高円寺電子書林 http://kouenjishorin.jugem.jp/ ライター、編集、校正、流通、新刊と古本の販売など、本好きなメンバーがそれぞれの経験を活かして、あらたな読み物を無料のメールマガジンというかたちでお送りしています。 Fri, 20 Oct 2017 19:41:15 +0900 ja <![CDATA[【高円寺電子書林】2013年10月号をお届けします。]]> http://sv4.mgzn.jp/pub/readMail.php?cid=Q110257&mid=50 Wed, 16 Oct 2013 01:00:00 +0900 <![CDATA[【高円寺電子書林】2013年9月号をお届けします。]]> http://sv4.mgzn.jp/pub/readMail.php?cid=Q110257&mid=48 Sun, 15 Sep 2013 21:00:00 +0900 <![CDATA[【高円寺電子書林】2013年8月号をお届けします。]]> http://sv4.mgzn.jp/pub/readMail.php?cid=Q110257&mid=46 Thu, 15 Aug 2013 22:20:00 +0900 <![CDATA[【高円寺電子書林】2013年7月号をお届けします。]]> http://sv4.mgzn.jp/pub/readMail.php?cid=Q110257&mid=44 Mon, 15 Jul 2013 20:00:00 +0900 <![CDATA[【高円寺電子書林】2013年6月号をお届けします。(修正版)]]> http://sv4.mgzn.jp/pub/readMail.php?cid=Q110257&mid=43 Mon, 15 Jul 2013 13:30:00 +0900 <![CDATA[【高円寺電子書林】2013年5月号をお届けします。]]> http://sv4.mgzn.jp/pub/readMail.php?cid=Q110257&mid=38 Wed, 15 May 2013 15:00:00 +0900 <![CDATA[【高円寺電子書林】2013年4月号をお届けします。]]> http://sv4.mgzn.jp/pub/readMail.php?cid=Q110257&mid=34 Thu, 18 Apr 2013 17:29:00 +0900 <![CDATA[【高円寺電子書林】2013年3月号をお届けします。]]> http://sv4.mgzn.jp/pub/readMail.php?cid=Q110257&mid=31 Fri, 15 Mar 2013 22:00:00 +0900 <![CDATA[新春号外;メルマガ関連イベントのお知らせです]]> http://sv4.mgzn.jp/pub/readMail.php?cid=Q110257&mid=28 Wed, 16 Jan 2013 18:10:00 +0900 <![CDATA[「メールマガジン高円寺電子書林 - 2012年009号」を配信いたします。]]> http://sv4.mgzn.jp/pub/readMail.php?cid=Q110257&mid=26 Mon, 10 Dec 2012 19:00:00 +0900 >> Dec.   vol. >>> 009  ……………………… ───────────  活字本にまつわるしごとをしてきた本好きなメンバーがあつまって、2011年10月に創刊した『高円寺電子書林』。  デザイン、編集、校正、ライター、流通、新刊と古本の販売など、それぞれの経験を活かして、あらたな読み物を無料のメールマガジンというかたちでお送りしています。  *公式ツイッター : http://twitter.com/densho_k ━【目次】━━━━━━ ■緊急提言レポート  福島の親子にみみをすます  ──「明石であそぼう! たこ焼きキャンプ」から ○小野 洋  (福島の子どもを招きたい! 明石プロジェクト 代表)    ◇ ◇ ◇ ◇ 連載●── ■コラム 酒場の名人 ──(8)無礼者を躊躇なく叱る飲兵衛 篇 ○大竹 聡 ■書評 女の人と和解するための読書 ──(6)『整体入門』の巻・上 ○渡邉裕之 ■エッセイ ありがちアジアなり ──南米シャーマン 編   アヤワスカという植物でトリップしてみた ○タミオー ………………………  ◎イベント情報  ◎編集後記 ━━━━━━━━━━━  ◇ kouenji-denshishorin - vol. 009 ■緊急提言レポート  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  福島の親子にみみをすます  ──「明石であそぼう! たこ焼きキャンプ」から  ………………………  小野 洋  (福島の子どもを招きたい! 明石プロジェクト 代表) ___________  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  昨年(2011年)の夏に引き続き、今年(2012年)も福島県内の子どもたち30名、保護者4名を招いて、2週間にわたる保養キャンプをおこないました。  保養キャンプは、放射線量の高い地域に住む子どもたちの被曝を減らし、体内に取り込まれた放射性物質を排出させ、野外で思い切り遊ぶことなどを通して子どもたちの健康を回復させようという目的で、被災地を離れておこなわれるキャンプです。  チェルノブイリ原子力発電所事故から26年経ったベラルーシ共和国では、今も国家的プロジェクトとして保養キャンプが実施されています。  東日本大震災後、日本各地でも多数の市民団体などが保養キャンプをおこなうようになりました。  私たち「福島の子どもを招きたい! 明石プロジェクト」は今年、7月27日から8月9日まで兵庫県明石市と佐用郡佐用町の2か所で、「明石であそぼう!たこ焼きキャンプ〜今年は佐用も! しかコロキャンプ」(注1)という名前で実施しました。 ──注1 ●「しかコロ」というのは、佐用町の商工会青年部の方たちが、2009年の大水害からの復興を目指して町おこしのために開発した商品「しかコロッケ」のことです。郷土の食材である鹿肉を使っています。今年のキャンプ名には、佐用町の方たちの多大な協力に感謝する思いも込めて、こうした長い名前をつけました。  ◆たくさんの支援とご協力を得て  今年は昨年の突貫工事のような準備を避け、半年以上もかけて準備を進めてきたのですが、しなければならないことが本当に多くて、資金集めや協力団体への連絡、ボランティアさんたちとの打ち合わせ、プログラムの準備などを直前まで忙しくこなす日々が続きました。  しかしながら、多くの方々の熱心なご協力により、キャンプはスムーズに進み、子どもたちも充実した時間を過ごすことができました。  明石では、歓迎会やお好み焼きづくり、小学校のプールを借りきっての水遊び、明石公園での夏祭り、市役所訪問、魚の棚や天文台見学などを楽しむことができ、佐用町では、幼稚園や小学校での交流会、川遊び、西はりま天文台や昆虫館の見学などが、地元団体のご協力で実施できました。  とくに佐用町では、町が宿泊施設を無償で提供してくださり、商工会青年部のみなさんが「しかコロッケ」や「ホルモン焼きうどん」の炊き出しをしてくださるなど、絶大な支援を受けることができました。食材に地元の有機野菜も届きました。  子どもたちのお世話をしてくださったボランティアの方たちも、昨年から引き続いての方が多く、こちらの指示がなくてもすばらしい働きをしてくれました。  心配だった会計も、寄付は予想より多く集まり、支援イベントで資金を集めてくださる方が次々に現れ、スタッフもたこ焼きの屋台で資金作りに努めたりして、十分な資金を集めることができました。300枚作った支援Tシャツも、多くの方に購入していただくことができました。  ◆去年とは違う、子どもたち  去年と違って今回は、期間の前半、熱中症になったり、やけどに近いような日焼けをしてしまう子がいて、今年の異常な暑さだけでなく、ふだん野外にあまり出ていないことによる影響、あるいは放射線による影響なのかと考えさせられたりしましたが、期間後半は元気を取り戻し、夏祭りには全員参加することができました。保護者の方からも、「たくましくなって帰ってきた」という声をいただきました。  やけどのような日焼けをし、熱中症になりかけた子どもたちですが、アンケートでは、川遊びや川での釣り、プール遊び、日中の野外での夏祭りなど、屋外の行事が「楽しかったこと」の上位を占めていました。  夏祭りでは、子どもたちが作った「みこし」が練り歩き、昨年は食べるだけだったたこ焼きの屋台で、子どもたちが焼き手として活躍していました。ダンスグループの若者たちの指導でたった一日で仕上がった子どもたちのダンスも披露されました。  それから、今年の特徴として、子どもも付き添いの親御さんも、マスコミの取材にまったく臆することなくうけ答えてしてくれた、ということがあります。  新聞、ラジオ、テレビの取材があり、どちらかといえばシャイなお母さんたちが不愉快な思いをしないか、子どもたちもどんな話をするのだろうか、と心配していたのですが、お母さんたちも自分のことばで福島の状況がよくわかるように話してくださったので、ほっとしました。  子どもたちに至っては、大人顔負けなくらい堂々と放射能検知器の説明をしたり、ふだんの生活の話をしたりするのを、後日オンエアされたラジオ番組で聞いてびっくりしました。  そうと決めていたわけではないのですが、キャンプ期間中に放射能や原発事故の話を子どもたちとすることは本当にまれで、ここまで話ができるとは思っていなかったのです。  2週間のキャンプを終え、帰りのバスの中の子どもたちの様子を見るだけでも、今年の「たこ焼きキャンプ〜しかコロキャンプ」が参加した子どもたちにとってどんなキャンプだったか、じゅうぶんわかるように思えたものです。  スムーズにいった初日の明石へ向かう行きのバスとは違い、途中渋滞に巻き込まれ、15時間もの長旅となりましたが、子どもたちは元気で、深夜11時すぎの福島到着まで、DVD鑑賞やゲーム大会、カラオケなどに興じていました。  「いっそ日付が変わればいいのに。キャンプがもう一日のびたことになるから」  「帰りたくない! これからお母さんを連れて明石に戻りたい!」  と言っていた子までいました。  福島に着き親御さんたちに迎えられて、いよいよそれぞれの自宅に帰る別れ際は、昨年の第1回キャンプでは“今生の別れ”のような涙、涙の別れになったのですが、今回はスタッフに対しても子どもたちどうしでも、「またね!」とニコニコ笑顔のお別れでした。きっとまた会える、という子どもたちの信頼の重さを胸にずしんと感じる帰路でした。  ◆リピーターをだいじにしたい  そうなった理由の一つは、参加者のほぼ8割が昨年のリピーターだったことですが、それだけではなく、前回のキャンプが終わってからも、参加者との交流を続けてきたことにあると考えています。  昨年の12月には、スタッフが福島に出かけ、一泊二日で参加者の子どもたち・親御さんたちと交流する「同窓会」を実施して交流を深めました。  また、キャンプ終了直後から、翌年のキャンプに向けた準備の様子や、関西での福島支援の取り組みの様子などを定期的に発信し、参加者の家族に、「私たちは福島のことを忘れていない!」と発信し続けてきました。  日常的な子育ての悩み相談などもふくめて、スタッフが親御さんたちとメールのやりとりをすることも、まれではありません。  親御さんのキャンプの感想も、昨年は、「遠く離れた関西で、私たちのことを応援してくれる人たちがたくさんいることに感謝しています」というものが多かったのですが、今年は、帰ってきてからの様子として、こんな文章もありました。  《去年のキャンプ後は、しばらくはボーと何も手つかずで、さみしさのあまり、キャンプの様子はあまり話をしてくれませんでしたが、今年は、あんなことやこんなことをしたと、とっても嬉しそうに話をしてくれました。「さみしくない?」と聞いたら、「また会えるもん」と答え、ニコニコしていました。》  《娘は、ボランティアの方々、マスター(注2)含めスタッフの方々を身内のように思っていて、毎年、夏休みになれば、会えるものだと思っています。クラスの友達のことを話すように、キャンプに参加したお友達のこと、スタッフの方々のことを、色々話してくれました。》 ──注2 ●「マスター」は小野のキャンプネーム。参加するほとんどの親子は、この名前で私を呼んでいます。  《去年も参加しましたが、今年も帰ってくるなり「また来年も行きたい−。」と何度も言っていました。》  今年のキャンプになるべくリピーターを優先して来てもらう、ということについては、募集の直前までスタッフのあいだで何度も話し合いました。もっと公平に、新しい参加者を募集すべきではないか、という意見もあったのですが、一定の人たちとつながり続けるという意味で、今年はとりあえずリピーターをだいじにしていこうという結論になりました。  実際、保護者のアンケートには、「長期の休みごとにいろいろなキャンプに子どもを参加させているが、そこで一度友達になった子と二度と会えない」、「行くたびに新しいメンバーやスタッフに慣れなければならず、子どもにストレスがたまる」、などの声があり、同じ顔ぶれで繰り返し受け入れることの重要性が確認されました。  他方で、《こんなにステキなキャンプだからこそ一度も参加したことのない他のお子さんに……と思います。実際、何か所か問い合わせたけどダメだった……という方が周りにたくさんいます。夏休み中、ずっと家の中でゲームをしていた、とも聞きます。》という親御さんの声もありました。その謙虚さとともに、放射能の中で暮らさなければならない親の苦しみをあらためて感じました。  だからこそ、今後も、まるで遠くにある親戚の家に遊びに来るような感覚で参加できる保養キャンプが増えていくことを願わずにはいられません。  ◆被災者の声にみみをすます  昨年のたこ焼きキャンプの実施を機に、たくさんの福島の人たちと出会い、話を聞いてきました。  たこ焼きキャンプ参加の保護者をはじめ、何人かの親御さんとは、幸いなことにとても親しく交流する機会を持ちました。  その中で、福島(広くは放射線量が高い周辺地域もふくめて)で子どもを育てることがどんなにたいへんなことかも、うかがい知ることができました。  震災から1年半以上経った今も、何一つ改善されていない状況が続いています。  除染は簡単にはすすみません。この夏、福島県内の多くの小学校でプールが再開されましたが、許容される基準の0.25μSv(これ自体も安全とはいえない)まで下げるため、保護者を動員して何度も除染したり、なかなか下がらないプールではグラインダーでコンクリートを削ったり、とうとうプールに鉄板と人工芝を敷いたりした学校もあったと聞きました。(こんなことまでして子どもをプールに入れないといけないという現実!)  福島市内に住むある方の家では、空間放射線量が、自宅前の玄関で0.75μSv、庭で1.17μSv、飯館村の方角を向く物置のタレ流しのたまり水は、なんと31μSvあるそうです(いずれも地上1メートルで計測)。こんな家でも、除染の順番がまだまわってきていません。  そんな状態であるのに、福島県全体として、もう復興に向かいたいという雰囲気が強く、あちこちで野外のイベントがおこなわれ、「まるで子どもをむりやり野外に出すためにやっているみたいだ」、という親御さんの声も聞きました。  地域行政は人口を流出させたくない、政府や御用学者はできるだけ被害を小さく見せたい、という意図があって「平常モード」を演出していますが、福島に住み続けることを決めた人たちが、もう放射能の心配をするのがしんどい、もうそうした話は聞きたくない、と耳をふさいでしまう気持ちをもつことは、人としてむりのないようにも思います。  できるだけ安全な食べ物を子どもに用意する、野外での遊びを制限する、夏休みなどに保養キャンプに参加させる、などの子どもを放射能から守るための努力を続けている親は、それだけでもたいへんなのに、そうした悩みを相談できる相手が少ない、保養の話をしただけでまわりからプレッシャーをかけられる、などのつらさが畳み掛けてきます。  今年の夏休み以降に話をした親たちの多くが、「もう疲れてきました」と言いました。  みみをすませるほどに身を切られるような思いがし、「夏休みだけキャンプをする今の取り組みだけで満足していいのか」と、自分の中に疑問がわきあがってきます。  このような状況が放置されているにもかかわらず、何もなかったかのように原発を再稼働し、経済効率のみを優先して弱者のいのちをないがしろにしようとする社会の動きがあることに、深い危機感と怒りを感じています。  今のこの状況をつくった責任がある政府、電力会社、財界、そして大人である私たち一人ひとりが、状況をきちんと見つめ、被災者の声にみみをすまし、何をすべきか考えていく必要があると思っています。  ◆新たな動きが、全国で、福島で始まっている  福島に残り、あるいは福島から避難して、子どもたちを放射能から守るために活動している人たちとも出会いました。  ある方は、小さな娘さんをふくむ家族を関西に避難させ、ご自分は福島に残って、保養キャンプを行政に取り組んでもらうために働きがけをし、国会に行ってロビー活動をし、といったさまざまな活動を精力的にしています。  しかし、彼自身も被災者なのです。今後どうやって生活していくのかといった悩みもつきません。  そして何より、3歳というもっともかわいい盛りの娘さんと、年に何回も会うことができないという苦しみは、楽しく恵まれた子育てを父親として経験させてもらった僕にとってもっとも切なく感じることです。  またある方は、原発事故の直後に避難し、今は県外で避難者の支援や保養キャンプに取り組み、福島で避難したいと思いながら事情があって足を踏み出せない人たちの相談に乗る活動を、地道に続けています。避難することをめぐって夫婦の対立になり、離婚して子連れで避難するという生活を続けながらです。  「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」代表の佐藤幸子さんも、長年福島の豊かな大地で続けてきた農的な暮らしをあきらめ、福島の子どものため、原発を止めるための活動にいのちを燃やしています。佐藤さんもまた、お子さんたちがいて、親としての当然の悩みを抱えながらです。  そうした方たちも参加して、今、さまざまな動きが全国で、福島で始まっています。  一つめは、この9月に発足した、保養や避難の支援団体をつなぐネットワーク「311全国受け入れ協議会」です。今年2月に福島でおこなわれた「放射能からいのちを守る全国サミット」の流れを受けて、継続的なネットワークとして活動しています。  団体の交流や情報交換だけでなく、現地での親向けの相談会や、保養キャンプを紹介するホームページの運営、保養キャンプの経験蓄積のための資料収集などに取り組んでいます。  現在二十数団体が正規のメンバーとして加入し、私たち「福島の子どもを招きたい! 明石プロジェクト」も参加させてもらっています。  ☆ 311全国受け入れ協議会ホームページ http://www.311ukeire.net/  二つめは、今年6月に国会で成立した「原発事故 子ども・被災者支援法」(注3)にもとづく実際の施策に市民の声を反映させるべく、被災者団体、支援団体、弁護士のグループなどが合同で立ち上げた「原発事故 子ども・被災者支援法 市民会議」です。 ──注3 ● 正式名称は「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律」。  この支援法が成立したこと自体は、とても画期的なことなのですが、現実に予算を動かして被災者と子どもの支援をしていく枠組みは、まだできていません。当事者に寄り添った支援を実現するためには、被災した福島の当事者もふくめた市民からの国への働きかけが欠かせません。  支援法自体は、理念法としてすばらしい内容を持っているので、ぜひ多くの方に知ってほしいと思っています。  ☆ 原発事故 子ども・被災者支援法 市民会議ホームページ http://shiminkaigi.jimdo.com/  ◆市民が開設した「ふくしま共同診療所」  そして三つめが、このほど福島に開設された「ふくしま共同診療所」です。  福島県によっておこなわれている子どもたちへの甲状腺検査では、結節やのう胞が発見されても、大半が二次検査は不要とされてしまっています。  低線量被曝の不安を抱える保護者が、一般の病院に体調不良の子どもを連れて行っても、たいていが「心配ありません」ですまされてしまい、多くの親が、病院に対して不信感を抱いています。そして、他県の病院にセカンドオピニオンを求めて駆け込んでも、福島医大から「セカンドオピニオンは必要ない」という圧力が医師会を通じてかけられていて、診察を拒否されることもまれではないといいます。  そうした不安を抱える親子の心のよりどころとなるような病院として、「ふくしま共同診療所」を建設する運動が始まり、この12月に市民からの寄付金によって開設されたのです。  そうした動き以外にも、福島に住み続ける母親たちが、自分たちでグループを立ち上げた例もあります。郡山市にある「安心・安全・アクション in 郡山」は、自前の交流スペースを持ち、その場所で安全な野菜の販売や、食品の放射能検査、さまざまな会合や保養相談会の窓口といった活動をしています。  ☆ 安心・安全・アクション in 郡山(3a)ホームページ http://aaa3a.jp/  このような親御さんたちをはじめとする当事者の活動が盛んになり、そうした動きと支援者がつながることで、福島での閉塞状況を打ちやぶる一つのきっかけが生まれるのではないか、と考えています。  ◆福島の親子とつながり続けていくために  昨年の夏から、保養キャンプなどを通して福島の問題と向き合い、何をしたらいいのか、と常に考えてきました。  最初はとにかく一分一秒でも、子どもたちを放射能から遠ざけたい、できれば避難を、という思いでしたが、今は、こうした苦難の中にいる親子ととにかくつながり続けることがいちばん大切なのではないかと思うようになりました。  そんな悠長なことでいいのか、と問いかける声は、もちろん自分の中にもあります。  しかし、「このままここで暮らしていていいのか」という、もっと深い葛藤の中にいる福島の親子とつながり続けていくために、「たこ焼きキャンプ」を継続していくことは非常に大切だと思っています。──キャンプに参加した親御さんからの、次のような声に応えるためにも。  《娘は福島生まれということだけで、お嫁に行けないかもしれないと考えることもあります。そんな暗い気持ちを忘れ、親子で夏休みらしい思い出をつくらせてもらいました。福島での暮らしを頑張る気力をもらいました。》  《福島と兵庫、こんなに遠い所なのに、応援してくれる方々の心は、すぐそばにあるような気がして、心強いです。福島にいることを考えすぎると心が折れそうになります。そんな時に必ず、ブログを見て勇気をもらいます。懐かしく、去年のものも見たりして、笑い、涙し、モチベーションを上げます。  私自身の大げさですが、命綱です。》 ◎福島の子どもを招きたい! 明石プロジェクト  メール : takocamp@gmail.com  電話 : 090-9871-1419  ホームページ : http://www3.to/takocamp  ブログ : http://takocamp.exblog.jp/ 【拡散希望】  この記事は、執筆者の了承の下、転載自由といたします。  みなさま、ぜひ拡散してください。──編集部 ___________ …………………………… ◆小野 洋(おの・ひろし) 「福島の子どもを招きたい! 明石プロジェクト」代表 子育て支援や子どもの自然体験などに取り組む「スロースペース・ラミ」代表。 1960年福島県生まれ。東京都立大学(現・首都大学東京)卒業後、神奈川県で中学教員を経験。 阪神淡路大震災の後、神戸で誕生したフリースクール「ラミ中学校」のスタッフに。 パートナー、14歳の息子+猫1匹が家族。最近の特技は、会議やシンポジウムの司会進行役。 ……………………………  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄    ◇ ◇ ◇ ◇ 連載●── ■コラム  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  酒場の名人 ──(8)  無礼者を躊躇なく叱る飲兵衛 篇 ………………………  大竹 聡 ___________  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  外で酒を飲むことを覚えたばかりの頃のことだ。アルバイトをさせてもらっていた出版社の、ひと回りほど年上の先輩に、よく飲みに連れて行っていただいた。  こちらはまだ、いくらも飲めない。ウイスキーにしろ、焼酎にしろ、よくお連れいただいたバーで4、5杯も飲めば、出来上がりに近いくらい酔っ払っていた。私にもそんな季節はあったのである。  たいていはカウンターに並んでつき、先輩の知り合いが来れば、その人も加わって話しながら飲む。いや、飲みながら話す。  酔うための酒というより、いろんなテーマで議論するための酒という感じがした。  私はただ、聞いている。喋りの私がただ聞くだけなのは、話の内容がまるでわからないか、すでに出来上がっているからだった。そこなら知っている、という、小説の話題のときだけムキになった記憶もある。  先輩の、それ以前の仕事であった、映画関係の方とご一緒したこともあった。ひとりはテレビドラマで小学生の頃から拝見してきた有名な俳優さん。もう一人は、制作とか、あるいは助監督とか、そういう方だろうか。この人は私より少し上くらい。つまり、若い人だった。  酔って赤くなった顔で、よく喋った。少しばかり軽口をたたく。先輩に対しても態度が横柄である。  なんだろうな、この人は……。このときは4人になっていたからテーブル席についていたのだが、私はどうにも居心地が悪い。  私が何か言う筋合いではない。けれど、気に入らない。俳優さんが、どんな話題にもニコニコ応じているのをいいことに、酔いにまかせて、さらにぞんざいな口をきくようになり、やがて、俳優さんのほうへ向けた両足を組んだ。  組んだ足が俳優さんの足に当たるわけではない。けれど、その姿勢は、俳優さんに窮屈な思いをさせるのは明確だった。  先輩が、動いた。若い制作担当者だか助監督だかの片足を両手でもち、もう一方の足の膝から下ろさせたのである。  先輩は無言だったが、今思えばあのときすでに怒りの限界を超えていたのかもしれない。足を下ろされてヘラヘラと笑っていた彼が、今度は俳優さんの演技について軽口をたたいたそのとき、先輩は彼の髪をつかみ、テーブルに叩きつけていた。  カウンターの中から怒号が飛ぶ。みんな楽しく飲んでるんだ、やめろ○○!  先輩はくるりと振り返り、ごめん、ごめんと何度も謝った。やられた彼のほうは、なにすんだよオッサンとでも内心で思っているのか、やり返すでもなく静かにしている。  先輩と私が店を出ることになった。気分はまだ張り詰めている。私はそれを和らげたい。  「○○さん、ケンカ、よくするんですか」  私をちらりと見た先輩は、笑った。  「やらないよ。こんなガリガリの身体で勝てっこない」  ぷらぷらと私の先を歩く先輩の背中を見ながら、ああ、恰好いいなと、私は思った。  正確を期すれば29年前の話になる。無礼者を躊躇なく叱る飲兵衛があの頃はまだいた。名人とは言えないかもしれないが。 ___________ …………………………… ◆大竹 聡(おおたけ・さとし/フリーライター) 1963年生まれ。早大二文卒。出版社、広告会社勤務を経て93年独立。2002年、『酒とつまみ』創刊。現在は編集発行人をはずれ、泥酔人として参加する。著書に『下町酒場ぶらりぶらり』(本の雑誌社)、『愛と追憶のレモンサワー』(扶桑社)などがある。 ……………………………  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ≫≪ [PR] ≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪ シニアのシニアによるシニアのための、21世紀中高年マンガ同人誌『新つれづれ草』。 新刊第7号発行! 詳しくは「新つれづれ草BLOG」で! http://sinturezure.blogspot.com/ ≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪ ■書評  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  女の人と和解するための読書 ──(6)  『整体入門』の巻・上 ………………………  渡邉裕之 ___________  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ここ数日、家の中でディーと顔を合わせる度に「瞑想はしているの?」といわれる。「ああ、なんとか」とかいってごまかし、「それで何が見えた?」と続けざまに問いかけられるから、答えが詰まって、続けていないのがバレてしまう。  メディテーション的な雰囲気の「ピンクの象が頭の中に……」とでも答えておけば、若い頃、西荻で同棲生活をしていた私たちだ(東京の西荻窪を知らない人にはですね……とにかくピンク色の象がいるんです)、話もはずんだかもしれないが、家の中にいる女の人へのコミュニケーション能力が低いため、無言になってしまった。そんな私を見て、ディーがいう。「お金を貸す条件は、瞑想することだったんだからね」  悪い新興宗教に入ってしまったような光景だが、身から出たサビだ、しょうがない。それは先月のことだ。急に金がなくなりディーから借りた。全体としてこのウチには金がないから、ビンボー人がビンボー人にというサミシイ構図。サミシイからしんみりとして欲しいのに、冷酷にいった。「貸してあげる。でも、条件がある。よく聞いて」  瞑想だった。  何故、彼女が私に瞑想をさせようとしたのか。感情がコントロールできないバカ男だと思っているからだ。  ちょっとした一言に異常に反応し、大げんかとなり、そこで高ぶった感情を抑えるのに3日間くらいを費やしてしまう男。こんな輩には、とにかく心を平静に保つ技術が必要なのだ。彼女はそう考えたのだろう。  金には弱いから、私は瞑想をするようになった。仕事関連で電子書籍の瞑想本があったので、それを見ながら一人部屋で。  しかし数日しか続かなかった。中断したのは、いつもの持続力なし根性なしの理由ではない。顔に異変が起きたからだ。  ■瞑想からスマイル牧場へ  お話ししよう。座布団に着座をして瞑目すると、またたくまに凡百の雑念に取り巻かれた。心千々に乱れて何故か壇蜜の顔まで浮かぶ。その時期も過ぎていくと、何も考えない絶対的「空」の境地に。いやいや、空というよりは「何も考えない」。それはひどく得意なのだ。私はディーという女に何かいわれると、くよくよと考えるが、それ以外のほとんどは「何も考えない」。だから、この状態には割とすぐ……。  さて、次の境地は? マントラでも唱えてみるかと思い、ちょっと深い呼吸をし背骨をすっと天に立たせてみた。すると、なんと顔が歪んできた。縦に横にと顔の表面が動きだす。顔の筋肉が勝手に動いて、昔いたクシャおじさんみたいな感じになってくるのだ。しばらくそんな状態が続き、最終結果は口がスマイルマーク! 鏡を見てはいないが自分でわかる。  これはいったいどうしたことか? 瞑想をし雑念を払い感情をコントロールする術を手に入れようと思っていたのに、なんで顔がスマイルマーク!?  すぐさま瞑想をやめ洗面所の鏡の前に立った。  笑っている。  自分がこんな笑顔になっているのを見るのは久しぶりだ。子どもの頃のチャームポイント、エクボまである。  明るい俺って、いい奴だなあ〜。  思わずそう思い、それからすぐさま事態を考えてみた。結論は、顔がゆがみだしたのは瞑想のせいじゃない、ということ。禅の坊主があんな顔になったのは見たことないし。きっと瞑想は途中までで、私はどこか違った道に迷い込んでしまったのだ。道草は得意だから……路傍の草を食んでいるうちに、私という子羊はコトコトと草むらに入り、いつのまにスマイル牧場に……待てよ、あの勝手に動き出してしまう感じ、どこかで経験した。  活元運動。漢字がど〜んと浮かんだ。野口整体のあの運動だ。  野口整体とは、天才的な整体師であり稀代の身体論者である野口晴哉(のぐち・はるちか)という人物が生み出した健康法、身体哲学の体系である。その基本となるのが問題の活元(かつげん)運動だ。これを説明するのはとても難しいのだが、あえていうなら、体を解放し、それ自体がもっている自律的な運動性で、偏っていたり滞っていたりする自らの体を調整していくものである。  若い頃、仲良くしていた友人に、身体を独自な発想で扱うさまざまな世界に興味をもっていた中島章夫さんという人がいた。彼は最終的に古伝武術の甲野善紀さんの弟子になり、甲野さんと共著で『縁(えにし)の森』(合気ニュース)という本も出している。  中島さんのような人が必ず興味をもつのが野口整体の世界だ。20代の私は、彼を通して活元運動を知った。  そうだ、彼に指導してもらって、まずは「邪気の吐出(としゅつ)」というのをやったのだ。床に座り両の手で鳩尾(みぞおち)を押さえて息を深く吐く。何度か行い、その後、上半身だけ振り向くような運動をしたり体を後ろにそらせたりする。背骨に息を入れ……すると体が徐々に動き出していくのである。縦に横にと体が動いてくる。手や足、首などが勝手に動き出し……同じだ。顔が歪んできて、縦に横にと筋肉が動きだし、クシャおじさんみたいになって、最終的にスマイルマーク! の私は、確かに活元運動をしていたのである。  先述したように、活元運動は偏っていたり滞っていたりする身体を調整していく自律的な運動だ。顔の活元運動が起きたということは、つまり私の顔が偏り滞っていたことを示す。納得である。私はこの5月くらいからどうも気が重く、心が晴れることがほとんどなかった。とはいっても、しなければならない仕事や、やらねばならぬ生活の雑事はあって、なんとかこなしてきた。人には迷惑をかけないようにしてきたつもりだったが、やっぱり表情は暗かったんだ。  青年の暗さは素敵だが、この年になると筋肉が落ちてくるから、暗さは凝り固まり鬱陶しい。凝りを解きほぐすために、顔の筋肉があのように動き出したのである。  そうだ、私はきっと瞑想をしているうちに、何かしらの呼吸法を行って活元運動を準備してしまったのだ。そして、偏った顔を調整する運動が始まってしまったのである。  まだスマイルし続けながら私は思った。悪かったな〜ディーには、ここ数ヶ月どんよりとした暗い顔を見せてしまって、仕事では鬱々とした表情は見せないように努力していたつもりだったが、顔については家では思いきり無自覚だったから、一緒に住むディーはとても嫌な感じであったろう。やだよな、ホーレー線に鬱々とした凝り固まり、ディーよ、ゴメンネと思ったのである。  そして、そうだ、野口晴哉さんの『整体入門』(ちくま文庫)を読もうと思ったのだった。  ディーとの関係で、私はいつも怒りとか感情を問題にしているのだけど、身体の偏りとか歪みなんかも問題にすべきではないかと思ったわけだ。読んでみよう。  ■野口整体のポジティブな体の見方  この本は、野口整体の入門書ということで、4本の柱となるものを紹介している。一つは体の自発的な運動を誘導して体の偏りを調整していく「活元運動」、次に人のあり方を身体運動のパターンとして見ていく「体癖論」、この論を基に体を修正していく「整体体操」、そして「気」をつかって心身に勢いをつけていく「愉気法」である。  今回は「顔の活元」を体験してしまったので、活元運動のパートを見ていこう。  野口さんは、「意識しない運動」に光を当てる。たとえば「歩く」という意識的な運動は、無数の「意識しない運動」によって成り立っていると説く。では、歩いている時に転ぶのはどういうことか。  「雪が降ると、転んだといってくる人が多い。転ぶというのは、雪で滑ったからだとその人達はいいますが、その滑りやすい道を歩いていても、多くの人は転ばない。無意識に滑ることを警戒する心が生じ、体の動きをいちいち意識して警戒するのではないが、無意識に調節しているので、滑らないで歩いているのです。  ところが腰が硬張(こわば)っている人は、その体での調節がスムーズに行なわれないために滑って転ぶ」  この何気ない文章のキモは、「意識しない運動」を「意識しない」と「運動」の二つに割っていることだ。  同じ「意識しない」でも、腰が硬張っている人の「運動」は、それ以外の「運動」とは違うと書くのはそのためである。  野口さんは、「運動」をさらにみつめ、もっと小さく割っていく。割り方は、人のあり方を身体運動のパターンとして見ていく「体癖論」によっている。  体癖は、まさに体の癖で、どうしようもなくそうなってしまう体のあり方だ。その一つに体の「偏り」がある。  「歩く」ということに話を戻そう。歩くを成り立たせている、無数の無意識運動の一つ一つは、人それぞれの体の癖によって偏りをもっている。その偏りが激しければ、歩く際に違和感や痛みを感じたり、ついには歩けなくなってしまう。  では、無意識運動の偏りを調整するにはどうしたらいいのか。野口さんはこういう。「悪い物を食べて吐くのは、悪い物が入ったのだから吐くのです」。そう、体は自我に意識などさせることなく、勝手に調整していくのである。  この勝手に自らの体を調整していくのが、活元運動なのだ。そして人はかつてあたりまえにこの運動をやってきたのだが、文明生活をするようになり、できなくなってしまった。だから、野口整体では、活元運動を誘発するため、意識的に体に仕掛けていく。それが先に書いた、鳩尾を押さえて行った「邪気の吐出」や、上半身だけ振り向いたりする運動である。こうして活元運動を引き起こし、体を健康にしようとするのだ。  野口整体の面白いところは、体に対する見方だ。とてもポジティブに見ている。人がそれぞれどんなにいろいろなことを考えて、たとえば、死にたいと考えたとしても、体は常に生きようとしている、と野口さんは見ている。なぜそうなのかというと、体は、「種族保存の要求、成長の要求、自由行動の要求」に従って活発に動き続けたいからだ。  この「活発な動き」のひとつに活元運動があり、人はそれによって自ら体を調整し生き抜くのである。  この『整体入門』を読んで、私は、自分はこのように体をポジティブに見ることはなかったな〜とつくづく思った。そして私が女の人との暮らしがうまくいかずに、いつも喧嘩ばかりしているのも、体へのネガティブな考え方のせいではないかと思うようになってきた。だって「種族保存の要求、成長の要求、自由行動の要求」なんて女の人と一緒に暮らすこと、その基本的な理由ではないか。  どうして私は体に対して明るく考えることができなくなったのか。  私が体に対してネガティブな意識をもつようになってしまったのは、あの時からだと思う。小さい頃、私は大蛇に遭遇し、その体に巻き込まれてしまったことがある。あれから私は体への意識が変わってしまったのだった。あれは……お話ししよう。  あれは小学校の運動会の日のことだった。小学2年生の私は徒競走に出場し、結果は5位。走ったのは5人だから、すごく落ち込んだ。5位の隊列のどう見てもパッとしない連中の中に並ばされて、とても暗くなっていた。最後の5位の肥満児が後ろに付いて競技が終わった。私たちは集団で並んで走ってそれぞれのクラスの座席に戻らなければならない。立ち上がり走り出した。同時に運動場のトラックの中で行われていた競技も終わったようだった。ベビーブーマーの世代ではないが、私が子どもの頃はまだ児童の数は多く、運動会の競技はいくつか同時に行われるものもあり、何せ参加者が多いから非常に早い転換でスケジュールは進行していた。  同時に終わったのは綱引きであり、私たちが走って戻る時に、綱が上級生たちによって巻かれていこうとしていた。私はまだ落ち込んでいて、うつむいて走っていた。すると突然だ、私の前に巨大な大蛇が現れて、あっというまに、そのとぐろに巻き込まれてしまったのだった!  私は必死になって抵抗した。脱出しようとした。音楽は運動会だから「ウィリアム・テル序曲」である。みんなは青空の下、スポーツの祭典を楽しんでいるというのに、私だけは蛇姫様と格闘する猿之助のスーパー歌舞伎! 運動会なのにたった一人の文化祭だ。  それが綱引きの綱だと気づいた時には、太い綱によって顔や手足の皮はズルムケで……走りが遅いとか跳び箱が跳べないとかの話ではなかった、みんなが体を楽しく動かしていく世界で、僕は底抜けなんだと、遊具に惨めに組み伏せられながら思った。  やっと抜け出したボロボロの小学2年生は、もう体育なんで大嫌いだ、体なんか一生動かさない! と誓ったのだった。  まあ、そんな話なんです。さあ、もっと自分の体の扱いについて思い出しながら、『整体入門』を読んでいこうと思う。  *『縁の森──武術稽古研究会松聲館の歩み』(甲野善紀・中島章夫、合気ニュース、1997年)  *『整体入門』(野口晴哉、ちくま文庫、2002年) ___________ …………………………… ◆渡邉裕之(わたなべ・ひろゆき/ライター) 東京生まれ。「物語と空間」がテーマ。身体に関する本を編集したことは何冊かある。その中の一冊が、長寿研究を行っている家森幸男の『長寿の秘密』(法研)。現在、光文社古典新訳カフェBlog(http://www.kotensinyaku.jp/blog/)で、本と街の話題を語るコラム《「新・古典座」通い》を連載中。 ……………………………  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄    ◇ ◇ ◇ ◇ ■エッセイ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ありがちアジアなり ── 南米シャーマン 編  アヤワスカという植物でトリップしてみた  ………………………  タミオー ___________  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  日本に居る時から、ネットでアヤワスカという名前を知っていた。多分、誰か他の旅人のブログで知ったと記憶している。  アヤワスカとは  http://ja.wikipedia.org/wiki/アヤワスカ  南米はペルーの首都リマにある日本人宿、ペンション沖縄。リマの町の中心にあって、3〜4階建ての小振りなビル。沖縄出身のおじいさんがオーナー。  偶然にも、そこで日本人バックパッカーが残していった情報ノートに、かなりたくさんのアヤワスカに関する情報を見つけた。みんな結構経験していて、詳細な情報も載っていた。少しドキドキしたが、これは行くしかない。  日本人宿のTVからNHKが流れていた。日本では毒物入り餃子の話題。この時経験した話だ。以下、当時の日記から。 【2008年2月1日】  朝7時起き、日記を付ける。日本の人と一緒にジャガイモの油揚げを食べに行く。モチモチしていておいしい。昼過ぎまでひたすら日記をつける。    本屋さんの息子さん(日本人)とのお話。楽しい。いろいろな人との出会い。朝方宿に戻った時、ちょうど若い日本人カップルと入り口で会った。どうやら、これから自分が行こうと思っているプカルパ近くのサンフランシスコ村でアヤワスカを飲んできたらしい。女性の方は、少し美しい光などが見えたらしい。男性の方は体調を崩し、一週間プカルパの宿で寝込んでしまっていたらしい。アヤワスカはうまくいく人と、うまくいかない人の両方あるらしい。  昼1時、要らない荷物を宿に預けてチェックアウト。にぎやかな通りをマクド目指して歩くと、変な日系のおじさんに捕まってしまう。彼は色々言ってくるが、結局、何をやりたいのかさっぱり分からず、しきりに飲みに行こうと誘ってくるので断る。あやしすぎ……。    マクドを見つけ、高いコーヒーとポテトを買って、さあ無線LANでネットだ! と思ったら、電波が飛んでない。早々に店を出て、おとなしくネットカフェに入ってネットをする。  夕方5時、宿に戻って荷造り。宿のペンション沖縄のオーナーのおじさんと少しお話。とても親切な方で、何でこの宿を悪く言う人が居るのか分からない。(ネットに悪い評判が載っていた。)日本の戦後から東京オリンピックまでのとても貧しかった時期に、たくさんの日本人が海外に移住していった事を知った。オーナーの方は50年ペルー在住だそうだ。沖縄なまりが未だにあった。宿を出て、バス会社が集まっている地区までバスで行く。  バスの運ちゃんも、客の呼び込みのおばさんも、とても親切に目的地の降りる場所を教えてくれた。どうにか、プカルパ行きのバス会社を発見。目的地のサンフランシスコ村には、リマ→プカルパ→ヤリーナコチャ→サンフランシスコ村という具合に移動する。今日は暑い。  7時15分、出発。安いバスだったので、古くて汚い。2月はペルーやエクアドルなど、水かけ祭りをやっているらしく、バスに乗って居ると、突然水風船が飛んでくる。みんな一斉に窓を閉める。エクアドルなんかでは若い女の人が水をかけられたり、卵をかけられたり、大変。キャーと笑って居る人もおれば、本気で怒って居る人も居た。  このバスの運転荒い。しかもアンデス山脈を越えるのでコーナー(道が曲がりくねっている)多し。上の棚から荷物が降ってくるわ、ペットボトルが降ってくるわで大変。隣は太った大きなお兄さんだったので、ギュウギュウで大変。夜はめちゃくちゃ寒い。空調無し。しかも頭が非常に痒い。かなり最悪のコンディション。なぜか夜にアルコールをしませた脱脂綿がみんなに配られる。使い方が全く分からず、頭にこすりつけると、だいぶん痒みが和らいだ。このバスはなかなかトイレ休憩で停まってくれない。ひたすら走り続ける。あかん。ドロドロや。久々にヒドイ状態。 ●──何の心の準備もなく、シャーマンに会う 【2008年2月2日】  まだまだバスは走り続ける。途中、橋の工事中の所があり、停車。大雨が降るとすぐに橋が崩れてしまうらしい。どこから情報を仕入れてくるのか、アイスクリームやポテトの物売りの人々がワラワラとやってくる。  昼2時頃、やっと今日初めての食事休憩。イモの様な太いバナナ煮と米を固めた食べ物をたべる。同じテーブルのおじさんが話しかけてきた。子供達にボクシングを教えていて、プカルパからサンフランシスコ村の途中にあるヤリーナコチャという町に住んでいるらしい。ぜひ家に来て欲しいと、住所を教えてくれる。すごく感じの良い人。バス出発。しばらく走ってタイヤがパンク。ええかげんにせんかい。隣の太ったお兄さんは、荷物を持って通りがかりの車をヒッチして、さっさと行ってしまった。さらにしばらく走って、ようやくプカルパ着。  着いたとたん、一気にバイタクの人々に取り囲まれる。3ソル(1ソル約30円)でヤリーナコチャまで行ってくれるというおっちゃんのバイクに乗り、ヤリーナコチャの目当ての宿まで。料金の支払いで4ソルしか無く、仕方なく渡すと、案の定、お釣りは無いとゴネる。ホントもうええわ。  宿にチェックイン。めちゃくちゃ放置されてる様な部屋で気持ち悪い。まあ、一泊だなんでガマンやな。明日はサンフランシスコ村に行かないといけないので、すぐに準備。サンフランシスコ村には虫が多いらしい。そして食べ物は自分で持ち込まないといけない。  村行きのボートは朝7時からしか出てないので、今日中に全部の用事を済ませる必要がある。すぐに外出して村行きのボート乗り場を探す。船着き場の前に店がたくさんあったので、そこでライターと蚊取り線香、虫除け薬を買う。食料用の果物を買って一安心。明日に備えて、やることはやった。  今日、知り合ったおじさんの家に行く約束をしてあったので、人に道を聞きながら、おじさん宅に向かうが、疲れていたので、そこら辺のバイタクの人をつかまえたら、偶然にもそのおじさんの兄弟らしい。家まで送ってもらう。  何と質素な家か……。正直、こんな所に居て良いのだろうか? と思うぐらい場違いな自分。家の床は土。木で作られ傾いたベッド。布団、シーツ、一切無し。椅子も手作り。古い小さなTVから、現地のお笑い番組が流れている。レモンジュースをいただき、みんなの家族写真をとってあげる。たくさんの子供がいた。アヤワスカをやりに、明日サンフランシスコ村に行くと告げると、友達にシャーマンが居るからと言われ、少し待つ。  小柄でガッチリした男性が来る。エルネストというその男性は、サンフランシスコ村に居るシャーマンで有名なロヘルさんの従兄弟らしい。どうだ、今日すぐにでも、アヤワスカのセレモニーができる。やるか? と言われ、少し迷う。何の心の準備も出来てない……。少し考えたが、考えても仕方ないのでお願いすることにする。自分は一人や。この人達は、ここに住んでいるので、何も悪い事は起こらないだろう。住所も知っている。もし、セレモニーがうまくいかなくても、明日、サンフランシスコ村に行って、ちゃんとやってもらえば良いと考えた。リマのペンション沖縄で読んだ情報ノートには、信頼のおけるシャーマンに頼んだ方が良いとあったが、その時は酒を一緒に飲むぐらいの軽い感覚だった。  バスで知り合ったおじさんの家の隣がエルネストの家で、そこで彼の家族と少し話をしたり、写真をとったりした。家の娘さん達がカメラを覗き込む。ピッタリと引っ付いてきてびっくりした。ドキドキするなあ。  その後、水シャワーを浴びさせてもらい、手作りの頼りない階段を登って2階の部屋へ。何もないガランとした部屋。  異様だ、何もない。薄暗く異様に広い部屋。壁際にマットレスが一枚敷いてあって、汚いカバーのかかった枕。そしてイノシシの毛皮らしきものが壁にかかっている。奥にタンスと、手前に棚以外は何もない。壁の上の方は大きく空いていて、外の街頭が見え、前の通りのバイタクのボボボボという音がそのまま入ってくる。ホコリを被った屋根裏みたい。少し後悔した。大丈夫か??  しばらくその部屋で待つ。なぜかゲロの匂い。どこからか匂ってくる。いつの間にか寝てしまっていた。しばらくしてエルネストが入ってくる。茶色いドロ水の様な液体の入ったペットボトルが2本とタバコ1箱、バケツ。それのみ。  まず、お金の話をする。最初は30ソルとか言っていたのに、今になって50ソルだと言う。とりあえず100ソルを渡すと、両替してくる、と出て行った。戻ってくると、27ソルしか戻さない。何なんだ? この人。しばらくお互いゴネ合って、50ソルで決着。何だか信用できんな〜〜〜。大丈夫か?? そこら辺の悪徳商人とかわらんではないか。彼の従兄弟であるロヘルさんの事を悪く言いよるし。彼に対する嫉妬がすごい。あまり良くない雰囲気。よくないな〜。まあ、ここまで来たんや。ダメやったら明日、ロヘルさんの所でやり直してもらおう。 ●──キュビズムの絵、あれが目の前に展開されている  時間は良く分からないが、夜の8時か9時頃から始まった様に思う。自分はマットレスの上に座り、向かい合わせでエルネストが胡座をかいて座る。アヤワスカ入りのペットボトルに口を近づけて、歯の間からスィースィーと口笛を吹く。集中しなさい。集中しなさい。銀色のコップにアヤワスカをほんの少し(30ccぐらい)入れてくれる。「集中して、念を入れなさい。」しばらく見つめて一気に飲み干す。少しジャリジャリが入っていて苦い。まずい。しかし、吐き出す程ではない。効果が出るのに15分かかると言われる。彼も同じようにアヤワスカを飲み、そしてタバコをふかし始める。勧められたので、人生2本目のタバコを吸う。  しばらくして彼が歌い始める。何事も起こらない。彼の唄に合わせて、体を揺すってみたりしたが、だめだ。「見えたか?」「いや、何も変わらない。」彼は2杯目をついでくれ、それを飲み干した。何も変化が無いな。アヤワスカを吸収しようと腹にグイグイ力を入れてみる。唄に合わせて体を揺する。  目を閉じる。何だか、瞼の裏に今までより鮮明に変な模様が動いているなあ……。直線的でクリスタルの様な幾何学模様がジワジワと動いている。  この程度なのか??  そして胡座をかいた自分の足がブルブルと動く。でも、これは床が揺れているので、唄を歌う彼の動きが直接自分に伝わっただけだろうな。  しかし、ここら辺から意識がハッキリしなくなる。気が付くと、エルネストが何度も何度もバケツに向かってゲロを吐いている。苦しそう。唄を歌い、吐く。  何だ。自分は1回も吐いてないのに、何だか弱い人だなあと思った。後で考えると、それだけ反応の良い体なんだろうな。早くその世界に入っていける……。  急に誰かが扉を開けて部屋に入ってきた! え!? 誰だ? 他に人が来るなんて話は聞いてない!! 電気は消されている。別の男が部屋に入ってきた瞬間、世界が変わった。  万華鏡か水晶か。彼らも水晶、部屋の空気、空間も水晶。まるで部屋の中一杯に、ぐちゃぐちゃにかき回したゼリーを大量に注ぎ込んでしまった様な見え方。色々な色の光がブレて動く。動くごとに空間の水晶も動き、動きの軌跡が残ってゆく。動きの連続写真を1枚に合成したよう……。ピカソの絵だな。キュビズムの絵だ。あれの実物が目の前に展開されている。  彼らの話し声、音が見える。ある時は絵の具をビチャと散らしたように音が見えたり、目の前を小さな水晶の塊が、尾を引きながら通り過ぎるように見えたりした。音に触る事が出来そうな感じ。脳の感覚認識部分が混乱している。  エルネストは何度も何度も吐く。入ってきた男の心配そうな気配が伝わってくる。エルネストは唄を歌い、吐く。  どのくらいの時間がたったか分からないが、気が付くと、喉の奥から黒いナイフの様な物が押し上がってくる。耐えるとエルネストの唄が、またその黒いナイフを引っ張り出そうとする。もうここら辺から、自分の体と心が完全にエルネストの唄に引きずられる様になってしまっていた。吐き気を抑えようと耐えると、目の前に光りの世界が広がり、ググっとまた黒い物が上がってくると、現実に引き戻される感じ。  そしてまた気が付くと、目の前にバケツがあって、舌を思いっきり出して、腹の中の物を吐き出そうとしている自分に気が付く。カッカッカッと吐き出そうとしているが、なかなか出てこない。  フッと横に気配を感じ、見ると、入ってきた別の男の人が、自分の口に指を突っ込むゼスチャー。ああ、そうか、と自分の指を突っ込んでみる。周りが光に包まれて、ブワーっとバケツに流れ込んでゆく。何回か吐いた。まだ出したくて出したくて仕方がない。指を思いっきり、これ以上入らないぐらいに、喉に突っ込んでいる。気分が悪いから吐く、頭が痛いから吐く、という感覚を越えた、頭で考えて吐くんじゃ無しに、体そのものが拒絶反応を起こしているような感じだ。これはある意味、猛毒か。こりゃかなり効くわ。顔中から、汗と涙と鼻水と唾液がどんどん出てはバケツに落ちてゆく。  親指と人差し指で眉間を掴むと、指がズブズブと入ってゆき、頭と溶け込んで、バケツの中へドロドロと流れ込んでゆく。  エルネストが気合いを入れ直しているのが見える。彼にとっても相当大変な作業なのかも知れない。  バケツに吐いている時、家族全員の顔が浮かんだ。それも光の渦の中に溶け込んでしまった。家族に対して非常に感謝の念に打たれて、泣いた。ものすごい勢いで光は流れている。うなだれ、自分の胡座をかいた体を見下ろす。自分の体がすごく巨大に感じる。足まで100メートルぐらいはありそう。ははは、こりゃかなりキてるわ。  体からアヤワスカを引っ張り出そうとエルネストの唄は続く。助手の男の人が自分の腹を手のひらでグイグイ押して、吐き出させようとする。もう、あかんよ、水しか出ない。  突然、暗闇の中から両手がフッと目の前に出てきて、自分の頭を両側から包み、頭にタバコの煙をフワッと吹きかける。これがなかなか気持ちいい。皮膚感覚が無いので、透明な自分の頭に煙を吹きかけられている感じがする。  はっきりいってグタグタだ。いいように、シャーマンの為すがままという感じが少し悔しい気がした。寝かされたりして、体に手をかざす。頭を両手で包み込み、上へ抜く。感覚が普通の状態であれば、何のことはない、ただの仕草なのだが、体が透明な感じなので、その動きが、両手が直接体の内部にまで入り込んでくる。  こちらの状態を見つつ歌ったり、電灯を点けたり消したり、こんなに大変なのか! まさに手術の様だ。後半はエルネストが歌うたびに、涙がどんどん出てきた。そして、収まる。また唄が聞こえてくると泣いた。むせび泣いた。どっかのTVで見た、アヤシイ宗教のいっちゃってる信者そのものになっていた。  これはすごいわ。完全に唄とシンクロしてしまっている。シャーマンは船頭さんの役目か。何度も何度も歌ってくれる。 ●──唄が、海の一部になった自分を引っ張り上げてくれる  もういいよ。自分は素に戻った。そこまで歌ってくれなくてもいい。その丁寧なシャーマンぶりに感動し、また涙。  何度か名前を呼ばれたり、足の裏をつつかれたりして、反応を確かめられた。皮膚感覚が、体の感覚が戻って来るように、自分で体をバシバシと叩いた。顔もバシバシ叩くと、バシバシバシバシバシと止まらなくなってしまった。座らせられたり寝かされたり、段々アヤワスカが抜けてきた。唄が静かになり、セレモニーはフェードアウトするようにゆっくり終わった。  自分は柔らかい光に包まれた海の中にいる。いるというか、海の一部だ。懐かしい感じ。海面の方に強い光が見える。あれが唄だ。唄が海中から自分を引っ張り上げてくれる。最後までキッチリと面倒を見てくれたエルネストと助手の男性に感謝した。  シャーマンの存在、役割を初めて知った。彼らが居なかったら、ただ単に、吐いたり、トリップしたり、何処に行ってしまうかわからない。彼らが自分を安全に着地させてくれる。  夜3時30分頃終了か。それからしばらくボーと天井を見上げていた。脱力。頭はとてもクリアー。全然眠くない。エルネストと助手の男性はしばらく話をしていたが、そのうち静かになった。  何だったのだろうか? 全てをさらけ出され、マットレスの上に横たわっている。自分の全てを人に見られた気がして、少し恥ずかしかった。でも、素晴らしい体験だった事は確かだ。雨が降り出した。トタン屋根に当たって大きな音がする。ザーーーー。  1時間ぐらい天井を見上げて今までの出来事を考える。二人はまだ部屋にいる。電灯を点けてもらう。素晴らしかった。本当に素晴らしかった。そして、シャーマン、エルネストと助手の男性も素晴らしかった。彼らと、今後の事について少し話す。彼らは、もっとシャーマンとしての仕事をしたいようだったので、リマの日本人宿に戻ったら、彼らの事を紹介するという約束をする。ただし、お金に執着し過ぎないよう、釘を刺した。  自分に起こった経験を彼らと話す。エルネストはその感想にとても満足しているようだった。  自分の中でアヤワスカは終わったと思った。  もう、あと、何回アヤワスカを飲んだとしても、今回の様に素晴らしい経験が出来るとは思えなかった。すぐにリマに戻りたくなった。その位、素晴らしかった。その助手の男性はエルネストの弟だった。お互いに今回のセレモニーで起きた出来事について質問し合った。皆、とても満足していた。最後は握手をして、二人は部屋を出て行く。  一人、部屋で今までの事を思い出してはメモする。体も、とてもスッキリしていて、気持ちがいい。内臓の辺りがとてもホカホカしている。まるで心も体も赤ん坊になって産まれてきたばかりの様だ。なぜか、とても暖かく、懐かしいものに触れた気がした。電灯に照らされた部屋を見ると、床に飛び散った汗、水、ゲロのシミが生々しく残る。そう、本当に治療の跡、何かが産まれた跡が残った部屋だ。こんなになるとは思ってなかった。こんなおおごとになるとは思ってなかった……。  アヤワスカのセレモニーは想像以上に精神と肉体の限界まで探ってゆく行為だった。そのセレモニーの後、自分に何か劇的な変化が起こったか? というと、特に変わってないように思える。ただ、そういう世界が存在するという事は体感できたと思う。  そしてサンフランシスコ村へ、つづく。 ___________ …………………………… ◆我はタミオー。空気の薄い場所が好き。旅・登山・絵・菜食など。 上海に乗り込み印刷してきた自費出版本、読み手を選ぶ狂気の旅日記、tamioo日記の作者。 ロサンゼルスに長期沈没中。φ( ゚乞゚)ノ 【web】http://www.tamioonews.com 【twitter】@tamioonews ……………………………  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄    ◇ ◇ ◇ ◇ ■■ ■イベント情報  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ★ピックアップ  ◎森 鴎外 生誕150年 森 鴎外(もり・おうがい/本名:森 林太郎) 1862―1922年 ……石見国(島根県)津和野出身。明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、劇作家、陸軍軍医(軍医総監)、官僚。 東京大学医学部卒業後、陸軍軍医となり、ドイツに留学。帰国後、訳詩集「於母影(おもかげ)」、小説「舞姫」、翻訳「即興詩人」を発表、文芸雑誌『しがらみ草紙』を創刊した。 一時期執筆活動から遠ざかったが、『スバル』『三田文学』創刊後は、再び精力的に作品を発表。現代小説「ヰタ・セクスアリス」「雁」のほか、歴史小説「阿部一族」「高瀬舟」や史伝小説「渋江抽斎」など。 2012年、東京に文京区立森鷗外記念館が開館した。 【東京】 開館記念特別展 150年目の鷗外──観潮楼からはじまる 開催中〜2013年1月20日(日) 文京区立森謳外記念館 http://moriogai-kinenkan.jp/    *  ◎寺山修司関連企画 青森―東京 【青森】 寺山修司──生誕地弘前と父そして俳句 開催中〜12月28日(金) 弘前市立郷土文学館 http://www.hi-it.net/~bungaku/ 【青森】 帰ってきた寺山修司 後期:寺山修司の青春時代 *前期は終了 開催中〜2013年1月6日(日) 三沢市寺山修司記念館 http://www.terayamaworld.com/foyer/ 【東京】 帰ってきた寺山修司──寺山修司からの手紙+寺山修司の青春時代 2013年2月2日(土)〜3月31日(日) *三沢市寺山修司記念館での前・後期の内容に東京会場のみの資料を追加 世田谷文学館 http://www.setabun.or.jp/  ・───────・ 【神奈川】 シャガールとマティス、そしてテリアード──20世紀フランス版画と出版 開催中〜12月24日(月・祝) 神奈川近代美術館 鎌倉 http://www.pref.kanagawa.jp/div/4313/ 【東京】 生誕100年 檀一雄展 開催中〜12月24日(月・祝) 練馬区立石神井公園ふるさと文化館 http://www.city.nerima.tokyo.jp/manabu/bunka/furusato/ 【群馬】 朔太郎・朔美写真展──朔太郎が切り取った風景を求めて 開催中〜12月24日(月・祝) 萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館 http://www15.wind.ne.jp/~mae-bun/ 【東京】 井上円了と哲学堂 開催中〜12月27日(木) 山崎記念中野区立歴史民俗資料館 http://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/407000/d015323.html 【高知】 大原富枝生誕100周年記念事業 第4期企画展 文学館開館から死去まで 開催中〜12月27日(木) 本山町立大原富枝文学館 http://town.motoyama.kochi.jp/ohara.htm 【兵庫】 今和次郎 直筆入り図書資料を発見──生活とカタチを「採集」したユニークな学者 開催中〜2013年1月6日(日) 兵庫県立人と自然の博物館 http://www.hitohaku.jp/exhibits/topics/2012/topics12.html 【東京】 Just Married! 新たな絆のスタート──女性誌に見る理想の結婚 開催中〜2013年1月9日(水) 東京都立多摩図書館 http://www.library.metro.tokyo.jp/home/news/tabid/2287/Default.aspx?itemid=524 【東京】  印刷都市東京と近代日本 開催中〜2013年1月14日(月・祝) 印刷博物館 http://www.printing-museum.org/exhibition/temporary/121020/index.html 【宮城】 和田誠ポスター展 開催中〜2013年1月14日(月・祝) 仙台文学館 http://www.sendai-lit.jp/ 【広島】 宮澤賢治・詩と絵の宇宙──雨ニモマケズの心 開催中〜2013年1月14日(月・祝) 海の見える杜美術館 http://www.umam.jp/ 【長野】 女性イラストレーター展──優美な絵本世界への誘い 開催中〜2013年1月14日(月・祝) 軽井沢絵本の森美術館 http://ehon-museum.org/ 【静岡】 藤枝静男と郷里──作家が見つめた「むかしむかしの藤枝町」 開催中〜2013年1月24日(木) 藤枝市郷土博物館 http://www.city.fujieda.shizuoka.jp/kyodomuse_tenji_topics20121025hujiedashizuotokyouri.html 【北海道】 小樽・南極物語 開催中〜2013年1月27日(日) 市立小樽文学館 http://www4.ocn.ne.jp/~otarubun/bungakukan/osirase.html 【山梨】 サド侯爵夫人展─日本編─ 開催中〜2013年1月27日(日) 三島由紀夫文学館 http://www.mishimayukio.jp/ 【北海道】 違星北斗と口語短歌 開催中〜2013年1月27日(日) 市立小樽文学館 http://www4.ocn.ne.jp/~otarubun/bungakukan/kikakuten/kikaku.html 【東京】 浮世絵の中の忠臣蔵──江戸っ子が憧れたヒーロー 12月11日(火)〜2013年1月27日(日) 江戸東京博物館 http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/project/2012/12_1/index.html 【東京】 世界のブックデザイン 2011-12 開催中〜2013年2月24日(日) 印刷博物館 P&Pギャラリ― http://www.printing-museum.org/exhibition/pp/121117/index.html 【東京】 坂口恭平 新政府展 開催中〜2013年2月3日(日) ワタリウム美術館 http://www.watarium.co.jp/museumcontents.html 【福岡】 働き、書いた──北九州の職場雑誌展 開催中〜2013年2月11日(月・祝) 北九州市立文学館 http://www.kitakyushucity-bungakukan.jp/sub-tokubetu/tokubetu-index.html 【東京】 山本有三の文学修行──海外との交流、役者との出会い 開催中〜2013年2月24日(日) 三鷹市山本有三記念館 http://mitaka.jpn.org/yuzo/ 【神奈川】 生誕100年 福田恆存資料展 開催中〜2013年2月24日(日) 神奈川近代文学館 http://www.kanabun.or.jp/te0533.html 【東京】 キャンパスに残っていた偽札印刷工場──5号棟調査報告 開催中〜2013年3月2日(土) 明治大学平和教育登戸研究所資料館 http://www.meiji.ac.jp/noborito/info/2012/6t5h7p00000dv7fn.html 【東京】 近代の詩歌 II 開催中〜2013年3月30日(土) 日本近代文学館 http://www.bungakukan.or.jp/    ◇ ◇ ◇ ◇ ■■ ■編集後記  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  めっきり寒くなりました。今年は例年より、冬の訪れが早いような気がします。  高円寺電子書林、前回の配信から相当な間隔が空いてしまいました。まずその点につきまして、お詫びを申し上げます。たいへん申し訳ありません。  今回は、「福島の子どもを招きたい! 明石プロジェクト」の代表・小野洋さんから、ズシリと重い手ごたえのある原稿をいただきました。2011年に引き続き、2回目となった保養キャンプのレポートと、福島の子供たち、親御さんたちが今も直面している現状、そこから起こされたアクションなどについて、詳細に書かれています。長いテキストになりますが、どうか時間をかけてゆっくりとお読みいただきたいと思います。  連載原稿も、回を重ねた結果なのか、いずれの原稿も、今までより一つアクセルを踏み込んだカタチになっており、奇しくもそれぞれの書き手のパーソナリティに近づいた内容がお楽しみいただけると思います。  すべて自信を持ってお届けする内容です。どうか温かい場所で、温かい飲みものなどと一緒に、ぜひどうぞ。 【お知らせ】  私ごとでたいへん恐縮ではありますが、編集を担当した本と、著者として書かせていただいた本がどちらも12月12日(水)に発売となります。前者は、当メルマガでもおなじみ・島田潤一郎さんの夏葉社から刊行される『冬の本』。実に84名もの方々に、「冬」と「本」をめぐるエッセイを綴っていただいた本です。後者は『わたしのブックストア』(アスペクト)で、個人経営の新刊書店や古書店など、全国の小さくてキラリと光る本屋さんを取材して歩いた本になります。  書店等で見かけることがありましたら、ぜひお手に取ってみてください。  ──「高円寺電子書林」編集長:北條一浩 ━━━━━━━━━━━ 本メルマガ掲載記事の無断コピーは固くお断りいたします。 (c)kouenji-denshishorin 2011-2012 All rights reserved. ●編集 : 北條一浩 渡邉裕之  ●校正 : 大西寿男(ぼっと舎) ●発行人 : 高円寺電子書林 原田直子 ●お問合せ先:東京都杉並区高円寺北3-34-2  茶房 高円寺書林 メルマガ編集部  TEL : 03-6768-2412  E-mail : mmshorin@gmail.com ●ツイッター : http://twitter.com/densho_k ━━━━━━━━━━━ ★読者登録は、 mmshorin@mhai.jp まで空メールをお送りください。  本登録の案内が送信されます。  詳しくは、茶房 高円寺書林のブログをご覧ください。  http://kouenjishorin.jugem.jp/?eid=1803  *登録は無料です。  *登録に際してお預かりする個人情報は、当メルマガの配信のためにのみ利用いたします。  *バックナンバーは、登録後に設定される「マイページ」から、いつでもご覧いただけます。 ★配信解除ご希望の方は、次のサイトでお手続きください。  http://sv4.mgzn.jp/sys/unreg.php?cid=Q110257 ━━━━━━━━━━━ =================== 本メルマガは高円寺電子書林編集部が作成、 西荻の信愛書店が配信元となっております。 =================== ]]>