Biotope Journal Weekly vol.3 老北京の若夫婦(2012.10.28)
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Biotope Journal Weekly
vol.3(2012.10.28)

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こんばんは。退屈ロケットのスガタカシです。
旅をしてたってどこにいたって、一週間なんてあっという間ですね。
今週は砂漠の街、カシュガルからお届け。でもこんなところでのんびりしていたら、ただよう砂で、パソコンやカメラのほうがあっという間に成仏してしまいそうです。

さて、Biotope Journal 3週目は「老北京の若夫婦」の何寧と肖思。
海外1件目でしたが、若き建築士である奥さんが、中国伝統の老北京の住居を現代風にアレンジした、という"人とくらし"の視点からも興味のつきない取材でした。くわえてこの時は中国語の通訳つき。いま思えばあらゆる意味で恵まれていた…

Web記事のほうでは、彼女が工夫した部屋や昔の風情を残す后海周辺の写真とともにお伝えしていますので、メールマガジンのリポートと合わせて、どうぞおたのしみください!

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■ Biotope Journal リポート #003|何寧・肖思 夫妻

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大国・中国の首都にして政治の中心、北京。
けれども、長い歴史のすべてに渡って、ここが中国の都だったわけではない。
中国の歴史をざっくりと二つに分ければ、漢民族の時代・その他の民族の時代、となる。
漢民族からすれば、この北の地は、屈強な遊牧民族の侵攻に立ち向かう最前線であり続けた。
そして、北京が都として発展してきたのは、どちらかといえば、その他の民族による時代だ。
遼の時代、金の時代、元の時代。明代を経て、清の時代。
都はその名前を変えながら、悠久の大地を、激動の時代を眺め続けてきた。*
今回お話を伺ったのは、その北京の中心部、古い町並みに居を構える、一組の若夫婦。
こぢんまりしたセンスの良いお宅に、快く迎え入れてくれた。

◆「老北京人」とは?

なんだか「北京原人」みたいな字面の言葉、「老北京人」。
もちろん、その意味するところは、まったく違う。
「老」というのは「古い」ということを意味する。つまり、古くからの、昔ながらの北京人。
よく日本では「三代続いた江戸っ子」なんていう言い方をするけれど、それと似ている。
だからもちろん、老人だけがこの言葉に当てはまるわけではない。
故宮(紫禁城)にほど近い、北京の真ん中でありながらどこかしらのどかなこの一帯。
老若男女問わず、古くからここに住まう一族に生まれれば、ちゃきちゃきの「老北京人」。
この言葉の面白いところは、民族も問わないということだ。
漢民族が圧倒的なマジョリティであるとはいえ、多くの民族が入り乱れて暮らす中国。
首都である北京にも、様々なルーツを持つ人々が暮らす。
今回話をうかがった夫婦の夫である何寧も、満族にルーツを持つ老北京人だ。
彼らの住まいは老北京の中でも規模の大きい、「后海*」と呼ばれる場所にある。

何寧が自己紹介をするときにも、やはり「老北京」というキーワードがたくさん出てくる。
自分が老北京人であることを、とても誇りに思っているのだろう。
古い歴史をそのまま伝える町並みに、代々暮らしていること。その歴史。
他の老北京人たちと同じように、彼の家系にも、古くて複雑な長い歴史がある。
彼自身が知っている具体的なことは、曽祖父が政府の文化部で働いていた、というところまでだ。
そのひいおじいさんは、あの魯迅と同僚だったというから、驚かされる。
先祖の暮らしたその土地には、今は両親が暮らしている。
そして夫婦の暮らすこの土地は、彼の父がその先生から譲り受けたものだ。
老いた先生には子どもがおらず、父が面倒を見ていた。
実の子のように思われていたのだろう、先生は父に、この土地を譲り渡した。
血縁はなくとも、老北京人から老北京人へ、伝統はこうして受け継がれていく。
その伝統の最先端に自分がいる、ということが、彼にはとても誇らしい。
そして、その町並みを、愛する奥さんがとても気に入ってくれている、ということも。

妻の肖思も夫と同じように、この場所のことをとても誇らしそうに語る。
彼女のルーツは、けれども、どちらかというと中国の内陸部にある。
父は西安*の人、母は成都*の人。いずれも内陸部の、代表的な都市だ。
でも、大学で出会った両親は、彼女が生まれたあとまでもしばらく、離ればなれだった。
彼女は母と成都に暮らし、父は北京で仕事をしていた。
6歳になって学校に行くようになって初めて、家族は一緒に暮らせるようになった。
このときに彼女は母と一緒に北京に移り、それからずっと、ここで暮らしている。
やがて大学では建築を修め、夫となる何寧と出会うのは、もう少し後のことだ。


◆新しくて古典的な、ふたりのくらし。

ふたりの暮らすここには、土地はあったけれども、その建物はあまりに古くて、とても新しい生活を始められる環境にはなかった。
ふつうの若い夫婦と同じように、近くの小奇麗なマンションで暮らすという手もあったのだけれど…
「とにかく、この場所に住みたかったの」
いつも理知的で筋の通った話しかたをする彼女だけれど、この時ばかりは違うように見えた。
まるでお気に入りの人形のことを話す少女のように、目を輝かせてそう言う。
もちろん、理由を尋ねれば説明してくれる。中国の伝統をきちんと伝えている場所だから。
あるいは、それにもかかわらず、交通の便がとてもいいから。
小さい頃から一軒家に住んだことがなくて、一度住んでみたかったから。
でもそんな理由を飛び越えて、理屈抜きに、彼女はこの場所が好きだ。
この場所に心をとらえられたとき、きっと彼女は過去の伝統だけを見ていたのではないのだろう。
これからここを、自分の手で、色んなアイデアを盛り込んで改築することができる。
そんなことを、そして近い未来の新婚生活を思い描いて、建築士である彼女は心を躍らせていたに違いない。
彼女がそうしたいのなら、もちろん。夫がそれを拒絶する理由なんて、何もなかった。

現代的な利便性を追求する中でも、古く見せる部分は意図して作った。
彼女はそれを、「新古典風」みたいな感じ、と呼ぶ。
たとえば、ソファの後ろのランプをつけると、優しい光の中に古めかしい絵画が淡く浮き上がる。
宋代の有名な絵画の一部だ。人々の顔ももちろんきちんと描き分けられ、同じ顔の人は一人としていない。
新しく買ったひとつひとつの家具も、中国の伝統を感じさせるしっかりとした物ばかりだ。
けれども不思議と重々しすぎることはなくて、若いふたりの生活にしっかりと似合っている。
老北京人である夫から見ても、子どもの頃からの環境と同じで、とても落ち着くのだという。

でももちろん、キッチン周りやバスルーム、そして家電製品は、最新式のものばかりだ。
それから重要なのは、収納スペース。
中国の伝統的な収納はどうしても合理性に欠けるから、欧米式の方法をうまく取り入れた。
そこには生活用品がきちんと納められるほかに、夫の様々なコレクションもある。
中でも目を引くのは、様々な形のコカ・コーラの缶やビン。世界各国から集めたものだという。
「もちろんコーラの味も好きだし、コカ・コーラ社の発展の歴史にも興味があるんだ」
と彼は言う。
ふたりは毎年、海外旅行に出かけることにしている。結婚したときに、そう決めた。
これまでには、たとえばモルディブ、韓国。来年は日本に。
そのときに買うものもあれば、海外に行く友人に頼んで買ってきてもらうこともある。

それから彼らは、最新の薄型テレビを使って、結婚式の様子を撮影したビデオを見せてくれる。
のろけ方も、最新式だ。


◆結婚について、将来について

ふたりが出会ったのは、友人を介してのことだった。
夫は「優秀」なパートナーを探していて、肖思を紹介された。
「優秀」というのはつまり、頭がよく、性格がよく、容姿端麗な人物のことだ。
そんな相手は、あらゆる人類が常に探し続けては挫折を繰り返しているのだけれど…
果たして、ともかく、彼女が現れた。
「当時は、彼女の周りにたくさん彼女を狙っている男がいたんだ」
彼は、どこかしら勝者の余裕を漂わせながら、そう説明する。
でもふたりは、出会ってすぐに交際を始めたのではなかった。
1年間は友達同士の関係でいて、価値観が一致していることを確かめてから、恋人同士になった。
とても筋道が明快だ。ややこしい恋の駆け引きなど、そこにはない。
「恋愛は無駄だから」
彼女は、ちょっと驚くような、あまり耳にしたことのないような考えかたを披露する。
でもそれはつまり、こういうことだ。
互いのうわべだけを辿って一喜一憂するような恋愛は時間の無駄で、じっくりと互いの根底にある価値観を一致させることが大切。
そういうことをしているうちに、うわべだけを見て寄ってくるような人間は自然といなくなる。
誰より彼女を理解し、最後に残ったのが、もちろん夫の何寧だった、ということだ。
そうなってしまえば、付き合い始めてから結婚まではとても早い。
どういう人生を歩んでいきたいかという「態度」が一致したのだ、と彼女は説明する。
3ヶ月というのは、他の多くの国々と同じく、中国でも異例なほどの速さだった。
でもお互い十分に理解し合っていることがわかっているのだから、だらだらと交際するのはそれこそ無駄というものだろう。
とても合理的だ。血の通った、合理性。

そんなふたりの結婚式はやはり、伝統的な衣装や「改口*」のような儀式をしっかりと取り入れて、それでいて友人たちを楽しませるビデオのような演出は、現代的な技術を駆使したものになった。
いわく、伝統的な部分は、両親や友達への「敬意」を表すためにある。
そして、現代的な部分は、来てくれた人々を楽しませるためにある。
その両面から、ふたりの性格や考え方を表現して、より深く自分たちを知ってもらいたかった――という。
言葉にすればしごくもっともだけれど、それをきちんとカンペキに実践する人は、なかなかいない。
ふたりの「一致」というのは、なるほど、とても重い意味合いをもつのだろう。

来年の日本旅行も、リラックスする目的だけでなく、きちんと意味のあるものにしたい、とふたりは言う。
そのために、わざわざきちんと家庭教師の先生*を迎えて、ふたりで日本語を少しずつ勉強している。
リラックスするために温泉のある箱根、意義あるところとして古い建築物の多い京都、賑やかな大阪ではショッピングを。
なるほど、日本人からしても理に適ったプランだ。

彼らの将来についてのプランも、やはり理に適っている。
子どもは欲しいけれど、経済的な基盤がもう少しできてからでないと育てられない。
それに、今子どもができると、ふたりで色んなところに行けなくなってしまうから。
父になかなか会えない少女時代を過ごした彼女には、やはり家族はできるだけ一緒に、という想いがあるのかもしれない。
「2015年ぐらいがちょうどいいかな」とふたりは言う。
その具体的な数字の理由を尋ねると、その年の干支が「申」だからなのだとか。
彼らの干支が「丑」で、中国の伝統ではその組み合わせがとても良い。
もちろん、そんなにシリアスに絶対2015年、というわけではないけどね、と彼らは笑う。

明日はふたりの両親全員と釣りに行くのだという。
北京に海はないのに、と不思議に思って尋ねると、いや、釣り堀に行くんだよ、という答え。
6人の大所帯で釣り堀に行くなんてあまり想像できないけれど、彼らのプランしたことなのだから、きっと穏やかで温かな、楽しい時間が持たれるのだろう。

著しく発展を続ける中国の、そのど真ん中のど真ん中。
若い夫婦は、速すぎるのでもなく、遅すぎるのでもなく、でも確かな彼らだけの時間の中を、幸せに暮らす。
時代の流れに無関係なのではなくて、人一倍敏感だからこそ、ふたりはふたりだけの独特な時の流れかたを生きている。


文・金沢寿太郎

Web "Biotope Journal" 老北京編
http://www.biotopejournal.com/tags/Old_Beijing

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■ 今週の参照リスト
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《脚注》

◆北京
紀元前の春秋戦国時代には薊(けい)と称し、燕の都であった。この名残は今も、「燕京ビール」の名前などに見られる。唐の時代末期にここ周辺の燕雲十六州が契丹人による遼朝に割譲され、これにより遼は初の征服王朝となる。同時に多くの民族が入り乱れるこの地の歴史が本格的に始まることとなる。この時代には南京と呼ばれる。次の金朝では中都そして元朝では大都として、それぞれ都となる。明代に永楽帝により初めて北京と名付けられ、中華民国や日本軍占領時代を経て、現代に至る。

◆后海(ホウハイ)
元々は北京市内に多くある湖の一つを指す。什刹海(シーシャーハイ)と呼ばれる大きな湖のひとつで、他に前海・西海がある。北京中心部、老北京と称される地域のうちでも、多くの人が住むうちの一つ。のどかな風景や立ち並ぶお洒落な店により観光スポットとして有名で、地元の若者にも海外の観光客にも人気がある。

◆西安(シーアン)
古くは長安と呼ばれ、隋や唐をはじめ数多くの王朝の都として栄えた都市。明朝代に初めて西安と呼ばれ、当時の城壁は今も姿を残している。またシルクロードの基点としても有名。現在は陝西省の省都となっている。Biotope Journal第8週に登場予定。

◆成都(チョンドゥー)
三国時代の蜀の都として有名な、四川省の省都。宋代の発展により経済的にも栄え、現在に至るまで中国西南部の中心として存在感を持つ都市。史跡も多く、パンダ繁殖基地や四川料理やが有名なことから、観光客も多い。Biotope Journal第9週に登場予定。

◆改口
中国の伝統的な結婚の儀式の一つで、新郎・新婦が互いの両親に対してお茶を入れて差し上げるというもの。これを経て初めて、両人は義父・義母を父・母として呼ぶことができるようになる。

◆家庭教師の先生
北京大学で学ぶ日本人の福永氏。Biotope Journal序盤における退屈ロケットにとっての恩人であり、今週と次週および西安編の取材相手をご紹介いただいた。またご本人にも寄稿という形で、今後ご登場いただく予定。


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■ 旅日記【ロケットの窓際】 003 青島→北京
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 およそ中国らしい感じがしない。それどころか、船から見える青島は、どこの国のイメージとも合致しなかった。中心からやや離れたところの、今まさに建設途中にあるいくつもの大きな建物がまず見える。大規模な工場の姿も見える。それから船は半島を遠くから撫でるようにしてぐるりと旋回し、今度は中心地の町並みが見える。全体的にオレンジの目立つ、やや古めかしくてポップな、欧風の町並み。

 青島を多くの日本人に対して「アオシマ」ではなくて「チンタオ」と正しく中国風に読ましめているのは、歴史の教科書というよりむしろ、青島ビールによるところが大きいだろう。中国全土には数多くの品種があれど、もっとも広く知られた地名の冠せられたビールというのがこれだ。それでは何故、この地の特産品がビールになっているのか? ここで初めて、歴史の教科書の知識が役立つことになる。日清戦争後にドイツの租借地、事実上の植民地となっていたのがここ青島だ。ドイツといえばビール。そうして青島は当時の影響を残したまま、今もなおビールの産地として名を馳せている。その他にも欧風のキリスト教会や砲台跡など、見るべきものは少なくない。



 でも僕らにとっての青島は、中国大陸上陸の地にして北京への中継地点に過ぎなかった。宿探しをして明日の北京行きの切符を買えば、今日は終わってしまうだろう。

 それにしても、どうにも旅の感覚が戻らない。新しい街に着いてまずするべきは何だっただろう。いや、新しい国についてまずするべきは、そもそもいったい何だっただろう。ひとつひとつを指差し確認しなければ、色んなことを取りこぼしてしまう。たとえば両替だ。

 閉ざされた船内で、中国元を得る手段を求めて散々いろいろな人に話を聞きまわった挙句、結局中国元は、港で無事に手に入れることができた。船内で出会った唯一の日本人はアメリカ留学中の青年で、休暇を利用して中国の友人を訪ねるところだったのだ。その中国人もアメリカ留学の休暇中だから、米ドルはいくらあっても困ることはない。僕らは米ドルを持っていたから、港まで迎えに来ていた彼に、中国元と両替してもらうことができた。絶対に役立つはずだとあらかじめ両替しておいた米ドルが早くも役立ち、僕の苛立ちは少し和らぐ。

 港の付近は、乗降客やその送迎以外に、一般人の姿はほとんど見られない。こんなところを狙ってくるのが白タク(無認可のタクシー)だ。僕らに声をかけてきた白タクのオバサンは、何かそうしなければならない信仰でもあるのかというぐらいに、故意であるとしか思えないほど盛大に左右の鼻の穴から鼻毛を飛び出させていた。あまりに盛大だから、彼女の顔を思い出そうとしても鼻毛のことしか思い出せないほどだ。そういえば中高時代にいつも鼻毛が飛び出ていた先生がいて、悪いことにそれが音楽の先生だったものだから、リコーダーの試験のときに噴き出してしまわないように堪えるのがほとんど拷問に近かったな――などとどうでもいいようなことを思い出しながら、その小型のほうきを左右の鼻の穴に装着しているかのようなオバサンの顔を見て話をしていたせいもあって、混乱の中で相場より随分と高い値段でOKしてしまったように思う。

 ともあれ僕らは銀行にたどり着き、翌日の切符も購入できた。何度か道に迷いながらも、宿にたどり着くこともできた。平均的な中国のユースホステルだ。宿泊料が安く、併設されているバーだかレストランでは飲み物や食べ物がむやみと高価な値段で売られている。欧米人の旅行者は特に、なぜか地元の食堂などを避けてそういう場所で食事をする人々が多いものだから、結果として元が取れるような仕組みになっている。

 インターネットを繋ぎ、用事を済ませ、僕らは床に就く。8人用のドミトリーだ。特に苦にはならない。日本だろうが中国だろうが、眠りの闇の色はいつも等しい。疲れていれば尚更だ。



 翌日の移動は、中国版新幹線を利用するという、およそバックパッカーにはあるまじき豪勢さでの移動だ。もちろん、少し前にニュースを賑わせた恐ろしい脱線事故のことなどは、頭から消してしまわねばならない。

 中国の新幹線がどのようなものなのか一度乗車して体験してみたかった、とはいえ、考えてみれば日本の新幹線技術をベースにしているわけで、特に大きな違いはない。しかし中国の列車に何度か乗ったことのある身としては、大きな違いがないこと自体が驚きだった。ヒマワリの種をひっきりなしに食べて殻を撒き散らす乗客だとか、大音量で音楽を流し始めるやつだとか、走り回る子どもだとか、そういうものが一切存在しない。誰もが秩序正しく座席に座り、おとなしくしている。

 ただ違うのは、車窓からの景色だ。電車は青島から、中国大陸沿岸を北上する。異様に感じるのは、どこもかしこも「開発中」だということだ。開発がひとしきり終わった後、という景色をなかなか目にしない。建設中の高層マンションはもう相当な高さに達しているというのに、なおも建設は終わりそうにない。月に届くほどどこまでも建設を続けるのではないかという気さえする。

 そんな景色を高速鉄道から眺めていると、とても落ち着かない気分になる。中国では一人っ子政策の影響で、今後ますます少子高齢化が進む。十数億という人口を抱えるのだから、問題の規模も日本の比ではないだろう。

 誰も彼もを取り残したまま人の手を離れ、どこまでも勝手に高度を増していくマンションのことを僕は思う。やがてそこには人ではない、おぞましい真っ黒な何者かが住み着き始める。そんなことを考えて、薄ら寒い気分になる。

 でも電車はそんなことはお構いなしという顔で快調に飛ばし、するすると巨大な駅舎に吸い込まれていく。ぴかぴかの清潔なプラットフォーム。北京だ。

〈続〉
文・金沢寿太郎

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■ アフタートーク【ロケット逆噴射】 003
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スガ
とうとう中国に上陸しました。

寿太郎
今から中国出ていくとこなのに何言ってんだこいつ、と思ったら、サイト上での話ですね。

スガ
いやこれアフタートークだから。

寿太郎
もう「寒い」ということしか考えられなくなっております。

スガ
砂漠の夜はきびしいですね。
あ、いま僕たちはカシュガルというところにおりまして。

寿太郎
タクラマカン砂漠の西、中国の西の果てですね。とても埃っぽい。

スガ
中国なのに中国語も通じないし、いわゆる中華料理ぽいのもあんまりないし、中華帝国の広大さを感じますね。
それから、ここではお酒があんまり買えないので、今週はシラフでお届けしております。

寿太郎
ムスリムの地ですからね。そこらじゅうみんな、ムスリムのウイグル人だらけ。
隣にあるモスクが一日に何度も礼拝やってますね。
シラフが嫌なら一応酒瓶隠し持ってますが、飲みましょうか。

スガ


ああ寒かったら出すとか言ってたやつ。ぼくはシラフでもいいようにYMOかけたからだいじょうぶ。

寿太郎
YMOかけたからだいじょうぶというのがよくわからないけど、そうだYMOといえばだね。
君のせいでRYDEENが嫌になりかけてるのだけどどうにかしてください。

スガ
ああめざましね。

寿太郎
朝早く宿を出なきゃいけないときとかの君の言う「早起きをする」というのはね。
正確には、「朝早くに目覚ましをセットして、自分は目覚めないけれど隣のベッドの奴が目を覚ますので、そいつに叩き起こしてもらう」という意味ですからね。
勘弁していただきたいものだ、俺と幸宏さんに謝れ。

スガ
あれ、RYDEENて幸宏さんだっけ。

寿太郎
そうです。

スガ
ああ細野さんだと思ってた。ほんとだ幸宏さんだ。

ええとなんだっけ。

寿太郎
中国に上陸しましたね、というお話。

スガ
それで今週は老北京。
たしか中国に上陸して、まだ3日目くらいの取材だよね?

寿太郎
3か4だね。とにかくすぐだった。

スガ
あの時はまだサイトもメルマガもまだ影も形もなくて、さあ着いた、取材取材!みたいなかんじで、なにがなにやら。

あ、今なんか鳴った。

寿太郎
中国に入ってからとにかく正体不明のわけのわからない音が突然街に響き渡ることが多い。

スガ
よくあるのはスクーターのけたたましいブザー。

寿太郎
車だとかバイクの防犯ブザーの音ですね。

スガ
そうそう。

寿太郎
あれはなんだか子どものおもちゃみたいな音で、中国全土で同じ音なんだけれど。

スガ
ウイグルにきても変わらない。

寿太郎
今まで無数に鳴ってるとこに出会ったんだけど、例外なく全部誤作動だからね。
実際に盗難にあってるとこなんて見たことがない。

スガ
オオカミ少年。

寿太郎
そう、もはや意味ないよね、あれ。

スガ
そう見えて、じつはぜんぶ盗難にあってるのかもしれないよ。
僕たちが気がついてないだけで、すでに盗まれている。

寿太郎
恐ろしいことだ。

スガ
なんだ!

寿太郎
なんかブオーブオー言ってますね。

スガ
いまのは聴いたことない音だった。

寿太郎
老北京は面白い場所でしたね。

スガ
もうすこしゆっくり見てみたかった。

寿太郎
そうだね、取材日程もあったし、ノービザ滞在可能期間の2週間縛りもあったから仕方ないけれど。

スガ
デートスポットだし寿太郎くんとじゃ、というのもあるけれども、それはそれとして。
彼女が好きだと言ってた朝の風景とか、見てみたかった。

寿太郎
なんだか君はどうもこのコーナーで俺をおとしめようとするが、俺も君とそんなとこ行きたかないですよ。
ただ朝の風景というのは確かに。京劇の練習してる人とか、とても興味あるね。

スガ
ああ、京劇は興味あるって言ってるもんねえ。

寿太郎
京劇はすごく興味ある。舞台演劇関係全般に興味あるんだけどね。
以前四川オペラというのを見たけど、面白かったですよ。京劇は言ってみれば北京オペラね。

スガ
え、四川オペラて成都で観たの? 前に来た時に?

寿太郎
そうそう、成都からチベット行ったとき。仮面をすごい速さで取り替えるやつとか、火を噴く人とか、影絵とか。面白かったよ。

スガ
ほうほう。そういうショー的なもの、そういやまだ見てないね。

寿太郎
うん。中央アジアで、なんかそういうの見てみたいですね。
ロシア系のバレエみたいなやつとか、あるんじゃないですか。安く。

スガ
あーバレエは見てみたいね。
うらぶれた感じのも、それはそれでよさそうな。

寿太郎
うらぶれたw
まあ、意外とすごくいいものが見られるかもしれない。

スガ
んむ、期待しておきます。
それで。

寿太郎
老北京でしたね。

スガ
そうそう、彼らの家は人がごった返してる観光地っぽいところからすぐそこ。歩いて2,3分くらいのところで。
でも路地をひとつ曲がるといっきに昔そのまま、みたいな感じでしたね。

寿太郎
そう。あの一気に変わる感じは本当に面白かったのだけど。
あとで夫婦に聞くと、けっこう政府が頑張ってあそこを残そうとしてるみたいですね。
だから観光地から一気に、号令がかかったみたいに町並みが変わるのもわかる気がする。

スガ
ああそうでした。
でも政府ががんばって残そうとしてる、ってところは観光地みたいに人が見る感じではなくて、ふつうに人が住んでる。

寿太郎
まあ観光的な意味合いもあるんだろうけど、中国の文化を残していこうということだろうね。

スガ
中国政府も意外とそのへんはちゃんとしてるよね。
もっと新しいものしか見てないかと思ってた。

寿太郎
文化大革命とかで色々やりすぎたと思って、反省したんじゃないですか。

スガ
あーなるほど。

寿太郎
これ大丈夫か、こんなん中国国内でネット上で発言して、公安が飛んできたりしないだろうな。

スガ
ぼくはVPNでIPアドレスアメリカになってるから大丈夫。

寿太郎
あ、俺も日本になってるんだった。

スガ
あの日はあのあと、ご飯を食べに行きましたよね。

寿太郎
通訳してくださった福永さん含めて、5人で行きましたね。

スガ
北京ハイライトのゴージャスディナー。

寿太郎
なんだか君はもう、かなりの勢いで食べてましたね。いったい何と戦っているんだ、というぐらいに。

スガ
ああ、ぼくは出てきたものは基本全部食べるつもりでいるから。
さすがにあの時は途中であきらめたけど。

寿太郎
多すぎたからね。まあ、食べきれないほど出すのが中国流のもてなしだ、とは聞いたことがある。

スガ
ぼくが「日本では食べ物を残すのはあんまり良くないとされてる」って言ったら、奥さんに「がんばって」と返されて。その時の彼女の「ふふん」みたいな顔が忘れられない。

寿太郎
俺はあのとき頭痛と戦ってて、本当にそれどころではなかったけれど。

スガ
そうそう、きみはひどい感じだった。ほとんど食べてない。

寿太郎
いや全種類食べはしましたよ。
でも失礼がないように、とかだけ考えてて、結果覚えてるのがほとんどあの「白菜のようなものにカラシのようなものをぬりたくったようなもの」だけだ。
あれは強烈だった。

スガ
あれは鼻に抜ける感じではあったね。かわいそうにうまかったのに。
まあとにかく、お金持ちだったし、奥さんかわいいし、うらやましかったね。
そのうえ旦那さんもいい人だからスキがない。

寿太郎
屁をこくな。

スガ
すみません。

寿太郎
実に小市民的感想だね。しかしまったく同意します。
ほんとにいい人だった。金持ちケンカせず、というのはあのことだよ。

スガ
まったくです。
また来週。

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編集後記:退屈なしめくくり

老北京編、いかがだったでしょうか。彼らの中では中国の伝統と西洋の合理性がとても自然なかたちで同居していて、写真を撮っていても、話を聴いていても、興味深いことばかり。とはいえ今回からが、初対面の限られた時間での取材。振り返ると、インタビューにしても、写真の撮り方にしても、反省点がたくさん出てきてしまいます。Biotope Journalでは基本的に、事前や事後のいくつかのやり取りで質問させていただくほかは、取材させていただく方の都合に合わせて取材しているのですが、それでもできることはまだまだあるはず…ということで、さらに面白い記事をお届けするべく、日夜戦いはつづくのでありました。

それから、皆さまから感想やご意見をいただけると、とても励みになります。とくに今週から文章の執筆を寿太郎くんに引き継いだぼくは、今後の取材先やさらなる企画を考え中。こんな企画が読みたい、こんなことをやって欲しい、などのご意見はTwitterやFacebook、メールで、お待ちしております。 (無茶なご提案はスルッとさわやかに流します。ご安心してどうぞ!)

それじゃ、ちょっとポロ(ウイグル定番の羊肉入りピラフ)でも食べに、いってきます。

スガタカシ

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