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こんばんは。退屈ロケットのスガタカシです。先週はポーランドのクラクフでしたがなんと…本日も変わらずクラクフから! 今週のように「空間と人」の更新がある週は、どうしても原稿や写真の作業が山盛りになってしまうので、クラクフのご飯が美味しいのと物価が安いことを幸いに、すっかり根をはやしてるひきこもりトラベラーです。

今週のBiotope Journalは「空間と人」トルコ編! ことの成り行きで今までにないほどしっかり観光してしまったトルコ。自分で言うのもなんですが、なかなか見応えのある光景を写真におさめることができました。

今週のメールマガジンもひきつづき、画像つき。今回の、食、観光・移動、くらしの3テーマで、Webでは伝えきれなかったトルコをお伝えします!


Biotope Journal リポート #014|空間と人 - トルコ

食べたいトルコ

> EAT in Turkey - トルコで食べる

トルコではたしかに、お酒はあらゆるところで飲むことができる。外国人向けであることを意識しなければいけない観光地などではなおさらだ。けれども、やっぱり少しはイスラムの制限を感じることはある。たとえば、レストランでお酒を注文することはできるけれど、その場合人目に触れるテラスではなく、室内の席に座らなければいけない、ということ。ウズベキスタンでも似たようなことがあったけれど、トルコの場合、べつに後ろめたい雰囲気はまったくない。ゆるやかな不文律のようになっているのだろう。

トルコの繁華街には、屋台がたくさん出ている。どこでもよく見るのは、焼き栗や焼きとうもろこし。その場所ならではのものもある。たとえば海の近くでは、ウェブ記事でも扱ったサバサンドだとか。それから、「ドルマ」と呼ばれるものもおいしい。これはムール貝に炊き込みご飯を詰めたもので、レモンを絞って食べる。1個単位で気軽に買うことができて、道ゆく若い女性たちもひとつ、またひとつと買ってはその場でほおばっていた。

トルコの代表的な料理もだいたい経験してしまったあとでは、キレミット・ケバブと呼ばれるものをよく食べた。これは鉄板に乗った、肉のトマト煮込みのようなもの。熱々で出てくるのが良い。ある店では外国人向けに、これを「チキン・ソテー」(もちろん鶏肉)「ミート・ソテー」(羊肉)と呼んでいた。2度ほど訪れて同じものを頼むと、それ以来店の前を通りかかるたびにウェイターに「チキンソテミートソテ!」と呼びかけられるハメになった。したがって僕らは彼を「チキンソテー・ミートソテー」と名づけた。恐らく彼のほうも、僕らを「チキンソテー・ミートソテー」と呼んでいたことだろう。

トルコではとにかく誰も彼もがチャイ(紅茶)を飲んでいるので、コーヒーが相対的に目立たなくなっているが、ターキッシュ・コーヒーというものもちゃんとある。小さな手鍋に細かく粉にしたコーヒー豆と砂糖を入れ、水を注いで沸騰させるというのが基本的なドリップ方法。オスマン帝国時代に広まったこともあり、現在のトルコのみならず当時の版図だった地域では今もこの方法がよく知られている。


行きたいトルコ(観光・移動)

> SIGHTSEEING in Turkey - トルコで観光
> TRANCEPORT in Turkey - トルコで移動

本文では移動手段としての乗り物について多く触れたけれど、基本の「徒歩」については触れることができなかった。イスタンブルあたりからヨーロッパに至るまで、特に古い歴史のある街で顕著なのは、古くからの石畳がそのまま残っていること。この問題点は、キャスターを転がしにくい、また転がすと強い負荷がかかるという点。キャスターつきスーツケースが昨今の主流だけれど、特に古い街を旅するときには、壊れにくい丈夫なものを選んだほうがいい。退屈ロケットはバックパッカーなので問題ないかと思いきや、バックパックの底にキャスターがついた形のもので普段から楽をしまくっているので、やはり石畳は移動しにくかった。

カッパドキアの宿泊地として知られているのが、洞窟ホテル。無数にある石灰質の洞窟をそのまま宿泊施設にしたもので、洞窟の中で寝泊りしているような気分を味わうことができる。バックパッカー向けの安宿にも、ドミトリー形式の洞窟ホテルは存在する。もっとも、もの珍しくはあるけれど暗くて狭苦しいので、あまり長く滞在する場所ではないように思うけれど。

また、そんなホテルに宿泊する人々の多くは、有名な気球ツアーに参加する。ほとんどのものは早朝に行われる。係の指示にしたがって10〜20人ほどがひとつの気球に乗り込むと、中央に陣取る操縦士が気球を高さ最高1000mにまで浮かび上がらせてくれる。ここからの奇岩群の眺めは絶景としか言いようがない。ただ問題は、悪天候による中止というケースが、特に冬場は非常に多いということ。また運よく飛んでも、曇りがちで景色が見えにくいという場合もある。気球を目的にカッパドキアを訪れる場合は、日程に余裕を持っておくのがよい。

パムッカレはのどかな田舎といった雰囲気の割に、しっかりした見どころが二つもある。ビロールの回に触れたとおり、ローマ時代の遺跡と石灰棚だ。ローマ時代の遺跡では、公衆浴場やコロッセオの名残りをはっきり見ることができ、僕らのような素人にでも、それがローマのものであることがすぐに理解できる。
石灰棚は自然に形成された、いわば石灰質プールの集合体。真っ白ないくつものプールに温泉水がたまり空を映して真っ青になっている光景は、まさに奇跡だ。ただ、周辺の開発によって、景観破壊が問題になってもいる。このため政府とユネスコは、ホテルを移転させたり温泉の水量を調整するなどの対策を取っている。実際に観光客が足を踏み入れることのできる場所は、現在、とても限られている。

イスタンブルで見られるモスクは、なにも有名なブルーモスクばかりではない。少し裏通りに入れば、大小のモスクを見つけることができる。これらの見学は、基本的には自由。ただし、一日五度のお祈りの時間には入ることができない。土足厳禁で、写真撮影の可否はモスクによって異なる。
中には、もともとキリスト教の建物であったものをモスクに改修したものもある。歴史のなかで様々な国の勢力下に置かれたイスタンブルらしい見どころだ。

文・金沢寿太郎

 


くらせるトルコ

今回はトルコのくらしを調べているうちに「清め」の意識がトルコのくらしの中で重要であることを知って書いたのが「PURIFY in Turkey - トルコで清潔」

赤い壁が印象的なこの部屋はジハンの友人が、ジハンから借りている部屋(ご本人もじつは、「FACE in Turkey - トルコの顔」で登場しています。赤い壁が目印。)。取材時に壁の塗装は自分で行ったというので感心したのだけど、調べてみると、どうもトルコではこれがふつうのよう。つまり、賃貸物件であってもクリーニングはおろか、内装工事もされないままに借主に引き渡されるということ。借り主は入居前にまず、内装業者に工事を発注するか、または友人・知人総出で内装工事を行わなければいけない。そういえば中国も、少なくとも数年前までは、同様の形式が主流。まだまだ各地で調べてみる必要があるけれど、一人暮らし用の物件が豊富で、部屋を借りればその日からもう暮らせてしまう日本の賃貸事情というのは、案外特殊なのかも。

今回は、「APPEAR in Turkey - トルコの表面」で、すこしテーマをかするだけでしたが、イスタンブルはアートもけっこう盛んな街。なにせ20年以上も1987年から2年に一度のアートの祭典、ビエンナーレが開催されているのです。市内にはいくつものギャラリーが点在し、「Istanbul Modern」では気軽に、イスラム圏の現代アートに触れることができます。

ふらっと立ち寄ったスルタンアフメット近くの洋書店で一番売れてる本、を聞いてみました。返ってきた返事は『PORTRAIT OF TURKISH FAMILY / Irfan Orga』と『Forty Rules Love / Elif Shafak』。Elif Shafakは西欧とトルコの伝統を織り交ぜた物語を書く、トルコを代表する女流小説家で『Forty Rules Love』は2011年刊行。一方の『PORTRAIT OF TURKISH FMILIY』はトルコの伝統的な家族のあり方の変化を描いた1950年刊行の書籍。西洋からの観光客が多くやってくる場所ならではのヒット商品。お店のスタッフのおすすめはトルコで人気の頓智者、ナスレッディン・ホジャのお話を集めた『ナスレッディン・ホジャ 202 小話集』日本語版。中を開くと、どこか懐かしいイラストと一緒に、昔のワープロ打ちそのままみたいな文字が並んでいました。

でも、これはあくまでも外国人向けの洋書店。トルコの人々は日本人よりずっと本を読まず、そのために本屋もずっと少ないということ。果たしてお宅へ伺った人々の家には一冊として本は見当たらず、町中でも、イスラム教関係の書店や本は見かけても、ふつうのトルコ人向け書店は、一度としてお目にかかることがありませんでした。

文・スガタカシ


旅日記【ロケットの窓際】014 イスタンブルでほっといて

 目覚めてもまだなお部屋は暗い。しっかりと錆びついてしまったたように重いまぶたを開いては閉じ、闇の違いを確かめる。わずかな灯りが部屋に差し込んでいることがわかる。ここは地下だ。申し訳程度の小窓が地上に向かって開いている。どうやら朝みたいだ。でもここはどこだろう。意識と景色がゆっくりと、横たえたままの体の正中線上に重なる。ここはイスタンブル。トルコだ。ここにたどり着いたのはわずか数時間前。まだ鈍い体が感じるそれより先に、時計の表示が寝不足を教える。それから空腹がやってくる。宿の自慢らしい屋上で、朝食が食べられることを思い出す。よろけながら階段を上る。

 愕然とした。目の前に広がるのは静かな海峡。どこまでも美しく濃い青の上を、大小の船たちが悠然と滑っている。空は美しく澄んで、ちぎれ雲は心地よさそうに、まどろむように浮いている。目の前には欧風の洒落た建物がぎっしりと並ぶ。その不揃いも欧風ならば、そのなだらかに統一された色合いも欧風だ。

 心の準備も感慨の予感もないままにいきなり現れたそんな景色に、呆然とすることしばし。ともかく用意された朝食にありつく。パンやシリアルも、サラミやチーズも、チーズにヨーグルト、そのうえ、ゆで卵や野菜に、フルーツまで食べ放題だ。数種の飲み物もある。少し高めだけれど、貧乏旅行者向けの宿だというのに。

 五感がそんな豊かさに追いつくまでには、朝食のあとでなおもゆっくりコーヒーを飲まなければならなかった。かもめだかウミネコだかが羽を広げて、悠然と旋回していく。ここはトルコだ、と改めて確認する。イスタンブルのヨーロッパ側。海の向こうに見える塊がアジア側だろうか。その形は、今の気分そのままにあいまいでぼんやりとしている。いったい、アジアはどこへ行ってしまったのだろう?


 飛行機での移動をなんとなく敬遠していたのは、こんな混乱を恐れたからだった。もちろん、悪いことばかりではない。一度心をリセットし、深呼吸して落ち着くためのいい機会にもなるのだけれど。

 劇的な変化は、なにもアジアからヨーロッパへ、というだけの話ではない。街そのものの雰囲気も、今までに経験したことのないものだった。ここはイスタンブルの旧市街、何から何までが観光地然としているのだ。観光地らしい場所といえば、今までには香港を経験した。でも香港では、地元の人びとの洗練された暮らしや、昔から続く妖しげな温い空気とそれが混濁し、同居していた。それに対してイスタンブルのこのあたりは、ただ観光だけを中心として何もかもが回っているような感じだ。ブルーモスクとアヤソフィアの間の広場には、観光客か、観光客向けの物売りか、観光バスか、はたまた観光客を狙った客引きや詐欺師、そればかりが溢れている。よくよく注意してみると、かなり頻繁に日本語が聞こえてくる。日本人観光客のものばかりでなく、彼らをターゲットに日本語を学んだ土産物屋のトルコ人たちも、よく日本語を喋る。

 美しく整えられたこの街にあって恥ずかしくないような、小ぎれいな格好でそこらを歩いている日本人たちを見ると、疲れを溜め込んだ顔つきで、砂漠の砂埃さえ払い落としきれないままの大きな荷物を引きずり歩き回っている自分が、だんだんと情けなく思えてくる。食べ物も美味いしなにもかも便利なのだけど、ぎくしゃくとした居心地の悪さは抜けない。

 そんなトルコでの暮らしに、僕を少しずつ馴染ませてくれたのは、人びととの対話だった。毎日毎日ハウスキーパーが繰り返す、「オハヨウ・ゲンキ?」のフレーズに、なんだかほっとするようになる。宿を同じくする旅行者たちとの情報交換も楽しい。

 そんなふうに暮らすうち、出歩く腰を重くさせる、あの憂鬱な客引きの嵐に対応するコツもわかってくる。無視しているといつまでも着いてくる場合があるから、ときには積極的に攻めて相手を諦めさせなければならない。「コニチハ、ニホンジンデスカ?」と来たら、すぐさま次のようにまくしたてるのだ。

「ノーカーペット、ノージュエリー、ノーレザー(革製品)! アイドントゴートゥユアファミリーズショップ!」

 こうすると、たいていの客引きは諦めて帰っていく。でも中には苦笑いをして、理由を聞いてくる者もいる。その場合には、立ち止まって理由を説明する。ここを通り抜けるだけで、最低五人には声をかけられるんだよ。彼らはひとしきり観光の話をしたあとで、親族が店をやってるから来てくれ、見るだけでいいから、と必ず言う。もう最初からわかってんだ。いちいち相手してられないよ、と大げさにため息をついてみせる。すると彼は、同情のこもった表情で笑い、よくわかるよ、とこちらの肩を叩いて去っていく。よくわかるのは当たり前だろう、おまえらがそれをやってるんだから。なんだか他人事のような彼の態度に、力ない笑いがこぼれてしまう。

 もちろん、中には誠実に商売をやっている者もいる。だけど、それを確かめるには時間がかかるし、心も体もかなり消耗してしまう。ひとりひとりの客引きに対してそれをやっている暇もないし、体力もない。だから、〈あの地区で声をかけてくる客引きは、皆まとめて悪徳だ〉ぐらいに断固決めつけて、自分のルールを作らなければいけない。これで街は、だいぶ歩きやすくなる。

 とはいえ、その過程で間違いなく何人かの誠実な者を冷たくあしらっているのだという事実は、僕の心を重たくさせる。でも、だからといって、どうしろというのだろう。詐欺をはたらく不届きな連中が元凶といえばそうなのだけれど、それだけにおっかぶせてしまうこともなんだか卑怯な気がする。

 これだから、観光地すぎる観光地って、好きになれない。ほっといてくれ、と一日に三百回も思わなければならないのだ。

〈続〉


アフタートーク【ロケット逆噴射】014

スガ
今週は空間と人、トルコだったわけですけれども。

寿太郎
はい

スガ
あ、ちょっとまって。その前にきみの旅行記、イスタンブルそんなに嫌だったんだ。

寿太郎
ん、イスタンブルの好きなところも書きましたよ。
ただウンザリポイントを強調してみたってだけのこと。嫌というか、やっぱりバックパッカー的な旅から出発してるので、俺の場合はああいうとこはけっこう居心地よくない感じがします。ひたすらツーリスティックだし。

スガ
なるほどねぇ。そのへんはやっぱり感じ方ぜんぜん違うんだなぁ、とあらためて思いましたよ。
「ツーリスティック」ってきみしょっちゅう言ってたもんね。ぼくはイスタンブルふつうに気に入ったもの。

寿太郎
イスタンブルというより、スルタンアフメット地区のあのあたりね。裏通りの人が普通に住んでるあたりとか、マーケットのあたりとか、そういうとこはとても好きですよ。

スガ
あー、あの客引きが多い広場。まぁあそこはね。

寿太郎
実質生活の中心があのあたりになってしまってたからね。

スガ
そりゃ客引きだらけで居心地がいいわけない。なんだ、そういうことか。

寿太郎
なんというのかな、街がつるつるピカピカしていて、外向きだけで、奥行きがないの。においがしない。再帰的にイスタンブル的にしようとてるけど、その実あのあたりにはイスタンブルがないんだ。極端な話。

スガ
スペクタクル的なイスタンブルだからね。

寿太郎
京都で言うと、修学旅行生が土産物買う店ばっかり並んでる新京極というアーケード街があるけれど、あんなところ歴史もへったくれもないからね。地元の人もよう行かん。というのと似てる感じ。

スガ
ほー

寿太郎
観光地にありがちな木刀ってあるでしょう。
箱根だとか、どこでもなぜか木刀売ってんの。あれいったいどういう意味なのかわけわかんないんだけど、スルタンアフメットのあのへんは木刀売っててもおかしくない感じしましたw

スガ
寿太郎くんはあそこの広場のところにうんざりしてたと。いやそれならまぁわかります。
そういううんざりポイントには敏感だしね寿太郎くん。

寿太郎
きみが鈍感なんじゃないですかね。

スガ
そう、ぼくはああいうとこはふーんで済ませちゃうから。鈍感なんですきっと。

寿太郎
うらやましいです 皮肉ではなく。

スガ
そうかもねぇ。いちいちうんざりできる寿太郎くんは律儀だなぁと思いますよ。
ちょっと誤読だったかもしれないけど、今回の旅日記は一読して、イスタンブルそんなに嫌だったのか! みたいな印象だったからつっこんでみました。

寿太郎
うん、まあ街の魅力とかそういうのはウェブとか他のとこで散々やってるから、旅行記はハプニングだとかトラブルとかウンザリ系に寄る感じありますね。そっちのほうがおもしろいかなと思うのだけど、どうでしょう。(独り言)

スガ
あ、それはそれでいいんだと思うよ。ウンザリ系は寿太郎くんの真骨頂だからね。思う存分旅行記で!

寿太郎
他人事のように言いやがって。そんなんでエディターとか名乗っていいんでしょうかねえ。

スガ
いっぺん他人事のつもりにしないと編集なんて出来ませんからね、と。
まぁ今回みたいに、感じ方ちがうなぁ、という気がした時はツッコミを入れていきますよ。

寿太郎
そういう意味ではないのだが、まあいいです。そんなわけで、今回は旅行記はイスタンブルに入ったところ、で「空間と人」がトルコ全般ですね。
トルコはかなり長くいたような気がする。3人も取材しましたし。

スガ
まるまる1ヶ月いたからね。
カッパドキア→パムッカレのツアーにも参加してみたし、その前後イスタンブルであれこれしてたらあっという間に一ヶ月経ってた。

寿太郎
自然の景観という意味ではかなり凄いものを見ましたね。ちょっとあんなとこないですよ、カッパドキアもパムッカレも。

スガ
いやほんと、トルコで一気に世界遺産3箇所巡ってるしね。「ふつうのくらし」とかうたってたけど、自然ごめんなさい。脱帽です。みたいな感じ。

寿太郎
ふうむ。ごめんなさいというのはよくわからないけど、まあ畏敬の念を十分感じさせられたね。
まあでも、そういうとこにも普通に暮らしてる人はいるというお話。

スガ
いやぼく、どうってことないだろうと思ってたんですよ。すごい景観とか見ても。なんというかさ、Webで「見るまでは死ねない100の絶景」みたいなホットエントリーとか目にするじゃない。べつに見ないで死んでもいいなぁみたいな

寿太郎
きみはあまのじゃくだからね、そういうの見るとすぐ無意識的にアンチになるんだ。べつに景色に罪はないというのに。

スガ
いやアンチとかでもないけどさ。でももう写真でもそうだし、テレビでも、そういう景色ってけっこう見てるわけじゃない。

寿太郎
百聞は一見にしかず、と申します
これが……「世界(ザ・ワールド)」だ……

スガ
・・・。
いやでもさ、たとえば最近もWebで知ったんだけど、Google ストリートビューの仕組み使って、徒歩でしか行けないの景色を場所を360度パノラマでみれるサービスができてたりとか。(サービス名 >TRAIL ME UP

寿太郎
へえ。

スガ
そういう話もあるし、百聞は一見にしかず、とは言っても、着実に世界が縮んでる感じはあって、生の体験の求心力って失われていると思うんだよね。
ぼくはあまのじゃくかどうかは別にしてw、たぶん「べつに世界とか家でみれるし」みたいなのってのが今想定すべき感覚じゃないかと。

寿太郎
輸送インフラにせよ、情報量にせよ、縮んでるからこそ手が届くところにあって、実際に行ってみたいという人が増えることだってあるんじゃないのかね。
だいたいWebでそんなもの観たって、それは「写真」じゃないでしょう。ただの「画像」ですよ。

スガ
いやなんつうか「写真」そのものの意味も変わりつつあるんだろうなというのがあって。
生で自分の目でみたものじゃなきゃ「写真」じゃない、ていうことはなくなりつつある、というかそれは既に昔からそうなんだけど、スマートフォンで撮影も加工もできて、そのままネットにアップしたりダウンロードできるようになって。もう「画像」と「写真」を区別しようとするのはぼくも含めたモノ好きなやつだけで、無意味になってるなぁとか思うわけですよ。
とはいっても、まぁそういうすごい景観とか実際に目にしてみると、僕にできるのはせいぜい写真を撮ることでしかなかったりするわけですけれどもね。

寿太郎
まあその分析はまったくその通りだと思う。それにわざわざ反発してるっていうだけで。僕にできるのもせいぜい文章書くことだけです。

スガ
ふうむ。しんみり。

寿太郎
ま、wikipediaだとか「ブログ村世界一周カテゴリ」検索したら載ってるようなこと書いても意味ないんだよ、という気ではやってますけどね。でもこれはなかなか、難しいですね。

スガ
そういうことなんですよ。

寿太郎
これは「検索したらどんな名所の画像でも出てくる」ってのと同じ話でしょうね。

スガ
そうそう、綺麗な写真とかWeb上にあふれちゃってるもんね。
ぼくが撮るまでもない。みんなが撮ってくれてる、というw

寿太郎
だから今世界一周なんかやっても基本的には自己満足にすぎなくて、それ以上の何か発信すべき価値あるものがないと、こんなサイトやってても意味がないと。

スガ
おおw や、まぁだからどうにかニッチなところというかオリジナルなものをつくろうとして、Biotope Journalとか言ってるわけですけどね。

寿太郎
そういうわけですね。

スガ
また来週。


編集後記:退屈なしめくくり

昨年12月から Biotope Journal の翻訳お手伝いにはいっていただいていますが、じつは今週から、もうひとり助っ人が加わりました。その名はむまさん! 会社で働くかたわら、「gomm(ごむ)」というふたり組で遠足をしたりカレンダーやステーショナリーを作っているそう。ふたり組のチームってあたりとか、なんだかよくわからないあたりとかは、ちょっと退屈ロケットに通じるものがありますね!

それから! 気づいていただいた方がいらっしゃればうれしいのですが、じつは最近、BiotopeJournalのWebサイト、左のほうに地図(Google map)がつきました。退屈ロケットこれまでの足取りとかを記録していて、場所から記事にアクセスできるようにもなっています。これからも順次足取りを更新していきますので、ぜひ、みてみてください!> BoredomRocketRoute

スガタカシ