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こんばんは。退屈ロケットのスガタカシです。東京あたりはもう梅雨入りなんて聞きますが、皆さまいかがお過ごしですか。

ぼくたちは、今週も先週に引き続き、からっとさわやかナイロビ。先週はスターバックスさながらのWifiカフェからお届けしましたが、飲食費とタクシー代(治安が悪いので徒歩・バス使えず)でみるみるお金が飛んで行ったので、あえなく撤退。かわりに3G回線でインターネットを使えるポケット3Gなるものを購入して、居候先のソファでくつろぎながらおおくりします。

今週のBiotope Journalはケニア・ナイロビのファンキー結婚式の模様をお届け。それから今週のアフタートークでは、CAMPFIRE開始後、新しく Biotope Journal を知った方の何人かからいただいた「なんでそもそもこんなことを始めたの?」というご質問に、ちょっと今までより突っ込んでお答えしてみます。それでは今週も、どうぞお楽しみください!

ナイロビ市内。木の上に目を凝らすと、巨大な鳥がいたりする。

Biotope Journal リポート #032|ジョセリン

Web "Biotope Journal" ジョセリン編 ナイロビ ケニアの花嫁、日本の花婿

>〈ルオ族〉Joseline, in Nairobi, Kenya 1/7
>〈大阪〉Joseline, in Nairobi, Kenya 2/7
>〈恋人〉Joseline, in Nairobi, Kenya 3/7
>〈猫〉 Joseline, in Nairobi, Kenya 4/7
>〈牛〉Joseline, in Nairobi, Kenya 5/7
>〈ウェディング・ドレス〉Joseline, in Nairobi, Kenya 6/7
>〈インドア〉Joseline, in Nairobi, Kenya 7/7

ケニアの首都・ナイロビは、危険な都市として知られている。南アフリカのヨハネスブルクやベネズエラのカラカスなどと並んでその名が挙がることはしばしばだ。『地○の歩き方』など、もはや「歩き方」としてのアイデンティティを完全に放棄してしまって、「市街地は危険なため歩かないこと」などと記述している。しかし実情はどうなのだろう。「いざ現地についてみれば、言われていたほどではない」などということは日常茶飯事だ。実際にその地の土を踏んでみなければわからないことも多くある。

ナイロビ、意外と若い女性や子どもも外を歩いている。ほんとうに危険なのだろうか…?
こうした場所を訪れるときには、通常ならば不安を抱えてそろそろと入国することになる。でも今回は違う。なにしろ、空港まで知人が迎えに来てくれるのだ。こんなに心強いことはない。
建物の周囲には塀と鉄条網。
エジプトからスーダン・エチオピアという国々をスキップしてケニアまで飛んできたのは、友人の結婚式に出席するためだった。筆者の十年来の友人である雄大(ゆうた)と、彼の婚約者であるジョセリンが、ここナイロビで挙式するのだ。ただ出席するのみならず、グルームズマン*(花婿の友人代表/付添い人)という大役を仰せつかっているから、この責任は重大だ。ナイロビの治安に対する不安よりも、ここで下手をうって新郎に恥をかかせないかという不安のほうがよほど大きい。だいたい、そのグルームズマンがいったい何をすべき存在なのかも、まだ把握していないのだ。メールなどで新郎に尋ねてみても、「俺もまだよくわかっていない」とのことだった。
英国統治時代の建物も残る
ともあれ、ナイロビ郊外のジョモ・ケニヤッタ国際空港*に降り立ち、迎えに来てくれているはずの夫妻(にこれからなるふたり)の姿をキョロキョロと探す。でも見つからない。あたりの人びとの大多数が黒人だから、ジョセリンはともかく雄大の姿は目立つはずなのに、彼の姿はいっこうに見えない。仕方がないので、構内にあるカフェにひとまず落ち着くことにする。
すると、荷物を解き終えるか終えないかというタイミングで、見覚えのある黒人女性がこちらに歩いてくる。4年前に顔を合わせたときと同じ明るさで、こちらに話しかけてくれる。彼女こそがジョセリンだ。
ジョセリン、彼女の次兄・スティーブの家で。

籍を入れるにもひと苦労

迎えに来てくれたとはいえ、ふたりがケニアに到着したのはほんの少し前のこと。ジョセリンも雄大も、現在は日本に暮らしているのだ。彼女は日本の大学を卒業し、そのまま日本で就職し、ずっと大阪に暮らしている。だからふたりは、日本で出会い、日本で暮らしてきた。
スティーブの家からの眺め。アフリカだということを忘れそう。
一度だけジョセリンに会ったことがある。4年ほど前だから、ふたりが付き合いはじめて間もないころだ。そんな時期には、男というやつは、かわいい自分の彼女を友達に自慢したくなるもの。4年越しにそのことを問い詰めたら、彼は「ちょっとね」と笑いながら白状していたけれど、とにかく彼はジョセリンを紹介してくれた。大阪の繁華街の、居酒屋でのことだった。彼女がケニア人だということは聞いていたけれど、それにしても日本の居酒屋と黒人の女の子という取り合わせは見慣れなくて、いささか面食らったものだ。でも話してみると、彼女はとても気さくな、明るい女性だった。
スティーブの家は集合住宅の2階。防犯のためか、部屋ごと、玄関の前に鍵のかけられる鉄格子。
4年を経て再会した彼女は、まったく変わっていないように思えた。変わっていたことはといえば、当時も上手だった日本語が、より流暢になっていたということ。それと同時に、大阪弁もより色濃くなっていたということ。ともかく再会を喜び合い、それから彼女は、雄大のもとへ案内してくれる。ジョセリンほどではないにしろ、彼と会うのも久しぶりだ。ところが、挨拶を交わすこともままならない。というのも、彼は風邪に悩まされていて、特に喉が惨憺たる状況になっているのだ。何を言っているのかがわからないというレベル。話したいことは山ほどあるのに、あまり喋らせるわけにはいかないというのがもどかしい。それにそもそも、結婚式の本番は2日後に迫っているのだ。はたして大丈夫なのだろうか。
スティーブの家のキッチン。日本と関係の深い一家のためか、インスタント味噌汁がある。
車を運転して彼らと一緒に迎えに来てくれたのは、ジョセリンの次兄、スティーブだ。国際派のジョセリンのきょうだいはみんな世界じゅうに散り散りになっていて、ケニアに暮らしている彼に、現地でのあらゆることのアレンジが任されてしまうのだ。目が回るほど忙しいはずだけれど、彼はとても陽気だ。日本からのゲストたちを家に泊め、あれやこれやと世話を焼いてくれもする。
新郎・雄大も結婚前はジョセリンと同じ部屋で寝ることを許されず、式当日まで、スティーブの家に泊まっていた。
スティーブの車がまず向かうのは、インド系の店主*が営む仕立て屋だ。筆者と空港で合流したもうひとりの友人、それにもうひとりケニア人を加えた3人は「グルームズマン」という役割を任されていて、このためには揃いのスーツを着なければならないのだ。あらかじめサイズを伝えて仕立ててもらっておいたのだが、この試着をするというわけだ。これは割と素早く終わる。そしてお次がいよいよ重大な、婚姻届の提出だ。
ジョセリン、雄大とスティーブ。飛行場から役所に直行、婚姻届の提出についてゆく。
国際結婚*ということもあり、婚姻届の提出はかなりややこしい段階を踏まねばならない。今回手続きをするのはケニアの役所だが、日本の役所で発行されたいくつもの書類に加え、それらの翻訳文(英文)まで添えなければならないのだ。郵便の配達事故*未遂などもあり、数々のトラブルを乗り越えてなんとか揃えた書類の山をたずさえ、ふたりは手続きの部屋に入っていく。場違いな付き添いの東洋人たちは手持ち無沙汰に待ち続け、しばし。どうも書類に不備があるらしいということがわかる。以前にはその書類でOKだと言われたようだから、どうにも解せない。係員によって言うことがコロコロと変わるのだ。ともかく、ジョセリンの家族の顧問のような存在の法律家のオフィスへ移動し、指示を仰がねばならない。少なくとも式の前には婚姻届が受理されなければならないから、状況は深刻だ。結局、新しい書類の翻訳を用意したり、加えて日本大使館に行かねばならないことになる。でも、大使館のオフィスアワーも限られているし、次の予定も迫っている。結局、婚姻届の提出は翌日に、つまり結婚式の前日に延期されてしまうことになった。

ふたりは如何に変わったか

夕食には、結婚式のために集まってきた親類縁者が勢ぞろいする。場所は、ナイロビでも有名な「Carnivore」*という肉料理のレストラン。総勢30人程度だろうか、新郎新婦の両親やきょうだいをはじめ、いとこや友人たちまでもが集まる。でも肩肘張った集まりではなく、皆わいわいと陽気に楽しんでいる。子どもたちははしゃぎまわり、肉を頬張る。日本からはるばるやってきた雄大の両親(父上はこれが初めての海外だったのだとか)も、ジョセリンの母親たちと和やかに談笑している。
肉料理レストラン「Carnivore」。赤々と燃える炎に、さまざまな肉がかけられている
こうした場で子どもたちを見ると、ジョセリンの家族がいかに国際的かを実感することができる。ある女の子は、肌の色の黒さがやや薄く、アメリカに住む黒人によく見られるような雰囲気がある。聞けばやっぱり、彼女のお父さんはカナダ人で、今回ははるばるカナダからやってきたのだとか。ちなみにお母さんはジョセリンのお姉さん、つまり彼女はジョセリンの姪にあたるというわけだ。
ジョセリンの姉、カナダに住むアンとその子どもたち。
ほかにも、流暢な日本語を喋る子までいる。彼らもやはり、ジョセリンの甥っ子たち。お母さんが日本人で、お父さんはジョセリンの長兄であるフランシスだ。彼はふだんは日本に住み、大阪で事業をしている。とても滑らかな大阪弁を喋る彼は、雄大の両親をはじめ、日本人たちに細かな気配りをしてくれる。
関西弁を操るジョセリンの長兄・フランシスと息子。
ジョセリンが留学先に日本の大学を選んだに背景には、この長兄の存在があった。日本に移り住んで大学を卒業し、働き口を得て、彼女は今も大阪に暮らしている。長きに渡るひとり暮らしのあとで、晴れて雄大と暮らせるようになったのは、つい数ヶ月前のことだった。雄大が大阪に転勤する前は、ふたりはずっと遠距離恋愛を続けていたのだ。
スティーブの家、壁にかけられた家族の写真。ケニアの家族の結びつきは日本よりもずっと強い。
ふたりの関係は、そもそものはじめから遠距離恋愛だった。きっかけとなったのはFacebookだ。雄大はアフリカの開発にかかわる経済学を大学で学んでいて、スワヒリ語*話者との出会いを探していた。そこでたまたま見つけたのがジョセリンだった。彼がすでにそのとき、語学の裏に下心を隠していたのかどうかはわからない。ともかくふたりはやりとりを始め、親しくなる。
当時、ジョセリンは音楽活動*を行っていた。あるイベントで歌うため、彼女には大阪から横浜にやってくる機会があったのだ。彼女の何気ない誘いに応じて、この機会を逃すものかと、雄大は鼻息も荒く会場に足を運ぶ。そこで電話番号やメールアドレスを交換し、ふたりはさらに親しくやりとりを交わすようになったのだ。
スティーブの寝室。マラリア蚊を防ぐため、蚊帳で寝ている。
けれども、ふたりが恋人同士になるには、もう少し時間がかかった。ジョセリンには真剣な恋愛を恐れるような気持ちがあって、当時の彼女はボーイフレンドはいらないという姿勢だったのだ。一方で、雄大はそんな彼女を説き伏せにかかる。毎日のように電話をする中で、様々な角度からアプローチを試みたのだ。「彼は本っ当にしつこかった」とジョセリンは笑って話してくれる。でもそのしつこい一途さに、彼女の心も少しずつ動かされていく。そしてふたりは、晴れて恋人同士になったのだ。あれほど恐れていた、真剣な"I love you"という言葉も、彼女のほうから自然と口をついて出たのだという。彼が自分を変えてくれた、とジョセリンは言う。
着物を着こなすジョセリンと、雄大
一方の雄大も、ジョセリンが自分を変えた、と言う。特に大きな変化は、「もっと人生を楽しもうと思うようになった」ということ。彼は日本のビジネスマンを象徴するような真面目すぎるほど真面目な人物*だし、一方でケニアの人びとはいつでもリラックスして、誰に対してもオープンだ。少なくともふたりの間では、これらはぶつかり合うことなく、むしろ互いに新鮮な影響を及ぼした。根本的な感覚は近かった、とふたりは口を揃える。
結婚式のセレモニーの後は、テントが張られた庭でアフターパーティーがおこなわれた。

驚異のケニア式段取り

とはいえ、日本人からすると信じられない、ということもケニアでは起こる。たとえば時間についてのとらえ方。ケニアの人びと自身も冗談めかして「これがケニアン・タイムだよ」と言うけれど、ここには時間の厳密さというものがまったく存在しないのだ。予定はいつでも引き伸ばされ、人びとは焦りもせずリラックスしていて、でも最終的にはどうにかなる、というのが彼らの日常だ。スワヒリ語の「ハクナマタタ」は、日本語に訳すならば沖縄弁の「なんくるないさ」*に似ているとのことだが、たしかにこの時間感覚にも、どこかしら沖縄の人びとに通ずるものがあるかもしれない。
結婚式会場にいた巨大な鳥。戦えばこちらが危ない。
結婚式を翌日に控えたこの日もそうだった。今度こそ無事に婚姻届を提出できたのはよかったけれど、そのあとの結婚式のリハーサル会場に、人びとがまったく姿を現さないのだ。みんな当たり前のように遅れてくるから、たとえば2時半が予定の時刻であれば前倒しして2時と伝えておくのが常道であるようだが、それにも人びとはしっかりと遅れてくる。
ようやく始まったリハーサルでは、牧師のおじさんから翌日のセレモニーの段取りが説明される。「段取り」という概念がかくもしっかりと示されたのは、ケニアに来てこれが初めてだったかもしれない。それでも、その段取りも度々変更されるから注意しなければならない。筆者がグルームズマンとして主にすべきことは、1.踊りながら登場する 2.踊りながら退場する*、という豪華2本立てだったのだが、それにしてもそのタイミングなどが頻繁に変更され、さっぱり要領を得ない。もう一人のグルームズマンである長身のケニア人が親切にサポートしてくれて、ようやくあれこれの段取りを把握することができた。
結婚式のセレモニー会場
もちろん、新郎新婦にはさらに多くの覚えるべきことがある。基本的には日本での欧米スタイルの結婚式と大きな違いはないのだが、それにしても何もかもが英語で進んでいくし、しかも新郎は風邪を引いているしで、心配になってしまうほどだ。式のすべてのプロセスについての細かな確認が終わったところで、さあもう一度通しのリハーサルだと思いきや、時間がないのでお開きになってしまった。果たして、これで大丈夫なのだろうか?

ケニアの花嫁、日本の花婿

結婚式の朝は慌しい。慌しいにもかかわらず、物事は実にのんびりと進んでいく。滞在しているスティーブの家には親戚の子どもたちがやってきて、一張羅を着せてもらう。元気いっぱいの彼らをじっとさせるのにもひと苦労だ。この作業には新郎も、その両親も加わる。和気藹々と物事は進み、時計の針も進んでいく。予定時刻の10分前になっても、まだ出発しようという気配はない。
一張羅をまとったジョセリンの親戚の子どもたち

それでも、いざ式場に着いてみれば、あらゆることは予定通りといった風情で進んでいる。厳密に働いている時計の針が気の毒になるほどだ。ゲストたちも三々五々、それぞれのタイミングで集まってくる。その流れのままに、特にかしこまった様子もなく、式が始まっていく。陽気な音楽が流れ、人々の間に幸せの空気が充満していく。ジャケットの中にピンクのベストを着込んだ日本人の間の抜けたダンスも、むしろ場の空気に笑いを添えることができたようだった。

新郎新婦はそれぞれレクサスで登場
いよいよ新婦の入場だ。黒い肌が純白のウェディングドレスに映え、彼女の笑顔はいっそう美しさを増している。早くに亡くなった父に替わって彼女をエスコートするのは、長兄のフランシス。彼もまた笑顔だ。待ち受ける新郎に彼女が委ねられ、そして誓いの儀式が始まる。しかじかの文句と、誓いの言葉、そして誓いのキス。拍手が巻き起こり、大いなる祝福の中で、ふたりは夫婦となる。
ケニアらしさを存分に発揮してくれたのは、誰であろう、この儀式を取り仕切る牧師その人だった。彼はなにしろファンキーで喋り好き。新郎新婦に対して、これからの心構えを、まるで歌うようなリズムに乗って語り聞かせる。ここで日本語通訳に任ぜられたのはフランシスだった。ふだんは流暢に大阪弁を操る彼も、さすがに同時通訳には手を焼いているようで、そのうえ妹の晴れの舞台に感極まっているために、通訳にはけっこう時間がかかってしまう。でも牧師はおかまいなしに自分のリズムで話を続けるから、フランシスの通訳はいつも途中で途切れてしまう。そのため、彼の大阪弁も手伝って、まるでコントのようなやりとりになってしまうのだ。でもともかく、夫婦仲良く、互いを思いやって円満に、という牧師のメッセージは、はよく伝わってきた。
ノリノリの牧師にフランシスが大阪弁で合いの手(通訳)を入れる。
恋人同士だった頃にも、ふたりの間にはたびたびケンカはあった。そこには些細なものもあり、深刻なものもあった。最大の危機が訪れたのは2年ほど前のこと。それは結婚観についてのことだった。雄大より2歳年上のジョセリンは、早く結婚したいと望んでいた。真剣な恋愛に恐怖感を持っていた彼女は、雄大との出会いによって恋愛に向き合えるようになった。でも今度は、以前の自分に戻ってしまうことが怖くなったのだ。だから自分には彼だけだといういわば証として、結婚という誓いが欲しかったのだ。一方の雄大は、当時は社会人になって一年目。結婚したい気持ちは強く持っているけれど、家庭を築いていく自信がまだ持てない。だから結婚を安請け合いすることはできない、というのが、彼が結婚を先延ばしにする理由だった。彼なりの誠実さの表れは、けれども彼女をもどかしい思いにさせる。
ケニア人と日本人のカップルというと、一般的なカップルに比べればずいぶんとかけ離れているように思える。でもふたりは、「お互いを想うゆえの」という意味で、いわば王道のような――妙な表現だが――すれ違い方をしたのだった。ふたりは半年もの間、疎遠になった。「一度別れてしまった」といえるほど長い時間だ。毎日ほとんど欠かさずに電話をしていたふたりにとって、それは途方もなく長い時間だっただろう。でも結局、彼女のほうから彼に連絡を取り、関係は修復された。
ジョセリン母
今のふたりには、もうそんなすれ違いは無縁だ。肌の色も母国語も、好きな休日の過ごしかたも、好きな食べ物の味付けも違うけれど、でも恥ずかしがらず衒うことなく相手の素晴らしさを語ってくれるふたりの瞳は、しっかりと同じ未来を見すえている。

ケニア・スタイル*の披露宴はますます盛り上がっていく。陽気な音楽に人びとは手を打ち鳴らし、足を踏み鳴らし、それはやがてダンスに変わる。喜びの叫び声が響き渡り、空へと溶けていった。
ふたりの未来に祝福を。いつまでも明るい光が、ふたりの道を照らし続けますように。

文・金沢寿太郎

今週の参照リスト

 

《ジョセリン プロフィール》

 
名前 Joseline Otieno
国籍 ケニア
年齢 30歳
職業 インターナショナル幼稚園の先生(日本)
出身地 ナイロビ
在住地 大阪
家族、恋人 母、兄2人、姉1人、夫 長谷川雄大
自由な時間の過ごし方 家で過ごす(映画・音楽鑑賞)

《長谷川雄大 プロフィール》

 
名前 長谷川雄大
国籍 日本
年齢 28歳
職業 会社員
出身地 神奈川
在住地 大阪
家族、恋人 父、母、妹、妻 Joseline Otieno
自由な時間の過ごし方 筋トレ

《脚注》

◆グルームズマン
西洋式の結婚式では、花婿の友人代表・付添い人として数名のグルームズマンが彼をサポートする。これは通常、兄弟や未婚の友人から選ばれる。なお、花嫁側の付添い人はブライズメイドと呼ばれる。

◆ジョモ・ケニヤッタ
国際空港にもその名前を冠せられているジョモ・ケニヤッタは、ケニア建国(1963年)の父にして初代大統領。現在も多くのケニア・シリング紙幣にその肖像が描かれ、またナイロビ市内では彼の銅像も見ることができる。なお、2013年4月より現職のウフル・ケニヤッタ大統領(第4代)は彼の息子にあたる。

◆インド系住民
全体に占める割合はそう多くはないものの、ケニア、特に首都ナイロビや海岸地方には、インド系移民の姿もしばしば見ることができる。ここには、かつての宗主国が同じイギリスであるという共通点も影響しているだろう。ナイロビ市内ではヒンドゥー教の寺院も目にすることができる。

◆国際結婚
国際結婚の手続きはそれぞれの国籍によってケースバイケースだが、一般的には双方の国で結婚の手続きを行うことが多い。なお厚生労働省によると、男性側が日本人・女性側が日本人のケースを合わせ、日本人による国際結婚の件数は年間3万〜4万件の例がある。

◆国際郵便の配達事故
たとえ日本において信頼のおける郵便局から発送した場合(EMS)でも、現地で業務を委託される機関の仕事ぶりが酷い場合もあるので、注意が必要。DHLやFedexなどの民間業者も比較して利用するのが賢明かもしれない。

◆レストラン"Carnivore"
各ガイドブックにも紹介されているこのレストランは、野生動物をハンティング・調理するためのライセンスを持っていて、牛や豚などのほかに、ワニやシマウマなどの肉を食べることができる。レストランを入るとすぐに、まるで地獄の釜のように炎で真っ赤に染まった調理場があり、多種多様な肉が豪快に焼かれている。給仕もダイナミックで、ウェイターたちは串に刺された肉の塊を持ち運び、テーブルで取り分けていく。

◆スワヒリ語
東アフリカ諸国で広く話されている言語。ケニアでは、学校教育などでは公用語とされている英語が用いられるものの(したがってケニアでは英語が通用するどころか、ネイティブスピーカー同然に使いこなす人が非常に多い)、スワヒリ語は国語としての地位を与えられており、ほとんどの人びとが理解する。ただしケニアで優勢なのは、スワヒリ語の中でも方言として位置づけられるもの。

◆ジョセリンの音楽活動
彼女はかつて音楽学校に通い、"Rhyme Time"というバンドで音楽活動をしていた。メンバーには日本人や韓国人を含む、多国籍のバンドだ。現在彼女は活動を休止しているが、かつての作品はweb上でチェックすることができる。
>YouTube

◆雄大の性格
長年の友人である筆者より特に注記を――彼の緻密な真面目さ、仕事のためにどんな無理をも厭わない様子はいかにも日本人的であるようだが、一方で、柔軟な発想力と、絶対に流されずに自分の意志を貫くという頑固一徹さも彼は持ち合わせている。そのあたりがジョセリンとの間にたびたび衝突を生み、でもそれ以上に彼女のことを強く惹きつけるのだろう。

◆なんくるないさ
「どうにかなるさ」という意味の、沖縄の方言。ただしこの裏には、正しい行いをやりつくしたならば、という意味合いが込められているともいわれる。「人事を尽くして天命を待つ」の「天命を待つ」の部分と同義といえるだろう。スワヒリ語の「ハクナマタタ」もこれと同じような意味合いで、この言葉は特に映画「ライオン・キング」で広く知られるようになった。

◆ケニアのダンス
ケニアの人びとの感覚は、音楽が流れれば自然に体が動く、その延長にダンスがある、というものだ(少なくとも、傍目にはそのように見える)。でも、そんなファンキーなことを、盆踊りぐらいしか経験したことのない一介の日本人ができるわけもなく、筆者は冷や汗を流す思いだった。

◆ケニアの披露宴
ケニアはキリスト教圏であり、かつての宗主国であったイギリスの影響が強いため、日本で行われる西洋風の披露宴とそこまで大きな違いはない。ただし雰囲気は(少なくともジョセリンと雄大の場合は)とてもカジュアルであり、リラックスしたものだった。なおここにはジョセリンの出身であるルオ族の趣味も影響している。ルオの人びとは家具や部屋の装飾などにもお金をかけ、派手好きの傾向があるようだが、今回の披露宴もレストランを貸し切り、庭にテーブルを設置して豪華に行われた。

旅日記【ロケットの窓際】032 ため息のペトラ遺跡

 バスに乗り、タクシーに乗り、船に乗り、果ては馬やロバにまで乗った。アンマンからエジプトへ至る道は、かくも長く険しい。この間二十四時間超。一度もベッドに横たわることなく、それどころか睡眠さえほとんど取らなかった。


 エルサレムからは、いったんアンマンへ舞い戻った。早朝にヨルダン南下を開始し、その圧倒的な景観と、それを一躍有名にした「インディー・ジョーンズ最後の聖戦」のロケ地、そしてそれに乗じた恐るべきぼったくり方の入場料でとみに有名なペトラ遺跡へ向かう。広大な遺跡を半日観光し、ヨルダンが唯一外海に面するところの港湾都市、アカバへ。そして、いつ出航するかまったくわからないことで名を馳せるエジプト行きの船に乗るのだ。


 アンマンからペトラへ向かうバスのシートは半分ほども埋まっていなかったけれど、客のほとんどは外国からの旅行者だった。ペトラ遺跡は、交通の便が良い場所にあるとは言い難い。また、その入場料も東京ディズニーランドの一日券に相当するほどの金額で、ヨルダンの物価を度外視したとしてもこの種の遺跡としてはめちゃくちゃに高価だ。それでもなお、訪れる価値があると考える人が多いのだろう。

 それにしても、日帰り観光を想定しているのだろうか、アンマン発ペトラ行きの便は朝がやたらに早い。乗客たちは皆、神秘の遺跡への期待に胸を膨らませているという様子でもなく、どちらかといえば眠そうな顔を見せている者が多い。

 早起きの甲斐あってか、ペトラには午前中に到着することができた。エントランスを抜けると、意外にも観光客はまばら。いや、実際にはたくさんの観光客が入場しているのだろうけれど、遺跡があまりにも広大なため、まばらに見えてしまうのだ。さっそく馬を引き連れた連中が話しかけてくる。たしかにこの遺跡は恐ろしく広く、どこかで馬やロバなどに乗らなければ疲れ果ててしまうだろう。ところが、これらの客引きの相手をするのも、これまた疲れるのだ。

 長い時間をかけて風にさらされ削られてきたのだろう、そそり立つ岩崖に挟まれた回廊を行く。ここの岩はあまりにも光に対して繊細だ。正午も近くなり、真上から陽光を注ぎ込む太陽が少し角度を変えるだけで、燃えるように赤い壁の色は微妙にその色味を変えていくのだ。まるで炎が揺らぐように。

 回廊を抜ければ、いよいよペトラのハイライトであるエル・カズネ(宝物殿)。神殿のような形をしているが、ここは正確を期すならば神殿ではない。というより、建物ですらない。どちらかといえば巨大な彫刻というのが正しいだろう。つまり、岩などを組み上げて作られたわけではなく、切り立った崖を神殿のような形に彫り、同時に中をくり抜いて空間を生み出すことで作り上げられているのだ。プラスではなく、マイナスによって生み出された建物。それは大自然に突然人工物が現れたような、一種の異様さをもって屹立している。遥か昔に失われた文明が突然掘り出されたような、オーパーツにも似た不思議さがここにはある。それと同時に、自然に刃向かい美を振りかざすのではなく、自然の内なる美の可能性を具現化したような、悟りにも似た静けさをも、この遺跡はたたえている。なるほど、万難を排してでも訪れる価値はあるのかもしれない。

 一方で辟易させられるのは、やれ馬に乗れラクダに乗れと客引きをしてくる連中だ。驚くべき太古の遺産に目を奪われている最中にも構わず話しかけてくるから、思わず強い口調で黙れと言ってしまう。すると憮然とした顔つきで、自分はベドウィンである、ここは我々の土地だ、敬意を払え、というようなことを申し述べてくるのだ。勘違いも甚だしい。この神殿を作り上げた先人たちには敬意を払えど、それを利用して稼いでいるような連中に誰が敬意を払うものか。もちろん彼らにも生活はあるし、ベドウィンたちが時代とともにそのスタイルを変えていかねばならない事情もわかる。でも敬意が欠如しているのは彼らのほうだ。遺跡への敬意があれば、それを静かに堪能している観光客を邪魔することなどできないはずだ。誇り高いベドウィンの真のホスピタリティというのは、これとは正反対のもののはずだ。僕はそれを、エルサレムでしっかり見てきたのだ。――ともかく、このように、ペトラ遺跡はポジティブな意味でのため息とネガティブな意味でのため息のふたつを経験させてくれる。

 そうこうしているうちにペトラ遺跡の最深部までたどり着いたのだが、同時に相方の顔色が見る見る悪くなっていく。寝不足のせいなのか、悪いものでも食べたのか、ともかくこの調子では出口にたどり着くのもひと苦労といった状態だ。休み休み歩いてはみたが、出口を目前にしてに馬に乗ることにした。ところがこの馬引きの男、憎めない感じではあるのだが、まったくのお調子者。こいつは体調が悪いからケアしてやってくれ、と僕が何度も言い聞かせているのに、彼はヘラヘラと笑うばかり。そればかりか、彼は馬にスピードを出させようと、足を踏み鳴らして音を出す。それは僕のほうの馬に向けられたものだったが、何を間違えたか、死にそうな顔の相方を乗せているほうの馬が敏感に反応し、急加速して走り出してしまった。さすがのヘラヘラ男も慌てて追いかけるのだが、人間の脚が馬に追いつけるはずもない。僕はといえば、振り落とされやしないかとハラハラ見守ることしかできない。

 それにしても、馬の駆ける姿は本当に美しい。その背にまたがったグロッキー状態の相方も、これまたむやみに凛々しく見える。十五年の付き合いの中でも稀に見るほどのかっこいい姿だったのだが、当然精根尽き果てた彼は、その後乗り込んだタクシーの中で、静かに半死人と化すハメになったのだった。

アフタートーク【ロケット逆噴射】032

スガ
結婚式から、もう1週間がたつんだね。

寿太郎
早いもんです。ずーっとバタバタしてたから、あんまり実感はないけれど。

スガ
バタバタしてとは言っても、まだナイロビで、スティーブの家のご厄介になっているという…。

寿太郎
スティーブというのは、本文にも出てきたけれど、今回結婚式を挙げたジョセリンの2番目のお兄さん。彼の家にずっと居候させてもらってるわけです。

スガ
結婚式の前も合わせると、もう10日くらいになるね。これ、居候最長記録ですよ。

寿太郎
しかも彼は、途中数日いなかった。新郎新婦や家族たちといっしょに里帰りしてたんだよね。その間も居候させてもらってたという。

スガ
何度も「そろそろ宿に移るよ」と言って出て行こうとはしたんだけど、そのたびに「危ないから泊まっていけ」と言われてズルズル…。ここの家のソファ、居心地よくていけない。断水が2日もつづいたのにはわりと参ったけど。

スティーブの家リビングソファ。見栄っ張りのルオ族は、豪華なインテリアを好むという。

寿太郎
俺の財布もなくなったしね。まったくこの家とは関係ないけれど、あれがいちばん参った。無事発見されてほんとによかった。……で、今回の記事ですが。

スガ
ジョセリン、ゆうた、お幸せにー、以上!

寿太郎
今回はとても難しかった。今まで、個人的によく知っている人を記事にしたことはなかったし、結婚式自体にも新郎の付添い人として個人的にかかわっているということもあって、ちょっとふだんとは違う書き方をしなきゃいけなかったからね。

スガ
なにかと思ったら、結局踊るだけだったけどね。グルームズマンは。

寿太郎
あれはたぶん、何をするというわけではなくて、関係性が大事なんだろうというのがわかった。たぶん新郎の側に立ってみれば、ああいう大切な瞬間に友達がそばにいてくれるというのは結構心強いものですよ。そういうふうに貢献できたのならよかったけど。

グルームズマン寿太郎氏とジョセリンの従姉妹・アン

スガ
まぁそうだよね。それにしてもずいぶんよく踊る結婚式で。

寿太郎
最後のほうは慣れてきたのでだんだん面白くなってきたよ。

スガ
式の入場退場でまず踊って、式のアフターパーティーでも、新郎新婦を先頭に、列になって踊りながら練り歩いたりして。その後夜もまた踊ったし、とにかく踊るのが好きな人達。

セレモニー、アフターパーティ、イブニングパーティすべてにダンスがあった。

寿太郎
あれは、もう踊るという言葉で説明つかない気がするね。音楽が流れてきたら体でリズム取ったりするでしょう。ケニアの人たちは、その延長上に自然とダンスがあるわけ。踊ろうと思って踊ってるんじゃないような感じがしたな。

スガ
踊りの根源的な部分って、どこでもそういう「身体のノリ」みたいなのと強くつながっていると思うけど。ただまあ、ケニアの人はとくに、身体的なノリが日常のくらしの中でも、自然に出てくるイメージ。笑うときは歯を出しておもいっきり笑うし、時間はケニアンタイムだし、よく踊るし。身体のリズムに忠実に生きているというか、それがあまり抑圧されていないというかね。

日本で会社勤めしてたりすると、そういう身体のリズムって見失いがちにもなるから、ゆうたくんが「もっと人生楽しんでいいんだと思った」というのはなんとなく、ケニアンのそういうノリに触れて変わったところもあったんだろうなー、とか。

寿太郎
その割に雄大は体を動かすのがもともと好きな人で、一方のジョセリンがインドア派、という対比はなかなか面白かった。「ケニア」「日本」っていう漠然としたイメージともなんだか正反対で。ケニアの人がインドアで、日本の人がアウトドア。

スガ
そうそう、そのへんは意外なところで。まぁ寿太郎くん本文でも書いてたけど、だからお互い理解できるところもあったんだろうけど。

それにしてもすごかった。牧師のお話はノリノリだし、「アーヒャヒャヒャヒャヒャ!」みたいな。なんかけたたましい合いの手?みたいなのを入れる人もいたし。

セレモニーでけたたましい合いの手を入れていた従兄弟(牧師のアシスタント?)

寿太郎
あれはなんか喜びを表す叫びみたいな。どうもアフリカの人はみんなやるみたいですね。
いやあしかし、あの式は感慨深かった。なまじ色んなプロセス知ってるからね。雄大だけじゃなくジョセリンとも面識があったし。取材がなかったら、たぶん僕酔っ払ってめちゃくちゃになってました。

スガ
めちゃめちゃに踊り狂って、ケニアンガールと結ばれればよかったのに!

イブニングパーティでは、サムライに扮した新郎が刀で脱がせた新婦のガードルを男たちが取り合う、謎の余興も。

寿太郎
適当なこと言わないでください。俺は無理です、雄大みたいに尽くすのは。ほんと、わが友ながら尊敬します。

スガ
そんなこと言って。彼女、恍惚の表情だったって言ってたじゃない。

寿太郎
いい体格してる彼女ね。踊るときはそういう顔になるんでしょうね、自然と。そのあたりも身体性の問題かもしれない。日本人はたぶんふつう、踊ると表情が手持ち無沙汰になる。

手持ち無沙汰の表情をする日本人と、恍惚の表情を浮かべるケニアンガール(?)

スガ
でも寿太郎くん、少なくとも結婚式とかその後とかで踊ってる時は、ぜんぜん手持ち無沙汰な表情じゃなかったけど。びっくりするくらい楽しそうだった。

寿太郎
だって楽しかったもんね。今まで色んな友人の結婚式に出たけれど、トップレベルに楽しかった。単純に祝福したい気持ちがあると、いいもんですね、結婚式というのは。

踊るグルームズマンとケニアンガール。

スガ
でも、そういう気持ちの部分をのぞいても、日本の結婚式とはちょっと雰囲気違うというのは、感じるところだったかな。日本だと友達の結婚式でも、人の目が気になったり、ちょっとカッコつけたりとか、そういうこともあるけど。みんなリラックスして楽しんでる感じは、とてもよいなと思った。

寿太郎
そうだね。そもそも始まりからして、しゃちほこばったところがひとつもなかった。より日常の延長線上にある感じの、非日常というより日常の凝縮という感じのパーティーだったな。

スガ
繰り返しになるけど、イイハナシしてるのに笑いが取れちゃってたあの牧師さんはスゴいよ。日本に来ても仕事ありそう。

牧師の笑顔が一番まぶしい
寿太郎
そうだね。ああいうスタイルの結婚式、また経験してみたいな。
というわけで、そろそろ今週のおたよりコーナーに行きましょうか。

今週のおたより

スガ
はい、えーと今週は?

寿太郎
今週は、いろいろな人からいただく「そもそも」な感じの質問です。最近読者の方も増えたみたいだし、改めて。「どうしてこのプロジェクトをしようと思ったんですか?」という。

スガ
そうね。世界一周の旅そのものは、旅が好きな寿太郎くんがもともと考えてて、飲んでる時にたまたまヒョイッと誘われたぼくが、なんかノリで二つ返事でオーケーしてしまって。ということだったけど。

寿太郎
ノリでしたね。完全に。
まあ元々僕のほうは旅がけっこう好きで。見たことのない場所もあるし、行ったことのない国もあるし、ということで。あと移動自体がすごく好きなんですよね。バスとか船とかでちょっとずつ動いていくのが。

スガ
たしかに中国の電車は楽しかった。アフリカでもこれから長い電車に乗ると聞いて楽しみ…なんだけど。えっと話を戻すと。

世界一周するのはいいけど、ぼくはけっこう飽きっぽいからふつうに観光するだけだと飽きてしまいそうだな、と思ってなにかやろうともやもや考えはじめて。

で、寿太郎くんから世界一周しようという誘いをもらったのは震災があった年でもあって、漠然と「自分は日本でこの先も暮らしていくのか」とか考えることがあったり、あと、日本の中でも日常が、例えば東北と関東と関西で分断されてしまった感じもあったり。知人でも関東から関西に戻る人もいたし、海外に逃げる人の話も聞いたし。その辺のことがわりと切迫して感じられてたから、今海外を旅するなら、その辺とどういう折り合いをつけるんだろう、と。

そういうことをモヤモヤ考えてる間に、たまたま『空間のために』という本を読んだら「日常が荒廃している」というようなことが書いてあって、なにかピンとくるようなところがあって。それで、世界の「日常」をテーマに旅をしたらどうだろう、と。

寿太郎
そのへんの「日常」についての感覚には近いものがあって。旅は好きだけど、俺も「旅をして非日常から刺激を受けて」という通り一遍の感覚が好きだったわけではないんだよね。自分の日常をわざわざ旅の中に異物のように持ち込んでみたりとか、旅の感覚をわざわざ自分の日常に引きずってみたりとか、そういうふうに混沌としていく感じが好きというのもあって。変わったものを見に行くのではなくて、逆に異物としての自分が、普通の日常を普通の眼差しで見る、みたいなことをしたいとは思った。

それから震災についてだけど、これは語弊のある言い方かもしれないけど、震災の映像なんかを見たときに旅と似た感覚を味わったんだよね。「リアル⇔虚構」の関係と「日常⇔非日常」の関係が一致しないようなズレた感じ。その正体を考えたときに、日常がダラダラと流れ出していくようなイメージが浮かんで。世界の日常の流れ方に自分の日常を同じ高さで流れ込ませてみたらどんな感じだろう、などと思ったりした。とても観念的でわかりにくい説明だけど。

スガ
んー、日常がダラダラと流れ出すっていうのはどういう?

寿太郎
むずかしいんだけど、端的に言うと、日常の質そのものは変わっていないんだけど、外的な要因によってその保障がなくなってしまって、液体が流れ出すように日常というものが散逸していってしまう、というような話。震災のあとで、被災地以外では一見変わらない日常生活が送れているんだけど、それでも何かがおかしくなっている、みたいな状況を指してたとえばそういうイメージを持ったということです。短い文では説明しにくいね。

スガ
でも、日常が一見変わらないようでいて、なんかちょっとおかしい、というのはたぶん震災のあと、多くの人が感じていたことだと思うんだよね。自分たちのコントロール出来ないコワイもの、特に原発とかがそうだけど、ドーンと目の前につきつけられてしまって、見て見ぬふりして生活を続けていても、ちょっと無理があってよそよそしくなるというか。どこかぎこちないかんじ。
まぁそのへんが Biotope Journal が世界の「ふつうのくらし」にこだわっている理由で。世界の「ふつうのくらし」とつながることは、おかしくなってしまった日常を、もう一度編み直したりしようとしたときに、ひとつの方法かもしれない、と。

寿太郎
そうですね。また来週。

*アフタートークではみなさまからのおたよりをお待ちしております。お気軽に、メールマガジン末尾のメールアドレス、Facebook、Twitterまで、お寄せください!

今週の作業めしは居候中につき自炊。退屈ロケット特製・娼婦風パスタ

編集後記:退屈なしめくくり

先週のアフタートークで、退屈ロケットが記念撮影で使っているジャケットはBEAMSから出ている軽量ジャケット…という話をしましたところ、今週なんと、ひょんなことからBEAMSの方をご紹介いただきました!…と、舞い上がったのもつかぬ間、それと同時に気がついたのが、先週「BEAMS PLUS」とお伝えしたのは「BEAMS LIGHTS」の間違いだったということ。"旅"をテーマにしたアイディア商品がたくさんあるラインは「BEAMS LIGHTS」で、「BEAMS PLUS」とは別でした…。ごめんなさい。つつしんでお詫び申し上げます。(*バックナンバーに収録したvol.31では誤記、修正済みです)

さてこの1週間、退屈ロケットは、居候先で自炊をさせてもらえることをいいことに、ほぼ毎晩、十八番となった娼婦風パスタばかり食べていました。ぼくは一人暮らし時代ほぼ毎日納豆ご飯と生卵を食べてきた男ですので、おいしくさえあれば同じご飯が続くのは全く問題なし!…なのですが、そろそろいい加減、別のメニューに挑戦しようという機運も。というわけで、簡単でうまくて栄養があって退屈ロケット向きのパスタレシピのご提案も、お待ちしております! (ハラヘッター)

スガタカシ

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