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こんばんは。退屈ロケットのスガタカシです。今週はベルリンの巨大ホステルから、昼夜を問わずビールジョッキをかたむける人々を前に、お送りします。

今週のBiotope Journalはセルビアの首都、ベオグラードで日本語を専攻しているマリヤ。セルビア、ベオグラードと聞くと、紛争、戦火のイメージでしたが、訪れてみると街の雰囲気は思ったよりも明るくて、出会う人々の明るさが印象的でした。冬の天気がぱっとしないのは相変わらず、なのですけれど。

年明けから試験的に画像つきのhtml版でメールマガジンをお送りしているのですが、環境によって表示のおかしくなりそうなところをすこしずつ改善しています。今回からはメールソフトでうまく見られない、Webの方が読みやすい、という方のためにメールマガジンの冒頭に、Webブラウザで表示するためのリンクも用意しました。

それから今週のアフタートークは、皆さまからのおたよりコーナーつき。どうぞ、お楽しみください!

Biotope Journal リポート #016|マリヤ

> Web "Biotope Journal" マリヤ編 ベオグラード 彼女の道を照らすのは

ベオグラードの中心地、安宿のある雑居ビルの周囲には、なんだかやけに学生ふうが目立つ。古本だろうか、路上で教科書を売っていたり、文房具を売っていたりもする。このあたりにはベオグラード大学*があるのだ。なかでも目と鼻の先にあった建物は、言語学部のものだった。後になって知ったのだけれど、こここそが、マリヤが日本語を学んでいた場所だったのだ。

伝手を頼って会うことができたのは、そこで日本語を教える高橋先生と宮野谷先生だった。そもそも、ベオグラードで日本人に会うのはなかなか難しい。在ベオグラード日本人の数はほんとうに少なくて、彼ら以外の多くの人びとは、外交関係の人やその家族ばかりなのだという。

その反面、日本のポップ・カルチャー*はポピュラーになっている。ご多分にもれず、ここセルビアでも日本のアニメ・マンガの人気はなかなかのものだ。そうした背景もあって、言語学部で日本語を学ぼうという学生はなかなか多いのだという。もちろん、中には必死に学ぼうとするものもいれば、気が向いたときぐらいにしか顔を見せない者もいる。そのあたりは、日本の大学と変わらないのかもしれない。そんなご当地の事情を、歴史あるレストラン*でセルビア料理を楽しみながら聞かせてもらう。

インタビューの主旨を説明すると、適した人物としてふたりの先生の意見がぴたりと一致したのが、一年ばかり前に卒業したマリヤだった。今はベオグラードで、他のセルビア人に日本語を教えているという。明日にでも会えればラッキーだな、なんて思っていたら、なんと高橋先生の電話を受けて、今すぐここに来てくれるという。話を聞かせてもらう前の段階ですでに、マリヤはそのフットワークの軽さを見せてくれたわけだった。

キラキラの正体

マリヤに会う前、彼女のことを説明するときに、宮野谷先生は「キラキラしている」という言葉を使った。その意味するところは、彼女に会ってほとんどすぐに納得させられることになる。

初めて人に会うときには、誰しもがもちろん自己紹介をする。彼女も、今している仕事のこと、どうして日本語を勉強しているのか、大学を出てから今までどんなことをしてきたのか、そんなことを話してくれるのだけれど、まるでそれら全てが未来に向けてのワクワクに満ちているかのようだった。これだけプラスのエネルギーに満ちた日本語を喋る人には、日本にいてもなかなかお目にかかれないかもしれない。日本語を学びはじめてもう6年。マリヤは、彼女の人格を反映した体温ある日本語を、すでにちゃんと身につけている。

もともと外交だとか外国とかかわることに興味のあったマリヤは、いくつかの言語の中で日本語に興味をひかれ、入学すると同時に学びはじめた。でも実際に日本に行くことができたのは、卒業してからのこと。日本はあまりにも遠く、航空券も高価だ。そのうえ、観光のためにノービザで渡航できるようになった*のもつい最近のことだった。

きっかけは、中古車販売大手「ガリバー」の会長が進めていた、ユーラシア大陸横断マラソンの企画*。フランスのパリから東へ進む道中、日本語を話せるセルビア現地スタッフの話が彼女に舞い込んだのだ。学んだことを生かせるこのチャンスに、彼女はもちろん参加した。最初は5日だけのはずだったのに、予定は延びに延びて、気付けば彼女はイスタンブルまで同行していた。一度離脱して、再度中国で合流。親切なスタッフに恵まれてとてもいい経験になったし、日本に行くためのお金を貯めることもできた。まさに一石二鳥だ。人生の中で何かが動き始めるときというのは、往々にしてこんなふうに、世界の何もかもが味方をしてくれているようなめぐり合わせになるもの。かくして彼女は日本に渡った。富士山にも行った。渋谷のスターバックスからクレイジーなスクランブル交差点も眺めた。もんじゃ焼きも試してみた。ひとまずの偵察のように滞在を終えてセルビアに帰ってきたけれど、彼女はもちろん次の訪日を見据えている。今度はじっくりと腰を据えて、きちんと勉強をするのだ。

あした飛び出すための部屋

翌日マリヤは、ベオグラードの自宅に招いてくれた。日本語で書いてくれたメモを頼りに、バスに乗る。彼女は今、ルームメイトとアパートの一室ををシェアして暮らしている。ベオグラード中心部から、バスでだいたい20分程度。街並みの賑やかさが途切れて、静かな住宅地が目立ち始めるあたりだ。

彼女の部屋はとてもシンプルだ。ここに暮らし始めてまだ3ヶ月という事情もあるのだけど、それにしても彼女の暮らしが染みついた感じがしない。ソファーベッドに、小さな机とラップトップ。本棚に並ぶのは、お気に入りの本というよりも、もらい物でまだ読んだり聴いたりできていない日本語の本やCD、それにDVD。飾られているものには、日本から持ってきたお土産のようなものが多い。過去の思い出というよりも、未来の目標のようにしてそれらは飾られている。

もしも引越しするとなったなら、その気になれば1時間もかからずに何もかもを運び出してしまえそうだ。もしかすると、それぐらいの部屋が、今の彼女にはちょうどいいのかもしれない。彼女からは、「今、ここ」に落ち着きたいというような気持ちはまったく感じられないからだ。いつでも飛び出していけるようにするために、彼女は身軽でいなければならない。

そんな彼女の部屋で唯一といっていいほどの手の込んだ飾りつけは、クリスマスのためのものだった。これだけは外すわけにはいかない。彼女は毎年、12月の半ばから1月の半ばにかけて*、この飾り付けをする。一般的なキリスト教においても大切なことだし、とりわけセルビア独特の守護聖人信仰において大きな意味を持つことだ*。敬虔な信仰の想いからというよりも、伝統を大切にしたいというもう少し軽やかな想いから、彼女はこの飾り付けを大切にしているように見える。

マリヤの安らぎ、そのありか

マリヤにももちろん、ほっと息をついて落ち着ける場所はある。それが彼女の実家だ。取材を受けてくれたまさにその日、彼女は実家に帰省するところだった。これは「スラヴァ」*と呼ばれるセルビア正教会の伝統的な習慣のためだ。家族ごとに儀式の日は異なるのだけれど、マリヤの家の日取りがちょうどその翌日だったのだ。彼女はなんと、そのスラヴァに招いてくれるという。前日に帰省したマリヤに遅れること1日、スラヴァ当日に彼女の地元へ向かう。

レスコヴァツはセルビア南西部に位置する街だ。隣国のブルガリアやギリシャ、それからコソボ自治州*も近い距離にある。どちらかというと寂しい街だ。工場などにも活気はなく、大規模な施設だけが打ち捨てられたように並んでいる。ギリシャ方面のへの交通の要衝として栄えたのは過去のこと。今、その面影はほとんどなく、ただ駅を行き交う多くの国際列車だけがそれを物語る。バスターミナルまで迎えに来てくれたマリヤによれば、学校の数も少なく、地元の同級生はほとんど顔見知り、というレベルなのだという。そもそも若者の数がどんどん減ってしまっているのだ。

でも、マリヤの家の中は親密で幸福な空気に包まれていた。お父さんはいかにも親切なおじさんという感じの方なのだけど、愛娘の帰郷への喜びを隠せない様子で、隙あらばすぐに相好を崩していた。お母さんが腕によりをかけた料理にくわえて、様々な地元の蒸留酒を勧めてくれる。マリヤがところどころ通訳に入ってくれるおかげで、お父さんとも色々な話ができた。地域の伝統の話。かつての技術者としての仕事のこと、そして今の洋服を売る仕事のこと。それから、サッカーの話もした。日本で有名なセルビアやユーゴスラヴィア関連の人物といえば、なんといってもストイコビッチ、そしてイビチャ・オシム*。オシムは偉大な人物だ、とお父さんは言う。そして、悲しそうに続ける。「でも、亡くなってしまった」。まだ生きていますよ、と訂正すると、信じられないという顔をする。そしてなかなか納得してくれない。時折ズレているあたりが、妙に可愛いらしいお父さんだ。マリヤも、お父さん可愛いでしょ、と笑う。

2階からは、楽しげな声が聞こえてくる。マリヤのお兄さんが友人を招いてパーティーをしているのだ。同じフロアに、マリヤの部屋もあった。ベオグラードよりもはるかに「自室」という言葉がふさわしく見える、くつろいだ部屋。お気に入りのものでいっぱいの、幼い頃から大人になるまでのマリヤの歴史が散りばめられたような部屋には、まるで先週も先月も、ずっと彼女がここで暮らしていたかのような空気がある。いつでも彼女が帰ってこられるように、不在の間も両親がこの部屋も大切に守り続けているのだろう。

すっかりもてなされた帰り道、ふとマリヤの話を思い出す。コソボ紛争で近所が爆撃されたときの話だ。衝撃波で窓が全部割れてしまったという家は、さっきまでお世話になっていたあの温かい家のことだ。マリヤが家族と一緒に逃げ込んだ地下室というのは、さっき見せてもらった、自慢の手作りジャムやコンポートが蓄えられた素敵な地下室のことだろう。今の彼女の実家からは、そんな紛争の情景などまったく想像できない。でも確かにそれは起こったのだ。それも、たった十数年前に。小学生だったマリヤは、どんなに恐ろしい思いをしたことだろう。「家族も友達も、みんな無事だった。だから、大丈夫」と明るく笑う今の彼女からもやはり、その恐怖は想像できないけれど。

今もセルビアや関係の深い国々は多くの問題を抱える。仲の悪い国もたくさんあるし、国民の民族感情は差別意識にまで発展することもある。中国でも日本でも、どこの国でも大なり小なり、同じ問題は起こっている。彼女はそのことを、とても残念に思う。すごくシンプルな日本語で、けれども彼女だからこそ込めることのできる意味と気持ちを込めて、穏やかに彼女は微笑む。「ケンカしないで、ね」。

彼女の道を照らすのは

日本で勉強したいことは、比較文化にかかわること。言葉をきちんと喋るためにはその国の文化を学ばなければならないから、というその理由は、いかにも彼女らしく真面目で真っ直ぐだ。たとえば日本との大きな違いのひとつは、ハグだとかキスといった習慣。日本ではほとんど恋人同士しかしないような挨拶の交わし方も、西洋の人びとにとっては友達同士の気さくなものだ。そういえば確かにマリヤは、相手が日本人なのかセルビア人なのかによって、挨拶の仕方をきちんと使い分けていた。それもとても自然に。

彼女の天真爛漫な明るさは、こんなふうに、裏側にきちんと思慮深さを兼ね備えている。目を輝かせて世界に飛び出していく彼女は、その先に、学んだことをセルビアのために生かしたいという目標を持ってもいる。フランクに気遣うことができるし、地道に夢見ることができる。彼女に感じる強さの理由は、たぶんそんなところにある。あたたかな陽光のような強さだ。
自ら輝き始めたマリヤ。彼女の道を照らしていくのは、他ならぬ彼女自身なのだろう。

文・金沢寿太郎

今週の参照リスト

《マリヤの好きなもの》
◆ Morphine
>Youtube

◆ Tom Waits
>Youtube

◆『氷と炎の歌』シリーズ
ハヤカワ文庫SFが翻訳を刊行中。
>ハヤカワ文庫SF『氷と炎の歌』シリーズ

◆ タンゴ "Por Una Cabeza"(映画「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」より)
>Youtube
「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」は1992年のアメリカ映画。
アル・パチーノが盲目の退役軍人を演じ、アカデミー主演男優賞を受賞。
動画のタンゴのシーンは、映画史に残る名場面のひとつ(寿太郎)。

《脚注》
◆ ベオグラード大学
200年以上の歴史を誇る、セルビアで最も歴史ある総合大学。学生数は10万人規模。

◆ 日本のポップ・カルチャー
セルビアでは日本の漫画がポピュラーになってきている。専門店もあり、作品の認知度はどこでも有名な「ドラゴンボール」や「NARUTO」などにとどまらない。マリヤの場合は「エルフェンリート」が好きだというから驚き。また「君に届け」なんかも、日本語の原書を読んでいるようだった。

◆ レストラン「?」(写真上)
創業は100年以上前、ベオグラードでもっとも有名なカフェ/レストランのひとつであるこの店の屋号は、「?」という一風変わったもの。有名なサヴォルナ教会の向かいにあるのだが、それにちなんでかつてのオーナーが店名を「サヴォルナ教会沿い」としたところ、教会からクレームを受けた。それに対する返答として、ウィットと皮肉を込めた「?」が現在の店名となっている。なお料理自体は伝統的なセルビア料理で、なかなか美味しい。
>TripAdviser

◆ ビザ
セルビア人が日本にビザなしの旅行ができるようになったのは2011年。90日間の滞在が許されている。一方逆も同じで、日本人はノービザで90日間セルビアに滞在できる。なおセルビアはシェンゲン協定に加入しておらず、ヨーロッパ各国の滞在可能期間には合算されない(2013年1月現在)。

◆ チャレンジユーラシアマラソン
中古車とマラソンの関係はよくわからないのだけれど、一代で大企業をつくり上げたこの羽鳥会長、70歳を超えてユーラシア横断マラソンという凄いことをやっている。でもこの企画、ほとんど知られていないと思うのだけれど、皆さん、ご存知でしたか?
>公式ページ

◆ セルビアのクリスマス
ロシア正教の国々では、クリスマスは12月25日でなく翌年の1月7日。これは、グレゴリオ暦でなくユリウス暦に基づいていることによる。したがってロシア、セルビア、ギリシャ、ブルガリアなどの国々ではこの日がクリスマスとなる。

◆ 守護聖人/スラヴァ
セルビアの古くからの信仰が正教会の教えと結びつくようにしてできた習慣。セルビアの人びとは家族ごとに守護聖人をいただいており、それを称える日がスラヴァ。家族ごとに守護聖人は異なるので(代表的な聖人は何人かいる)、スラヴァの日程が同じとは限らない。マリアの家では聖ニコラウスを称える。この場合、スラヴァは12月19日となる。
※スラヴァについては、後日「空間と人」記事においてより詳しい内容をリポートします。

◆ コソボ自治州
セルビア南西部に位置する。2008年にこの地のアルバニア系住民が独立を宣言したが、セルビアはこれを承認していない。なおアメリカをはじめとする各国は独立を承認する立場をとっており、日本もこれにならっている。いまだ紛争は終結しておらず、不安定な情勢が続いている。

◆ ストイコビッチ、オシム
ストイコビッチと言うより、愛称の「ピクシー」のほうが通りがいいのは、地元セルビアでももちろん同じ。フランスの名門・マルセイユで活躍した、セルビアの誇るスタープレイヤー。選手としての晩年には日本でプレーし、黎明期のJリーグに世界のプレーを伝えた、日本サッカー躍進発展の恩人のひとり。大変な親日家として知られ、現在は名古屋グランパスの監督。彼がメンバーだったユーゴスラビア代表最後の代表監督がイビチャ・オシム。世界各国での指導経験を持つ名監督で、日本ではジェフ市原・千葉監督を経て代表監督に就任した。脳梗塞により倒れ、一命は取り留めるも退任した(後任は再任となった岡田監督)。含蓄のある独特の言葉遣いもよく知られ、語録を収めた書籍は多くの人に読まれた。
>オシム語録サイト

旅日記【ロケットの窓際】016 初雪舞う不吉のソフィア

 考えてみれば、「ヨーロッパ」ほど曖昧な地名も珍しい。国際機関による定義らしきものはいくつかあるけれど、統一されているわけではない。いったいどこからをヨーロッパというのか。イスタンブルのアジア側からボスフォラス海峡を渡れば、そこはヨーロッパなのだろうか。それとも EU加盟国に入った瞬間からだろうか。ロシアはヨーロッパといえるのだろうか。ならば、ヨーロッパは北海道の目と鼻の先にあるのか?

 ともあれ、この旅で「ヨーロッパ」への変化をもっとも強く感じたのは、ブルガリアに入国したときのことだった。正確に言えば、ソフィアの街を歩いたとき。なにしろ夜行バスで移動するものだから、移動の過程で外の様子をうかがい知るのは、なかなか難しいのだ。


 ソフィアのバスターミナルは、取り残されたかのように存在していた。待合室は確かに広く、それなりに店もあり、肌を刺す外の冷気から避難してきた客の姿もちらほら見える。でも一歩外に出ると、一国の首都の中央駅(すぐ隣に鉄道駅もある)の周りとは信じられないほど閑散としている。いちおう随分昔に共産主義は終わりを告げているのだけれど、その空気は共産主義そのもののようだ。特筆すべきものの一切を取り払ったかのような共産主義的空白の中を、型の古い今にも咳き込みはじめそうなトラムが、がたごとと走ってゆく。道路がやたらにだだっ広いのだけど、開ける視界に開放感のようなものがまるでない。渡ってゆく人影のひとつひとつが、いやに不安げに見える。

 トラムに乗ってたどり着いたホステルは、けれども、まるで安全地帯のように温かみをたたえていた。この街で少しなりとも流行っている店はみな、こんな風にシェルターのように限定された空気を懸命に保ち、体温を奪われないよう繊細に心を砕いているように見えた。ある場合にはそれがうまく働き、驚くほどのセンスの良さを見せもするのだけれど。

 今夜のための温かい寝床を確保して、ほっと一息つく。改めて外に出てみると、曇り空はもはや準備万端で、いつでも雪を降らせる覚悟を決めているかのようだった。雪国生まれでなくとも容易にわかる。今日のうちには雪が降り始めることだろう。


 気付いたときにはもう、辺りの何もかもが薄くて白い雪の膜を纏い終わったところだった。暖かい部屋の中でパソコンに向かっているあいだに、どこかのタイミングで、寒気の鋭さが曇り空の表面を刺したのだ。堰を切って舞いはじめた雪がとどまることはない。誤魔化しようもない、紛れもない冬がやってきたのだ。十二月の初頭。特に違和感を感じる時期でもなかった。旅空にも初雪は降るのだ。

 世界一周などということをしていると、整然とラインの引かれたコースの上をでたらめに走り、季節と鬼ごっこをしているような気分になる。半袖でも汗ばむような気候の翌日に、荷物の奥底から冬物の厚着を引っ張り出したくなるようなことだってある。たとえば、香港から西安へ移動した日がそうだった。ルートによっては、冬の次に夏が来て、そのあと再び冬が来るようなことだって有り得る。一年に何度も、初雪を体験することになるのだ。四季を謳歌できる日本の気候がいかに恵まれたものなのかということがよくわかる。

 でも、たとえそんなふうに季節が秩序を失ってしまったとしても、やはり初雪は特別だ。軽くて汚れのない、圧倒的な支配。この街の得体の知れない陰鬱さを覆い隠してくれればいいのに、などと思ってみたくもなる。

 この街の不気味さを際立たせているのが、いたるところで見ることのできるモノクロの顔写真入りの張り紙だ。こうしたものはふつう、尋ね人か、もしくは指名手配と相場が決まっている。けれども、ブルガリアのそれはどちらでもない。これは亡くなった人を悼むための、言わば死亡広告だ。名前と命日、享年に加えて、何かしらの文が書かれている。たぶん生前の功績なりを説明しているのだろう。

 悼む気持ちはわかるけれど、それにしても、アパートの門扉から街路樹まで、あらゆるところにそれが打ち付けられてあるものだから、それがあたりの空気をとても重く不吉なものに変えてしまっている。年配の人ばかりでなく、中には二十歳そこそこで亡くなった人のものも珍しくなかったりするから、余計に気分は重たくなってしまう。インタビューを通じて知り合った地元の若者もとても不気味だと洩らしていた。

 それにしても、この呪わしさの感触はどことなくキリスト教的だ。こんなところで感じるのも妙なものだけれど、ヨーロッパに入ったのだと改めて実感する。街なかの広場のようなところでは、大きなクリスマスツリーを目にすることもできた。そう、もはやクリスマスは目前に迫っているのだ。


 街の空気はともかくとして、人との出会いは温かく、食事はとても美味しかった。そんな思いだけを残すべく反芻しながらトラムに乗っていると、またもや憂鬱な出来事が起こる。ここのトラムにはしょっちゅう係員の老人が乗ってきて、何かと難癖をつけては罰金を毟り取ろうとするのだ。こちらはきちんと料金を払っているというのに。

 停車場で降りても係員の老人はついてくる。だんだん彼が、強欲なスクルージ爺さんのように見えてくる。パスポートがどうした、ポリスがどうしたとわめき続ける彼を無視して、再びのバスターミナルへと荷物を引きずる。足跡はすぐに、降り積もる雪にかき消されてしまうことだろう。スクルージは追って来られない。

〈続〉

文・金沢寿太郎

アフタートーク【ロケット逆噴射】016

スガ
今朝はノリノリだね。

寿太郎
ファンクからロックンロールからいろいろかかっております。

スガ
ベルリンに着いたわけなんですけれども、ぼくは年末年始もだったからベルリンは2度めで。前に泊まった宿でも、かけてる音楽がなかなかイカスな、ということが多かった。

寿太郎
俺は旧東ドイツ側は初めてだからいろいろ興味深いです。
ここの宿の1階のバースペースは、時間帯によって音楽も雰囲気も違いますね。今は割と落ち着いてる。日曜の午前なんて、騒がしい連中は二日酔いで寝てるだろうからね。

スガ
宿に着いたのは夜だったから、パーティーっぽい音楽がガンガンかかってて、これはちょっとキツい、と思ったけどそれだけでもない。時間帯とか担当してるスタッフとかによっては結構いいのかけるね。

寿太郎
まあ金曜の夜に着けば騒がしいよね。朝方なんかはいい感じの映画音楽かけてました。

スガ
音楽の引き出しが豊富な感じなのはさすがベルリン、なのかも。
で、今週はマリヤ。

寿太郎
マリヤ。なんだか実質3日間ぐらいの間に、いろいろと濃い取材をさせてもらいました。

スガ
そうか、取材してたのって3日くらいでしたか。怒涛の勢いだったからかすごく長かったように感じるけど。

寿太郎
レストランで会い、彼女の家に行き、実家に行った。3日だね。

スガ
マリヤ自身も個性的なキャラなのに、実家のスラヴァまで見せてもらったからね。濃かった。

寿太郎
ボリュームがありすぎるので、スラヴァについてはまた「空間と人」でやります。webにもこのメルマガにも書いたけれど。

スガ
うん。
マリヤはね、最初「大陸横断マラソンに同行してた子」とか聞いてたからなんかぼくは体育会系のノリの子だと想像してて。たしかにフットワークは軽いんだけど、意外と部屋とか見せてもらうと乙女な感じなんだよね。特に実家の方とか、ふつうにガーリー。

寿太郎
そうそう。あと音楽や読書が好きなあたり、文化系な感じもあるし。
なんというか、オールマイティーな感じがある。女の子っぽいし、活発で社交的だし、本も読めばダンスもする。

スガ
たしかに。友達多いはずですよ。

寿太郎
友達多いけど彼氏がいない、というあたりもなんだかそれっぽいね。

スガ
そうそう。話してるうちになんとなく、この子かわいいんだけどなーんか彼氏いなそう、と思ったらやっぱりいなかった。

寿太郎
モテるだろうにね。まあでも、そういうタイプの子はたまにいる気がするね。

スガ
うん、彼女のことを好きになる人と彼女が好きになる人がなかなか一致しなそうというか。勝手なイメージでアレだけど、なんでか恋に不器用な感じする。
そのへんの話、もうちょっと突っ込んで聞ければよかったな。

寿太郎
ふむ。そうですね
それにしても、よく考えるとたぶん彼女は初めて、がっつりと戦争を体験したインタビュイーだったかもしれない。けっこうあっけらかんと話してくれるんだけど、考えてみればかなり凄まじい体験をしてる。親しい人が亡くなってないのは幸いだったのだろうけれど。

スガ
住んでた家のガラスが爆撃の衝撃でぜんぶ割れた、とかね。

寿太郎
トラウマ的なことは全然感じさせないけどね。でも国際問題みたいなことについて話す彼女の言葉には、やはり重みがあった。

スガ
壮絶な体験してる彼女があっけらかんと言う「仲良く」はね。たしかにぐっときた。

寿太郎
うん。また日本で会いたいですね。

スガ
あ、ひとつ忘れてたけど。さっきの「身近な人は亡くなってない」で思い出した。
このメールマガジンに、マリヤの横でお父さんが額入りの写真を掲げている写真がありますけれども。あれ、べつに彼女の妹とかじゃないからね。

寿太郎
そうそう、まるで遺影みたいに見えてしまうんだけど、あれは過去のマリヤ本人です。

スガ
なんか昔のマリヤの写真を嬉しそうに見せてくれて、そのままひとしきりマリヤが話す間、お父さんずっと掲げてたというw

寿太郎
完全にお父さん、あれをしまうタイミングを逸してましたね。隣に本人がいるのに、その写真を掲げて自慢し続けるというなんともおかしな状況に

スガ
いやほんと、かわいすぎるお父さんだった。
で、マリヤは「空間と人」のスラヴァでも出てくるかもしれないからこのへんで、ということにしまして。
今週からは時々、みなさまから頂いたおたよりの質問にこたえてみたいと思います。

寿太郎
ラジオみたいだ。

スガ
そう、リスナーからのお便りコーナー。つづくか分からないけどw
今週は東京・青山におつとめの、イスタンブールの絨毯王子・ジハンの恋人という日本人の方からのおたより。

寿太郎
びっくりしたね。ジハン経由でというわけでもなく、たまたま記事をみつけて連絡くださったんだよね。すごい偶然。

スガ
いやーそうそう、質問云々の前にこの方からのメールにものすごくびっくりしました。
去年の年末、寿太郎くんと別行動の時にいただいたメールだったんだけど、ホテルの個室でひとり「えええええええ!?」って声あげちゃって。
「ジハンの何人もいるという恋人のうちの、真剣になりたいひとりであることを祈ってます」って書いてたよw

寿太郎
言ってたね。やれやれ、まったくそのことを祈るばかりです、こちらも。で、質問の内容は。

スガ
前後の部分をのぞいて質問の部分だけ抜きますと、
「お二方は元々、お友達でいらしたのですか? 差し出がましい質問で恐縮ですが、旅費は貯金でやりくりしていらっしゃるのでしょうか。いつか、そんな旅行がしたいと思いつつ、、社会人八年目が早くも満了しようとしています。。。この企画自体、お二方のアイデアだと思いますが、そこまでに至る経緯に大変興味があります。」
ということでした。

寿太郎
じゃ順番に。まず最初のは、もう17年ぐらい友達ですね。中学高校が一緒だったので。

スガ
そんなにか。ふたりとも今年30歳になるところなので、とっくに人生の半分超えてるわ。

寿太郎
気持ち悪っ。まあ、そんな感じですね。で、次の質問。

スガ
や、まぁそこはBiotope Journal企画の経緯に関係してくるからもう少し話してもいいんじゃない。

寿太郎
ああ、じゃあ3つ目の質問と絡めて。

スガ
うん。えー、で、寿太郎くんとは高校の時にふたりでペア組んでちょっと文化祭とかいろいろやったりした時期がありまして。卒業してからはまぁ一年に数回飲むくらいだったけれども。

寿太郎
天文学的に昔の話だな。文化祭。2000年か。
ここ数年はまあ半年に一回ぐらいしか会ってなかったかな。

スガ
そうね、寿太郎くんは京都にいた時期も長かったし。

寿太郎
うん。でそんな風に、もう一昨年前か、年末に渋谷で飲んでたんですよね。

スガ
2011年の年末ね。最近どうしてんの、みたいなよくある振りをしたら、寿太郎くんが「来年から世界一周する」っていうからふーん、と。

寿太郎
そうそう、でノリで一緒に行くかと言ったら行くというので、へえ、そうかいという感じです。

スガ
よくわからないけど即答してしまったんだよ。「あー、いくかぁ? いくか。いきましょうか」みたいな感じで。あの時は中高時代の後輩の坪井くんがたまたま一緒にそこにいて、「ひとの人生が狂っていく瞬間を観ましたよ」とかうれしそうにしてたな。

寿太郎
www

スガ
まぁほぼ完全にノリといっていいんだけど、あとから考えてみても「や、あれはナイス判断」としか思えなかったから、やっぱり行くことにしました。

寿太郎
それでまあ、せっかく行くからには何かやりましょうとなったんですよね。

スガ
そうそう。ぼくは前職の仕事、そろそろ辞めて区切りをつけないと、とは思っていたんだけど。でもそれがちょうど面白い感じになってるところで。行くのはいいけど、今やめるんだったら、今より面白くないとやってられねーな、と。それで半年ちょっと色々考えて打ち合わせして、今みたいなことに。

寿太郎
ふむ。まあそういう感じですね。で、この企画のコンセプトとか細かい点は、以前メルマガでお話ししましたね。

スガ
そう、メルマガ第1号のアフタートークでも話したので、よろしければこちらでどうぞ。

寿太郎
はい。

スガ
で、お金はどうしてるのか、と。まぁ現時点までは貯金だよね。

寿太郎
今無収入状態ですからね。困ったことに。無収入なのにワーカホリック。
でも取材だのなんだの、ふつうの貧乏旅行よりたくさんお金がかかって結構キツイです、みたいな話はちらっと以前もメルマガでしましたね

スガ
ちらっと、ね。旅の予算としてはだいたい1年あたり120万円くらい、旅程的に1年4ヶ月だとして160万くらいを見込んでいたんだけど。それをけっこう上回っている、のかな。

寿太郎
ペースとしてはけっこうどころじゃなく上回ってます。宿とか相当節約しているけれど、それでも。しかも香港、トルコ、ヨーロッパなどが長いのが困りもの。ドイツの煙草の高さなんて絶望的ですね。

スガ
まぁ煙草は禁煙しろよ、っていう声が飛んできそうですけれどもw

寿太郎
禁煙したら一文字も書けなくなりそうです。まったく。

スガ
それはヤバいw にしても一番危惧しているのは途中で予算が切れて帰国しなくちゃいけなくなることで。

寿太郎
今のままだとすぐにでもなりそうです。

スガ
マジですか。えーとまぁそれは困るので、いま配信している画像つきのhtml版のメールマガジンは近々有料化しようと思っているわけです。沢山の人に読んでほしいというのもあるからテキストオンリーで無料版の発行も続けつつ、お金と気持ちに余裕のある人は、有料版を購読してもらえるとうれしいな、と。

寿太郎
ぜひともよろしくお願いいたします。それはもうほんとうに、よろしくお願いいたします。

スガ
土下座の勢いw
ちょっと今、金銭的な手続きの準備とかに手間取っているので、もう少ししたらあらためてお知らせします。

寿太郎
そうですね。また来週。

編集後記:退屈なしめくくり

今週はじまったアフタートークのおたよりコーナー、いきなり「ジハンの日本人の恋人」からなんて、できすぎですよね。嘘みたいな話だと思いますけど、でもほんとにメールをいただいたのだから驚きです。おたよりコーナーでは、皆さんからの質問や相談に、ふたりがつらつら話していきます。いただいたご質問は全力でひろってまいりますので、いつでも、お気軽にどうぞ!

それからBiotope JournalのWebサイトでは、記事が増えるにしたがって昔の記事を探しづらくなっていたのですが、先週、サイト左のナビゲーションを整理しました。すこし前に追加した地図と合わせて、取り上げた「人ごと」「都市ごと」「国ごと」に記事がすこし探しやすくなったと思うので、のぞいてみてくださいね。

ぼくは二度目のベルリン。寿太郎くんは煙草の値段が高いとぼやいていますが、宿から20メートルくらいのところに5ユーロくらいでわりとうまいインドカレーが食べられる店があったりして、このままだと通ってしまいそうです。またカレーかよ。カレー、好きなんですよ。

スガタカシ