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こんばんは。退屈ロケットのスガタカシです。今週はポーランドの首都、ワルシャワから。ワルシャワは料理の味付けやインテリアなんかのそこここに、日本にも通じる繊細さを感じる街なのですが、街を歩いているととても目につくのが寿司バー。海外で寿司なんてどうせ、と今まで敬遠して来たものの、ここまで盛大に展開されるとちょっと釣られてみてもいいかな…、なんてつい魔が差してしまったお話はまた今度。

さて、今週のBiotope Journalはブルガリアの首都、ソフィアから。隣国にもかかわらず、トルコとは気候も風景も、人々も食事も、何もかもすっかり変わったのがブルガリア。アートディレクター志望のイヴォの部屋に何泊か泊めてもらいながら、そこにつどう若者たちを、じっくり取材させてもらいました。

今週のメールマガジンもひきつづき、画像つき。Webとあわせて、どうぞお楽しみください!


Biotope Journal リポート #015|イナ

> Web "Biotope Journal" イナ編 ソフィア コミュニズムを知らない子どもたち

東欧のしかも東側、トルコに接する場所にあるのがブルガリアだ。日本人にとっては馴染みの薄いこの国。正しい位置を正確に地図上で示すことのできる人は、そう多くないだろう。ブルガリアといって連想するものといえば、せいぜいヨーグルト、それに大相撲の琴欧洲といったところか。
実はブルガリアは、ヨーロッパ最貧国のひとつに数えられている。2007年にはEUにも加盟しているのだが、その経済状態はいまだかんばしくない。米調査会社による「生活苦難度」調査(市民の体感についてのアンケート)によれば、ブルガリアの数値はなんと世界最悪の45%だ*。むろんこれは、ただ貧しいということを示すのではなく(より貧しい国はアジアにもアフリカにも多くある)、市民が苦難を感じているという情緒的な面を示している。

この事実を知ったのはブルガリアを後にしてからのことだったけれど、それも頷けるものだった。ソフィアの街は、首都とはとても思えないほど活気がなく、歩いているだけで心ふたぐような街。到着したまさにその日から雪がちらつき始めたことも、それに拍車をかける。街の中心に行けばお洒落な通りも目にすることはできるけれど、どうにも人通りが少ない。ひとりひとりには親切な人が多いけれど、底抜けの明るさというようなものとは無縁な感じだ。食べ物も美味しいのに、歴史ある街並みは美しいのに*、なんだかもったいないような気分になる。

それでも、心に情熱を秘めて、未来に希望を指差している、活力ある若者はいるものだ。静かな街並みの、とてもわかりにくい場所にある、センスのいい隠れ家のようなカフェ・バー*(写真上)で出会ったのは、イヴォという大学生の青年。広告を学ぶ傍ら、アートに関心があり、自ら活動をしている。家には部屋が余っているから泊めてくれ、そのうえ友達の女の子をインタビューのために紹介してくれるという。低い声でぼそぼそと喋り、どちらかというと人相の悪い部類に入る彼は、けれども温かいナイスガイだ。

仲間たちの部屋

宿を引き払ってさっそく向かったイヴォの部屋は、共産主義時代から残るような無骨なアパート(写真右)の1階。でもその内装は綺麗にリフォームされていて、便利なシステム・キッチンまでついている。なるほど、この3LDKは確かに彼ひとりには広すぎる。何故こんなところに、ひとり暮らしをしているのだろう?
実はこの家は、彼の家族のもの。けれども両親は、なんと6年前にオーストリアに移住してしまったのだ。だからイヴォは今まで親戚の家に世話になっていて、この家は人に貸している状態だった。そして彼は3ヶ月前にここに帰ってきて、今はルームメイトを探しているところというわけだ。

彼の両親だけでなく、多くの人がこの国を諦めて他の場所へ出て行ってしまう。それほど、生活者にとってブルガリアの状況は厳しい。国に経済力がなく、職は乏しい。そして彼によれば、政府は無能でなんの対策もとれない。それどころか、汚いやりかたで一部の者が富を独占している。「でも俺は、ブルガリアで暮らしたい。出て行きたいとは思わないんだ」とイヴォ。

ともかく、そんな事情で実質的にイヴォ(写真右)のものになったこの部屋は、たちまち彼の仲間たちにとっての大切な場所になった。男女を問わず、毎日4人も5人も仲間たちがやってきて、一緒に夕飯をとったり、とりとめのない雑談をしたり、お酒を飲んだりする。まるでたまり場だけど、イヴォにはそれが嬉しい。

その中にいたのが、デザインを専門に勉強しているイナという女の子だ。この近くに住んでいて、イヴォの部屋をアトリエとして使わせてもらってもいる。少し背が低くて、シャイなのだけどそのシャイさを率直に表現してくれるタイプの、明るくてフレンドリーな女の子。インタビューを申し込むと、喜んで協力してくれるという。

イナが生まれたのは1991年。ブルガリアにとっては激動の時代だ。というのも、1989年から1991年にかけて共産主義政権が倒れ、民主化されたからだ。もちろんこれは、ソビエト連邦の崩壊と連動している。

つまり、イナやここに集まる同世代の若者たちは、共産主義以降の最初の世代、ということになる。彼女たちはまさに、自由化された社会に外国の文化が一気に流れ込むなかで、それに大きな刺激を受けながらともに育ってきた。とりわけ強かったのは、アメリカ文化だ。イナは小さいころから、放送が解禁されて間もないアメリカン・コミックのアニメーションに夢中だった。グリーン・ランタン*、バットマン*。デザインを専門的に勉強するようになって、彼女は自らアメコミ風の作品を創るようにもなった。

でも、彼女のアートの素地を作ったのは、むしろ伝統的な芸術だった。10歳のころから、学校ではアートを専門に学ぶコースで基礎を身につけた。この地域ならではの、イコンを描くなどといった教会での仕事の技法も教わった。伝統的なアーティストのなかでのお気に入りをたずねると、ダリ*だとかレンブラント*といった名前が出てくる。

けれども、彼女にもっとも大きな影響を与えたのは、同じくアートを志していた父親だった。伝統的な技法で、主に油絵で風景や静物を描いていた父親は、彼女に描き方の基本を教えてくれた。イナはそんな父親のことを、心から尊敬している。

彼は今も描き続けているわけではない。正確に言えば、仕事としてアートを志すのをやめてしまったのだ。それはちょうど、イナが生まれたころのことだった。その理由を、イナははっきりと聞かされたわけではない。でも推測するのは容易なことだ。共産主義の社会が終わりを告げ、競争が始まるなかで、父親は安定した仕事をする必要があった。まして娘が生まれたのだ。家族を守らなければならない。

そんな話をするとき、イナは少しだけ悲しそうな表情を見せる。彼女の感情はいつも、率直に表れるのだ。でもひと世代ぶんの年月を経て、娘もやはりアートを志す。悲しいことに、社会が昔にくらべて豊かになっているとは、とうてい言えない。アートにかかわる仕事を探すのも難しい。イヴォとは違い、イナは外国に職を見つけて働くことを考えている。少なくとも外国に飛び出していける自由はあるのだ。お父さんのぶんまで、という気持ちが、彼女にあるのかないのかはわからないけれど。

深夜のクルーたち

もちろんイナも含めて、イヴォの部屋に集まる仲間たちにはアート志向が強い。特に男たちは、ある"クルー"を結成している。それはグラフィティ・アート*のためのチーム。彼らは深夜に街に繰り出していって、スプレーなんかを使ってそこらの壁に絵を描くのだ。これは彼らにとってもっとも大切な表現手段だし、もしかすると彼らの絆を繋ぐ象徴のようなものなのかもしれない。

仲間たちの誰に聞いても、ブルガリアの社会や政府を肯定的に語るものはいない。彼らは皆一様に、強烈な不満を抱いている。政府に、権力者たちに、そしてそいつらに騙され続けている、感性の鈍い大人の世代の人びとに。いつまでも貧しいままで人びとが不幸せそうな社会状況への疑問は、幼い頃から彼らが成長してくるにしたがって、やがて反抗心となった。その過程で彼らが接してきたのは、アメリカなどを中心とするストリート・カルチャーだ。そのなかにグラフィティ・アートもあった。1996年ごろには、ソフィアの街中にもグラフィティ・アートが見られるようになる。それは、まるで彼らのためにあるような表現手段だった。

でももちろん、こんな活動には危険がともなう。ときには足場の悪い高い場所によじ登らなければならない。それになにしろ、ごく基本的なことだけれど、これは違法行為になることもある。慎重に、用意周到にことを運んでも、警官との追いかけっこになることはざらだ。だから彼らは、男たちだけで出かけていく。
イナももちろん、こんなアートは大好きだ。でも、ついて行くことはしない。「夜中の時間は私には遅すぎるし、それに、足が遅いからみんなについていけなくて、すぐに捕まっちゃうわ!」と笑う。彼女はとびきりの笑顔で語ってくれる。でも、クルーの一員である恋人のことを心配して落ち着かない夜を過ごすこともきっとあるのだろう。

ふたりの明日

気軽に間借りのできるアトリエとして、仲間たちとの親密な場として、ということ以外に、このイヴォの部屋はイナにとって大きな意味がある。ここは、彼女が恋人のニノ(写真右 ニノ提供)と出会った場所なのだ。何年か前*に、まだイヴォが家族とここに暮らしていたとき、それぞれ別々のイヴォの友人として、たまたまふたりは出会った。イヴォはふたりのキューピッドというわけだ。彼の人相は、まるでキューピッドらしくないけれど。

イナも恋人のニノも共通して大好きなのが、イギリスのバンドThe Prodigy*だ。彼女のほうは特に、ほとんど熱狂的と言っていいぐらいで、近所でライブがあれば、お金と時間の許す限り必ず出かけていく。「近所で」といっても、ソフィアの市内だけというわけじゃない。「近くの国で」ということだ。ルーマニア、セルビア、それにギリシア。インタビューの翌週には、ロンドン行きを計画しているということだった。その話をするとき、彼女は飛び上がりそうに(というよりも、実際にぴょんぴょんと跳ねて見せさえした)興奮している。

大好きなバンドの地元凱旋ライブに、恋人と一緒にはるばる参加すること。けれども、それだけが彼女をわくわくさせる理由ではない。ロンドンに行くことは、未来を見に行くことなのだ。ここが将来暮らすにふさわしい場所なのかどうか。ニノとイナは、いよいよそんなことを真剣に考え始めている。

ロンドンや、かつて訪れたことのあるニューヨークの話をするときの、わくわくしてたまらないという彼女の表情。けれども同時に、未来の話をするときには、不安でたまらないという表情も彼女は見せる。手に負えないほどの希望と不安に挟まれながら生きていくことは、きっとどこの国の若者も持っている共通の特権だろう。でも彼女たちのそれは、なんだか特に切実だ。たぶんそれは、何もかもが不確かに揺れ動き続ける、とても弱々しい社会の中で育ってきたからかもしれない。だから彼らは証が欲しい。だから彼らは、生きることへの手応えを感じられる、タフな社会に暮らしたい。

ベタベタしすぎることもなく、他の者まで嬉しい気持ちにさせるような親密な空気を、ごく自然にたたえているニノとイナ。ふたりの姿を見ていると、きっと大丈夫だよと励ましてあげたくなる。そんな無責任なことを、声に出しては言えなかったけれど。

文・金沢寿太郎

今週の参照リスト

《登場人物の個人サイト》
◆ イナ
deviantart - portfolio

◆ ニノ
flickr - photo

◆ イヴォ
Mr.Begemoto - blog

《脚注》
◆ 生活苦難度
米「GALLUP」社による2012年の調査。
> 参照

◆ ソフィアの歴史
ブルガリアの首都。古代トラキア人の集落に始まる、ヨーロッパ最古の街のひとつ。イスタンブル同様、ある時期にはビザンツ帝国、ある時期にはオスマン朝と、支配する勢力が歴史とともに大きく変わってきた。市内の歴史ある聖堂などではフレスコ画も見ることができる。

◆ カフェ・バー「Apartment」
イヴォが「ソフィアでいちばん好きな場所」というのがここ。ふつうのマンションを改装したようなつくりで、ソファなどが設置され、くつろいだ雰囲気。恋人たちの姿も多く見られた。
> Facebookページ

◆ グリーン・ランタン
1940年デビューの、アメコミ黎明期から人気を誇るスーパーヒーロー。正体である人物はシリーズごとに変わり、2013年現在は5代目。なお2011年には実写映画が公開された。

◆ バットマン
こちらはお馴染み、アメコミの代表的なスーパーヒーロー。初登場はグリーン・ランタンより一年早い1939年。日本ではどちらかというと実写映画版の印象が強い。「ダークナイト・トリロジー」三部作は、2012年の「ダークナイト・ライジング」公開をもって完結した。

◆ ダリ
シュルレアリスムを代表するひとりで、20世紀、スペインの画家。記憶の固執(柔らかい時計)などは特によく知られる。この時期、ソフィアでもギャラリーでの展示が行われていた。
>ギャラリーサイト

◆ レンブラント
17世紀を代表するオランダの画家。明暗を強調する独特の技法で、数々の作品を残した。油絵のみでなく銅版画など、幅広い創作を行った。歴史の教科書にも登場する「夜警」などは特に有名。

◆ グラフィティ・アート
広義では、スプレーなどを使い壁に書かれた落書きを指す。1970年代にニューヨークで始まったこの創作は、1980年代になり前衛芸術と見なされ始めた。特にキース・ヘリングなどの活動がこれを広く知らしめた。公共物の壁に落書きをする違法なものもあれば、定められた壁に描く合法的なものもある。イヴォらも、依頼を受けて仕事として描いたこともあるという。「個人宅などに描いてはならない」などの暗黙の了解があるとされるが、描き手のモラルの低下により社会問題となる場合もある。

◆ 何年か前
彼氏のニノによれば「8年前」だが、イナは強硬に「6年前よ」と訂正する。彼はすぐに引き下がり、イナの意見が採用された。実際にどうだったのかはわからない。

◆ The Prodigy
1990年結成のイギリスのバンド。レイヴ・カルチャーを素地として、エレクトロニカ・テクノを軸に、パンクなど様々な要素を取り込んで独特の世界を作り上げた。日本のレイヴ・イベントやフジロック・フェスティバルなどにも登場している。
>Youtube


旅日記【ロケットの窓際】015 アジアの名残りと世界の終わり

 見て見ぬふりをしていたことがあった。いつの間にかヨーロッパ側に入ってしまっている、という事実だ。避けようもない。ウズベキスタンからひとっ飛び……とはいかなかったけれど、降り立ったイスタンブルの空港はすでにボスフォラス海峡のヨーロッパ側。旅してきたアジアを感慨とともに振り返ることなどできなかった。

 それを取り戻そうというわけではないけれど、イスタンブルを拠点に少しだけ東に引き返し、トルコの内陸部を見て回った。カッパドキアにパムッカレ。典型的な観光地だ。それも悪くない。多くの個性的な人びととの出会いもあった。

 もうすぐ世界が終わるらしい――という話を聞いたのは、イスタンブルの旅行代理店でのことだった。聞けば、古代マヤ暦のカレンダーが、 2012年12 月21日で終わっているのだということ。これを世界の終わりを示す予言だとして、そんな話が世界に広まっているのだという。

 もちろん、大多数の人はそんなことを本気にしてはいない。でも世界には何箇所か世界の終わりをやり過ごせる場所があって、そこに人びとが殺到しているのだという。たとえばフランスにそんな場所がある。そしてトルコにもあるのだという。このオフシーズンに、その場所でだけあらゆるホテルが満室なのだと、旅行社の青年は苦笑いをしながら教えてくれた。

 もっとも、そんな人びとですら、多くは世界が終わるなどということを信じてはいないだろう。ただ何かにかこつけて、騒ぎたいだけなのだ。別に悪いこととは思わない。あるいは彼らは、世の無常さを楽しみながら再確認してみたいだけなのかもしれない。それとも、人は誰しも、滅びゆくことへの、どす黒くて抗しがたいあこがれのようなものを持っているのかもしれない。

 もしも世界が終わってしまったとして、しかもそれをやり過ごすことができたとしたら、それはどんな気分がすることなのだろう。そう考えたのは、パムッカレの古代ローマ遺跡を歩いているときのことだった。死に絶えた街は、ただその巨大な規模だけをわかりやすく残していて、かつての繁栄の名残りを、ただ訪れる者の想像力にだけ任せている。保養のための温泉地のすぐ脇には、墓所の遺跡が広い範囲に残っている。温泉の効用も及ばずに、ついには回復することなく亡くなってしまった無数の人びとが葬られた場所だ。彼らの世界は、まさにここで終わっていったのだ。ローマ帝国の興亡も、イスラム勢力の侵入も、ましてやマヤ暦のカレンダーとも関係なく、ただ無数の世界がそれぞれに、ここで静かに終わっていった。

 旅をしていると、そんな命の有限性についての考えがしばしば頭の中を支配する。初めての景色、初めて会う人、初めての経験。それらはすべて、同時に人生最後のこととなるかもしれないのだ。今までに訪れた国々のなかで、もう一生足を踏み入れることのない国も、きっとあることだろう。考えてみれば、日本にいたって同じようなことはある。たとえばあなたが Facebookに登録している数十人や数百人の「友達」のなかには、これから二度と顔を合わせることのない人もきっといる。

 そんなことを考えて、べつに悲しいわけでも、虚しいわけでもないけれど、ただざわざわとして落ち着かない気持ちになる。そんな気持ちは、たとえば僕を旅に駆り立てる動機にだってなる。けれどもそれが、旅をすることが、ただ「人生最後の何か」を増やしていくだけにすぎないことなのだとしたら。堂々巡りの考えは、どこへもたどり着くことはない。


 昼間と夜のあいまいな境を夕暮れ時と呼ぶのだとすれば、ボスフォラス海峡の夕暮れは世界でも格別なもののひとつだろう。アジアは夜で、ヨーロッパはまだ昼間だというつかの間の時間がある。そんな中を船に揺られていると、ほんの一瞬だけ、自分が夕暮れそのものになってしまったような気分になる。自分自身が世界を覆いつくし、染め上げてしまえるような気分。でもそれはすぐに消えてしまう。あっという間に夜がやってきて、すべての風をあっさりと冷やしてしまう。どうして夕暮れの後には、いつも夜がやってくるのだろう。

 柵にもたれて海面を眺め、潮の匂いを感じながら、行き交う大小の船の灯りをぼんやりと眺める。夜の海は距離感がつかみにくい。船の速度はさまざまで、灯りの明るさも様々だ。目の焦点がきちんと合わない。それに任せて、とりとめのないことを考える。いったいそんなに往来して、船はなにを運んでいるというのだろう。あちらからこちらへと何かが動いても、世界はほとんどなにも変わらないというのに。たとえば物好きな日本人がはるばるトルコにやってきたとしても、地球はそんなことにまったく関心を向けてはいないというのに。

 それで結構、僕も世界の終わりなんかには関心などない。ただ、いつか終わってしまう自分の世界に、いくらかの関心があるだけだ。それは 12月21 日を過ぎたとしても、おそらくは続いているはずのこと。同じように旅のなか、ブルガリアか、セルビアか、それともハンガリーか。ともかく、そろそろ次の国へ向かう頃合だった。

〈続〉

文・金沢寿太郎


アフタートーク【ロケット逆噴射】015

スガ
トルコ編が終わって、今週から東欧ですよ。じわじわ僕たちのいるところに迫ってきている。

寿太郎
それは記事がジリ貧ということを意味するのではw

スガ
そうだねぇ。
まぁでも、ちょっとタイムラグありすぎというところもあったから。
やってる身としてはハラハラするところがあるけれども。

寿太郎
ま、そうですね。季節も同じ冬ですし、タイムラグは小さくなってきたか。
しかし、ポーランドから3号めのメルマガかな。ちょっと長いねポーランド。

スガ
あー、まぁ先週みたいに「空間と人」があると動けないからねぇ。
ぼくはポーランドは気になる国のうちのひとつだったから、じつはそんなに嫌ではないんだけど。

寿太郎
なんかそんなこと言ってましたね。いや、俺も東欧は興味という意味ではとても楽しみにしてたので。

スガ
「興味という意味では」ってどういう?

寿太郎
ん、ふつうにとても興味があって、見て回ってみたかった、ということ。ただ、最近は旅のバイオリズム的な意味で、ちょっと早めにヨーロッパ出たいなあ、という気もしているので。
べつに東欧嫌いとか興味ないわけではなくて。

スガ
まぁぼくも冬の東欧がここまで天気悪いというのは想像以上だったけれども。
どっちみちあと1ヶ月ちょっとでEU圏にいれなくなるからね。

寿太郎
シェンゲン協定の問題でね。色々計算が難しいですね
ブルガリア入国したのが12月の頭。そこからおおまかに90日しかいられないのかな。今回はその頃の話ですね。

スガ
そうそう、ソフィアのイナ。ソフィアでイヴォと出会った時はね、けっこう興奮しましたよ。

寿太郎
ほう。

スガ
いやだって、今までの中でもかなり「偶然出会えた感」が大きかったじゃない。
これはいいかんじのとこだなぁ、っていうバーで、なんとなく喫煙スペースに行って、そしたらなんかいい顔した奴がいるぞ、と。

寿太郎
そうだね。なかなか喫煙スペースから戻ってこないからどうしたのかと思ったら。
イヴォと、ボビーがいたのかな。ボビーもクルーの仲間で。

スガ
そうイヴォとボビー。
このへんに住んでるのか、とか、ここはいい店だね、とか話してただけだと思うけど、ちょっとしたらすぐ「うちに泊まりにこいよ」と。

寿太郎
顔に似合わず親切な男。

スガ
顔はコワモテなんだよなぁ。イヴォって何歳だっけ。

寿太郎
21か22ぐらいじゃなかったか。イナの1個上だとしたらたぶんそうだ。

スガ
まったくそんな年下にみえないw
イヴォは親切、というのもあるんだけど、家に誰かがいるのが好きなんだよねたぶん。

寿太郎
そうだね。だからああいう風ににぎやかになる。

スガ
うん、ぼくらが泊まってるあいだも毎日誰かしらいたからね。ボビーとか宿題してるだけだった時もあった。

寿太郎
宿題ね。大学生だからね。しかも全然進んでなくて困ってたw

スガ
Macがすぐに強制終了しちゃうとかw
ところで今回もイナの部屋じゃなく、イナがしょっちゅう来ているイヴォの部屋を撮らしてもらったじゃない。イナの部屋は弟とふたりで使っててごちゃごちゃすぎるからちょっと…、という話で。そうか残念、ということだったんだけれども。
さっきぐうぜんFacebookで弟の写真みたら全然想像とちがって…コワモテガチムチガイ。

寿太郎
「いかちー」感じでしたね。

スガ
イナがちっちゃくてかわいい感じだからね。あれはびっくりした。

寿太郎
でもイナもあんな感じのキャラでかわいらしいけど、背中にガッツリタトゥー入ってるというし、そういう意味では隠れコワモテかもw

スガ
そうそう、サムライタトゥー。
「サムライが守ってくれるの」みたいなかわいいことを言っていたけれども、でもそう。トルコからソフィアに行って、一番変わったことのひとつがやっぱり人で。
顔つきとかファッションとかもぜんぜん違うんだけど、キャラというかな
うーん顔つきとかキャラとか風貌とかもぜんぶ含めて、いちいち迫力があるというか、絵になるんだよね。

寿太郎
まず、宗教が変わったことがけっこう大きい気がするね。イスラム教から、キリスト教。
平たく言うと、キリスト教圏西欧風のキャラとか雰囲気になってきたと。

スガ
キリスト教圏西欧風のキャラw 平たく言うとって、それはどういうことですか。

寿太郎
いやなんか日本人が想像する典型的欧米ノリみたいなこと。まあ、けっこうそういうステレオタイプのまんまな部分はあるかと思う。

スガ
うーん? それで言うとイスラムキャラの典型はどういうことになるの。

寿太郎
イスラムキャラの典型みたいなものは、あんまり日本人の意識にない気がするよ。
ただ欧米風のノリの典型みたいなものは、ハリウッド映画の雰囲気とかからみんな漠然と持ってると思う。たとえばジョークの言い方ひとつにしても。ブルガリアに入った時点で、そういうのに結構近づいたな、ということ。

スガ
ああなるほどね、ハリウッド。たしかにブルガリアはとくに。今週のWebとかメルマガでも描いてるけど、アメリカの影響はかなり大きい感じ。

寿太郎
そうだねえ。「アメリカン・ドリーム」がまだしっかり夢見るべきものとしてあるのにちょっと驚いた。

スガ
ニューヨークで一旗揚げるっていうね。ソフィアはほんとに嫌われていたなぁ。
こないだもイナに「いまはソフィアにいるの?」ってメッセージを送ったら、"here is shit"ってかえってきてw

寿太郎
ロンドンから帰ってきて、ああやっぱりここはクソだとw

スガ
そうそう。それにしても shit かよ、そうとう嫌なんだなぁ、と。

寿太郎
でも語弊がありそうなところだけれど、彼らは郷土愛自体は強いと思いますよ。たとえば伝統的なハンドメイドのジャムなんか勧めてもらって、美味しいとほめるととても誇らしげだったりね。
ただあの街がというか、とにかく政府が嫌いなんだよね。社会そのものと言ってもいいけど。

スガ
それはそうだね。でもそれもけっこう個人差がある気がして、「嫌なところはたくさんあるけどここに留まりたい」って言ってるイヴォと、海外に出たいと思っているイナでは意識がすこしちがう気もしてて。

寿太郎
そうそう。
それは今日の記事でも書いたけど、けっこう面白いとこだね。まあ若者全員出て行っちゃったらあの国滅んじゃうけれどw

スガ
うん。あと謎だったのがイヴォが言ってた「ブルガリアの老人は頭がおかしくなる」という話で。比喩的に言っているのかと思ってたんだけど、イヴォと街かどでひと休みしてた時に突然おばあさんがすぐ目の前にやってきて、ひとしきり、三分くらいかな。ぼくら2人にむけて歌い上げたということがあって。
なんかブルガリアの民謡的なものだったと思うんだけど、おばあさんすごくにこやかに楽しそうに歌うわけ。

寿太郎
ふむ。

スガ
最初はにこにこして応じてたイヴォも、歌がなかなか終わらなくて、途中からこれはヤバい、という顔になって逃げ出したんだけど。お年寄りがみんなああなるとしたら恐ろしいことだよ。

寿太郎
まあそんなことは普通に考えてありえないことだけどね。でもボケが早いとか、そういう傾向はあるのかもしれない。なにしろあれだけ陰鬱な街だからね。

スガ
体制とか文化の急激な変化についていけなくなって、おかしくなる人がいるのかと思ったんだよね。まぁちょっとわからないけど。

寿太郎
実際「生活苦難度」は高いみたいだし。若者がふつうに、この国を何とかしていこうというのではなく、国を見捨てて外国に行ってしまうというのは、けっこう心配になるよ。この国もうだめなんじゃないかと。

スガ
でもそれなー、日本も他人ごとじゃないんじゃないのと思ったり。

寿太郎
日本だってそういう傾向はあるけど、そもそも経済規模とかが違うから。一緒にしたら怒られるレベルにブルガリアはヤバい感じと思うよね。

スガ
そうですね。また来週。


編集後記:退屈なしめくくり

なかなかに陰鬱な雰囲気だったソフィアですけれども、それだけに、例えば今回紹介したカフェ・バーとか、街の食堂で出てきた異常においしいチキンスープとか、イヴォやイナの仲間たちのあたたかさとか、そういうもののありがたさが、ぐっと身にしみる街でもありました。派手な観光スポットとかはあまり多くないし、日本からだと直行便もないようだけど、イスタンブールからは目と鼻の先。夏はとても気候がいいみたいだし物価もイスタンブールより安いので、機会があったらまた、イナやイヴォ、ニノたちとチキンスープに、再会したいと思っています。

さて、退屈ロケットは時々、メールやメッセージでお便りをいただくことがあります(ほんとうに、ありがとうございます)。そしてその中でいただく質問は、アフタートーク向き?と思うこともしばしば。というわけで、来週あたりから時々、アフタートークには皆さまからいただいた質問や話題をおりまぜていきたいと思います。「2人はふだん、○○はどうしてるの?」とか「○○についてどう思う?」とか、退屈ロケットに答えてほしい質問やお題を思いついたらぜひ、お送りくださいませ。

冒頭、ワルシャワは日本人好みの料理やインテリアが…、なんて書きましたが、もうひとつ気になっているのは、街にずいぶん小さな書店が多いこと。ここはワルシャワ大学が近いせいか、小さな書店がとても多くて、なにか日本とは違う本の文化がありそうです。

ヨーロッパにいられる期限も終りが見えてきてしまったので、来週あたりはふたたび西へ! ぼくはポーランド餃子でもたべに、行ってきます。

スガタカシ