集まり申し訳程度の屋根を用意した屋外の待合所。客が集まるまでそこで待てというわけだ。

 屋根の下にはテレビが設置され、ベンチも並べられている。しかしこのベンチには、人を座らせようという意思は微塵も感じられない。座席は底が抜けそうな乱雑なつくりなのに、背もたれとの角度は綺麗にきっちり九十度。椅子というより矯正器具だ。相方はさっそく横になり、絶え絶えといった様子の寝息を立てはじめる。となれば、移動もできず、ただ時が過ぎるのを待つほかない。やがて日も落ち、辺りを暗闇が包む。少しずつ、待合所に人が増えてゆく。しばしば割れんばかりの大声でスピーカーから何らかの知らせが聞こえるのだが、すべてアラビア語で何のことやらわからない。注意深く人びとの様子を眺めるが、動き出す気配はない。それを幾度も繰り返す。消耗戦だ。

 ようやく人びとが大移動を始めたのは、日付も変わってからのことだった。あわてて相方を叩き起こし、荷物を引きずって列に加わる。よくよく見ればエジプシャンらしい顔つきの者も増えている。

 ぼう、という汽笛を闇に溶かしながら、船はそろそろと出港する。遠くにイスラエル側の街の灯りが見えている。売店で小腹を満たし、やわらかい客席に沈み込むと、あっという間に眠りが僕を支配していった。

アフタートーク【ロケット逆噴射】033

本日はタンザニア・ダルエスサラームの大使館職員の家に居候中

スガ
大使館員って、忙しいんだね。

寿太郎
各国で、少人数で日本代表やってるわけだからね。大変な仕事だ。

スガ
ダルエスサラームでは大使館職員として働く日本人の方の家に居候させてもらってるわけだけど、毎日夜遅いし、土日もなく働いてるし。今まで海外で会った日本人は現地のくらしをエンジョイしながら、のんびり働いてる感じだったから、けっこう驚いた。

寿太郎
現地に浸かって働くならそれはそうなるのだろうけど、大使館職員みたいになると特殊だよね。しっかりと日本のシステムの中で、場所だけ海外で働いているわけだから。まさに治外法権。そのうえで渉外のややこしさ。そりゃ激務だ。

スガ
なんかふつうは正規職員だけじゃなく契約社員みたいな人も入れて手伝ってもらうみたいなんだけどね。ダルエスサラームではここしばらくそういう人もいないらしくて。人も減らされてるとかで、なんだか日本国内の企業の話を聞いてるみたいだった。

寿太郎
世界には無数に国がありますからね。やっぱり途上国のようなところだと特に、いろいろなことが削減されてしまうのかも。大変だ。
我々だっていつトラブルに巻き込まれて現地の日本大使館のお世話になるかわかりませんからね。まったく頭の下がる思いです。

スガ
うん。ところで、ここ最近居候状態が続いていることもあって、ぼくは居候としてのスキルアップみたいなことを時々考えるんだけど。

寿太郎
へえ。

家の外に置いてある椅子。近隣住民らしき人が座って、ヘッドホンで音楽を聴いていたりする

スガ
いかに気持ちよく泊めてもらえるか、みたいな話だけど。皿洗い、買い物、料理とかはまぁ基本として、最近やってみようと思ったのは、たとえば仕事の愚痴を引き出せそうな話をふってみるとかw それはこの家にもともと家事手伝いとして滞在している、旧友の様子を見てて思ったんだけどね。

寿太郎
いい奥さんになれそうですね。

スガ
いい奥さん、昔から憧れてたんですよ。ヒモとか主夫とか。こういうのやってみたかった。そういうのないですか?

寿太郎
ヒモというのはいささか問題があるかもしれないけど。というか「いい奥さん」というのはカッコつきでで、ですね。べつに家にずっといる専業主婦こそ妻のあり方だ、とか言ってるわけではないですよ。今日は女性の皆さんへのエクスキューズが多い……

で、まあ暮らしぶりの一形態としてはたしかにやってみたい気持ちはあるよ。基本的に家にいて、家のことをしてという。料理けっこう好きだしね。でも生き方としては無理だな。期間限定だから楽しめる感じはありますね。

スガ
ふーん、そうかぁ。ぼくはたぶん生き方としても、割といけると思うんだよね、料理にかぎらず家のことやるの好きだし。ええとなんの話だ。
今週のBiotope Journalは、エマニュエル!

寿太郎
エマニュエルのアニキ。

スガ
ハイエースに乗ったエマニュエルのアニキ。こっちは緊張してたけど、拍子抜けするくらいフランクだった。

寿太郎
ね。インタビューの中でもそういう話があったけど、いつでもリラックスしてて、自分がどんなに有名だとしてもちっとも偉ぶらない。120%のナイスガイでした。

スガ
ジョセリンの結婚式では彼がカメラマンだったんだけど、ほぼ初対面でぼくは一緒に写真撮ることになって。こっちも気持ちだけは負けてられないと思ってるから、ポジショニングとか、もちろんちょっと遠慮はしつつだったけど、それでも競り合うようなこともあったんだよね。あれはかなり勉強になった気がする。あとファッション写真的な撮り方ってぼくはぜんぜん知らなかったから、えっ木に登って撮るの! すげー!みたいな。

寿太郎
競り合うw いや、インタビューの最後でも、スガくんに何かアドバイスはないかとたずねたら、いいポジショニングをいつも探していて素晴らしい、と褒めてくれていたね。

あと、彼のスタイルは本当に型にはまらない自由さがあるよね。グルームズマンとしてずっと記念撮影に付き合っていたんだけど、本当にその場で、即興で素敵な構図を生み出す。もちろんそのためには、いろんなイメージをふだんから蓄積している、ということは言っていたけど。

スガ
ほんとに、めったにない体験だった。
いい写真撮るにはいい写真を普段からたくさんみておくべし、みたいなことはよく言われるけど、写真にしても映像にしても、イメージの蓄積をずっとやってきて、いまの彼があるということだよね。ケニアを離れる前にもう1回会えたらもうすこし写真のことで質問してみたいところもあって、彼の方でも気にしてくれてたみたいだけど、あの取材の後数日は彼、すこしからだの具合が悪かったみたいで。

寿太郎
ああ、そうだったの。やはりソマリアでかなり神経使ったりしたのかな。なにしろいつも忙しそうだからね。

エマニュエルのスタジオ、アシスタントのデスク

スガ
うん。ぼくらがちょうどケニアを出発したくらいの時に、そんなメッセージが来てた。

寿太郎
豪快なキャラクターだけど、やっぱり芸術家だし、色んな方向に敏感だなということは感じた。たとえばナイロビの街のここ5年ぐらいの変わりかたについても、彼ほど明快に説明してくれた人はいなかった。もっとも、彼はアメリカから移ってきた人だから客観的な視点を持ちやすいのかもしれないけれどね。

スガ
ああそうそう、ナイロビの街ね。エマニュエルも彼のアシスタントしてる子たちも、ぼくが「日本のガイドブックにはナイロビは出歩いたら危険な街と書いてあるんだよ」って言ったら、それ、いまはぜんぜん違う、という反応がかえってきておどろいた。インターンの子なんて「夜の街に出なきゃナイロビはわからない」とまで言ってたし。でも一方でジョセリン兄のスティーブとかは「出歩かないほうがいい」って言ってけっこう警戒している風だったし、結局、ナイロビは危険なのか安全なのか、どれくらい危険なのか、いまいち分からなかったという。

寿太郎
スティーブとエマニュエルは、生活水準みたいな意味でも、それほど感覚の違うとこに位置しているようには思わないんだけれどな。でもスティーブはたぶん、我々を大切なゲストとして扱ってくれていたので、かなりそのあたりを神経質にアドバイスしてくれた感じはある。まあ、街の中でも地域によってずいぶん変わるし、地元の人と一緒に歩くのと我々のみで歩くのでもまたずいぶん違うだろうからね。難しいとこです。

ナイロビ市内、意外と外を歩く女性もふつうに目にする。

スガ
じゃあ次、今週のおたよりに。

寿太郎
先週の記事への反響として、メッセージを頂いたりしましたね。

今週のおたより

スガ
先週のケニアの結婚式記事はけっこうたくさんの反応をいただいたのですけど、新郎を通じてBiotope Journalを知ったという方から、CAMPFIREで支援を頂いてしまったりもしまして。ちょっとその方…この方は雄大くんの職場の元同僚だった方みたいなんですが、メール、一部を抜粋してご紹介します。

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長谷川さんの結婚のことは伺っていましたが、プライベートなことをがつがつ聞くのはやめようと思っていたので、こうしてお相手のことや、二人のなれ初めのこと、そして結婚式のことなど、私が知りたいことをインタヴューで質問して下さって、ほんとうにうれしい!!わくわくする!!と、感じました。

何年か前に「百式」というサイトで、海外での新しい資金調達サイトを紹介してありました。
こんなこと、やりたい!すごい!と思って証券会社に勤務したことのある若い友人に紹介しようと思っていたらあっという間にその記事がなくなり・・・気が付くとCAMPFIREができていました。

参加したい(どんな仕組みなのか体験したい)けれど・・・どうもきっかけが・・・
そういう時に、長谷川さんのFBでインタヴューが紹介されていて、CAMPFIREにたどり着きました。

本当にご縁だと思っています。
世界の今を生きている若い人たちを知ることで、
(日本の辺鄙な田舎でくらすおばちゃんだけど)
生き生きと暮らす・仕事する励みにしたいと思っています。

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寿太郎
なんだか、ふたりの馴れ初めの話とかを描いたのが、実際に知り合いの方からすると女性週刊誌のすっぱ抜きみたいな感じになったのかな、と言う感じはありますねw
でも、こんなふうに読んでくださると、そして記事だけでなくプロジェクトそのものについても評価していただけると嬉しいです。ご支援も、ありがとうございました。

スガ
なにしろケニアだからね。たぶん出席したくても出席できなかった知人の方もいただろうし。「わくわくする!」なんて言っていただけるとうれしいものです。

ところでこの方のメールを頂いてびっくりしたのはね、数年前にクラウドファンディングの仕組みを知ったときに、日本でも自分たちで作ろうと動こうとされていた、というところで。「やりたい! すごい!」って。歴史の歯車の噛み合わせがちがったら、この方がCAMPFIREをやっていたかもしれない…!

寿太郎
そうそう。意外なところで意外な方が、意外な方面に興味を持っているんだな、ということを感じたよ。でも、今からでも遅くないんじゃないですかね。CAMPFIREは優れたシステムだけど、一長一短という部分は確かにあるし。メジャーどころの日本のクラウドファンディングは、まだそう多くもないし。別のタイプのクラウドファンディング、どうでしょうか。

スガ
自分で「辺鄙な田舎でくらすおばちゃん」て書いてるけど、ITだったら家賃が安いほうが有利ということもあるし、新しいことに挑戦する好奇心と冒険心をお持ちの方のようだしね。ぜひ! いきいきとがんばっていただきたいと思います。

寿太郎
そうですね、また来週。

*アフタートークではみなさまからのおたよりをお待ちしております。お気軽に、メールマガジン末尾のメールアドレス、Facebook、Twitterまで、お寄せください!

今週の作業めし。引き続き居候なので自炊。スガの携帯用プレスで淹れたコーヒーとホットサンド(焦げ気味)

編集後記:退屈なしめくくり

タンザニアまでの移動に使ったバスは凸凹道を跳ねまくり。12時間以上のワイルドなドライブを終えて、ダルエスサラームでバスを降りてみると、ひとつ、困ったことが起きていました。日本を出て以来使っているぼくの車輪付きバックパック、バスの荷物入れから出してみると…取っ手がボロっと、折れてしまっているじゃないですか…! というわけで、アロンアルファでもつければ取っ手も直ってしまうのか、それともこの先はヒモでもつけて引っ張るか、ちょっと考えてみたいと思います。

皆さんから沢山のご支援をいただいているCAMPFIREも残り8日。おかげさまで、あと一歩で100万円、というところまでやってきました。メールマガジンの有料版はCAMPFIRE終了後、毎月支払いで購読できるプランもご用意するのですが、そちらは月額600円。よくある前払い一括商法…で恐縮ですが、来年の3月まで購読していただくとCAMPFIREで5,000円のご支援をいただいたほうが少し、お得です。さらにCAMPFIREで5,000円のご支援をいただくと高解像度写真ダウンロードの特典つきなので、そのうち…と先延ばしにされていた方も「いつのまにか終わってた!」なんてことのないようにどうぞ、お早めに!

さて、アフリカを南下しながら毎週、いろんな方の「人とくらし」をお届けしている真っ最中ですが、来週はヨーロッパ以来、しばらくおあずけになっていた「空間と人」! モロッコ、二度目のトルコ、ヨルダン、イスラエル、エジプトと回ったアラブ圏の国々をまとめて、1週間、キーワード別にお届けします。どうぞ、おたのしみに!

スガタカシ

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▲【残り8日!】世界の「ふつうのくらし」をインタビュー!人と空間を伝える世界一周ジャーナリズム
 
 
Souvenir Photo in Sahara