Biotope Journal Weekly vol.8 西安 彼と彼らの事情(2012.12.02)
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Biotope Journal Weekly
vol.8(2012.12.02)

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こんばんは。退屈ロケットのスガタカシです。
イスタンブールでまたすこし取材をしたり、記事を書いたりしているうちにもう12月! 日本は今頃クリスマスモードですね、とふと、イスタンブールには日本のようなクリスマスイルミネーションがないことに思い当たりました。

先週は、中国の「人と空間」をまとめてお伝えしましたが、今週はふたたび「人とくらし」。「西安 彼と彼らの事情」のキーちゃん(Qi Yuan)です。今週はいつものレポートに加えて、彼を紹介してくれた福永さんによる、中国ゲイにまつわるエッセイもあり。いつにも増して長くて濃い内容! 覚悟して、どうぞお楽しみください。

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■ Biotope Journal リポート #008|キーちゃん(Qi Yuan)
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古都・西安。大国の都・長安として名を馳せたころの中心部には今も立派な城壁が保存され、多くの観光客の人気を集めている。同時に、中国経済の目覚しい発展のもと、現代的な建物も立ち並ぶ。高級車も行きかう。
現代の中国都市につきものなのが、中心からやや離れた場所での建築ラッシュ。建設中の高層マンションがそびえ立つ。こんな開発エリアには、小ぎれいなホテルもある。今回のインタビュイーであるQi Yuanを紹介されたのは、そんなホテルのロビーだ。中国は国慶節、秋の長期連休の真っ只中。この休みを利用して、仲間たちは西安に集まっている。中国人もいれば日本人もいる。男性だけでなく、女性もいる。彼と同じ同性愛者も何人もいるけれど、異性愛者もいる。十人にも満たない小さな集まりだけれど、何の集まりなのかよくわからない。そんな仲間たちに、彼は「キーちゃん」という愛称で親しまれている。彼はここ西安に通う大学生。ふだんは大学の寮に暮らしている。
わいわいと和やかなみんなの夕食に同席させてもらい、その後はふたたびホテルのロビーで、ふかふかのソファを図々しくも占領して、話を聞かせてもらった。

◆ 「ぼくはゲイだ」

“ピアノの鍵盤の数が有限であるからこそ、ひとの奏でる曲には無限の可能性があるのだ。
無限の大地の上にあっては、有限の人生しかきっと歩めない。”

生涯を豪華客船の船上で過ごしたピアニストを描いた『海の上のピアニスト』*という映画がある。これは、彼が下船を拒んだときの科白。

中国・山西省*の田舎に生まれ育ったキーちゃんがこの映画を観たのは、中学生のころのことだ。それまではほとんど映画なんて観たことがなかったし、教科書以外の本も読んだことがなかった。この体験が進路を決めたというほど大げさな話ではないのだけれど、このストーリーは彼の心に深く刻まれたし、それによって彼は、映像に興味を持つようになった。
中学生といえば、ひどく敏感な思春期の季節。誰しもが、似たような悩みのなかを、それぞれのやり方でもがき、なんとか乗り越えて、大人へと進んでいく。彼だって同じだ。ただ、ほかの多くのひとがなかなか抱えることのない事情を、彼の場合は抱えていた。彼は男性で、そして男性に惹かれるということ。小さいころから、男の子を見ることが好きだったこと。
女の子と仲良くする男の子は、たとえば小学生のころは冷やかしやからかいの対象であったかもしれないけれど、中学生になればだんだん羨望やあこがれの対象に変わっていく。それは中国でも同じことで、キーちゃんの周囲でも、ガールフレンドがいることは男の子にとってのステータスだった。
もしかするとそのステータスのためというよりも、彼はなにかを確かめたかったのかもしれない。それで、女の子と付き合う、ということを試してみる。でもしっくりこない。それは年若いがゆえの初々しいとまどいのようなものではなくて、もっと根本的なことだ。彼は彼女に、性的な欲望を感じない。セックスしたいと思えないし、思わない。
そんな季節を経て、ゲイということばが、彼の心のあり方と明確に結びつくようになる。ぼくはゲイだ、と彼は思い、それを心の中に留めるようになる。高校生のころのことだ。

◆ カミングアウト

彼はゲイだ。それは自然なことで、彼は何ひとつ嘘をついていないし、その事実によって誰をも不当に傷つけたりしていない。もちろん、病気ではない。彼は彼で、そして彼はゲイだ。たとえばあなたの声が低いとか、10月生まれだとか、血液型がA型だとか、そういうことと同じく、選び取りようもなく、変える必要もない事実。
けれども、そのただの事実は、この社会のなかにあっては困難を引き起こすこともある。彼には何の責任もなくとも、ときにはこれに立ち向かい、乗り越えなくてはいけない。たとえば多くのゲイの人々にとって難しいのが、カミングアウトの問題。ただありのままの事実を、家族や友人といった近しい人に受け入れてもらうということ。
キーちゃんの場合は、その家族のなかにもうひとり、同じ状況の人物がいる。彼の双子の弟だ。

でも、とくにお互いに自分はゲイだと告げ合ったわけではない。「自分はゲイだとわかったから、相手もゲイなのだと思ったんです」と彼はいう。理屈ではなく、もっと自然に。兄弟はお互いのことを、とてもよく理解している。
先に両親にカミングアウトしてしまったのは、弟のほうだった。兄も同じということは、もちろん両親の知るところになる。でも両親は農村では珍しいといえるほどオープンな考え方の人びとで、しっかりと受け入れてくれた。
友達へのカミングアウトについても、彼はそれほど構えることをしない。積極的に自分がゲイだということを主張するようなことはないけれど、隠すことももちろんしない。仲良くなるにつれて、自然にそのことを話す。「友達も、ああそうなんだ、という感じに受け入れてくれます」と言って、彼は微笑む。

◆ ゲイと表現・ゲイの表現

大学生になって変わったことは、本を読むようになったこと。高校生までの読書体験が乏しかったぶんの反動か、大学に入ってからかれはかなりの勢いで読むようになった。ほんの控えめに自信をのぞかせながら、「ほとんどの中国の大学生よりは、多く読んでいると思います」。いくつかの好きな本の話をしてくれる。
小説なら、中国のものはもちろん、日本のものも読む。村上春樹『ノルウェイの森』*。岩井俊二『ウォーレスの人魚』*。中国のものなら、現代のものよりも、たとえば魯迅*なんかが好きだ。魯迅の描く物語というより、文章に表れる中国人についての分析に頷かされ、心惹かれることが多い。
本当のところをいうと、彼は作家になりたいと思っている。映像で表現するより、文章で表現することのほうが、彼にとってはより素敵なことだ。でも今はまだ、自分がうまく文章を書けると思えない。映像表現に携わることを想像するほうが、しっくりくる。いろいろなアイディアも、浮かんでくる。
そんななかで彼は、たとえば心揺さぶられた小説について、「もしも自分がこれを映像化するなら」と考えることがある。白先勇『ニエズ』*なんかがそれだ。ゲイを描いたこの小説は、実は既に映像化もされている。でもゲイの人びとの中にももちろん、十人十色の考え方やものごとのとらえ方があるし、自分ならばまた違った描き方ができる、と彼は思う。

異性愛者は異性と恋愛をするし、同じように同性愛者は同性と恋愛をする。あたりまえといえばあたりまえのその事実が、しかし、作品として表現されるとなれば、少なくとも中国においては問題になることがある。小説ならばまだしも、映画で同性愛を表現することは、今のところ禁じられている。でも彼の考えかたはポジディブだ。中国の社会はどんどん変化しているし、自分が作品を世に出せるようになるころには、そんな規制もなくなっているかもしれない。もしそうでなければ、香港や台湾で作品をつくることだってできる。

◆ 何ができるか

たしかに、ゲイであること、ゲイとして社会で生きることには、いくつかの困難が伴う。たとえばパートナー探し。何の働きかけもせずにたまたま運命のひとに出会う、なんていう映画のようなことは、マジョリティである異性愛者にとってもなかなか起こらないことだし、まして同性愛者にとっては、本当に難しいことだ。だからときには、積極的に動かなくてはいけない。幸いなことに、今の世の中にはインターネットがあるから、うまく活用すれば相手を見つけることができる。べつにパートナーだけでなく、同じような事情のもとにあるゲイの友人と出会うためにも、インターネットは重要だ。たとえばインタビューに同席してくれた友人たちと彼がつながったのは、Twitter*がきっかけだった。
けれども、たしかに彼と仲間たちは同じくゲイであることでつながっているけれど、だからといってまったく閉ざされてはいない。なかには異性愛者もいるし、女性だっている。仲間との強い絆は、他の人びとを廃してしまうためではなく、むしろ温かく受け入れるための力になっている。

今の彼には恋人はいない。以前の恋人とは、別れたり戻ったりを何度か繰り返したけれど、けっきょく駄目になってしまった。でもいつか、素敵なパートナーと暮らしていきたいとは思っている。
異性愛者ならそれを、結婚と呼ぶかもしれない。でも中国では、他のアジアの国々と同じく、同性婚の制度は存在していない*。
彼はとくに、結婚にはこだわらない。だってそれはただの制度だから、と彼はいう。役所に認めてもらわなくても、信頼しあうパートナーと、いわゆる普通の結婚生活と変わらない生活を送っていくことはもちろんできる。だから結婚制度を理由に中国を出ようとは思わない。もちろん他の国に行く機会があって、そこで結婚できるのならば、それはいいことだけれど。

ゲイとして生きるのは自然なことだけれど、社会の仕組みがそれを許さないことがある。ごく当たりまえにしていることを、一方的に「特別なこと」に仕立て上げることもある。それは不自由だし、ときに彼らの可能性を限ってしまうことになる。
だけどキーちゃんは、そのことをことさら悲観したり、必要以上に深刻にとらえたりはしない。様々な質問を投げかけると、ときにはひとしきり考え込んだあとで、彼はいつでも「何ができるか」という可能性の話をしてくれる。「何ができないか」ではなく。


文・金沢寿太郎

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■ 今週の参照リスト
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《脚注》

◆海の上のピアニスト
ジュゼッペ・トルナトーレ監督による、1998年のイタリア映画。ティム・ロス主演。エンニオ・モリコーネの音楽も相まって、欧米で数多くの賞を獲得した。日本では160分のオリジナル版DVDは発売されておらず、短縮された120分のものが入手できる。

◆山西省
太原市を省都とする中国中央やや北東寄りの省。沿海部に比して豊かではないが、石炭資源が豊富で、重化学工業が主に営まれている。

◆村上春樹『ノルウェイの森』
日本と同じく、世界で最も多く読まれている村上文学がこの作品。小説の翻訳版だけでなく、同作品を原作とした映画作品も、中国においても公開された。

◆岩井俊二『ウォーレスの人魚』
映像作家として名を馳せ、中国でもよく知られている岩井俊二による小説だが、映像化はされていない。海難事故に遭った日本人青年の、人魚を探す旅の物語。

◆魯迅
優れた小説だけでなく、痛烈で的確な中国(人)批判を通じて中国の近代化に貢献した思想家としての面においても、魯迅は評価されている。
参考:
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report4_83.html

◆白先勇『ニエズ』
現代、最も重要な台湾作家のひとりである白先勇による長編小説。同性愛者の青年を主人公に、親子間の苦悩などをも絡めて重厚に描く。日本でも翻訳されたものが『Nieh-Tzu (げっし)』として発売されており、また台湾でドラマ化されたもののDVDも入手できる。

◆ゲイのネット事情
「出会い系サイト」というと日本では印象が良くないが、そうした形の出会い方でなければパートナーを探すのが不可能に近い場合もある。健全な運営のなされているウェブ上のゲイコミュニティも、もちろん多くある。

◆同性婚
中国・日本も含めたアジアには、同性婚制度が存在する国がない。また中東・アフリカのイスラム圏では、同性愛自体が罪となる地域も多くあり、終身刑や死刑が科される場合もある。なおオランダ・カナダ等では同性婚が認められている。また婚姻に準じる権利が保障されるパートナーシップ法を定めている国や地域も、ヨーロッパを中心に多く存在する。

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キーちゃんを紹介してくれたのは、自身もゲイである福永さん。現在は北京大学に留学中で、北京クィア映画祭や日中ドキュメンタリー映画祭にかかわっています。キーちゃんのインタビュー当日も彼の恋人・りふと一緒に同席してくれた彼に、中国のゲイを取り巻く環境について、エッセイを寄せていただきました。

■ 特別寄稿|中国、近くて遠い同志たち
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 地面から5cmくらいのところをふわふわ浮かぶような軽さで言葉をつみあげるスガくんと、テーブルに全体重を傾けてどこか沈痛な面持ちで語りかける寿太郎くん、そんな「退屈ロケット」のふたりに僕がはじめて出会ったのは、夏が終わりを迎える季節の北京だった。それから一ヶ月後、初秋の西安で彼らとふたたび顔をあわせる機会をもった。西安の大学に通うゲイの友人K(21歳、山西省)を紹介するためだ。

◆ twitterで、つながる

 僕がtwitterをとおしてKと知り合ったのは約二年前のことだ。その当時は中国語を学び始めたばかりだったから彼のツイートの内容はほとんど理解できなかったが、プロフィール欄に紹介されていたウェブサイトが僕の目を引いた。それは映画監督を目指すというKが撮りためた写真を掲載したサイトだった。そのなかの一枚の写真が目に飛び込んできた。

 はっとするような美少年、というわけではないけれど、世界の不公正さやひとの狡猾さをまだ知らないと思わせる無垢な少年が、中国のうつくしい田園風景にたたずんでいた。その写真は、撮影者(=K)がゲイ(あるいはバイセクシュアル)であることを雄弁に語っているように思われた。田園にたたずむ被写体の少年は、中国語で表現するところの「金童」ということば(汚れを知らない無垢な少年という意味)がぴったりで、カメラのレンズをとおして、少年に向けられた撮影者Kの欲望がひしひしと伝わってくるようだった。

◆ 双子と一人っ子政策

 Kには、4つ年上の兄がひとりと、双子の弟がいる。1979年に一人っ子政策が施行された中国では、三人兄弟という家族構成は少ないほうだ。しかし彼の家族をさらにめずらしくみせるのは、Kと同様に双子の弟Cもまたゲイであるという事実だ。両親にはふたりがまだ高校生だった頃にすでにカミングアウトを済ませたという。

 Cにも北京で会ったことがある。ファッションはまるで異なる趣のKとCだけれど、ふたりを同時に相手にしているとどちらがしゃべっているかわからなくなるほど彼らの声がよく似ていることに気づく。ふたりとも声変わりを終えたばかりの思春期に聞かれるような不安定な低音なのだ。それに一度会話をはじめると、僕の中国語能力の限界を飛び越えてなお話しつづけるところも驚くほどそっくりである。

 僕がCと二度目に顔をあわせたのは、彼がちょっとした手術を受けるために山西省からわざわざ北京まで上京したときだった。僕の部屋に泊まりに来た彼は、HIVに感染しているという事実を打ち明けてくれたのち、「だから、北京の大病院じゃないと手術さえできないんだよね」と言った。

 「ねえ、知ってる?」とつづける。「中国ではHIV感染者に処方される薬は無料なの。でも、それってアメリカでは十年前に使ってた古いタイプのものなんだよ」
 僕が外国人であるという事実なんてあいかわらずおかまいなしというような早口でCが語りつづけるあいだ、双子の兄は、ひとことも口を挟むことなく弟の話に耳を傾けていた。

◆ 「ゲイに生まれてよかったと思いますか?」

 「ゲイに生まれてよかったと思いますか?」
 いや、僕は生まれたときからゲイだったわけじゃない、と言いたくなる衝動をぐっと抑える。カミングアウトをするたびに聞かれるその直截的な質問には、しかし、「ゲイでなければきっと知り合えなかったひとたちと出会えたこと」と答えるようにしている。僕の答えがいつも決まりきっているのは、ただ考える作業が面倒だからというわけでもない。

 たとえばKと知り合うきっかけにもなったtwitterを例に挙げると、僕の「フォロワー」の多くはゲイやバイセクシュアルを自称するひとたちだ。年齢は十代から六十代まで、国籍や居住地も東アジアや東南アジア、欧米など多岐に渡る。職業の広がりもおおきく、そんな彼ら(と僕)のゆいいつの共通点は、男性として性的指向が男性/あるいは男性と女性の両方へ向かうということ、それだけだ。

 僕ら(ゲイやバイセクシュアル)は、たとえばtwitterというメディアをーーあるいはこの文章をとおして、あなた(たち)と向かい合っている。それにもかかわらず日本の社会では黙殺されるか、そうでなければマスメディアのなかで「道化」としての役割を負わされてきた。そして、ひとたび「僕(ら)はここにいる」と声をあげようとすると、「ゲイみたいなひとの存在は知識としては知っていたけど私の周りにはいなかったから、突然そんなことを言われても…」などと、まるでそれまで声をあげてこなかった僕らの側に問題があると言わんばかりの口調で言い訳を返される。そういう窮屈な社会のなかで、それでも友だちや恋人を探すために僕らはtwitterなどのSNSをはじめとするインターネットを積極的に使ってきた。もちろんインターネットの出会いにはリスクが付きものだけれど、そのおかげで、「ふつう」に暮らしていたらとても知り合えないひとたちとネットワークをつくることに成功してきた歴史がある。

◆ 中国の同志たち*

 中国においても「彼ら」の置かれている状況はそれほど変わらないみたいだ。中国国内でも、アクセスが制限されるTwitterやFacebookの代わりに中国製のSNSがすでに広く普及している。

 今年の2月に北京へ来てからSNSをとおして知り合った中国人のゲイやバイセクシュアルも、なんてことはない、日本で出会ったひとたちとほとんど変わらないようにみえた。彼らとのあいだにはたしかに言葉が通じない不便さはあったけれどそれは僕の中国語能力が低いせいであり、母語や生活環境の差異を超えたところで通じ合うところが僕らにはある。ふとした拍子に「ほら、僕たちみたいな奴ってさ」と言って、他人に聞かれるとちょっとまずいという調子で彼らが語りかけてくれるように、そう、僕らには「ゲイ/バイセクシュアル」という共通点があるのだ。彼らと僕は、出会った瞬間から、すでに「僕たち(women)」=「仲間(tongzhi)」という共通項で括ることができる背景をもっている。コミュニケーションを深めるうえで、これほど便利なことってあるだろうか? そして、こうした「セクシュアリティは国境の壁を越えられるんだ」などと90年代に流行ったみたいなポップで/甘い僕の考えが、しかし無惨に打ち砕かれるときがやってくるまで、それほど多くの時間はかからなかった。

◆ 「それでも結婚しておいたほうがいい」

 中国に来てから親しくなった友だちにS(23、浙江省)がいる。Facebookをとおして知り合ったSは、大学時代に専攻した日本語を活かして今は北京の大手日系企業で働いている。中国における大卒平均初任給の約二倍に近い給与を手にする彼は、そのほとんど全額を貯金に回しているという。なぜなら航空会社でパイロットを勤めるSの恋人(27)は中国ではちょっと信じられないくらいの高給取りで、ふたりが一緒に暮らす家賃や生活費は彼ひとり分の給与(の一部)でじゅうぶん賄うことができるからだ。

 Sが、じぶんはゲイかもしれないと感じはじめたのは中学生の頃だった。

 「お母さんもお父さんも大丈夫だったよ。カミングアウトしたときはお母さんは泣いてたけど、次の日にはすっかり元気になってたから」とSは笑う。来年の春節にはカレを実家に連れ帰って両親に紹介するという。

 将来に向けておおきな問題もなさそうに見えるSには、しかし、そのうち女性と結婚するつもりがあると言う。どうして、とたずねる僕に、いつも見せてくれる笑顔と明るい口調で答える。

 「やっぱり両親はオレに結婚して欲しいと思ってるんだよ。オレがゲイであることは受け入れてくれたけど、ほら、中国って親族からのプレッシャーが大きいでしょ。だから形だけでも結婚しておいたほうがいいんだよ。レズビアンのカップルを見つけて結婚するつもりだよ」

◆ 一人っ子政策とネットワーク

 中国の「家族」について考えるうえで、いまも印象深く残っているのは昨年から大阪の大学に留学しているY(26、山東省)の話だ。Yと僕とは共通の友人を介して北京で知り合った。その直後には、大学の夏休みを利用して僕の部屋に一ヶ月ほど滞在するくらい僕らは急速に親しくなった。

 大阪でジェンダー研究に励むYにとって、ほとんどはじめてのカミングアウトが僕に向けられたものだったとあとで聞かされた。「大阪の大学やゼミでも(ゲイであることを)打ち明けられる友だちがいないの? みんなフェミニズムやジェンダーを専攻してるんだったら、きっと理解してくれるんじゃない」と訝しむ僕に、中国人であるYはこう答える。「中国は人間関係のネットワークをとくに重視する社会だから、誰かひとりにカミングアウトしたら口伝えで噂が広まって留学生仲間をとおして僕の地元まで伝わるかもしれないでしょう。もし家族にばれたら…」と言って、それにつなげる適切な日本語が見当たらないようすだ。でもカミングアウトしないと友だちもできないし、ゲイとしての楽しみや辛さを誰かと分かち合うこともできないじゃん。「だから、僕にとって日本での生活はほんとうにきついんだ。日本人は冷たいし友だちも多くないから論文を書くだけの毎日だよ。早く中国へ帰りたい」と、日本社会にたいする愚痴をとても流暢な日本語で話すのはまるで気が利かない皮肉みたいに聞える。

 Yには兄がひとりいる。一人っ子政策に違反したかどで、Yが誕生したときに家族は罰金を支払わなければならなかった。「僕は農村の生まれで家族は貧しかったから罰金も支払えなくて家財道具も持っていかれたんだ。玄関のドアまで持っていかれたってお母さんが言ってた。それでもお母さんは僕を産んでくれたんだ。だからお母さんを悲しませるようなことはぜったいにできない」

 けれど農村では同性の恋人を見つけることも難しいはずだ。「中国なら、北京や上海で暮らしたほうが楽しめる機会は多いはず。オレも家族とはいろいろあったから、高校を卒業してからは故郷の大阪を離れてずっと自由に生きてきたんだよ。だからYだって」という僕のことばを遮って、彼は言う。「日本かアメリカで博士号をとったらすぐに中国に帰国するんだ。僕の研究は政治状況が複雑な中国では扱うのが難しいテーマだから大学で職を見つけられるかどうかわからないけど、一日でも早くお母さんのそばでいっしょに暮らして親孝行したいんだ」

◆ 中国農村部とゲイアイデンティティ

 中国では清代末期以降の近代化政策や文化大革命を経て儒教の影響が急速に失われつつあると言われるが、それでも親族ネットワークの強さや「孝」の思想は時代の変化にも耐えつづけているようだ。ゲイとして、故郷を離れて同性の恋人をつくって同棲したり、そのようにして人生の自由を享受することよりも親の意向を優先するという考え方は、故郷を離れてから好き勝手に暮らしてきた僕には理解しづらいところがある。けれど考えてみれば、日本でもほんの十年、二十年前までは「ゲイとして生きる」という選択肢が存在せず、多くのひとが異性愛者を装って生きてきたのだ。それに日本社会のなかでも都市部と地方では僕たちが置かれている状況は一様ではない。

 中国雲南省のMSM(Men Having Sex with Men、同性間性行為を享受する男性を指す**)にかんする論文のなかで、香港大学で教鞭をとるT. S. K. Kongは、中国農村部において性的少数者が抱える困難について次のように述べている。

 中国農村部のMSMの多くは、いっぽうでは異性愛者を装いながらどうじに妻の目をかいくぐって同性愛行為を享受するという二重のアイデンティティに引き裂かれている。中国の農村部では、同性愛者への差別規範が多方面に渡ってつよく作用している。たとえば学校や職場での嫌がらせ、知識の欠如によるHIV感染や性感染症へのリスク、同性愛者であることの心理的重圧などは、彼らの職業選択の幅を狭め、結果として、人生を享受する機会が奪われてしまう。また、一人っ子政策の進む中国では、一人っ子として育った息子は次世代に家系を継がなければならないという重圧がひじょうにおおきく、ゲイとして生きることはけっして容易ではない。 もし仮にその重圧から逃れることができたとして、家族の縁を断ち切って都市部へ移動し「ゲイとしての人生」を歩みはじめたとしても、経済的に貧しく、また高等教育を受ける機会があらかじめ奪われた人生を歩んできた彼らはゲイ社会のヒエラルキー(階層)のなかでも最下層に貶められてしまうから、そんな彼らが裕福で社会的地位も備えた男から「愛」を得ようとすればその代償としてセックスを安売りせざるをえない。そしてセックスにおいて「愛」を証明するためにはコンドームを付けないことがもっとも手っ取り早い手段と考えられているから、結果として性感染症などの衛生リスクにさらされることになる。さらに、人間関係を重視する中国社会において、親族ネットワークから切り離されるということはほとんど社会的に抹殺されることと同義でもある。
(T. S. K. Kong, 2007)

◆ 中国、近くて遠い同志たち

 「セクシュアリティは国境を越える」などと無邪気に考えていた僕は、これまでに中国で出会ったKやC、SやYなどの友人の声に、はたして耳を傾けることができていたのか。あるいは彼らの話に耳を傾けたつもりになって/ふりをして、「ゲイ/バイセクシュアル」という共通点に目を向けてよろこぶあまり、彼らと僕のあいだに横たわる境界線から目を逸らしていたのではないか。そうだとすれば僕らはなんてお粗末な「友だち」だったのだろう。

 ふり返ってみれば、Sは将来の結婚にかんする話を、そしてKとYは、一人っ子政策の罰金を支払うために家族が苦労してきたという過去の話を、けっしてじぶんから僕にしゃべろうとはしなかった。いつだって質問を投げかけるのは僕のほうだった。あるいは僕が彼らにことばを投げかけなければ、僕らは目に見えない境界線に隔たれたままずっとすれ違いつづけていたかもしれない。

 この夏、Yが北京にある僕の部屋に連泊していたある日の深夜、ふたりの関係がしだいに親しくなっていることをよろこびとともに実感していたときに、Yに言われたことばがいまも僕の胸に突き刺さってとれないままでいる。

 「一人っ子政策について言うと、たしかにそのせいで僕の家族はほんとうに苦労を重ねてきたから、どちらかというと僕も批判的に考えている。でも、だからといって『馬鹿みたいなシステム』だとか『そんな抑圧的な制度は早く解体すればいい』とか、中国のことをなにも知らない日本人にはかんたんに言って欲しくないと思うんだ。この気持ち、わかる?」


【注】
*「同志tongzhi」とは、もともと革命を目指す仲間を表す共産党の用語だったが、中国ではゲイやレズビアン、バイセクシュアルを表す言葉として広く使われるようになった。この他に、‘Queer(英語圏では「オカマ」を表す侮蔑語だったが、それが転じて肯定的な文脈で「変態性」を表す言葉として使われるようになった)’の訳語として「酷儿ku」が使われるようになったが、そもそも「酷儿ku」は‘cool(かっこいい、クール)’の訳語であった。以上のことから「同志」も「酷儿」も、ともに性的少数者の当事者たちが肯定的文脈で生み出した言葉であることがわかる。そこに、中国語圏ならではの当事者の戦略が垣間みられて興味深い。

**中国農村部では「ゲイ/バイセクシュアル」というアイデンティティ、及び、その結果としての「ゲイ/バイセクシュアルとしての生き方」が存在しないため、論文では「同性愛行為を享受する男性」を表す「MSM」という概念を用いている。


【参考ウェブサイト及び文献】
・T. S. K. Kong. (2007) “To determine factors in an Initiation of a same-sex relationship in rural China” 及び “The HIV related risks among men having sex with men in rural Yunan, China”.

文・福永玄弥

『銀色の道 / Queering Asia』http://genya1983.tumblr.com/
『福永玄弥の中国留学日記』http://genya1983.blog.fc2.com/

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■ 旅日記【ロケットの窓際】 008 西安
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 陰鬱な気分がなかなか晴れない。空気はじめじめとして冷たく、気持ちより先に肌を苛立たせる。気分はただ深く凍りつく。長旅にはしばしばやってくるこんな時期がつきものだけれど、それが街のせいなのか、季節のせいなのか、それとも僕自身のせいなのかはわからない。何にせよ、そんなときには、トラブルも嬉々として向こうからやってくるものだ。



 雨のそぼ降る夜の十一時に、僕らは西安駅前のだだっ広い広場に吐き出された。路線バスの最終便はすでに行ってしまった。タクシーの窓から顔を突っ込み、地図を示して身振り手振り。運転手は首を振る。それを何度も繰り返し、うんざりしてくる。この状況では、ここらのタクシーは売り手市場だ。言葉の不自由なわけのわからない外国人を、まして〈ちょっとそこまで〉乗せてくれたりはしない。

 雨が鬱陶しい。強い雨なら諦めもつきそうなものを、傘なしでもなんとかなりそうなギリギリの強さで降るものだから、時間をとられているうちに、逆にしっかりと濡れてしまうことになる。南部の香港から一気に、それも季節の変わり目のような時期に移動してきたから、秋なんて一足飛びに、あっという間に冬が来たような気分になる。ここはひどく寒い。

 けっきょく僕らは、今にもバラバラになりそうなおんぼろのバイタクを拾うことにする。リヤカーの荷台に屋根を簡素な屋根をつけただけ、といった風情の座席。なんでもいい、早く宿に連れていってくれ。宿にさえ着けば、予約はしておいたから、寝床にありつけない恐れはない。車の陰もまばらなだだっ広い通りの端を、バイタクは威勢のいい音を立てて、恐ろしいのろさで走る。歩くと言ったほうがいいほどの速度だ。そのくせ運転は荒く、ひどく揺れる。

 迷うこともなく宿に着いて誇らしげな運転手のオジサンは、でも約束の金額ぶんをひったくるようにして、さっさと行ってしまう。どうせ無認可でやっている商売だから、人に見られるとなにかと具合が悪いのだろう。荷物を引きずり、宿に入る。近年の中国で典型的な、いかにもといった風情のユースホステルだ。西洋人の陽気に騒ぐ声が奥のほうから聞こえてくる。それなりに英語の喋れる、わりに感じのいい若いスタッフが迎えてくれる。このぶんなら、シャワーやベッドの質も悪くなさそうだ。予約の名前を告げて、パスポートを見せる。ちゃんと宿のリストには、僕の名前が載っている。予約しておいて本当によかった。すべきことを終わらせて、今日はさっさと眠りについてしまおう。

 けれども、待てど暮らせど部屋の鍵が出てこない。気づけばレセプションのスタッフが慌てた様子で、何かしらを話し合っている。中国語だからよくわからないが、なにやら不穏な気配だ。そういえばさっき、こいつ〈メイヨウ〉と言わなかったか?

 この状況で起こっているはずのトラブルといえばひとつだ。恐怖の言葉、それはオーバーブッキングと呼ばれる。やがて、その事実を哀れな宿泊客に伝える役目を押し付けられたひとりが、カウンターに戻ってくる。でもそれより先に、僕の頭にはさっさと血がのぼりきっている。手違いでベッドがすべて埋まっている旨、スタッフの女の子が説明してくれる。どういう状況なのかはどうでもいい、どうしてくれるのかが問題だ。さあ、さっさと別の宿なりなんなり、代替手段を用意してくれ。

 ややあって、近所の安宿すべてに尋ねてみたけれど別の宿も用意できない、と知らされる。彼女は丁寧に説明してくれる。今は国慶節の休み中で、国内旅行に出かける人が多いから、どこの宿もみな満員なんです。その通り、そんなことはよくわかっている。だから僕はあらかじめ予約しておいたのだ。どこの宿も予約でいっぱいのなか、検索に検索を重ねてようやく予約したのだ。

 でも疲れのあまり、僕の血はのぼりっぱなしでいる気力すらないようだった。もうどうでもいいや、という気にさえなる。思い出してみれば、さっきあのスタッフの女の子は「アイム・ソーリー」と言ったけれど、中国で接客員からこれを聞けるというのは驚くべきことだ。英語が喋れるうえに、謝るなどというのは奇跡に近い。しかもスタッフ総出で謝ってくる。申し訳ないが、お金は取らないからソファで眠ってくれ。毛布も用意するし、シャワーも何もかも使ってもらっていい。コーラを買おうとしたら、代金はいらないという。

 ここまで申し訳なさを表明されると、なんだか日本に帰ったような懐かしさすら覚える。けっきょく宿代も節約できたことになったし、もう構わない。翌日は近所の別の宿を取ってあるし、ここでおとなしく夜を明かそう。インターネットも使えるし、贅沢は言うまい。



 睡眠不足の翌朝、ようやく予約してあった別の宿に寝床を確保すると、少しあたりを歩いてみる。苛立つというのでもなく、疲れているというのとも少し異なり、ただ漠然と、心が弱っていることを感じる。中国の内陸都市らしく、汚染のためなのか黄砂のためなのか、空はしっかりと暗い。街ゆく人びとに活気が感じられないのは、僕の心に活気を受けとめるだけの余力がないからだろうか。のろのろと歩いていると、道端の屋台で売っている「臭豆腐」の強烈な臭いに襲撃される。何もかもが刺々しくて、僕を攻撃してくるようだ。

 きわめつけは。ビルに掲げられた横断幕。釣魚島、つまり尖閣諸島がどうしたこうした、日本がどうこう、と書かれている。恐怖感とうんざりした気分をごちゃ混ぜに抱えて、今日のところはもう宿へ戻ろう、と僕は思う。わけのわからない島のことなんか知ったことか。僕にはきちんと寝られるベッドがあればそれでいいのだ。

〈続〉

文・金沢寿太郎

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■ アフタートーク【ロケット逆噴射】 008
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スガ
日差しがまぶしいね。

寿太郎
暑いぐらい。もう12月だというのに。

スガ
ここ南半球だからね。

寿太郎
違いますけど。

スガ
トルコは3週間くらいいたけど、よい所でしたイスタンブール。

寿太郎
基本的に食べ物もいいし、人もいいし、清潔だしいい街でしたね。物価がやや高いのがまあ玉に瑕、ってとこかも。

スガ
というわけで今週はキーちゃん。福永さんのエッセイもあるし、ゲイ特集みたいになりました。

寿太郎
まあゲイ特集、とくに中国ゲイ事情、みたいなところがあります今回は。

スガ
ところで日本でまわりに、ゲイの友達っていました?

寿太郎
ええと、よく思い出してみると少しはいました、バイとかも含めて。女性も。

スガ
へえそうなんだ。

寿太郎
ただあんまりそういう込み入った話をするほど仲のいい人はいないかな。

スガ
でもぼくら、中学高校時代にホモっぽいノリはけっこう見てるよね。ゲイというのとはすこしちがうかもしれないけど。

寿太郎
あれはなんか男子校特有のノリじゃないんですか。ノリでふざけてやってる連中がけっこういて。

スガ
まあそういう部分もあるんだけど。でもぼく自身そういう気分だった時もあったし、「ノリでふざけて」と「ほんとにゲイ」というのの境はどこにあるんだろうというのはけっこう気になっていて。

寿太郎
あの空気は本当にふつうにゲイの人がいたら(いたと思う)、やりにくかったと思うなあ。
ホモセクシュアルかヘテロセクシュアルかってのは、あれは白黒はっきり分かれるものなのか、それとも傾向みたいなものがあって、たとえばある人は95対5でヘテロだからまあヘテロだけど、めぐり合わせによっては5の方向に向かっていく、みたいなことがあるのかね。

スガ
やりにくかった? タブーみたいな抑圧は少なかったしあんまりそうは思わないけど。
たぶんふざけてやってるように見えた人たちも、自分の中のなん%かのホモセクシャルなものに気がついていたんだと思うよ。
白黒分かれることもあるかもしれないけど、ホモもヘテロも両方あってどちらかに向かっていく、みたいなことも多い気がしてて。福永さんなんかも男の子と付き合ったのはりふがはじめてだと言うし。

寿太郎
ああいう男子校みたいな場では、そこでの社会性を成り立たせることとけっこうかかわってくるからややこしいんですよね。ホモソーシャルという言葉があったと思うけど、軍隊とか刑務所で見られるような閉鎖的な連帯関係の持ち方ね。

スガ
ああたしかに。ホモソーシャルとホモセクシャルが混在していたかんじではあったね。

寿太郎
ノリで軽くできるのは、そういう閉鎖空間から出たらべつに「ふつうに」女性と付き合っていける感じがあるから、というような部分はあるだろうなとは思う。

スガ
ヘテロな付き合いができるか、ということね。話がややこしくなるけど、じゃあバイとは何がちがうんだろう、とか。

寿太郎
「ゲイ=キモい」という前提があって、それを演じるところで笑いを取って、その空間で地位を得る、みたいな傾向はかなりあった。そういう空気はゲイの人にはやりにくかったんじゃないか、という話。

スガ
あーそうかぁ。

寿太郎
先輩が後輩を可愛いとかいってホモっぽい絡みかたをノリでする、みたいなのは僕はそういう意味で嫌いでした。ゲイが嫌いなのでなく、その社会性の持ち方の方法が。

スガ
「笑いのネタ」としてのゲイ、みたいな文脈は確かにあった。
でもぼくが近いところにいたからかもしれないけど、笑いのネタとしては明らかに過剰なものもあったと思うんだよね。というかもっと言うと、「笑いをとるため」というのはポーズでしかなくて、みんなほんとにホモセクシャル的なものを孕んでいた気がする。どこまでがソーシャルでどこからがセクシャルか、ハッキリ分けられるものじゃない。

寿太郎
ふうん。まあそれはわかるような気もするな。

スガ
まあ話を戻しますと。
ゲイとかホモセクシャルには個人的にそういう引っかかりがあって、でも大学に入ってからはぼくも親しい人ではしばらくそういう人いなくて、だから率直にキーちゃんや福永さん、りふの仲間たちの関係性、なんだかとても新鮮だったな、と。

寿太郎
それはそうですね。なんというか、彼らの関係性はとても密度が濃いのだけど、しかし全然閉鎖的ではなくて、ナイーブでありながらとてもオープンで温かい感じがしましたね。
取材させてもらってよかったし、取材しやすかった。彼らの空間はなんだか居心地が良かった。


スガ
そう。こう言うとアレだけど、うつくしいと思いましたよ。彼らの困難を分かっていないというのもあったと思うし、今も分かっていないことがたくさんあると思うけど、それでもあの関係性は、気持ちのよいものに見えた。

寿太郎
うん。キーちゃんもだから、インタビューの最初のほうはずいぶん緊張させてしまったように思ったけど、彼らと一緒だったからすぐにリラックスして色々話してくれた感じはあった気がする。

スガ
けっきょく今回はほとんどりふの話に触れられなかったけど、りふは福永さんの隣に座るとちょっとリラックスして話ができる、みたいなことを福永さんが言っていて、いいなあ、と思ったり。
ひとつ残念だったのは、今回は部屋の取材ができなかったことかな。

寿太郎
寮だし仕方ない部分もあったけどね。今回の「空間」は、部屋というよりもっと抽象的な、彼らの空気みたいな話になった。

スガ
うん。あつまった仲間を彼の空間として、ね。
「ゲイ」と思って身構えるとヘテロの立場から語りにくくなってしまうけど、なにより新鮮だったのは彼らがとても自然体だったことかな。
日本のメディアにおけるオネエキャラ、みたいなハデな感じもなかったし、声高に何かをプロテストする、というのとも違う。

寿太郎
まあオネエキャラ的な文化にはそれはそれで、そういうキャラクターであることの必然性、みたいな意味での自然さはあるんだろうけど。彼らの中には性同一性障害の人はいなかったしね。
まあでも、本当に自然体だった。本文で触れたとおりです。

スガ
必然性という意味での自然さ。たしかに、そういう人もいるよね。

寿太郎
それぞれ事情がある、ってことですね。だから彼らにとって、ゲイであるということはとても重要な自分をアイデンティファイする要素だけれど、それと同時にまったく自然で当たり前な、特別でもなんでもないことだと。

スガ
うん。

寿太郎
彼らがゲイであることと、僕らがヘテロであることの間に、その普通さという意味ではなんの違いもないということですね。

スガ
うん。ただ、福永さんが書いていたようなことだけど、日中でゲイをめぐる環境はけっこうちがう、というのは今までしらなかった。

寿太郎
たとえば、どういう点で?

スガ
まず、これは彼と話してて聞いたことだけど、たとえば友達同士で恋人の話になった時に、「ぼくはゲイだ」みたいなことを言った時のリアクションは中国のほうがうすくて、わりと「ああそう」みたいな感じだって。

寿太郎
なるほど。

スガ
その時はたしか、カミングアウトする人は職場とかでもふつうにカミングアウトする、みたいな話だったと思うんだよね。
日本よりも空気を読まなきゃいけない、みたいな抑圧は少なくて、わりと「そういう人もいるよね」と受け取ってもらえるという。
でも一方で彼のエッセイでは親族関係のつながりが強いからカミングアウトするのが難しい、という話もあったから、一概にはいえないことなんだと思うけど。

寿太郎
まあそれはそうだろうね。難しさはそれ自体で成立するんじゃなくて、社会状況によってできてくるものだろうから。
国によって違うし、いろんな種類の難しさがある。中国では一人っ子政策なんかもかかわってくるし。

スガ
そうね。各国のゲイを取材するだけでもひとつの企画になってしまいそう。Gaytope Journal

寿太郎
ひとつのテーマから、逆に国を差異化するという話。
でもイスラム圏の厳しいとこなんか、ゲイの取材してるとかいうだけで逮捕されそうな気がする。

スガ
ああそうか、イスラム圏はきびしいよね。

寿太郎
死刑になる国もありますよ。

スガ
取材させていただける方、ご連絡をお待ちしております。

寿太郎
ところで、今回は初めて、我々以外の方の文章を掲載しましたね。

スガ
福永さんの寄稿ね。軽いノリでお願いしてしまったんだけど、そうとう本気で書いていただいて。とても贅沢なこと。こういうのはまたやりたいですね。

寿太郎
そうだね。他の文章はいいから彼のところだけもう一度読み返していただきたいぐらい。こんなアフタートークなんか読んでる場合じゃないですよ。

スガ
彼はいま北京大学にいて、これからもしばらく中国で勉強したり研究したりしながら、クィア映画とかに関わっていきたいという人。
……なんだけど、さいきんとてもお金が無さそうだよね。

寿太郎
君の無神経な言い方はどうにかならんかね。
まあでも実際、そういう活動はお金度外視で動かないといけないところがたくさんあるから、カツカツでなんとかされてるのは凄いと思う。まして海外で。

スガ
いやだってブログにも書いてあるじゃない。翻訳の仕事とか家庭教師の仕事をしているみたいなので、そういうお仕事のある方、よかったらぜひご連絡ください。
そういえば、このあいだ調べもので読んでいた文章が彼が訳したものだったりして、びっくりしたな。すごい偶然。

寿太郎
翻訳は日中英ですね。家庭教師は北京で、日本語の。ぜひ。

スガ
あ、気づけば配信予定時間30分前ですよ。

寿太郎
やれやれ。

スガ
今日はこの後ブルガリアに向かう…はずなんだけど、どうなりますやら。

寿太郎
どうなりますやらじゃないよ。どうせバスも宿も俺が手配すると思ってそういうことを言う。

スガ
いつもおつかれさまです。ところでBiotopeJournal、中国編の終わりが見えてきましたね。
トルコ編がはじまるあたりか、来年の頭あたりからは、ちょっといろいろ変わるかもしれません。

寿太郎
西安ということはシルクロードの基点ですからね。どんどん西へ。

スガ
そうですね。また来週。


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編集後記:退屈なしめくくり

居心地がよくてつい腰を据えてしまったイスタンブールでしたが、窓から見えるマルマラ海ともついにお別れ。東京の季節を追いかけるように、これから東欧を北上してゆきます。

ところで、Biotope Journalのサイトの英訳はこれまで寿太郎くんがやっていたのですが、なんと先日、「英訳やりたい!」という方が登場。今のところノーギャラになりそう…とお伝えしたのですが、それでも構わないとのこと。心底おどろきを隠せず、おもわずTweetなどをしてしまいました。その方が英訳に参加するのはおそらく再来週くらいからなのですが、ノーギャラで英訳全部なんて、あっという間に嫌になってしまうのではないかと心配です。もしもまだ、皆さまの中に英訳を手伝っていただける奇特な方がいらっしゃいましたら、ご連絡をお待ちしております!

今夜はこれからブルガリア。ヨーグルトの海に飛び込みます。

スガタカシ

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