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こんばんは。退屈ロケットのスガタカシです。ぶじ寿太郎くんと合流した今週は、灰色の雲に包まれビールの安いプラハの街からお届けします。

Biotope Journal 「人とくらし」新年一人目は、パムッカレのビロール。ホテルの一室に住み込み、世界遺産で働いているハイテンションな彼は、話を聞いてみるとにわかには信じがたいことばかり。ちょっとこちらの想像を越えてダイナミックな人物でした。

そしてメールマガジンは今週も先週にひきつづき、画像つきhtml版でお送りします。Webの記事とあわせて、どうぞお楽しみください!


Biotope Journal リポート #012|ビロール

>Web "Biotope Journal" ビロール編 パムッカレ 崖の上から高く翔べ

イスタンブルから南の内陸部。世界遺産としての正式名称は「ヒエラポリス‐パムッカレ」*という。大きな見所のひとつは、自然の起こした奇跡としか形容できないような、美しい純白の石灰棚*。そしてもうひとつは、ローマ帝国の遺跡*だ。地震によって何もかもが破壊しつくされてしまうまで、ここは古代ローマの重要な温泉保養地だった。ローマ式の劇場や温泉の跡、それに墓地までもは今も残され、地震の衝撃を免れたいくつもの遺跡を目にすることができる。ただ不思議なことに、この地はそこまでツーリスティックに過ぎるということがない。世界遺産を別にすれば、ここはなんでもないようなただの田舎町。もちろん旅行者向けのホテルだとかレストランは軒を連ねているけれど、そのどれもが素朴な佇まいで、さほど気張っている空気がない。
そんな土地で出会ったのが、ツアーガイドのビロールだった。怪しげな日本語を挟みながら、ひょろりと長い手足をフル活用するようなジェスチャーで、ぐいぐいと話しかけてくるこの男。でも遺跡の説明は細やかで、重要なポイントを外さない男。それでいて、ツアー客の誰より楽しんでいるように見える。まったく奇妙な人物だ。

ビロールと英語

ビロールは、トルコ人らしい訛りはあるけれど、なかなかきちんとした英語を喋る。語彙はそう多くないが、基本的な単語をきちんと使いこなしているし(英語を母語としないツアー客にとっては、こちらのほうがありがたい)、文法・語法もかなり正確だ。ツアーガイドとしてはあたり前のことなのかもしれないが、彼にとってこの状況はちっともあたり前ではなかった。観光学*を専攻していた大学のときですら、学費や生活費のためのレストランでのアルバイトに忙殺されていて、英語なんかろくすっぽ喋れなかった。そして大学を卒業して就職したのは、石油関係の工場だった。ほとんど肉体労働だから、ここでも英語をしっかり勉強する余裕なんてない。そこで1年働いたところで、ようやくガイドの仕事が舞い込んで、このパムッカレにやってきたのだ。それがたったの半年前。彼が本格的に英語を始めたのは、まさにそのときからだった。

半年でこれほど英語が上達するものか、と疑わしくもなるのだけれど、実際に彼と接してみると、それもありうる話かもしれない、と思わされる。なにしろ覚えが速いのだ。「はじめまして」という日本語を教えると、翌日になってもそれをきっちり覚えている。そしてメモを取らない。そのかわりに、ひたすら何度も口に出すのだ。彼の仕事には新しい言葉を使う機会がたくさんあるから、これは理にかなった方法なのかもしれない。周りの人間をうんざりさせがちだというデメリットはあるけれど。

シャイボーイ・ビロール

もうひとつ信じがたいのは、彼が強調する「自分はかつてシャイだった」ということだ。でも、シャイな人間は「自分はシャイなのだ」と何度も繰り返し強調したりはしない。この落ち着きがなくおしゃべりで押しが強くいつでも楽しそうな男が、シャイだった? まったく説得力がないのだけれど、でも彼の過去の話を聞けば、なるほどという気がしてこないでもない。

イスタンブル近郊の家族、8人きょうだいの末っ子として彼は生まれた。いちばん上のお兄さんはそのときすでに17歳だ。家族みんなから可愛がられて、彼は育った。そんなタイプの子どもがあまり社交的になれず、内気になってしまうというのは、よくある話だ。そんなビロールに父が教えたのが、ハンティングだった。父は彼に銃を与え、その扱い方を教えた。7歳だった彼はたちまち夢中になって、森に出かけては息を潜め、ウサギや鳥を狩った。そのころは銃がベストフレンドだった、と彼はいう。

高校のころには、勉強なんてほとんどせずに、クラブ活動のサッカーに明け暮れていた。なんだ、それならチームメイトもたくさんいるし、友達も多いはずじゃないか。でも彼によれば、チームでいちばん上手なのが彼自身で、彼がゴールキーパーとしていつも失点を防いでいるような状況だったらしい。そう聞くと、なんだかうまく溶け込めていないような状況というのも、想像することはできる。浮いていた、という感じなのかもしれない。

大学では、なにしろ貧乏だったから、ずっとレストランでアルバイトをしていた。勉強をする時間も、友達と遊ぶような時間もあまりない。クラスメイトたちは皆裕福で話が合わない。流暢に英語を喋れる彼らは、「おまえに観光ガイドは無理だ」とビロールをあざ笑う。彼らは俺のことが好きじゃなかったんだ、とビロールはいう。かわいそうなビロールは、ここでもやっぱりひとりぼっちだ。

そんな頃に故郷のイスタンブルで出会ったのが、同い年の漁師の男だった。ビロールがハンティングの次に好きな釣りをしていたところで、偶然出会った。なんだか意気投合してしまい、今では大親友なのだという。近頃は忙しくてイスタンブルに帰れない。家族に会えないこともそうだけど、彼に会えないことが寂しい、という。

ビロールの夜明け

数少ない友人のひとりがたまたま旅行者として泊まっていたのが、ビロールが今働いているこのホテル。ホテルのボスは新しいガイドを雇いたがっていて、その友人がビロールを紹介してくれたのだ。勤めていた工場を辞めて、彼はすぐさまパムッカレに来た。でも当時、彼はパムッカレにそれほど詳しくないばかりか、英語だってしゃべれない。それに彼の言葉を信じるなら、とてもシャイだった。そんな男をよく雇おうという気になるなとも思うのだけれど、ここの人びとはあまり細かいことを気にしないのだ。家族みたいに接してくれる、ボス夫妻をはじめとするホテルの人びとに、ビロールは心から感謝している。

そんな風にして始まった、ビロールのガイド生活。彼の言によれば、この6ヶ月が「すべてを変えた」のだという。勉強して、英語をしゃべれるようになった。おかげで、今までトルコ人の他人さえ怖かったというのに、外国人とも気さくに話せるようになった。「取って食われるわけじゃないってわかったのさ!」と彼は誇らしげにいう。たしかにそれはその通り。それから、素晴らしい出会いもあった。旅行のためにここを訪れていた中国人の女性と、彼は恋に落ちたのだ。恥ずかしがって彼女の顔がわかる写真は見せてくれないけれど、とにかく「メッチャキレーイ(※日本語)」なのだという。彼女は地元である中国の成都*に帰ってしまったけれど、今度はビロールが中国に行く予定だ。それもただ旅行しに行くというわけではない。なんと彼は、成都に移住して彼女と暮らすつもりなのだ。でも彼に具体的な計画は何もない。なんとかなるだろうし、なんとかならなければトルコに帰ってくればいい、とのこと。「インポッシブル・イズ・ナッシング!」と彼は叫ぶ。

とにかく、短い期間に価値観の何もかもが変わって、しかも一気に開けた世界には未知のものがたくさん眠っていて、押しつぶされそうなほどわくわくしているのが今のビロールだ。少し心配にさえなる。ほとんど狂騒状態といっていい。だから彼には落ち着きがない。「一刻も早く、なにかをどうにかしたい」という、めちゃくちゃに抽象的でしかも強烈なモチベーションが、彼をせわしなく忙しく、しかし楽しげにさせているのだ。

翔べ! ビロール

毎日ほとんど同じ場所で、同じような説明を繰り返すビロールの仕事。でも、その相手が毎回異なるから、ビロールは退屈しない。古代の墓地の廃墟で穴の中から顔を出して見せるときも、石灰棚をバックにジャンピング・フォトを撮るときも、そこにはいつも、いろんな国から来た人々の、それぞれ違う笑顔がある。ビロールはそれが楽しい。

でもインタビューの日、彼はとても憤慨していた。聞けば、ツアーメンバーの中にひとりだけ日本人の女性がいて、彼女がとてもシャイで、しかもあまり英語をしゃべれなかったのだという。そんな彼女を、ほかのメンバーたちはほとんど無視するみたいにひとりぼっちにさせていた。彼にはそれが耐えられなくて、なんと彼らのことを叱りつけたのだという。小学校の先生じゃあるまいし、そんなツアーガイドなんて前代未聞だ。でもビロールには、シャイで英語をしゃべれない人の気持ちがよくわかるから、そんなふうに熱くなる。彼は興奮しながら話を続ける。「彼女に言ってやったよ、きみは一人じゃないんだ、俺がついてる、ってね。アイ・ラブ・ジャパン! ナゴヤ!」

ビロールが彼女を気にかけたもうひとつの理由はたぶん、彼がかなり極端な日本びいきだということにある。礼儀正しくて理解が早いから、日本人が好きなのだとか。ガイドを始めて間もない頃に友だちになった日本人旅行者の話を、彼は何度もしてくれた。彼らの出身地だから「ナゴヤ」という地名を覚えて、ことあるごとに「ナゴヤ、ナゴヤ」と繰り返す。でも名古屋のこと何か知ってるか、と聞くと、「ええと、ええと、うん、東京からは離れたところにあるよね」。

どうも怪しいと思って、こうも尋ねてみる。「自分のことキムラタクヤ*だとか言ってるけど、木村拓哉の顔とかどんな人だとか知ってるの?」「知らない! ヒップホップのアーティスト*か?」「…違うよ」

よく知りもしないのだけれど、「いつか日本にも行って俺が第二のキムタクになるよ」と彼は笑う。彼の語る未来は、いつも冗談ばかりだ。あまり未来のことを細かく考えたり、大きな夢を持ったりはしない。とにかく今、今こそが大事なんだ、と彼は言う。「だって、いつ死ぬかなんてわからないだろ?」

文・金沢寿太郎


今週の参照リスト

《脚注》
◆ ヒエラポリス-パムッカレ
ヒエラポリスとはかつて都市であったローマ時代の遺跡を指す。古くから保養のための温泉地として知られたこの地には、古代ローマ式公衆浴場「テルマエ」が造られた。同時に、病人も多く訪れるため亡くなるものも多く、墓地の遺跡も見ることができる。これが文化遺産の部分で、パムッカレの石灰棚の部分が自然遺産。つまりここは、複合遺産である。

◆ 観光学
日本ではあまり学問として体系化された形で知られてはいないが、アメリカをはじめ多くの大学に専門分野として存在する。地理学や経済学だけでなく、心理学などをも横断する、学際的な分野。ちなみにビロールは、自分の得点では観光学部にしか入れなかったため、これを専門にした。

◆ 成都
Biotope Journalはなぜかこの成都に縁があって、色んなところでここの地名が出てくるのだけれど、まさかトルコでも登場するとは思いませんでした。実は旅の終盤にまた訪れる可能性アリ。ビロールとの再会は叶うのだろうか。

◆ 木村拓哉
この人の名前も、典型的な日本のスターということでちらほら耳にすることがある。でもそれは、あくまで東南〜東アジアにおいての話。こういう場所で耳にする場合は、だいたいほかの日本人観光客が教えた結果である。

◆ ヒップホップ
ビロールはゆっくり音楽を聴くなどということは嫌いで、踊れるタイプのノリのいい曲が好きだ。ヒップホップも好き。トルコで好きなポップ・ミュージシャンは、ヨーロッパでも有名なトルコを代表する歌手のTarkan。
http://www.youtube.com/watch?v=cKYeODP-Sek
ちなみに、滞在当時トルコじゅうでやたらめったらかかっていたヒット曲は、こんなのでした。
http://www.youtube.com/watch?v=LGV-dtwV5_4


旅日記【ロケットの窓際】012 タシケントの受難

 タシケントは、ウズベキスタンだとかシルクロードといった言葉が抱かせるイメージとはほど遠い街だ。街並みは実に整然としているし、道ゆく人びとの風貌をとってみても、イスラムの色合いはとても薄い。都会という言葉が似合いさえする。
 1966年、この街を大地震が襲った。当時のタシケントは、ウズベク・ソビエト社会主義共和国の首都。ソ連の一部として、廃墟となった街並みは社会主義的計画都市の造られる舞台となった。マルクス主義のもと、当然イスラム色は薄められる。それでも時折見られる妙に真新しいモスクは、 1991年のソ連崩壊後に建てられたものだ。

 さて、僕らが滞在を許された時間は残り五日。この間に、隣国へ脱出してしまわなければならない。でも後にしてきたキルギスを除けば、カザフスタンやタジキスタン、それにトルクメニスタン入国のためにはいずれもビザが必要だ。最難関と評判のトルクメニスタンはさておくとして、カザフやタジクのビザが、果たして五日以内に取れるものなのだろうか。ネットの情報は不確かだ。翌日に取得できたという体験談もあれば、十日も待たされたというものもある。とにかく行ってみるしかない。中央アジア旅行につきものの、大使館巡りだ。

 なにしろどこの大使館も仕事が適当だと聞くから、こちらは書類を完璧にして、隙を見せないようにしなければならない。不足していた証明写真をプリントするために、朝から「Kodak」の看板を出す店へ向かう。今やどこの国にもパソコンやプリンタぐらいあるから、こんな印刷は簡単だ。さっさと写真を受け取り、ひとまず宿へと戻る道すがらのことだった。小さな仕事とはいえひと仕事終えて、少し気を抜いていたのがまずかった。満足に街並みを眺める機会もなかったから、足は急くままに視線だけをあちこちに巡らせていたのだ。

 と、世界がぐらりと揺れる。後ろから突然、誰かに殴られたみたいな揺れかただ。でも痛みはない。あまりに唐突すぎて、ああ自分は転んでいるのだと気づいたのは、したたか地面に打ちつけられた口に激痛を感じたあとのことだった。でもどこが痛んでいるのかさえよくわからない。口の辺りがぼんやりと、そして鋭く痛い。ぬるい鉄の味が口の中を満たす。しまった、前歯をやってしまったか、と考える。歯の感覚も、唇の感覚もない。

 路上に吐き出した赤黒い塊の中に、白いものは混じっていない。どうやら歯だけは無事のようだ。続いて右手にも痛みを感じる。中途半端に取った無意識の受け身は、ほとんど意味をなさなかったみたいだ。ただ被害を右手にまで拡大しただけだ。

 運よくポケットの中にちり紙を持っていたから、それで血を拭う。人生を思い返してみてもちょっと例がないほど、大量の血が出ている。そういえば幼い頃、銭湯ですっ転んで前歯(乳歯)を折ったことがあったみたいだけど、そのときはどうだったのだろうか。四半世紀の時を経て、僕はひとつも成長していないみたいだ。

 近くに車を止めていたおじさんが、親切にも水を差し出してくれる。手と口を申し訳程度に洗い、礼を言う。でも礼を言うことさえ辛い。僕の口はいったいどうなってしまっているのだろう。

 現場を振り返ってみて、僕は唖然とする。別に僕はおかしな場所を歩いていたわけではなかった。ふつうの歩道の、横断歩道の入り口。そこに、ちょうど膝下にかかる程度の高さで、細いロープがぴんと張られてあったのだ。どういう意図のものなのかまったくわからない。罠というほかないほど不可解だ。でも僕には腹を立てる余力は残っていなかった。

 この内陸中の内陸国で、海溝の底ほどまでに落ち込んだモチベーションをどうにか保ち、惨状を相方に驚かれながら、まずはタジキスタン大使館を目指す。ビザが翌日に発行されるという情報があったからだ。ところが、午後にまた来い、あちらへ行け、こちらへ行けとたらい回し。挙句にお偉いさんが出てきて、ビザは出せないとのたまう。なんとか食い下がって理由を尋ねると、システムの調子が悪くてビザが作れないのだという。信じがたい。プリンタの調子が悪くて年賀状が刷れないというレベルのトラブルだ。仮にも一国の大使館がそんな調子でどうするのだろう。驚くべきことだが、この種のことは日常茶飯事的に起こるのだ。

 翌日尋ねたカザフスタン大使館でも、やはり一週間はかかると言われる。さすがに役所は社会主義的な美しい伝統を保っている。どんなに事情を説明しても、にべもない。まったくこの街と同じように、整然として美しい規則の運用だ。

 かくして、隣国への陸路脱出という手は絶たれた。残りは三日だ。選択肢はもう少ない。航空券を取って飛んでしまうか、ウズベキスタンビザの延長を試みるかだ。望みをかけて、ビザ関係の手配を役所に指定されている旅行会社を尋ねてみる。彼らはとても親身になってくれたけれど、親身でビザは下りない。出国のための航空券を所持していないからダメなのだという。考えてみれば妙な話で、これからビザを延長するというのに、延長を前提とした日付の出国航空券など持っているはずがないのだ。規則がそもそも、論理的に破綻している。

 もうこの時点でぼろ雑巾のように疲れ果てていたのだけれど、ともかく不法滞在を避けるために決断しなくてはならない。今回シルクロードには呼ばれていなかった、そして人生は長い。僕らは、一気に飛行機でトルコへ飛んでしまうことを決めた。航空会社は、あまり評判のよくないロシア航空。アエロフロートではないほうだ。でも明日になればビザの残りは二日、贅沢は言っていられない。ネットで予約を済ませて、翌日の夜、タシケント国際空港へ向かう。

 空港へたどり着き、電光掲示板を確かめる。この時点では確かに、フライトの予定はあったのだ。でもどうにも雲行きがおかしい。そんなとき、偶然拾えた wifiを経由して一通のメールが届く。「お客様のフライトはキャンセルされました」。そんなバカな。

〈続〉

文・金沢寿太郎


アフタートーク【ロケット逆噴射】012

スガ
2013年、最初のアフタートークですね。

寿太郎
おひさしぶりです。

スガ
3週間くらい?別行動だったからね。

寿太郎
17日ぐらいでしたかね。年末年始、初めて国外でというか、実家以外で過ごしました。先週のメルマガでその様子はちらっとお伝えしたけれど。なかなか面白いものだよね、海外のニューイヤーも。

スガ
いやまあ面白い…というかね。ぼくはむやみになんかギリギリな感じになってましたよ。

寿太郎
あの写真はかなり大変だっただろうしね。お疲れ様です。

スガ
写真をとっていたというより、むしろひとりずもうをとっていたような気がします。
そちらの年越しはなかなか優雅でよかったですね。

寿太郎
まあウィーンと聞くと優雅に見えるけど、実際はそうでもなかったですよ。どっちかというとパーティでみんな浮かれて大盛り上がり。爆竹もうるさかったし。元日のコンサートだけは優雅に楽しみましたけどね。でもカジュアルだったけど。

スガ
あぁ、そうかウィーンもやっぱり爆竹とパーティてのは変わらないのね。

寿太郎
ベルリンがどんな感じかわからないけれど、かなり盛大にすさまじくパーティですよ。クラブミュージックみたいなのもそこらじゅうでかかってるし。少なくとも大晦日は、全然、クラシック感はない。

スガ
あー、アース・ウィンド・アンド・ファイアーとか江南スタイルとか言ってたもんね。

寿太郎
とにかくあらゆるジャンルの音楽が横断的に流れていて、みんなさほど気にせず楽しんでました。スノッブじゃないのがよかった。

スガ
ベルリンもブランデンブルグ門の向こう側はそういう音楽のステージがたくさんあったみたいだけど、ぼくが場所とりしてた側は音楽一切なかったんだよね。ひたすら身を寄せ合って爆竹の音におびえる、というw

寿太郎
へえ。やっぱりちょっと区域が違うだけで色合いが全然違うんだ。

スガ
そうそう。まぁベルリンのブランデンブルグ門は人が多すぎて危険だから、さすがにある程度きっちり統制してるんだと思う。

寿太郎
いや、あれはほんとにテロに近いですよね。一晩中ずーっとバンバン言ってるし、戦争みたいだった。

スガ
ヨーロッパの年越しで爆竹鳴らす習慣、ちょっと調べてみたものの確かなところはわからなかったんだけど、多分あれも、もとは中国の魔除けの習慣から来てるんだよね。

寿太郎
そうそう。でもなんか、騒ぎたいだけで都合よく引っ張ってきた感じあるね。日本がクリスマス輸入したのと同じようなもんかもw

スガ
それはあるかも。でもアメリカとかでも一部そうみたいだけど、ドイツなんかふだん禁止にしてる爆竹とか花火とか、わざわざ年末年始だけ解禁しちゃうからね。政府公認の無政府状態ですよ。

寿太郎
恐ろしい話だ。

スガ
とにかくね、正月ほど日本が恋しくなったことはなかったですよ。

寿太郎
ほんとにそれはそう。俺はお雑煮が食べたくて仕方なかったです。餅が。

スガ
FacebookとかTwitterとかで雑煮写真じゃんじゃん流れてくるしね。

寿太郎
一昨日、念願の餅を食べましたね。あれは実においしかった。
新年だしね、新年会のような感じで。きちんとした、居酒屋使いできるような和食屋があるんですよね。

スガ
プラハで寿太郎くんと再会して、久しぶりの日本食を食べに行ったわけです。あらゆるものがうまかったけど、ちょっと狐につままれたような気分でした。
料理はちゃんと日本の味だし、客も日本人ばっかりだし、なにより日本語で注文できるというのがね。頭がおかしくなりそうだったよ。

寿太郎
確かにねw テレビではNHKとか流れてるし。「ためしてガッテン」とかやってんの。

スガ
そう、ココはどこだ! と。

寿太郎
揚げだし餅おいしゅうございました。納豆おいしゅうございました。おろしポンカツおいしゅうございました。

スガ
チェコのかわいい女の子がひらひらの服来て「いらっしゃいませ」とか言ってるしね。

寿太郎
あれはいいもんですな。なんだかいろんな意味でツボをおさえた店でした。

スガ
ツボおさえすぎでちょっと怖いくらい。海外の日本食ってもっと突っ込みどころあるものだろと。

寿太郎
突っ込みどころのある海外の日本食は、日本人がやってない店だけですよ。日本人のやってるところは、程度はあるけど基本的にどこもちゃんとおいしい。フィリピンでもドイツでもそうでした。プラハの和食は「ホテル・ディプロマット」地下の「桂」。おいしくてとても感じよかったのでオススメしておきます。そんな高くないです。

スガ
あぁそういえばきみ、ドイツでもラーメン食べたと言ってたね。ぼくはこのあと行けるのを楽しみにしてます。

寿太郎
行きましょう。あと、明らかにニセモノだろ、っていう感じの怪しげな「スシ・バー」もこんど試してみましょう。

スガ
そうそうローカライズされたスシ・バー。そっちも入っていきましょうぜ。

寿太郎
明らかに厨房にいるのが中国の人、みたいなとこがいいですな。ドイツでいくつか見かけた。

スガ
と、いうわけで今週からは Biotope Journal のほうも再開しまして、トルコ、パムッカレのビロール。

寿太郎
はい。しかし新年一発目からビロールというのも、なんというか、景気良くていいのかな。「おめでとうございま〜す」という勢いがある。

スガ
おめでたいやつだからねぇ。インポッシブルイズナッシング!

寿太郎
adidasかなんかのキャッチコピーのパクリのような気もするけど。とにかくテンションの高い人物だった。

スガ
ちょっといま検索してみたんだけど…ほんとだ。"Nothing is Impossible"はアディダスのキャッチコピーで使われてるね。ダーツバーの店とかも出てきたけどw

寿太郎
ふむ。

スガ
テンション高いだけの人ならたまにいるけど、ビロールはちょっと前までシャイだったとか言うからねぇ。

寿太郎
もうね、一応彼の話は全て真実として書いたのだけど、あれやっぱりいまだに信じがたいよw

スガ
うん。「オープンマインド! エブリシング チェンジ!」みたいなこと言ってたけど、ほんとかよっていうw 過去の話とか、ビロールの妄想かもしれない。

寿太郎
まあ妄想なら妄想として、このように妄想を語る人物がいましたよ、というレポートになりました。という形で書き手としては逃げさせていただく。

スガ
いやそれはいいけどさ。でも彼女の話もどうなのかというのはちょっと心配になりますよ。

寿太郎
そうなんだよね。「もしかしてその彼女というのは、あなたの想像上の存在に過ぎないのではありませんか?」というやつだ。

スガ
気の毒すぎる…。ビロール、11月に2ヶ月後には成都に行くって言ってたけど、まだぜんぜんパムッカレにいるし、このあいだ「成都にはいつ行くの?」って聞いてみても"later"としか言わないし。

寿太郎
ううむ、怪しい。何があったのだろうか。あんなに青春まっしぐらだったのに。自分は彼女ができたと盛り上がっていたのに、相手は全然付き合ってる気なかった、みたいなケースがいちばんえぐられるな。

スガ
そんなw 「来年成都で会おう!」なんて言ってたのに…。

寿太郎
まあ実際彼女と順調だったとしても、あの無計画無軌道ぶりだとちょっと中国でやっていくのは難しそうですぜ。

スガ
いやそこはビロールが不可能がないことをみせてくれるんだとぼくは期待していたんだけど。

寿太郎
まあ、まだダメと決まったわけじゃないから期待しましょう。

スガ
んーむ。なんにしても、ときどきFacebookでメッセージ来るから。「カトちゃんぺー!」って。

寿太郎
なんかもうキムタクではなくて、カトちゃんらしいね今は。どこで教わったんだそんなの。

スガ
また仲良くなった日本人に「キムタクよりカトちゃんぺのほうがカッコいい」とか教わったんじゃないの。

寿太郎
悪い日本人もいたもんだ。

スガ
しかもカトちゃんではなくカトちゃんぺ、だからね。

寿太郎
カトちゃんペ、という人物がいると思ってるわけだね。

スガ
うん。この前メッセージで、「アイ アム カトちゃんぺ!ノットキムタク!」って言ってたから間違いない。

寿太郎
好きにしてくれという感じだ。

スガ
でも加トちゃんの画像送ってあげたらノーコメントだったから、思ったのと違ったのかも。そのうちまた変わるのかもしれない。

寿太郎
なるほど。たいして期待せず待ちましょう。

スガ
そうですね。また来週。


編集後記:退屈なしめくくり

年末年始はそれぞれ、ドイツやオーストリアで過ごしていましたが、次に目指すはポーランド。そしてふたたびドイツへ入ります。今年のヨーロッパは暖冬のようで、たぶんセルビア以降はずっと、東京よりも暖かかったのが救いでしたが、ここ数日、急にプラハは冷え込んできました。予報を見るとポーランドはもっと寒くなりそう。ヒートテック着込んでロシア帽かぶって、乗り込んでみます。

世界遺産にも登録されているここプラハ。観光客が多く集まっているだけあって、時々怪しい商売人なんかも目にする(あらゆるものに相場の5倍くらいの値がつけられている雑貨屋で、うっかり1.5リットル350円相当のミネラルウォーターを買いました)のですが、それを除けばビールもご飯も物価は安いよう。一眼レフよりも大きな肉のかたまりに、ナイフが突き刺さって出てきたりするのでおどろきます。

肉はともかく、朝食を食べそびれた今日はメールマガジンを配信したらちょっとコーヒーでひと休みでも。ってことで、チャオ!

スガタカシ