Biotope Journal Weekly vol.2 茗荷谷、坂を下ってつんどまり(2012.10.21)
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Biotope Journal Weekly
vol.2(2012.10.21)

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こんばんは、日曜日の夜、いかがお過ごしですか。
退屈ロケットのスガタカシです。

Biotope Journal 2週目は「茗荷谷、坂を下ってつんどまり」
のふきさん。

彼女は数ヶ月前にお知り合いになった方なのですが、
取材の話を持ちかけた時にはサイトもメルマガもまだ構想ばかりで
影もかたちもなく、言葉を交わすのも数回目。
きっと(とても)うさんくさい話に聞こえたはずなのに、
お仕事からプライベートまで、突っ込んだお話を聞かせていただきました。

今週で、プロローグの日本編が終わって、来週からの中国編では、
Webサイトとインタビュー記事の執筆を、寿太郎くんにバトンタッチ。
執筆をぼくが担当するのは、一旦これでおしまいです。

それではどうぞ、おたのしみください!

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■ Biotope Journal リポート #002|ふき

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「物語をする人にとって、きのうという日は、いつも身近にあります。」

アイザック・B ・ シンガー『やぎと少年』の前書きにあるこの一文が、
ふきの大切にしていることば。

◆しごと − おはなしをえらんで、届ける

インタビューがのってくると、みぶりをつけて、
どこかコミカルで、チャーミングな動きをしてみせる。
演劇でもやっていたのかと思うくらい、目の前にいる人を魅せる動き。
彼女と会うのはまだこれで3回目。ちょっと人見知りとは思えない。

子どもたちのいる場所で仕事がしたい。
そう思っていた彼女はいま、小学校の図書館の主。
正規職員ではないけれど、本の選定から展示までをひとりで切り盛りしている。

すごいですね、と驚くと、小さい人が手伝ってくれるからね、と笑う。
「なにか手伝うことはない?」と、図書館に(というか彼女のところに)
やってくる子どもたちに、展示テーマの本を集めてきてもらう。
とはいっても、子どもたちが持ってくる本は
トンチンカンなものだったりするから、そのあとが大変だ。
最初からひとりでやったほうが早いような気もするけれど、
本に親しんでもらえるように、そんな方法をとっている。

彼女が受け持つ週に1回の「図書」の授業ではブックトークをしたり、
読み聞かせをしたり。でもいちばん気が抜けないのは、
授業のおわりの貸出の時間だ。
「ふきさんの一番おもしろいと思う本」とせがむ子どもに本をすすめると、
「絵がいやだ」「厚さがこのくらいで字の大きさがこのくらいじゃないと」
なんて言いだして、毎回静かな戦いがくりひろげられる。
でもおすすめをせがまれるのは、
きっと彼女のことを、一年生の時から知っているから。
「よくわからない信頼関係」と彼女は苦笑いする。
彼女のいきいきとした身ぶり。
それは子どもたちに囲まれて(ときには配下のようにしたがえて)
仕事をしているうちに、自然と身についたものなのかもしれない。

小学校の図書館での仕事はたのしい。
でも、ずっと続けるわけじゃない、と彼女は言う。
大切なのは、おはなしを人に届けること。「本は手段。なくてもいいんです」
彼女はいま、ストーリーテラーの修行中だ。
ストーリーテリングというのは、おはなしを覚えて、語ってきかせること。

図書館や書店が近くにあるところなら、本を読むことができる。
でも目が不自由で本が読めない人たちもいるし、
本を手に入れるのが不便な場所もある。
田舎で、医療の仕事に携わる両親のもとで育ったことも関係があるのだろう。
今の職場では、お客さん(子どもたち)が毎日やってきてくれるけど、
きっともっと必要とされる場所がある。
場があればどんどん出ていきますよ、と彼女は話す。

◆くらし - 谷底の、かるい部屋

どこかに越したいと思ったら、荷物をまとめて、
今日のうちには引っ越せてしまいそう。
彼女が「谷底」と呼ぶその部屋においてあるものはみんな、
ひょいと掴んで動かせそうな、小さくて背の低いものばかり。
ひとりで運ぶのがむずかしそうな家具といえば、
冷蔵庫と電子ピアノくらいだろうか。

本は油断するとすぐにあふれてしまうから、ときどき、いっきに捨てる。
いま持っている本は、繰り返し読むものがほとんど。
図書館で働いているわりには少ないかもしれない。
(そして、その半分ちかくは絵本や児童書だ。)

数年前のこと。街を歩いていて「いいところだな」と思った彼女は
目についた不動産屋に入ってみる。
廊下が真っ暗でやたらと狭かったり、開かずの窓があったり、
洗濯機は屋上のものが共用だったり。
「きちんとした居心地のよい住居」という感じがしないこの部屋を気に入って、
その日のうちには決めてしまった。
かるさが信条。いつまた引っ越したくなってもいいように、
ほしい家具があっても今はおあずけだ。

電子ピアノの上に置いてある、リコーダーに目が留まる。
笛が好きで、1年くらい前からリコーダーを習いはじめた。
口笛も得意と言う彼女。似合いますね、と返すと、似合うでしょ、と笑う。
「風がすきなんです。風のように生きたいな、と。
 でも土着志向もあって、身体が2つに引き裂かれてるかんじ。」

自分のことを根無し草のように言う彼女だけど、郷土への想いはつよい。
「どこにでもすぐに越していける。
 そういうのを目指してるんだけど、でも、押入れの中はごっちゃごちゃ」

◆記憶 - 凧の糸

「ごっちゃごちゃ」と言う押し入れの中身を尋ねると、
タイプライターに海用方位磁針、一眼レフにネガ、
それに写真のアルバムが段ボールに2箱。
彼女自身は使うことはない、亡くなったお父さんのものばかりだ。

彼女はもともと、ものを溜めこむタイプ。
お店でちょっといい包装紙をもらうと、ついとっておいてしまう。
今回も部屋の取材に備えて、かなりきれいにしたという。

ものの少ない部屋に見えたけど、あらためてあたりを見回すと、
壁ぞいには西洋人形、オリーブ(もちろんあの、ポパイの恋人だ)、
松ぼっくり、それからこけし。
懐かしいものがたくさん置かれていることに気づく。

原風景は、蔵王の麓のおおきな家。
育った場所のことを、彼女はそう呼んでいる。
でもその家は、数年前にお父さんが亡くなった時、引き払うことになった。

大学に入学して故郷を離れてからは、東京で気ままに暮らしていた。
でも楽な気持ちで過ごせていたのは、
心のなかで、故郷と強くつながっていたから。
そのことに気づいた時はもう、蔵王の家がなくなってしまった後だった。
「ふらふらしてても根っこは根っこ。
 どこかでそう思っていたから、凧の糸が切れるようなかんじ」
家がなくなった時のことを、彼女はそう思い出す。

生家のあった蔵王のふもとは「蔵王系」と呼ばれるこけしの産地だ。
彼女の家から30分くらい山のほうに行けば工房があったし、
近所にこどもの生まれた家があれば、お祝いにこけしを贈る。
だから家にこけしが置いてあるのは、ごくふつうのことだった。

家を引き払うときにはたくさんのものを捨てたけど、
蔵王の土地を感じられるものを、彼女は身近に持っていたかったという。
そのようにしてえらんだ何体かが、今も彼女の部屋にある。

西洋人形やオシラサマ、オリーブも、みんな故郷から持ってきた。
(彼女はオリーブを、妹はポパイを持っていた。)
いまカーテン代わりに使っている布は
故郷の家にたくさんあった、こども用の浴衣の帯(へこおび)だ。

糸が切れた、と言ったけど、部屋に置いてあるものたちは、
彼女を蔵王の山の麓へと、今もつなぎとめているように見える。

◆おはなしを語ること、書くこと - きのうという日

休みの日は何をしているんですか、ときいてみると、
「にゃー、とか言って猫とごろごろしてますよ」
という返事。ちょっと反応に困ってしまう。
でも退屈ってよくわからない、と彼女は言った。
「生きていれば十分面白いじゃないですか」

2006年頃のはてなダイアリーで、日常生活と切り離された、
Webという空間で文章を書く楽しさに触れた。
Twitterをはじめたのは5年ちょっと前、日本版ができた当初からのつきあいだ。

昔話は昔の人が生きた集積。
それをあつめて、人に届けるストーリーテリング。
彼女にとって文章を書くことは、それとそう変わらない。
「誰のためでもなくて、ただ残しておきたいんです。
 あつめて、とっておく。写真を撮るのと同じ」
日常の中で起きたさまざまなことを忘れないでいたい。
「それが美しくても醜くても楽しくても辛くても」
わたし、欲張りだからね、と彼女は笑う。

文章を書くこともストーリーテリングも
「えらんで、あつめて、とっておく」こと。
そう変わらないという彼女だけど、物語を語るようになってから、
書く文章はおおきく変わった。
昔話はもともと口伝だから、耳から聴いてたのしむもの。
それに触れてから、文章のもつ「音」に意識が向かうようになったという。
彼女にとって、Twitterはことばの「遊び場」。
日々のちょっとしたつぶやきも、
音にして気持ちのいいように、と考えるのがたのしい。

◆セカンド職場は人ごみのなか

今働いている小学校の図書館は7年目。
図書館で働くようになって2つめの職場だ。
でも、正規職員ではない彼女の給料は決して多くはないから、
彼女は、図書館の他にもうひとつの職場で働いている。
いまの「セカンド職場」(彼女はふたつめの仕事をそう呼ぶ)は
都内のターミナル駅のお弁当売り。
「セカンド職場」はいろいろなところで働いたけれど、
図書館で働くようになってからはずっと続けている。
仕事はいつも接客。彼女には、けっこうそれが楽しいようだ。

知らない人が集まってはまた散っていく様子。
それが好きで、東京に出てきた頃は、喫茶店でいつまでも、
交差点で人が行き交う様を眺めていたという。
大学の頃に勉強をしたのも、いま本を読むのも、だいたいいつも喫茶店。
「ひとりの中でひとりより、人ごみのなかでひとりのほうが好き」

さまざまな人が行き交う駅の売店からは、どんな景色が見えるのだろう。
もしかしたら明日あたり。もしかしたらもっと後。
行き先が見えたらきっと「谷底」のあの部屋から、風みたいに彼女は出ていく。


文・スガタカシ

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■ 今週の参照リスト
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《脚注》

◆ストーリーテリング
本に視線を落としながら物語る絵本の読み聞かせに対して、ストーリーテリン
グでは、語り手がいちど自分の中に取り入れた物語を、オーディエンスの目を
見て語る。絵などの視覚的な情報に頼らず、音のみで物語を伝えるストーリー
テリングは音楽的で、聴衆の想像力を豊かにかきたてるといわれる。

◆ブックトーク
一定のテーマをたてて、一定時間内に複数の本について聴衆に紹介するのがブッ
クトーク。ただし目的は本の内容を伝えることではなく、紹介した本を面白そ
うだと感じてもらうこと。読書のきっかけを与えるために行われる。

《ふきのリスト》

◆好きな本(一般書)
『たんぽぽのお酒』レイ・ブラッドベリ
『のりたまと煙突』星野博美
『ことばの食卓』武田百合子
『パパ、ユーア クレイジー』ウィリアム・サローヤン

◆好きな本(児童書)
『ともだちはうみのにおい』工藤直子
『あの犬が好き』シャロン・クリーチ
『魔女とふたりのケイト』キャサリン・M・ブリッグズ
『シャーロットのおくりもの』E.B.ホワイト、ガース・ウイリアムズ
『おやすみなさいフランシス』ラッセル・ホーバン、ガース・ウイリアムズ

◆好きな詩
「私の猫」三好達治
「世界は一冊の本」長田 弘
「日課」中桐雅夫
「扇情的な空」高見順

◆たいせつな本
『大きな森の小さな家』ローラ・インガルス・ワイルダー
『お話を運んだ馬』I.B.シンガー
『子どもの図書館』石井桃子
『センスオブワンダー』レイチェル・カーソン
『子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)』エリーズ・ボールディング

◆好きなイラストレーター
モーリス・センダック
ガース・ウィリアムズ
柚木 沙弥郎

◆好きな家
「前川國男邸」前川國男
「光の館」ジェームズ・タレル
「タンポポハウス」藤森照信

◆欲しい家具
「エッグチェア」アルネ・ヤコブセン

◆好きなお店
classico(古民藝)
http://www.classico-life.com/
小梅茶荘(中国茶)
http://teachina.exblog.jp/

◆身に着けるもの
SOU・SOU http://www.sousou.co.jp/
ミナ ペルホネン http://www.mina-perhonen.jp/
trippen http://www.trippen.co.jp/

◆好きな音楽
「バッハ:ゴルドベルグ変奏曲」グレン・グールド
「ハトと少年」アニメ『天空の城ラピュタ』より
「The Tom and Jerry Show」上原ひろみ
「誰よりも遠くへ」アニメ『トム・ソーヤーの冒険』より
「悲しみよこんにちは」斉藤由貴

◆ふきのサイト
猫の額で踊れ
http://nekoodoru.hatenablog.com/
something good
http://d.hatena.ne.jp/simpkin/

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◆【おまけ1】ふきの選ぶ旅本
『かいじゅうたちのいるところ』モーリス・センダック
『とぶ船』ヒルダ・ルイス
『犬が星見た』武田百合子
『世界一周恐怖航海記』車谷長吉

◆【おまけ2】ふきの選ぶ中国本
『王さまと九人のきょうだい - 中国の民話』
『ふしぎなやどや』はせがわせつこ★
『謝謝!チャイニーズ』星野博美
『時が滲む朝』楊 逸

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■ 旅日記【ロケットの窓際】 002 下関→青島
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 現実感がないのは同室の中国人のせいだ。暇なのだろう、親切心もあるのだ
ろうけれど、とにかくひっきりなしにぼくらに話しかけ、中国での暮らしに
ついて様々なアドバイスをしてくれる。そして片言の日本語がどこまでも怪し
い。ダイジョウブヨ、モンダイナイネ。マンガや何かに出てくる「怪しい中国
人」そのものだった。そんな人物は現実には存在しないだろうと思っていたと
ころで、初めて出会った中国人がこれだ。現実感がない。

 二等船室というのはつまり〈その他大勢の貧乏人が雑魚寝をするスペース〉
だ。船室とは言いがたい。ぼくらはがらんとした空間でシーツと枕をあてがわ
れ、なんとなく自分の領域を確保する。特に難しいことはない。船内は閑散と
していて、スペースは十分にある。そう多くない客のほとんど全ては中国人だ。
乗務員も全て中国人。わざわざ船で中国に渡る日本人などほとんどいないのだ
ろう。時間はかかるし、費用もそう安いわけではない。同じ価格帯の格安航空
券などいくらでもある。余程の物好きでなければ、こんなところにはいない。
たとえば僕らのような。

 絶対に飛行機を使わない、と決めたわけではなかった。でもできることなら
ば使いたくなかった。「いつもの続き」に異国を見たかった。そのためには、
地を這うような移動をしなければならなかった。ドアがひとたび閉じて開けば
そこはあっという間に違う街、そんな移動はしたくなかった。あっという間の
移動に心が追いつかないまま、空っぽの頭にカルチャーショックを詰め込まれ
るようなことはまっぴらだった。

 でも遠ざかっていく下関の町並みを、ぼくはさほどの感興もなく眺めていた。
国際線の飛行機に乗り込むとき、いつも感じるような微かな高揚感も、少しだ
け不安な気持ちも、何もない。どこまでも平らな気持ちは海よりも静かだ。こ
れから一年以上も祖国を留守にするというのに、その実感を感じることができ
なかった。

 出航からしばらくの時間が過ぎ、やがて船のぐるりを、遥かな水平線が途切
れることなく取り囲む。時折目に映るのは、日本や中国、あるいは韓国の、別
の貨物船だけだった。何の標も信号もない海の上で、それでも船と船とは礼儀
正しくすれ違い、平行な航跡を引き摺るように残してゆく。あちらは東へ、こ
ちらは西へ。朝鮮半島の先をかすめて、日没を追いかけるように船は進む。や
がて太陽に振り切られ、一瞬の鮮やかなオレンジ色のあとで、船は急速に夜に
取り囲まれる。

 乗客たちは、そんなことにはちっとも興味がないようだった。ロビーのテレ
ビにかじりつき、あるいは雑誌を読みふけり、煙草をふかしてビールを飲み
(船内は免税のため恐ろしく安いのだ、日本の感覚からすると、ではあるが)
とにかく、丸一日以上ものぶんの退屈を紛らわすのに忙しい。

 けれども幸いなことに、ぼくらには紛らわすべき何もなかった。相変わらず
煩雑な忙しさは続いていた。相方は乱雑に鞄に押し込んで持ってきた重要そう
な書類の山と格闘しているし、ぼくは様々な縮尺の地図や旅の資料と睨めっこ
をしてこれからの計画を詰めなければならない。実感があろうがなかろうが、
ぼくらはこれから違う国に入るのだ。下調べはどれほどしてもし過ぎとという
ことはないだろうし、それでも必ず何かを見落とすものなのだ。実際、僕の頭
の中に微かな違和感があった。何かを忘れているような気がする。ビザ関係で
はない。二週間までの中国滞在にはそもそも必要がないし、延長手続きだって
できる。お金関係だろうか。カードの手続きは全て済ませた。万一のための米
ドルまで準備してある。他の持ち物だろうか。でもそれはたいした問題ではな
い。何であれ、いくらでも現地調達はできる。

 乗船してから十度目ほどになる喫煙スペースで煙草を吸い、ぼくは頭をリセッ
トすることにする。それにしてもここでは日本の煙草が安い。国内でどれだけ
馬鹿げた額の税が課されているのかがよくわかる。でも中国国内ではもっと安
いはずだ。ひと箱あたり五元もしない煙草もあったはずだ。五元というのは、
今はだいたい一元が十三円だから――

 中国元だ。ようやくぼくはその事実に思い当たる。中国元を一銭も(一角
もというべきか)用意していないのだ。もちろん普通は、こんなことは何の
問題にもならない。あらゆる国際空港にはどこにだって両替所があり、ATM
もある。イランにでも行くのでない限り、こんなことは問題にはならない。

 でも僕らは空港ではなく、港に着くのだ。下関の港でさえ恐ろしく小さい規
模だった。まして青島の港となると、推して知るべしだ。両替所などはまるで
期待できない。しかも地図によれば、港は街の中心から随分と離れている。近
くに銀行はあるのだろうか。バス代の二元ずつ、ふたり合わせてたったの四元
すら、僕らは持っていない。ぼくは引き出しの奥から、二年前の中国旅行の残
りの小銭でも引っ張り出してくるべきだったのだ。

 致命的な問題というわけではないし、特に珍しいことでもない。どうとでも
解決はできる。闇両替のオバサンがいるかもしれないし、タクシーの運転手に
事情を話して、銀行まで乗せてもらうこともできる。最悪の場合、歩いたって
いい。でも僕は、滑り出しの段階からこういうミスをしてしまったこと自体に
苛立つ。まして何より重要な、金銭に関することだ。

 夜はいつの間にかすっかり深まっている。中国人の退屈と日本人の苛立ちを
乗せて、黒々とした海の上を、黙々と船が進む。

〈続〉

文・金沢寿太郎

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■ アフタートーク【ロケット逆噴射】 002
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スガ
寒くなってきたよね。

寿太郎
時候のご挨拶から。いや、本当に急激に寒くなったね。

スガ
いつ頃からだっけ。香港出て1回目西安に来た時からもう寒かったような
気もするけど。あれ、そうでもない?

寿太郎
あの時は「ああ、もうさすがに夏じゃないなあ」という感じだと思う。
今はもうそんなんじゃなくて「寒い」。

スガ
あー、ユニクロで色々買い込んだから着てるものがちがうんでした。

寿太郎
成都のユニクロでね。
あれだけ時間かければさぞ買い込んだことでしょうよ。

スガ
買物するのたのしいじゃない。あとぼく夏物しか持ってなかったから。

寿太郎
俺もけっこう買ったけれど。
でも君はもうね、今まで付き合ったどの女の子より買い物が長いですよ。

スガ
え、そうなの。じゃあ女子かもしれない。
ところで日本も寒くなったようで。

寿太郎
我々の場合は季節というより、場所を移動して寒くなった気がするけど。
日本もまあ、10月だから普通に寒いですよね。

スガ
10月は急に寒くなるからね。
先週と今週、取り上げてるのは夏にした取材のぶんだけど。

寿太郎
ずいぶんタイムラグがあるよね。

スガ
ていうかけいくんとか取材したのは6月だったかも。
まだ日本かよ! ていう。

寿太郎
まあ着てる服とか、そういう感じですよね。
サイト上はまだ、どこが旅なんだという感じがする。

スガ
ぼくたちは中国にいるけど、日帰りで日本の取材を
していると思った人もいるみたいですよ。

寿太郎
日帰りってなんだ、中国から日帰りで?

スガ
そう、むちゃくちゃ。
あと親父からも、「世界一周のサイトなのに日本からというのは違和感がある」
みたいなこと言われたな。

寿太郎
別にまあ、世界一周のサイトというわけではないけれども、
一カ国目が中国なのではなくて、一カ国目が日本だというだけの話ですよね。
今いるのが、二カ国目の中国。

スガ
ぬむ。
まあ日本からはじめたのは、ぶっつけ中国からというのはキツい、
というのもあったけど。
あとはやっぱり、自分の日常に近いところからはじめたかった
ということがあります。

寿太郎
ふつうの日常の延長から、いろんなふつうの日常をめぐる旅、ですからね。

スガ
そういうこと。

寿太郎
最初の段階でいきなり中国に飛んじゃうと、
そこから断絶しちゃうような感じはある。

スガ
自分の目線に近いところからはじめたかったという。
来週からはいよいよ中国編スタートですけどね。

寿太郎
中国ではいろいろ面白いことがありましたね。
もう6件かな、インタビューしたけれど。

スガ
そうね、でもどうだろう。
インタビューした人たちはみんな面白かったし驚きもあったけど、
けっこうふだんの感覚の延長できているというか。
北京とか上海とか、沿岸部からはじめたからそう感じる部分も
あるかもしれないけど。

寿太郎
普段の感覚の、というのは、我々の普段の感覚ということ?
それは俺もそう思う。あんまり特別な変わったところにいる感じはしない。

スガ
そう。
日本でもいろんな人がいて、話が通じる人もいるし通じない人もいるじゃない。
ふつうにそういう感じ。

寿太郎
日本だとか中国だとか、そういうところ以前の話ですよね、それは。
便宜的に国ごとに区切ってるけど、まあ突き詰めれば
「いろんな人がいろんな所にいるよね」という点では
あんまり日本にいる感覚と変わらない。

スガ
そう。環境とか文化とかが違いすぎて人の違いとかが吹っ飛んでしまう、
という感じではなくて。まあ背負ってる文脈はぜんぜん違うんだけど。

寿太郎
まあ我々はまず人の違いみたいなところから入って、
そこから環境とか文化に掘り下げていく感じの視点でいるから、
ってのもあるよね。

スガ
ああこういう人か。
というところから入って、こんな家に生まれたのね。
小さい頃はこんな子だったんだ。というような順番。
はいっていき方が日本とあんまり変わらない、というのがあるかな。

寿太郎
そうそう。でもあれ、人に興味ないんじゃなかったでしたっけ。

スガ
あ、その話w
いやだからそれは、フォーカスの問題ということです。
入り口は人だけど、その先にある環境に手を伸ばしたい、ということ。

寿太郎
その先というか、その人を取り巻くというかね。まさに文脈ですね、その人の。

スガ
そういうことです。

寿太郎
まあでも、我々自身の今現在の環境も、あんまり劇的に日本から変わるという
ことなく過ごせてますからね。なんというか、落ち着いていられるけれど。
メシも安くて美味しいし。

スガ
四川はとにかくうまかった。西安も意外とうまい。

寿太郎
お前は今まで食った坦々麺の数を覚えているのか?

スガ
四川は1週間以上滞在して、毎日食べてましたね。

寿太郎
とにかく美味しかった。いまだに思い出す。あれは麻薬ですね。

スガ
いやきみは中毒ものに弱すぎるんじゃないの。

寿太郎
中毒ものっていうジャンル分けがよくわからないけれど。

スガ
タバコとか酒とか担々麺とか。

寿太郎
タバコとか酒はきみもやるでしょう。
坦々麺がそのカテゴリに入るわけがわからない。

スガ
コーラとかマックとかケンタッキーとか。
中毒ものじゃない。

寿太郎
ジャンクフード好きなんですよ。でも常識的な範囲でですけど。

スガ
常識的かなあ。

寿太郎
でもね、世界の色んなところで、コーラやマックやケンタッキーや、
そういう世界中どこにでもあるものを飲み食いするのもそれはそれで面白いよ。

スガ
いや面白いのはいいけど。
ぼくはコーヒーくらいかな。納豆は餞別にもらったドライ納豆だけで、
あとはもう諦めたから。

寿太郎
俺の場合は基本的に現地で手に入るもので過ごしたい、
というスタンスではある。

スガ
それはわかるけど、コーヒー手に入るじゃない。

寿太郎
まあそうだけどね。でも豆は高いでしょう。

スガ
こっちの感覚だと高いけどね。
でも売ってるんだからこっちで買ってる人がいるということでもあるじゃない。
それから地域的に、どういうとこだと手に入りやすくて、
どういうとこだと高いか、みたいのも面白いと思って。

寿太郎
それは面白いよね。

スガ
ぼくは、一から十まで現地の庶民的な感覚、
というのに合わせなくてもいいと思ってるんだよね。
庶民的な感覚というので暮らす面白さもあるけど、
その土地の金持ちのやってることをやってみる、
というのも面白いと思うんですよ。

寿太郎
まあそれはそうだよね。ただ金持ちになればなるほど、
我々の日常からあまり差異がなくなってくるケースが多いんだろうね。
という発言は非常に嫌な日本人のそれですね。
まあ、地域によってはまた変わってくるのだろうけど。

スガ
そう。だから、いまだに貧乏旅行と言うと
ロマンがあるような感じがするけれども。
でもじっさい金持ってるくせにそれを言うのは欺瞞というか。

寿太郎
節約することが自己目的化しちゃうと
何が何やらわからんな、という気がしますね。

スガ
そういうことです。だからふつうに
コーヒー飲みたきゃ飲むよ、ということ。

寿太郎
そりゃそうだ。
ま、皆それぞれ好きにすりゃいいとは思います。

スガ
ところで寿太郎くんの旅日記だけど。
まず、かっこつけすぎですよね。こう、かゆくなるというか。

寿太郎
ぼくは普通に書いてますので、
かっこつけすぎなんじゃなくてかっこいいんじゃないですか。

スガ
へえ、かっこいいんですね。

寿太郎
あなたはぼくのことを直接知ってるからかゆくなるんですよ。

スガ
そうかな。どうでしょうか皆さん。かゆくなりませんかー?

寿太郎
そんなこと言ったら、あなたの文章はかわいこぶりすぎでかゆくなる、
とも言える。

スガ
ほう!
かわいこぶりすぎ!!
その発想はなかった。じゃあぼくはかわいいんじゃないのかな。

寿太郎
今日は女子だと言ったりかわいいと言ったり、全体的にキモいですな。
早いとこモロッコに行って、切断してもらえ。

スガ
ほおーその手があったか。

寿太郎
退屈ロケットここにめでたく解散です。みなさんありがとうございましたー。

スガ
ありがとうございました!

っとちょっと待って。
旅日記の話。あれもまだ日本だよね。大阪と、今週は船か。

寿太郎
そう。日本は出たけど中国にまだ入ってない。

スガ
大阪の宿はすごかった。
中国というか、香港のひどかったところとはるレベル。

寿太郎
まあ書いたとおり、本当にただただ安いというのがメリットですよねあそこは。

スガ
ヒリヒリしたね。

寿太郎
でもまあ、ああいう土地なんですよ。本当はもう少し、
あそこの「あいりん地区」界隈についても掘り下げて書きたかったですけどね。
有名な「飛田新地」なんかも近所にあるし。奇妙ゾーン。

スガ
ぼくはああいうところきらいじゃないけどね。
池袋の住んでたところ、よりはキツかったけど、似た臭いがする。
退屈しません。

寿太郎
まあ東京でいうと、雰囲気では池袋に近いのかなあ。
ドヤ街みたいなのもほとんど死滅してきているし。
横浜に似たような雰囲気のとこはありましたね、黄金町あたり。
僕も結構好きです。

スガ
好きなわりには寿太郎くん、けっこうビビるよね。
今週はさっそくイライラしてるし。

寿太郎
ふつうの日常の延長ですね。

スガ
ビビってイライラ。それが寿太郎くんの日常。

寿太郎
ビビるというかね、まあ驚きの感情はそういう風に出ます。

スガ
驚きの感情? あーそういうこと。
新しいものに驚いたりしている時に、傍目には
なんかそういうふうに見えるわけね。

寿太郎
よくわからないけど。
ビビるみたいに言われたこともないし、
イライラも二十歳過ぎてからはそんなにしないですよ。

スガ
そうですか。でも警戒心つよいよね。

寿太郎
警戒心は旅行者としては普通レベルだと思うけど。きみが無防備すぎる。
外国の地下鉄で寝るとかありえないっす。

スガ
あーそうね。ありえないよね。

寿太郎
まあ、今後中央アジアでは気をつけてください。
治安とかももっと信用できない感じになってくると思うので。

スガ
いやぼくは出発してから1ヶ月半経つのに、
まだ大事なものをなくしたり壊したりしていないことに驚いていて。
すごいな、と。

寿太郎
運がいいだけだと思われますが。

スガ
案外だいじょうぶかもしれない。

寿太郎
横にいる人がいつも警戒してるからなんじゃないですか。

スガ
それはあるかも。いつもありがとうございます。

寿太郎
わかってるならよろしい。
また来週。

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編集後記:退屈なしめくくり

先週のメールマガジン第1号、配信前に登録して下さった方からは、
「ボリュームあってびっくりした」とか
「サイトよりメルマガの方がメインみたいな感じ」とかの
メッセージをいただきまして。
あー、そりゃびっくりするかもなぁ……と反省。
今週は、少しサイトのメルマガ案内文を変えたりしてみました。

先週の第1号も、配信ギリギリまでメルマガを作っていたので
どんなものが出来るのか、僕たち自身も蓋をあけてみるまで
お伝えしづらかった、ということがあるのです。ゴメンナサイ。

さて、今週取り上げた茗荷谷のふきさん。
Biotope Journalの旅のスケジュールに合わせて、
ブログで「机上旅行」という企画をはじめるそうです。

〈以下抜粋〉---
彼らの旅先からの便りを楽しみに読むのはいいのだけど、ただ待つだけなのは
つまらない。そこで私も世界一周をすることにしました。ただしそれは机の上、
開いた本の上での話です。世界各地で語り継がれてきた昔話に様々な国の物語。
幸いなことにそれらを私達は本という形でそれらを手にすることができます。
彼らを応援する意味も込めて、旅程に合わせて各国のお話を読んで紹介する予
定です。

机上旅行
http://nekoodoru.hatenablog.com/entries/2012/10/21
〈抜粋おわり〉------

なんだかとてもうれしい……というかちょっと、照れますね。
よかったら皆さまも、覗いてみてください。

ところで、来週このメールマガジンをお届けする頃、ぼくらはきっと中国最果
ての地。その後は極寒の中央アジアに突入です。しかしながら現在、中央アジ
アでの取材のメドがひとつもたっておりません。というわけで、中央アジアに
お知り合いのいらっしゃる方はぜひ、下記いずれかの方法でご一報ください!

スガタカシ

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