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明けましておめでとうございます。退屈ロケットのスガタカシです。

昨年10月にスタートした Biotope Journal も、スタートからそろそろ3ヶ月。たくさんの方に応援していただいていること、心から感謝しております。なにを隠そう今年はメールマガジン有料版の発行も計画しているので、その分、より一層楽しんでいただけるようにがんばりたいと思います。

さて、クリスマスにお正月、皆様はいかがお過ごしでしたか?
元旦から仕事だったよという方も、長めに休みをとって明日が仕事はじめという方も、きっとさまざまですね。学生の方はそろそろ冬休みが終わる頃でしょうか。退屈ロケットの二人は、日本を出てはじめて、べつの都市で日々を過ごしておりました。

新年号外となる本日の Biotope Journal Weekly では、ひとりベルリンでWeb年越し企画「ゆく年くる年ブランデンブルグ門」の写真を撮っていたスガと、音楽の街・ウィーンで優雅に年を越した寿太郎くん。都市もムードも異なる2つの年越しを、はじめてのhtml画像つきメールマガジンでお届けします。どうぞ、お楽しみください!


12月30日 ミュンヘン(寿太郎)

半端といえば、半端な数日間。ここドイツでは、というよりもキリスト教圏全体にいえることなのだろうけれど、もちろん一年でもっとも大切な日はクリスマスだ。一ヶ月か、場合によってはそれ以上も前から、それぞれに飾り付けをして、その日に備える。当日になれば、家族だんらんで、一年を振り返りながらゆっくり過ごす。宗教もなにも関係ないような日本のお祭り騒ぎとはもちろん、全然ちがう。日本ではクリスマスが終わってしまえば誰もがいち早く西洋風の飾り付けを片付けてしまい、来たるべき「本番」の正月に向けて慌しい準備が始まる。連日の忘年会に肝臓をやられる人もいる。でもそれに比べて、ドイツの年末はおそろしく静かだ。クリスマスツリーは年が明けてしばらく経つまで片付けられることはなく、のんびりとした様子で輝き続けている。人びとも、クリスマスという一大イベントが終わって、あとは新年を迎えるだけ、といった感じだ。

まして、12月30日は日曜日。街に人の姿はちらほらと見えはするけれど、カメラ片手に興奮している観光客たちを別にすれば、ちょっと散歩に出てみたという感じの人ばかりだ。なにしろデパートもやっていない、レストランも閉めているところはたくさんあるし、街に出ても、これといってすることがないのだ。

そんなわけだから、実は観光客にとっても、あんまりすることはない。ご飯を食べるところを見つけるのにも、少々困ってしまうぐらいだ。ならばと向かってみたのが、日本人経営のラーメン店*。ドイツで最も日本人が集まるデュッセルドルフの人気店で、ミュンヘンにも支店を出したと聞いていた店があった。こんな静かな年末でも、日本人ならもちろんせわしなく働いているはず。地下鉄を乗り継いで店にたどり着いてみると、はたして、やっぱり開いている。日本人の店員さんが、めちゃくちゃ丁寧な日本風の接客で迎えてくれる。ミュンヘンのど真ん中でなんだか奇妙な話だけれど、年の瀬だしべつにいいか、と、久しぶりに純日本式のラーメンに舌鼓を打ったのだった。

ラーメン独特の食後の満足感を懐かしくさえ感じながら、万にひとつを期待しながら向かってみたのは、ミュンヘンでいちばん行ってみたかった「ミヒャエル・エンデ博物館(写真参照)」*。でもやっぱり、閉まっていた。今回は縁がなかったということにして、ミュンヘン再訪の折の宿題としてとっておくことにした。それまでには、長野にある「黒姫童話館」*にも行っておかないといけない。

◆ 匠
日本の価格と比べるとちょっとお高いけれど、味もサービスもしっかり日本のそれ。ドイツでラーメンが食べたくなったら、おすすめします。 >Webサイト

◆ ミヒャエル・エンデ博物館
『モモ』や『はてしない物語』で知られるエンデが暮らしたミュンヘンの地、郊外のお城の一角にひっそりとあります。周囲も静かで、散策にはもってこいの公園。ミュンヘン中央駅(Hbf)から、電車とバスを乗り継いで30分ぐらい。 >Webサイト

◆ 黒姫童話館
実は上記博物館よりすごいんじゃないか、という博物館が、日本の長野は信濃町にあります(東京の信濃町ではないですよ)。なにしろ、エンデが生前自らさまざまな資料を寄贈したというから驚き。 >Webサイト

12月30日 ベルリン(スガ)

7時30分、真っ暗の相部屋で目を覚ます。今日から撮影。とにかくカメラと三脚をかついで、地下鉄で3駅。ブランデンブルグ門の前に立つ。あたりには数える程度の人しかいない。それもそのはず。まだ暗いもの。

帰ってきて朝食をとり、シャワーを浴びて作業。昨日は終日ホテルのバーに居座っていたら、年越しをこの街で過ごすのだろう各国のパーリーピーポーが入れ替わりやってきて、ちょっといたたまれなかった。だから今日席を構えるのは人の少ないホール。同じ轍は踏まないぜ。

16時にふたたび撮影。お腹が減った時に写真はとらない、というのは誰かの受け売りだけど、結構だいじなことのような気がしていて、ともかく途中の商店に立ち寄った。ホットドッグはない、というのでソーセージを頼んだら、うすくてスカスカのパンがついてくる。でも結局食べ足りなくて、撮影の帰り道、こんどはカリーヴルストとポテト。カリーヴルストというのはソーセージにケチャップとカレー粉がかかっただけの、ファーストフードと言うにもあんまりなシロモノ。2日ほど前に別の店で食べた時には正直がっかりしたけど、ここのはひと味違う。ケチャップとカレー粉の配合が独特。というかなにかそれ以外のなにかの味もする。ソーセージはアメリカンドッグみたいな薄い衣で包まれていて、しっかり塩と胡椒の効いたポテトには、さらにたっぷりと、スパゲッティのミートソースみたいにガーリックソースがかかる。これぞジャンクフード。いかにもからだに悪そうだけど、となりの家族はうまそうに食べている。ぼくもジャンクフードを前にするといつも訪れる、安っぽい戦意を高揚させて、とにかくまるごと飲み込んだ。

ソーセージとポテト。ドイツ風にもたれた胃袋をぶらさげて、宿に帰りつく。夜中にはまだもう一度、撮影が残っている。でもぼくの胃腸は心地よいリズムでいつまでも伸縮を繰り返し、ラップトップに向かっていると、そのうちに眠くなってしまう。目が覚めたのは1時すぎ。瞬間、暗黒の気持ちに引きずり込まれそうになるのを感じて、すばやく頭のギアをニュートラルに入れる。機械のように身体を動かして地下鉄へ。外に出てしまえばなんてことはない。年越しの前日も深夜のブランデンブルグ門は人ひとりの姿なく、ただライトが眩しい。

12月31日 ミュンヘン→ウィーン(寿太郎)

のんびりしたドイツの年末でも、もちろん公共交通機関はやっている。厳しい顔つきでけれども優しい、という車掌さんが多いイメージのドイツ鉄道(DB)。特急列車「ICE」は、近未来的なデザインなのに、それでいてゆったりと落ち着ける素敵な電車だ。ミュンヘンから、まずはオーストリア国境を超えたところのザルツブルグへ。ここは夏場の音楽祭で有名な街だ。それから一路、東のウィーンへ。ザルツブルグからウィーンへの車内は、閑散としている。ここオーストリアでもドイツと同じく、年末に忙しく動き回ったりなどはしないのだろう。映画「サウンド・オブ・ミュージック」*で見たのとそっくりそのまま同じような、陽気な音楽がよく似合いそうな美しい草原の中を、特急列車はびゅんびゅんと走る。やがて2012年最後の陽が暮れていく。日本ではそろそろ、除夜の鐘が鳴りはじめるころだろうか。

さて、けれどもたどり着いたウィーンの年越しは、静けさとはほど遠い。旧市街のそこらじゅうに屋台が出て、ソーセージやらシュニッツェル(オーストリア料理の、薄いトンカツのようなもの)やら、もちろんビールやホットワイン、ポンチ酒の類もも売っている。行きかう人びとは誰も彼も楽しそう。彼らの目的は、もちろん音楽。街のちょっとした広場のようなところには必ずステージが整えられていて、バンドが演奏をしていたり、ダンサーたちが踊っていたりする。クラシックのイメージの強いウィーンだけれど、決してそればかりではない。ありとあらゆる種類の音楽が流れていて、人びとは老いも若きも、ごく自然にそれらを楽しんでいる。やんちゃな感じの若いファンク・バンド(演奏技術はおそろしく高い)がEarth, Wind & Fire*を演奏していれば、かなり年配のおばちゃんが腰をふりふり歩いていく。あちらのステージで「Gangnam Style」*に合わせてダンサーたちが踊っていたかと思えば、こちらのステージでは当たり前のように古い民族音楽が流れている。

音楽の都・ウィーンのすごいところは、こんなところにあるのかもしれない。べつに誰も彼もが、肩肘張って仰々しくクラシックを嗜んでいるわけではない。音楽はどこかから聞こえてくるものではなくて、ごく当たり前に人びとの中を流れている。小さな川が大きな川に流れ込むように、人びとの中を流れる大きな音楽に、様々な音楽が流れ込んでいく。どの水がどこからやってきたのかはすぐにわからなくなってしまうけれど、そんなことは関係ない。ウィーンの人びとはとても自然体で音楽を楽しんでいるし、音楽を「消費」などきっとしていないのだろう。そんな空気を一緒になって楽しみながら、少しだけ彼らがうらやましくなる。

12時近くなると、王宮前広場にはますます人びとが増えて、盛大な花火とともに新年の訪れを祝う*。同時にどこからともなく流れはじめるのは、ヨハン・シュトラウスやモーツァルト。分厚いコートを着込んだ老夫婦も、シャンパン片手にほろ酔いの若いカップルも、手を取り合って踊りはじめる。翌朝ここの大スクリーンではウィーンフィルのニューイヤーコンサート*が中継されるのだけれど、その時間まで飲んで歌って踊り続ける人も、きっと中にはいるのだろう。

◆「サウンド・オブ・ミュージック」
同名のミュージカルを原作に、1965年映画化された。第二次大戦前夜、修道女のマリアが厳しい軍人の子どもたちに家庭教師をするなかで、音楽のすばらしさを伝えていく。草原でドレミの歌を歌うとこなんか、有名です。小学校の音楽の授業はひどかったけれど、この映画を見たことだけはよく覚えています。

◆ Earth, Wind & Fire
「September」などで有名な、ご存知老舗ファンク・バンド。ウィーンの街でこのとき流れていたのは、「Fantasy」でした。邦題は「宇宙のファンタジー」だけどなんだかちょっと意味ズレてます。でもこういう微妙にズレた邦題って、なんとなくいいですよね。

◆「Gangnam Style」
韓国人歌手PSYによる、去年から世界じゅうでやたらとヒットしている楽曲。彼が乗馬のようなスタイルで踊る姿も話題になって、youtubeで爆発的に再生された。日本ではあんまり流行っていないというけど、どうなのでしょう。中国、トルコ、ブルガリア、どこでも耳にしました。ちなみに韓国人によると、歌詞の内容自体は「本っ当にしょうもない」とのこと。

◆ 盛大な花火
ウィーンの年越しでひとつだけどうにかしてほしいのは、爆竹。花火はいいのだけれど、若者たちがそこらじゅうで爆竹に火をつけまくるものだから、うるさくて危なくて仕方がない。せっかく素敵な音楽があらゆる場所で流れているのに、とっても邪魔です。また打ち上げ花火を暴発させるマヌケなどもたまにいるから、街を歩くときには注意が必要。

◆ ウィーンフィルハーモニーのニューイヤーコンサート
説明無用の有名コンサート。ヨハン・シュトラウスをはじめ、様々な楽曲が演奏されるけれど、最後の「美しく青きドナウ」「ラデツキー行進曲」はお約束。世界中に中継され、日本でもNHKが放映しています。2002年には小澤征爾が指揮したことも。

12月31日 ベルリン(スガ)

ここベルリン、ブランデンブルグ門前の年越し(Silvester)イベントはヨーロッパはもちろん、世界中から人々が集まる。その人出は例年100万人というから、隅田川の花火大会以上。「今日はブランデンブルグ門には近づかないよ」宿の主人の冗談めかしたその言葉に戦慄するより早く、部屋にとどろく爆音に驚かされた。そもそもドイツでは通常、花火・爆竹類の使用が禁止されているのだけど、どういうわけか大晦日と元旦だけは特別。ヨーロッパの花火は日本で売られているような生やさしいものではなくて、正月のニュースでは毎年、救急車で病院に運ばれた人数が報道されるのがおきまりらしい。この時期だけ、という特別感も手伝ってか、大晦日は明るいうちから、街なかに爆発音が響く。なにも門の前まで行かなくたって、街中がドンパチやっていて、さながら戦争状態だ。

16時の撮影に出かける。撮影をすませて、広場の人の数を数えようとしてみたけれど、見える範囲でも数千人以上。途中で数えるのをあきらめた。でも、有名アーティストのステージや屋台を楽しむことができるメイン会場が門の反対側ということもあって、まだあたりには、場所取りをしようという人の気配は感じられない。ふと、これから8時間寒空のなかに立つことを考える。昼飯もろくに食べていない。急に、腹ごしらえくらいしたってバチは当たらないんじゃないか、という気になってきた。一本横道に入ると、ひとりでも気がねのなさそうなレストランも見つかった。目を引いたのはステーキハウス。たちまち頭の中をステーキが泳ぎだしたけど、あいにくそこは満席。というわけでぼくは、インドカレーの店に入ることにする。ベルリンで、1年をカレーでしめるのも悪くない。なんといっても、ぼくはカレーが大好きだ。

安定のインドカレーに、ちょっと強気にスープまで堪能して、ふたたび撮影ポイントへ。さっきから1時間ほどしか経っていないけど、通りに人の数が増えていることがわかる。はたして予感は的中して、撮影ポイントの一帯はすでにフェンスで囲まれ、警察が配置されている。中で写真を撮らせて欲しい、と言っても埒があかない。冷たい汗がにじむのがわかる。すでに何度も同じ場所で、同じ画角で写真を撮っているのに。警官のガードが甘そうな突破口をさがして歩いてみる。地下鉄の出口がフェンスの向こうに繋がっていないかと駅構内に降りてみる。しかし門のまわりはフェンスと警官にしっかり囲まれていて、地下鉄にはシャッターが降りている。そりゃそうだ。でもそういえば、と、昨日半分眠りに落ちながら、イベントの公式サイトでプレス申込のフォームから、メールを送信しておいたことを思い出す。ふたたび警官に話してみるも、証明書を見せろ、の1点張り。考えてみれば、それも当然なんだけど。ぼくのもとには「メールは確かに送信されました」の表示を見た記憶だけで、あとはなにも残っていなかった。

そうこうしているうちに、広場一帯の人はますます増えてきている。そろそろ腹をくくらなくてはいけない。ぼくに許された選択肢は、あまりなさそうだった。企画を中断するか。警官のガードを突破してフェンスの向こうに潜入するか。でも仮に警官に見つからずに潜入できたとして、年越しの花火が上がるまでの6時間。厳戒態勢の中、カメラを構えて居座り続けることができるだろうか。目は、警官の腰にぶらさがった警棒に吸いよせられる。結局ぼくは、この企画に課していた「同じ場所、同じ画角」というルールを曲げることにする。フェンスで囲まれてしまった部分を除けば、いちばん門に近いところ、特等席とでも言えそうなところに三脚を構えることができた。残念だけど、仕方がない。事前にもっと調べておかなかったぼくが悪いのだ。

三脚を構えるともう、できることはあまりなかった。周囲にもやがて年越しを待つ人が現れて、言葉をかわし合う。早々にフェンスぎりぎりのラインに椅子を並べたのがドイツ人のグループ。オーストリアからやってきた2人は夫婦にも兄妹にも見える。女の子2人組はサンフランシスコからスペインに留学中。彼女たちとたのしくおしゃべりをしていたら、やがて大きな一眼レフを担いで、ドイツ人の青年がぼくの隣にがっしりした三脚を立てる。中国からヨーロッパへ、そしてカメラ大国であったはずのドイツに来ても、街で見かけるカメラの殆どは日本製だから、カメラ好きとは話題に事欠かない。毎年ここで撮影している彼によれば、花火は12時から12分程度。花火は結構な高さまで上がるらしい。前日までの画角では、どのみち花火は入らなかったわけだ。時計が8時をまわる頃になると、門とは反対側の後方で、早くもさかんに花火が打ち上がりはじめる。それにしたがって、救急車のサイレン音も増えてくる。すぐそばで喧嘩がはじまり、ヘルメットで武装した警官につまみ出される人がいる。いつの間にか周囲の人垣は、みっしりと身動きが取れないほどになっている。徐々に間隔が短く、距離が近くなっていく爆竹、花火。迫り来る爆発音と寒さの中、人々と身を縮め、肩を寄せ合うその空間は、ベルリンが空爆される様を思わせた。

24時。歓声とともに花火が上がる。しかしぼくの手がシャッターをきるより早く、手元には、レンズには何か液体が飛んでくる。振り返ると隣のイタリア人グループがシャンパンをかかげて、歓声をあげている。彼らには、花火がはじまったら三脚を揺らさないでくれと頼んでいたのだけど、シャンパンとは盲点…! でも文句を言っている暇はない。構わずすこし写真を撮ってから、レンズを拭いてまた、限られた時間の中、ありったけシャッターを切りつづける。

あっけなくあっさりと、花火は止んでしまう。「これで終わり?」なんて隣のドイツ青年に尋ねていると、「ほら、年が明けたんだよ!」とオーストリア人に促される。待っている間に教わったドイツ語「Frohes Neues Jahr !」で新年を祝って、数時間を共に過ごした人々と、別れを告げた。

ホテルへの帰り道は狂っていた。あらゆる道、あらゆる交差点でビール瓶を発射台にロケット花火が打ち上げられている(写真参照)。というか発射台があればまだいい方で、歩行者に向けて水平に打ち込まれるロケット花火。悲鳴をあげ逃げ惑う人々。かと思えば街角にはのんびりと手持ち花火を楽しむ老婦人がいたりして、なにがなんだか。とにかく、数時間前からトイレに行きたくなっていたぼくは無政府状態の通りを駆けて、ホテルへ戻る。一息ついてビールをあおって、ベッドにもぐる。

1月1日 ウィーン(寿太郎)

元日のウィーンで催されるクラシック・コンサートは、なにもかの有名なウィーン・フィルハーモニーによる公演だけではない。街じゅうの大小あらゆる会場で、一斉にといっていいほどクラシック・コンサートが開催される。コンサートごとの性質や会場にもよるけれど、基本的に人びとはそれほどビシッと着飾って会場に向かったりはしない。どちらかというと、日本でいえば「ちょっと映画でも見に行くか」といった感じの服装だ。

ウィーンの歴史的ランドマークであるシェーンブルン宮殿*の一角で催されるコンサートも、やはりカジュアルな感じだった。歴史ある建物の立派な部屋の中には、シンプルに椅子が並べられているだけだ。ステージもいたってシンプル。ここに現れたのは、弦楽器を中心とした小規模な編成の楽団だ。演奏する曲目も、誰もが聴いたことがあるようなスタンダードばかり。なにより大切なのは「気軽に楽しめること」なのだろう。最初に耳に飛び込んできたのはもちろん、モーツァルト作曲「フィガロの結婚」序曲*。立て続けに有名曲の演奏が繰り出され、やがてそこにオペラ歌手までもが加わる。歌劇「魔笛」*から、パパゲーノとパパゲーナの二重唱だ。「パパパパ…」の呼びかけの応酬が楽しい。

休憩を挟んで続くコンサートは、ダンサーたちも登場してどんどんと盛り上がっていく。最後には、どうしてもこのウィーンで聴いてみたいと思っていた、ヨハン・シュトラウス2世作曲「美しく青きドナウ」*もきちんと演奏された。そしてアンコールの拍手に応えるのは、ヨハン・シュトラウス1世の「ラデツキー行進曲」*だ。指揮者は観客に手拍子を要求し、身振り手振りでそのタイミングを知らせる。うまく手拍子が揃わなければ、大げさに顔をしかめて見せる。打ち鳴らされる手拍子と楽しい笑い声は勇壮な行進曲に溶けていき、コンサートはお開きとなる。

そんなに特別なことでもないけれど、というような、でも満足そうな顔つきで人びとは帰途につく。元日という特別な日だからこそ、逆にこうしたコンサートがどれだけウィーンの人びとにとって日常的なことなのかということがよくわかる。きっと同じような光景が、ウィーンじゅうの色々な場所で見られたことだろう。おそらくは、この日だけでなくて、一年じゅういつでも。

◆ シェーンブルン宮殿
オーストリア・ハプスブルグ家が離宮として使用した、現在では世界遺産となっている建物。18世紀、マリア・テレジアの時代に完成した。

◆「フィガロの結婚」序曲
よく聴くあれです。youtubeで探してみてください。ちなみにこの第3幕の楽曲は、映画「ショーシャンクの空に」で主人公のアンディが刑務所じゅうに流した、あれです。

◆ 歌劇「魔笛」
たまに聴く「パパパパ…」っていうあれです。youtubeで探してみてください。

◆「美しく青きドナウ」
「2001年宇宙の旅」でも使われたあれです。youtubeで探してみてください。

◆「ラデツキー行進曲」
よく聴くあれです。youtubeで探してみてください。

1月1日 ベルリン(スガ)

朝起きて、また門の前に立つ。人気のない通りには、雨に濡れた赤や白の花火の残骸。それを見て、2013年が始まったんだな、と思うことにした。撮影に出かける以外、あとはだいたいベッドで過ごす。「♪お正月といえ〜ば〜」のフレーズで、正月になるとなんとなくかけてしまう、はっぴいえんどの「春よ来い」を、今年も聴いてみたりする。


編集後記:退屈なしめくくり

さて明日からは Biotope Journal、通常営業に戻ります。そしてここ数日、ベルリンの面白さをやっと感じることができるようになったぼくも、そろそろプラハにいる寿太郎くんの元へ、合流しなくてはなりません。

というわけで今年もどうぞ、よろしくお願いします!

スガタカシ