Biotope Journal Weekly vol.11 イスタンブル いまを駆けるイスラム商人(2012.12.23)
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Biotope Journal Weekly
vol.11(2012.12.23)

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こんばんは、退屈ロケットのスガタカシです。

クリスマス仕様から正月仕様にめまぐるしく変わる日本の年の瀬。
街や人の、あのあわただしい空気はけっこう好きですが、このメールマガジンが皆さまのもとに届く頃には寿太郎くんとも別れて、ひとりミュンヘン。…にいるといいのですが、ベオグラードからミュンヘンまでのバス旅16時間。どうもクリスマス時期はずいぶん遅れるのが恒例のようで、今ごろはまだ、渋滞に挟まれてよだれを垂らして夢のなか、かもしれません。

さてBiotopeJournalのWebサイトでは今週から、毎日ひとつずつ、インタビュイーの「好きなもの(嫌いなもの)」にフォーカスするかたちになっています。取り上げるのはイスタンブルのジハン。彼はおそらく、Biotope Journal始まって以来、稼ぎがもっとも多そうで、ただならぬ魅力にあふれた人物。店へのアクセスも掲載しますので、絨毯王子と話してみたい方、トルコ絨毯をお求めの方、イスタンブルまで会いに行ってはいかがでしょう。すくなくとも彼のお店で出してくれるお茶、とても美味しいですよ。

先日開催したUst忘年会にはたくさんの方に参加していただいて、おかげさまで、海外でも日本の年末気分を、すこし感じることができました。通常のサイト更新とメールマガジンは明日から1月6日までお休みを頂く退屈ロケットですが、その間、2013年もっと楽しんでいただけるよう、試行錯誤してみたいと思います。

2012年最後のメールマガジン。今週もWebと一緒に、どうぞお楽しみください!

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■ Biotope Journal リポート #011|ジハン
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イスタンブルといえば、たびたびその名を変えながら歴史に登場する、古くからの大都市。そして、アジアとヨーロッパにまたがる都市でもある。境目、というのは適切ではない。むしろこの都市は、「つなぎ目」だ。その街並みに、料理に、深い歴史を背景にした東西からの影響が混ざり合い、そして独自の雰囲気を作り上げている。並び立つモスクとモスクの間の道は、古くからの石畳。その上を、最新技術の使われたぴかぴかのトラムが走る。下り坂の路地に目をやれば、そのむこうに広がるのはマルマラ海*。この街は今も、世界じゅうからの観光客をひきつけてやまない。

観光客が主に集まるのは、旧市街のスルタンアフメット地区*だ。ブルーモスク*やアヤソフィア博物館*を擁するこの地域には、大小の規模のホテルやみやげ物屋が、数え切れないほど並んでいる。こんな街にはもちろん、これでもかというほど客引きがうろついている。東洋人と見るや、マイフレンド、と声をかけてくる。中には日本語が流暢なものも多くいる。そして決まって、彼らの「兄弟」だとか「親戚」が絨毯屋やら宝石屋をやっている。旅行会社の場合もある。見るだけでいいから、と店へ連れて行かれる。

やっかいなのは、悪質な連中も、そうでない人びとも、アプローチの仕方がさほど変わらないということだ。たとえばインドなら、こんなふうに声をかけてくる者はほぼ100%悪質だ。でもここでは、そうとも限らない。ある店のことを悪質だという人もいるし、良心的だと評価する人もいる。ネットの評判を調べても、同じ店について「良い買い物をした」と書いている人もいれば、「騙された」と書いている人もいる。カーペットや宝石などは、その価値が素人にははかりにくい。だから買い物への「納得」の仕方も、人によって大きく変わってしまう。

ブルーモスクのほど近く、やや人通りの落ち着いた路地にあるカーペット店の前で、なかなか立派な身なりをした男が煙草を吸っている。流暢な日本語で声をかけてくる。日本人ですか、東京のどこから来たの、渋谷、新宿。ここまではよくある話だ。でも池袋の地名を出すと、立教側、それともサンシャイン側? とくる。ここまで詳しい客引きはなかなか珍しい。彼こそが、この店の主人のジハンだった。少し立ち話をしてみると、なかなか個性的な人物のようだ。彼は絨毯を売りたい、こちらはインタビューをしたい。招かれた店の中で、せめぎ合いが始まる。

◆ ジハンの話術

ジハンの日本語はとても流暢だ。でも、大学で勉強したというわけではない。彼は高校を出てすぐに、父親のもとで、一族の家業である絨毯屋の仕事を始めた。それが今から13年ほど前。その頃から日本に行き来しているけれど、はじめはもちろんカタコトだった。でもイスタンブルにある日本語学校に通ったりしながら、少しずつ語学力を上達させた。もちろん仕事のためだけれど、彼はそもそも語学を学ぶのが好きなのだという。

日本語を使ったただの雑談は、けれども同時に、商談の第一歩でもある。彼と会話をする日本人は、まず彼の日本語に感心する。そればかりではなく、彼の日本に対する細かな知識に感心する。独特のリズムでゆったりと話す彼は、品物を売ってやろうという必死さなどひとかけらも見せない。純粋に会話を楽しんでいるように見える。というよりも、彼は本当に、自然体で会話を楽しんでいる。もちろん、客の様子や店の様子に忙しく目を配りながらだけれど、その忙しさを感じさせない。スタッフに命じて客のために持ってこさせるトルコ名物のアップルティー*も、濃厚でとてもおいしい。

彼はまだ31歳で若いけれど、もっと若いころから、家の商売をさらに広げていくためのアイデアは持っていた。そのひとつが、海外にもっと積極的に出て行くこと。たとえば彼のお兄さんのひとりは(彼はなんと、9人きょうだいの末っ子なのだ)、スペイン人と結婚している。だからスペインともつながりがあり、進出している。一方でジハンは、日本に焦点を当てている。今は倉庫のようなオフィスを北海道に持っているけれど、近いうちに東京に店を出すつもりだ。

彼が注目するのが、日本の伝統工芸などとトルコ絨毯の共通点。それはハンドメイドの重要性だ。一枚の絨毯を作るのにどれほどの時間がかかるかというのは、もちろん職人の仕事の速さによっても異なるし、絨毯の大きさや目の細かさによって異なる。でも、ともかくそれは地道な作業だ。ひとりの職人が1年に織り上げる枚数が2枚、ということもある。それだけの時間と情熱が、絨毯には込められている。

もともと絨毯は、家庭の女性たちが織るものだった。彼女たちが丹精込めて織り上げたそれは、たとえば大切な嫁入り道具になる。数百年も前からのそんな伝統が積み重ねられて、人の手から人の手へと渡り、今もたくさんの絨毯がそこらじゅうに出回っている、というわけだ。そんな伝統の重みやハンドメイドの大切さは、織物や手工芸品のすばらしい文化がある日本の人びとにはきっとわかってもらえるはずだ、と彼は言う。

そんな話に納得していると、もう彼の話術の中にからめとられている。彼はもちろん、これをすべて日本語で語ったのだ。日本人は皆、もちろん日本語が堪能だけれど、こうした話術にたけた人は多くはない。それを外国語としての日本語でやってのけるのだから、すごい。また感心してしまう。これが危険だ。

◆ ジハンの商売哲学

話の流れの中から、ごく自然に、彼はおすすめの絨毯を持ち出してくる。彼はただ漫然と会話をしているのではなくて、そこから客の好みを探っている。色合いだとか、柄だとか。それからもちろん、「この客はいくらぐらいのものなら買うだろうか」といういちばん大事なところも、観察している。そのペースに巻き込まれながらも、こちらも負けじと質問を畳み掛ける。

彼の商売人として優れたところは、いちばん繊細で重要なテーマである「お金の話」をするときこそ特に、率直になんでも語るということだ。彼は彼なりの商売哲学を持っているから、どんな質問が飛んできても、それにしたがって堂々と答える。

たとえば面白いのは、損得について。百円でも一万円でも、得は得、というのが彼の考えかた。もちろん数字は一万円のほうが大きいけれど、それはたいした問題ではない。もちろん損はダメだ。でも少しでも得があるなら、それは積み重ねていくことができる。積み重ねるのはなにも数字だけではなく、大切なのはむしろ人間関係だ。

「ジハンに会った人、たいてい、ジハンのこと忘れない」と彼は言う。確かにそのとおり、彼は自分をよく知っている。忘れたくてもなかなか難しい、とても印象的なキャラクターだ。もちろん、自分から印象づけることだって、彼は意識してやっているだろうけれど。

だから彼には、リピーターが多い。若い頃に一万円ぶんを買ってくれた人が、10年以上経ってから事業に成功して一千万円ぶん買ってくれたこともあるのだという。一千万円なんていう数字をさらりと言ってのけるけれど、別に彼はそれを誇っているような様子はない。そうではなくて、そのお客さんが長い年月を経てからリピートしてくれた、ということが重要なのだ。そんなことが多くあれば、もちろん彼の店は儲かっていく。

◆ ジハンの信仰

彼の商才をまざまざと見せつけられているうちに、イスラム商人*という言葉が浮かぶ。かつてこの地がコンスタンティノープルと呼ばれていた頃から、商人たちは活発に交易路を切り開き、遠く中国・唐の国やインドなどから、多くの品々を持ち帰ってきた。ジハンももちろん、ムスリムだ。でも他の多くのトルコ人たちと同じく、もしかするとそれ以上に、彼はかなりオープンなムスリム。でもそんな中でも、商売についてと同じように、彼はしっかり自分の哲学を持っている。

彼はたとえば、お酒を飲む。これはもちろん、厳格なムスリムは絶対にしないことだ。でも彼は、わりと頻繁にお酒をたしなむ。主に飲むのは、仕事の一環として。取引相手との酒席だとか、そういう機会だ。それが一週間も立て続けにあることもある。でも反面、ひとりで飲むことは少ない。ごくたまに、仕事の後でリラックスしたいときなどに飲む。好きなのはシーヴァス・リーガル*。ウォッカをレッドブル*なんかで割るのもいい。

彼はたとえば、独身の裕福な経営者らしく、しっかり女の子とも遊ぶ。婚姻前のそういう行為も、イスラム教では禁忌だ。いかにも女性にもてそうだから、ガールフレンドはいるのかと質問してみると、「何人もいる、でも真剣な子はいない」なんて、さらりと言ってのける。どんなに良心的な値段でも、こんなやつから絨毯なんか買ってやるもんか、と一瞬思う。「真剣になりたいな、という子はひとりいるけどね」とのことだ。

けれども彼は、豚肉を口にしないことは、かたくなに守っている。肉そのものはもちろん、エキスでもダメ。サラダに豚肉が入っていたら、それ以外の野菜だけ食べるということもダメ。レストランで間違って注文してしまったら、お金は払ったとしても、決して手をつけない。彼は生まれてから一度も、豚肉を口にしたことがない。

イスラム教は正しいあり方を教えてくれるけれど、そのうちどこまでを実践するかは個人の自由だ、と彼は言う。イスラムの戒律が禁じる数多くのことがらのうち、何が大丈夫で何がダメなのか、という彼の中の基準はよくわからない。けれども信仰と向き合ううえでの彼の考えかたのようなものは確かにきちんとあって、彼はそれを堂々と実践している。

ただ、彼が唯一堂々としていられないのは、たぶん実家にいるときだ。「実家でお酒飲むのはマズイ、お母さんはイスラムをちゃんと信仰してるひとだから」。

◆ジハンの目

ジハンは「人を見る目」にずいぶんと自信を持っている。高校を出てから今まで、ずっと客と接する仕事をしてきて、多くの商談をまとめてきたその経験が、そうさせているのだろう。相手が信用できるかどうかを判断するのに大切なのも、やっぱり目だという。作り笑いだとか、何かを隠していたり嘘をついていたりしたら、それは目を見ればよくわかる、とのことだ。

「目」を特に大切にするのは、なにも彼に限ったことではない。実はこれは、トルコで古くからある考えかただ。特に、悪意ある他人の眼差しが害を及ぼす、という考え方が特徴的だ。だからそれに対抗するために、目の形がたくさんの場所に意匠されている。絨毯にももちろん、アクセサリーなどにも多い。ジハンもそんな考え方に基づいて、目立つことを避ける傾向がある。この界隈、この業界ではけっこうな有名人だけど、メディアに顔や姿をさらすようなことはあまりしたくない。他人の「嫉妬の目」が悪い影響を及ぼすからだ。そういうところには、彼は慎重だ。

そんな彼にももちろん、失敗することはある。大損をたたき出してしまうことだってある。でも彼は、そんなダメージからはすぐに立ち直ることができる。「これも勉強、勉強にはお金かかる」というのが彼の口癖で、損得に関する哲学のひとつだ。ほかにも、こういうのがある。「出せる範囲の金額が『安い』。出せない金額が『高い』。お金がかかっても、それも勉強」。妙な説得力で、買ってもいいかな、という気にさせてくる。タフな男だ。落ち込むことはあるのかな、という疑問もわく。

もちろん彼にだって、落ち込むことはある。それは家族に、なにかトラブルだとか悲しいことがあったとき。さすがの彼も、回復するには時間がかかる。そんなときに彼は、旅行に行く。できるだけ自分を知る人がいない、トルコ人がほとんど行かないような場所へ。

今までの旅行先でいちばん気に入っているのは、意外にもキューバだ。今もまだ、貧しいながらも安定した社会主義体制を保っている稀有な国。商売人のジハンの暮らしとは、ある意味では対極にあるような場所だ。

お金はないけれど、余計なプレッシャーや不安がないから、キューバの人々は皆ナチュラルでハッピーなのだ、と彼はいう。安い食堂に入っても、素材もナチュラルなものを使っているから、みな美味しい。お酒も、とくにモヒートが美味しいし、女の子たちも綺麗だ。彼は時折そんなふうに、仕事から完全に自分自身を切り離して休息をとる。携帯も電源を切って、ごく近い人とだけ、緊急時のためだけに連絡を取れるようにしておく。

でもそれが続くのもだいたい1週間。仕事に戻れば、また彼は鋭い眼差しで、新しいビジネスチャンスを狙う。それは絨毯を売ることだけにとどまらず、近いうちに日本で様々な事業を興そうと考えている。

際限なくどこまでもバリバリ働き続けそうな彼だけど、実は40歳ぐらいまで働いて、そこでひと区切りつけようと思っている。その頃に結婚するかもしれないし、ゆっくりとリラックスして、人生を楽しもうと思っている。もしかするとそのあとでまた、仕事を始めるかもしれない。でもそれは、そのときになってみなければわからない。楽しめなければ意味がないから。

人生は短いからね、と彼は言う。まるで今までに二度や三度、人生を丸ごと経験したことがあるかのように。

Web "Biotope Journal" ジハン編
イスタンブル いまを駆けるイスラム商人
http://www.biotopejournal.com/tags/Cihan

文・金沢寿太郎

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■ 今週の参照リスト
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《脚注》
◆ マルマラ海
イスタンブルのアジア側とヨーロッパ側の間にある、内海。北がボスフォラス海峡、南がダーダネルス海峡で、北の黒海と南のエーゲ海はここを介してつながっている。イスタンブルの高台からは、大小さまざまの旅客船や貨物船が、毎日ここを行きかう様子を見ることができる。

◆ スルタンアフメット
後述のブルーモスク・アヤソフィアなどのある、イスタンブル随一の観光エリア。もともと多くの観光客が訪れていたが、特に近年になって観光地化が進んだのだという。ホテルや土産物屋は数え切れず、客引きの数もそれに比例する。物価も他の地区に比べてやや高い(観光地価格か)。

◆ ブルーモスク
世界じゅうのイスラム地域にある青いモスクは多くの場合ブルーモスクと呼ばれるが、イスタンブルでブルーモスクといえばこのスルタンアフメット・ジャーミイ。オスマン帝国のスルタン・アフメット1世によって17世紀初頭に建造された。礼拝時以外は基本的に自由に出入りすることができる。夜にはライトアップもなされ、観光客を存分に意識しているのがわかる。

◆ アヤソフィア
ビザンツ帝国時代に建造されたキリスト教の大聖堂で、コンスタンティノープル総主教がここにあった。ハギア・ソフィアとも呼ばれる。東西教会の分裂を象徴する11世紀の相互破門事件は、ここで発生した。以降、正教会の総本山として歴史を重ねた。

◆ アップルティー
トルコではふつうの紅茶に加えてアップルティーがポピュラー。これらの紅茶はチャイと呼ばれる。どの店に入っても、またどんな家を訪れても、もてなされる際にどちらの紅茶がいいか訪ねられることは非常に多い。独特の、ガラス製で取っ手がなく、真ん中がくびれた形の「チャイグラス」で出されることがほとんど。

◆ イスラム商人
7世紀のウマイヤ朝以降、イスラム勢力の拡大にともなって世界中で商売を行うムスリムが増えた。特に海上の交易路を切り開いたところに特徴があり、紅海からペルシア湾、さらにインド洋へと進出した。また同時にアフリカにも進出し、奴隷貿易も行われた。東は遠く中国・東南アジアまで進出し、大航海時代にキリスト教圏に押されて後退するまでの間、彼らは海上交易を掌握し続けた。

◆ シーヴァス・リーガル
スコットランド原産。スコッチの中でも、くせの強すぎない香りによって多くの人びとの人気を博し、もっとも世界中に名の知られた銘柄のひとつ。シーヴァス社が19世紀後半から発売している。

◆ レッドブル
レッドブルでお酒を割るという発想が今までなかったのだけれど、海外にいるとけっこうやっている人を見る。意外とポピュラーなやり方なのだろうか。たとえばスポーツ飲料でお酒を割ると、体が吸収しすぎるために酔いが回りやすいという話がありますが、こういうエナジードリンクは、はたして。

◆ ジハンの店
イスタンブルのスルタンアフメットにあるその店は「Ottomania(オトマニア)」という名前。主に絨毯とキリム(毛足がみじかい平織りの織物)を扱っていて、ブルーモスクの裏手「Tavukhane Sok.」という小路にあります。黒に赤字の看板が目印。

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■ 旅日記【ロケットの窓際】 011 中央アジアへ
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 カシュガルの街に、いつものようにアザーンが響く。

 宿の隣のモスクから響きわたる、イスラムの祈りの言葉。意味どころか、テンポがあるのかメロディがあるのか、それさえもわからない。もう一週間ぐらいここにいるから、一日五度のこれを、かれこれ三十回以上も聴いていることになる。アッラーは偉大なり、アッラーのほかに神はなし……たぶんそういうことだろう。はるか昔から繰り返されてきただろうこの祈りの言葉は、こちらも考古学的に古いだろう拡声器を通して、街じゅうに染みわたっていく。粉塵にまみれた砂漠の街の、そのひとつひとつの粒さえも逃さずに覆いつくしていくようだ。

 はじめは戸惑いながら耳を澄ませていたこれも、だらだらと滞在を引き延ばすうちに、すっかり日常の出来事になってしまった。なにかのお祭りのせいで、国境が封鎖されているという情報もあって、図らずも長逗留になってしまったのだ。諦めきれない旅人たちは、車で三十分ほどの国境まで出かけては、今日もダメだったと戻ってくる。それが何日か続く。

 旅を始めてからそれなりの時間が経ったというのに、考えてみれば、まともに国境を越えるのはこれが初めてだ。香港では国境と同じような検査があったけれど、でもあくまであそこは中国の一部。何もかもががらりと変わるような国境越えは、これが初めてだ。

 国境が開かれた翌日、せき止められていた旅人たちが一斉に国境へ向かう。車やなにかをシェアして安く上げるにはもってこいの機会だ。いそいそとそれに便乗して、朝早く宿を出る。



 国境とひと口に言っても、そのあり方は様々だ。飛行機で飛んでしまう場合はだいたいどこでも手続きは同じだけれど、陸路ではそうはいかない。出国手続きのすぐあとに入国手続きができる場合もある。けれども場合によっては、出国手続きをしてから数十キロも進まなければ次の国の入国審査ができない場合がある。中国・キルギス国境がまさにそれだ。ミニバスに揺られながら、いったいここはどこの国なのだろうと不安になる。パスポートには中国出国のスタンプが押されているけれど、そのあとには何もない。僕はどこでもない国にいる。

 けれども、どこの国であろうがなかろうが、自然はそれを意に介さない。尾根を覆う雪の白さは変わらず美しいし、鳥は自由気ままに飛んでいく。たまたま知り合って同行しているスウェーデン人(四十代)は、隣の席で「俺たちは今、キルギスに向かっているんだ!」と延々はしゃぎ続ける。彼もまた、どこの国へ行っても同じなのだろう。

 途切れることなく続いていく自然の途中に、突然兵士たちが座っている。パスポートをチェックして、それからひどく訛った英語で「ウェルカム・トゥ・クルグズタン!」と言ってくれる。それで初めて、キルギス領域に接近していることがわかる。やや進むと、大きなゲートのような場所の脇に、バスのチケット売り場かなにかのようなしょぼくれた窓口がある。これがパスポート・コントロール。そこを抜ければ、白タクの運転手たちがいくらでも群がってくる。ごちゃごちゃと交渉しなければならないのは、いつものことだ。値段を示すときには、ひどく汚れた車のウィンドウを黒板代わりに、指で数字を書き付ける。このあたりでは、これが当たり前の習慣のようだ。



 しばらく車に揺られて辿りついたオシュという街は、実はもうすでに、次のウズベキスタンとの国境の街。フェルガナ盆地の入り口であるこのあたりでは、国境は複雑に入り組んでいるのだ。

 中国からキルギスに入って、自分がまったく異なる国へ来たのだということを如実に感じさせるのは、なんといっても街に溢れる文字だ。キルギス語とロシア語が併用されるこの国では、街中で見かける文字はほぼキリル文字。まったく読めない。中国では漢字の意味をなんとか類推することが命綱だったのに対して、ここではその方法がほぼまったく使えなくなってしまう。もちろん英語も、通じないと思っておいたほうがよい。

 でもそんなふうに、文字や言葉がドラスティックに変わってしまうのに対して、食文化はもっとゆるやかに変わる。中国で「拌面」として親しんだラグメンは、ちゃんとキルギス風の料理として存在するし、羊肉のワイルドな串焼きもある。長時間の国境越えでぺこぺこになった腹を満たすため、僕らはレストランに入ってそれらを食べる。これが意外なほどに美味しい。なにしろ、新彊ではどこで食べても親の敵のように硬かったナンが、ここではほとんどパンに近いほどふわふわとしているのだ。そのうえ、香りもいい。

 疲れていると、とにかく基本的な・原始的なことに単純に感動してしまう。美味しいものを食べれば、これからの中央アジアの旅も心躍るような明るいものになるような気がしてくる。けれどもそれは、大きな間違いだった。



 あまり深刻に考えないようにはしていたのだけれど、実は事前に取得していたウズベキスタンビザの期限が迫っているのだ。僕らが日本で取得しておいたのは、上限の三十日ぶん。そしてそのとき、入国日と出国日を伝えなければならなかった。でもなんだかんだと予定が延びてしまって、入国日はとっくの昔に過ぎてしまった。それ自体は問題ないのだけれど、でも出国日も同じように伸ばすことはできない。僕らに残された時間は、よくよく考えると、もう十日を切ってしまっていた。ひとまず、早くウズベキスタンに入ってしまわなければならない。

 わずか三日程度のキルギス滞在を終えて、ウズベキスタンに入国する。ここの国境はさほど難しくない。暇そうな審査官のしてくる質問に適当に答え、さっさと手続きを済ませてしまう。目指すのはタシケント。ウズベキスタンの首都にして、中央アジア随一の都会だ。この街が、少なくとも僕にとっては曲者だった。お祓いでもしてもらったほうがいい、というほどに、悪いことが立て続けに起こったのだ。

〈続〉

文・金沢寿太郎


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■ アフタートーク【ロケット逆噴射】 011
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スガ
年内最後のアフタートーク、はじめましょうか。

寿太郎
はじめましょう。はやいですね、もう年末か。

スガ
あと10日で2012年が終わり。ていうか、明日で地球は終わりかもしれませんけど。
(今回のアフタートークは12月20日に収録しています)

寿太郎
そうだ。その話、さっきしようと思ってて忘れてたんです。

スガ
さっき。忘年会ね。

寿太郎
そう。それも忘れてた。実はこのアフタートーク、Ustream忘年会の直後にやってます。

スガ
宿の一室から中継した退屈ロケットUst忘年会が先ほど終わりまして、酔いが残ったままアフタートーク。
忘年会は…、あれでよかったのかね。

寿太郎
まあ、台本ゼロ、打ち合わせもやっつけ、なし崩し的に始まったにしてはいいんじゃないですか。

スガ
んー、もっといろいろ仕込もうかとも思っていたんだけど時間切れ。結局、見てくれていた方たちの質問に助けられたような感じで。
でも結果的に、ちょっと、ほんとの忘年会みたいな感じだったかも。

寿太郎
ただでさえ年末進行で忙しくて、なかなかしっかり準備する時間がなかったですね。まさに皆さまに助けられてやっております。でも最後のほうとかは、本当に忘年会っぽかったといえばそうかも。

スガ
楽しんでもらうつもりだったけど、逆にこちらが楽しませてもらった感じ。ほんとうに、ありがとうございました。

寿太郎
見てくださった皆さまだけでなく、ゲストの皆さまも含めて。ありがとうございました。またやる機会があれば、もっとしっかり準備してやりたいと思います。

スガ
次もしっかり準備は怪しい気がします。

寿太郎
ま、ベストを尽くすということで。

スガ
はい。それでBiotopeJournalの方はというと,今週はイスタンブルのジハン。

寿太郎
その前に世界が終わる話はどうなったんでしょうかw
マヤ暦によると明日世界が終わるという説がありますね。というか、世界が終わっていたらこのメルマガは配信されてませんけれども。

スガ
さようなら、ですね。

寿太郎
そうなんですよ。みなさん、どうですか? 世界終わっていませんかー?

スガ
・・・。
返事がないので終わったんだと思います。

寿太郎
残念。アーメン

スガ
今週は、終わった世界に向けてメールマガジンを配信しましょう。

寿太郎
なんだか宇宙的ですね。いやでも、世界の何箇所かに安全地帯があるという話がありますね。

スガ
あー、あったね。

寿太郎
フランスにもあって、客が殺到しているとか。日本では名古屋がいいとかいう話すら聞いた。

スガ
安全なのはトルコも。

寿太郎
そう。今回のお話のトルコにもそういう場所があるという話があって、一部の人びとが殺到していると旅行会社の人が言ってたね。
まったく狂った話です。

スガ
でもちょっと楽しそうな気もする。殺到あこがれる。

寿太郎
殺到にかw いやまあ、どんなパニック状態なのかはなかなか興味深い。

スガ
そう、ゴールドラッシュとか民族大移動とか、昔からあこがれでした。
行こうぜフランス。

寿太郎
今から明日までにですかw

スガ
ムリか。やっぱり滅亡か。

寿太郎
ででーん 退屈ロケット アウトー。

スガ
というわけで。

寿太郎
そのトルコですね。ジハン。

スガ
いやぁ、ジハンはね。すごかった。あんな人みたことないよ。

寿太郎
変なカリスマがあるし、なんだか妙な人物だ。

スガ
そう、カリスマがあるんですよね。男もしびれる色気があるというか、話していると、自分が魅了されていくのがわかるんですよ。

寿太郎
さすがジハン! 俺達に出来ないことを平然とやってのけるッ!そこにシビれる!あこがれるゥ!

スガ
うんまさにDio様というかんじ。
イスタンブルの街で会った人に彼の名前出したら、何人もの人に
「それはいい人に出会ってる。あんな人なかなかいない」って言われるし。
ちょっとヤバい感じすらある。

寿太郎
うん。なんというか異常な感じがしたけれど。
まあ話してみるとたまに、普通に笑った顔がかわいかったりする。

スガ
うん。たしかに笑顔はかわいかった。
彼は何がすごいって、高いものを売ろうとされると、こっちは引くじゃないですかふつう。
鬱陶しいな、やめてくれって。
でもね、彼はこちらが自分でも気づいていなかった購買意欲みたいなのを見つけて、それをくすぐって大きくしていくわけ。
で、買ってみたいと思わせてしまう、という。

寿太郎
まあそういう意味で商才がありますよね。それはずば抜けている。

スガ
そしてその商才はそのまま、彼の根源的な魅力と根っこでつながっているというかね。

寿太郎
あんまり仕事としてやっている感じがしないよね。生き方としてやってる感じがする。

スガ
そうそう。それはさ、この人を信じてみたい、と思わせてしまうってことなんだよねたぶん。
モテとほぼ同義かもしれない。

寿太郎
そういう意味も含めて、モテ男という感じですね。

スガ
うん。まさにイスタンブルの絨毯王子。
ぼくらにもときどきウインクしてみせてたしね。

寿太郎
まったく。

スガ
正直なところぼく、彼にはやられてしまいましたよ。あれは参りました。

寿太郎
それは大変だ。それでまあ、カーペットを買ってしまったと。

スガ
そう、買っちゃいました。
彼の店に入るまで、これっぽっちも買う気なかったのにね。

寿太郎
まあ、いいカーペットだったしよかったんじゃないですか。

スガ
うん。想定外の出費だったけど、後悔はしてなくて。
自分の目で見てもいいものだなと思ったし、まぁ値段についてはそれこそ彼を信じるしかないけれども。
後からちょっと調べたところでは妥当かすこし安いくらい。
東京ではぼくの祖母がいま、喜んで使っているそうです。

寿太郎
そいつはよかった。おばあさんがそのうち絨毯に乗ってイスタンブールまで観光しに来られることを祈るばかりです。

スガ
そうそう。若い頃からイスタンブルに行くのが夢だったというからね。来たらいいのに。とても過ごしやすいところだから。

寿太郎
しかし、トルコではけっこう暖かめで過ごしやすかったけど、ブルガリアからこっち、もう完全に冬ですね。気づけばクリスマスの直前。

スガ
そうか、この号がでるのはクリスマスイブのイブ。23日ですね。
BiotopeJournalはちょっと来週と再来週2週間の間、すこし長めの冬休みをいただきまして。

寿太郎
ライラックってどんな花だろう。

スガ
えっ? ライラック

寿太郎
そういう素敵な歌があるんです クリスマスの少し前のお話。

スガ
ほー。

寿太郎
まあいいや、独り言でした。わかってくれるひと、友達になりましょう。

スガ
寿太郎くんの友だちになってあげてください。

寿太郎
で、お休みを頂くという話ですね。

スガ
そうです。お休み。まぁふつうに休んでもいいし、来年のもろもろの準備もしなくちゃいけないんですけれども。
まぁせっかくの年末年始だからね。
なんかいつもとはちがうことをできたらなー、とも思っております。

寿太郎
そうですね。特別企画のようなものを。

スガ
そうですね。よいお年を。

寿太郎
佳いお年を。

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編集後記:退屈なしめくくり

ジハンのお店で絨毯を買ってしまったぼく、自分としては「えいや!」というお値段の買いものだったのですが、100万、1000万の取引も珍しくない絨毯王子に言わせれば「スガはきっと将来稼いだら、もっといいお客さんになってくれるね」とのこと。たしかに彼が、日本にお店出すときのためにつくったという平織りキリムの椅子なんて、生地の触り心地がよいばかりでなく、柄も日本人好みのシンプルさ。思わずうなってしまうほどでした。サイトでも4日目〈損〉と5日目〈旅行〉の写真に映り込んでいるその椅子は、ジハンに冗談とも本気ともつかない笑顔で「この椅子はスガにとっておくね」と言われています。イスタンブルにはこれからも立ち寄ることになりそうなので、ご関心のある方がいらっしゃいましたら、お気軽にお問い合わせくださいませ。

さてさて、冒頭でもお伝えしましたが、通常の更新は明日から2週間おやすみ。来年はさらに充実した活動ぶりをお見せしたいと思いますので、どうぞお楽しみに!

…と、メールマガジンで年末、年末、と書いていたら、なんだか今とても、年越しそばが食べたくなってきました。ぼくはそばが大好き。そばのことといまだイメージの固まらない年越し企画のことを考えながら、ミュンヘンへのバスに乗り込みます。

ここベオグラードも、さよならの挨拶は、チャオ! でした。

スガタカシ

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