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こんばんは。退屈ロケットのスガタカシです。今週は、紅海のリゾート地ダハブより。青い空、青い海、ひさしぶりにTシャツ短パンでいられる気候…なのはいいのですけど、体中を蚊に刺されながらお送り。夕方になると突然大量に蚊が増えて…か…かゆいです。

さて、今週のBiotope Journalはイスラエルの首都、エルサレムから。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。込み入った宗教の街で取材をしたのはユダヤ教の礼拝衣装を作る職人で、ショップオーナーのヨセフ。ちょっとしたお知らせはラストの編集後記に。それでは今週もWebの記事とあわせて、どうぞお楽しみください!

嘆きの壁前、黒服とシルクハットで祈る人

Biotope Journal リポート #029|ヨセフ

Web "Biotope Journal" ヨセフ編 エルサレム ユダヤの民のふるさとは

>〈ユダヤ人地区〉 Yosef, in Jerusalem, Israel 1/7
>〈織物〉Yosef, in Jerusalem, Israel 2/7
>〈3世〉Yosef, in Jerusalem, Israel 3/7
>〈イスラム〉Yosef, in Jerusalem, Israel 4/7
>〈ハンドメイド〉Yosef, in Jerusalem, Israel 5/7
>〈ツィツィ〉Yosef, in Jerusalem, Israel 6/7
>〈砂漠〉Yosef, in Jerusalem, Israel 7/7

イスラエルという国名、エルサレムというこの地名を、リアリティのある暮らしの場として位置づけるのは難しい。遠い日本で暮らしているとなおさらのことだ。エルサレムというのはニュースにしょっちゅう登場してくる、なんだかいつも紛争やなにかをやっている危ない場所だし、そうでなければ、歴史の教科書にしょっちゅう出てくる、よくわからない宗教的な特別な場所だ。実際そのイメージは、ある意味では正しい。つい先ごろもイスラエルはシリアを攻撃し、シリア政府が報復宣言をしたところだ*。また街の中では、ユダヤ教徒とイスラム教徒の間での小競り合いが起こることもしばしば*。ただし、そんな場所であっても、ある人びとのふるさとだし、ある人びとの日常の暮らしの場であることに変わりはないのだ。

屋根伝いに歩くこともできるエルサレム旧市街。上からでは4つの地区も見分けがつかない
様々な歴史ある都市と同じように、エルサレムは近代的な一面もきちんと持っている。新市街には最新型のトラムが走っているし、ショッピングモールではあらかたのものが手に入る。そして旧市街には、古くからの史跡が多く残っている。観光客の多くもここを訪れる。
エルサレム新市街にはおしゃれなカフェも。ビートルズやレディオヘッドがかかる

ただし、エルサレムの異なるところは、過去の遺産ともいえる史跡のそれぞれが、今も動き続けている歴史の一部であるというところだ。この街を歩けば、過去のできごとに思いを馳せることができるのと同時に、今ここで歴史が動いているのだということを強く感じることができる。過去と現在、そしてもしかすると未来の可能性が混在している、不思議な街だ。

エルサレム旧市街は、4つの地区に分かれている。ユダヤ人地区、イスラム教地区、キリスト教の地区、アルメニア人地区だ。これらは、特に明確な境界によって分けられているというわけではない。たとえば壁があったり、チェックポイントがあるわけでもない。でもその境はしっかりと存在していて、街を歩けばすぐにそれを感じることができる。たとえば、アラブ風のにぎやかな商店街が続いていたかと思えば、いきなり丁寧に組まれた石造りの清潔な白い街並みが現れるという具合。黒いシルクハットに黒いロングコート姿の、正装で歩くユダヤ人たちがよく映える。

旧市街アラブ人街。物価の高いエルサレムだけど、アラブ人商店は比較的安い
ヨセフの店があるのは、このユダヤ人地区の一角だ。イスラム系らしき人の姿はほとんど見えない。険しい顔をして歩いているユダヤの人びとか(怒っているわけではなくて、この人たちはだいたいこういう感じなのだ)、あるいは集団になって動いているツアー客の人びと。ここを通る人は、つまりこの店を訪れる人のほとんどは、こういった人びとだ。
ユダヤ人地区。道であそぶ子どもたち

「ユダヤ人」とは?

ユダヤ人を、そしてイスラエルをめぐる状況を考えるときに改めて持ち上がってくるのは、「○○人」というのはいったい何を指すのだろう、という問題だ。これはべつにこの場合に限った話ではなく、日本の状況が特殊なだけなのかもしれない。というのも、国籍的な意味での「日本人」と民族的な意味での「日本人」の示す範囲の人びとがほとんど重なっているからだ。だから、「日本は単一民族国家だ」という誤った認識を持つ人も出てきたりする。
ヨセフの店前の織り機で商品の仕上げ。隣の店に来ていたのイスラエル兵がじっと見ていた
イスラエルに住んでいる人すべてがユダヤ人なわけでは、もちろんない。またそれとは逆に、イスラエル以外に住んでいるユダヤ人も数多くいる。なにしろイスラエルの建国*は1948年で、それ以前の長い期間にわたってユダヤ人たちは自らの国家を持たなかった。それ以降、引き続いての紛争の時代は現代にまで及ぶ。それでも、政府の強い働きかけもあり、世界じゅうからユダヤ人たちがこの国に集まってきた。それは今もなお続いている。だからひと口にユダヤ人といっても、ここには様々な種類のユダヤ人が暮らしている。祖父の代からここに住む者、自分自身がどこかから移り住んできた者。人びとが後にしてきた国もまた、様々だ。同じくキッパー*をかぶり、髭を伸ばして歩いていても、彼らにはそれぞれの背景があり、事情があるのだ。
ユダヤ人と聞けば、ヨーロッパ系の白人のイメージが強い。しかし、この言葉はそうした人びとのみを指すわけではない。彼らの出身地は多岐におよび、イスラエルと並んで世界最大規模のユダヤ人人口を抱えるアメリカはもちろんのこと、なかにはマグレブと呼ばれるアフリカ大陸北部の国々、ウズベキスタンなどの中央アジアの国々、さらにはイランやインドなどの国々もある。顔のつくり、肌の色も様々だ*。つまり、ユダヤ人とは民族をカテゴライズする言葉ではなく、ユダヤ教における同一の宗教的価値観を共有する人びとを総称した言葉といえるのだ。
ヨセフの店、ダビデの星のインテリア
ヨセフは、イスラエルに移り住んできたユダヤ人として三代目にあたる。つまり、彼はイスラエル生まれ、彼の父もイスラエル生まれ、彼の祖父がこの国に移住してきたというわけだ。一方で母方をたどれば二代目にあたる。つまり彼の母が、移住してきたのだ。父母ともに、そのルーツは北アフリカ・リビアにある。つい先ごろの革命も記憶に新しい現代のリビアは、その住民のほとんどがイスラム系によって構成されているが、一方でこの地にもともと住んでいたユダヤ人も一定数存在したのだ。
シルクハットのユダヤ教徒も店に立ち寄る

ユダヤ人も、それぞれに

ヨセフの店では、織物を中心にユダヤの伝統的な工芸品を扱っている。特に力を入れているのは、ツィツィと呼ばれる伝統的な衣装。白を基調とした色合いの、ユダヤの人々が主として祈りのときに身につける、長めのケープのようなものだ。

ここには、多くのユダヤ人が働いている。取材に訪れたときには、ヨセフのほかに2人のスタッフが働いていた。ひとりは、いかにもユダヤ人らしく恰幅の良い、長く伸ばした髭をたくわえた男。もう一人は、背はそれほど高くはないが体格のいい、まだ青年といえるような男だ。

髭の男(左)と、元サーカス団(右)はアメリカからの移住組
取引先との電話に忙しいヨセフの代わりに、この髭の男が主に客の相手をする。道行く人に声をかけて呼び込みをするのだが、その言語はヘブライ語ではなく英語だ。顧客に国外からやってきたユダヤ人が多いのは後段で述べるとおりだが、一方でこの髭の男も、もともとはアメリカ出身なのだ。ロサンゼルスで生まれ、両親とともにイスラエルへ移住してきたのだという。客のいないときには、陳列された品々についての解説をいろいろとしてくれる。たとえば手の形を模したお守りのような小物は、イスラム文化圏のモロッコで目にしたもの*とよく似ている。それについて尋ねると、それはムスリムの連中がユダヤから盗んだものだ、とのこと。またベドウィン*のようなスタイルの人びとの肖像について尋ねると、これももともとユダヤの文化で、ムスリムの連中が盗んだのだ、とくる。とかく彼は、話す相手がユダヤ人でなく門外漢の日本人であろうとも、イスラム教への敵意をまったく隠そうとしない。ところでこの国はとても物価が高くてびっくりしたよ、と話題を変えてみると、この地は聖なる土地なのだから物価ぐらい高くて当たりまえだし、それでもここを訪れる人は感謝しなければならない、とのことだった。
ミリアムの手のインテリア(イスラム教でのファティマの手)
一方で、もうひとりの若者は黙々と織り機を動かし続けている。この店の店頭には一台の織り機が置いてあって、日本の蕎麦屋かうどん屋の手打ちのショーケースよろしく、そこではこの青年が織物を作る過程をデモンストレーションしているのだ。実は彼も、アメリカ出身。それもつい数週間前にやってきたところなのだという。その前にはラスベガスのサーカスで曲芸師をしていたというから驚きだが、彼の筋肉を見ればそれもうなずけるし、こうして客に向けてパフォーマンスをするのに適任だともいえるだろう。こちらが日本人と認めるや彼が出してきた話題は、イスラムの悪口でもなんでもなく、日本のアニメーション文化についてのことだった。彼は『ドラゴンボール』*が大好きなのだという。このあたりも、なんだかとてもアメリカ的だ。タブレットでドラゴンボールの画像を見せてやると、深くうなずき、親指を立ててみせる。
機織りに精を出す元サーカス団
仕事の電話が一段落したところで、ヨセフにも話を聞いてみる。彼はイスラムへの敵意を見せないどころか、全ての人に敬意を払うべきだというとても落ち着いた意見を口にする。それがポリティカリー・コレクトな発言をしようという大人の態度から出たものなのか、それとも彼の真情そのものなのかはわからない。しかしいずれにせよ、彼は買い物などのためにしばしばイスラム教地区にも出かけるし、ムスリムの友人も多く持っている。
壁にはベドウィンスタイルの肖像画
彼の例だけをもって十把一絡げにいうことは到底できないけれど、ヨセフのこの落ち着いた態度の理由は、彼がイスラエルで生まれたユダヤ人であることにあるのかもしれない。彼の一族は60年以上にわたってこの地に暮らしてきたし、そこには中東戦争*などの苛烈なできごともあった。移民してきたばかりのユダヤ人たちと異なり、表面的で単純ないがみ合いがどのような良い結果をも生まないことを、長い文脈を持つ日常の中から肌身にしみて実感している、のかもしれない。
店に息子を連れてきていた髭の男はこの日、誕生日だったらしい

ハンドメイドのつたえるものは

ヨセフの顧客の多くは、イスラエルに住んでいるユダヤ人というよりも、アメリカなどからやってきたユダヤ人たちだ。また中には、ユダヤ教と聖典を共有し関係も悪くないキリスト教系の人びともいる。ともかく、彼の顧客は巡礼者たちであり、また同時に観光客たちでもあるのだ。だから伝統を大切にしながら、同時に商売のことにも積極的にならねばならない。伝統的な織物製法を店頭でわざわざ実演して見せているのも、その一環だろう。古くからユダヤ人は商売上手といわれるけれど、確かにこのあたりにそれは発揮されているのかもしれない。
ヨセフの工房兼ショップ
アメリカから来たユダヤ系のツアー観光客などは、織物についてなにか説明するツアーガイドの説明に耳を傾け、感嘆の声を挙げたりもしている。つまりこの人びとは、信仰においてはユダヤ教の教えを共有しているものの、その伝統文化にはそこまで詳しくはないのだ。同じユダヤ教徒といっても、出身の国によって大きな違いがある、とヨセフは言う。たとえばアメリカ人はアメリカ的にマッチョでオープンだ。中にはTシャツにデニムといったラフな格好で、それでも頭にだけはきちんとキッパーを身につけている者もいる。
アメリカからの観光客も多い
ヨセフの店の果たす役割には、こうした人びとに改めてユダヤの伝統を伝える、ということもあるようだ。彼はそのことを強く自覚していて、それゆえに、ハンドメイドでのみ製品を作ることに並々ならぬこだわりを持っている。単に手作りということだけでなく、きちんとした信仰を持った者が手作りすることに大きな意味があるのだ、と彼は言う。たとえば、そこらの土産物屋で売られているようなキッパーはひとつあたりせいぜい10〜20NIS(300〜600円)。これらのほとんどは中国製の、機械で作られた輸入品だ。それに対して、この店で売られているものは100NIS(3000円)もする。それでも購入する者がいるのは、品々に込められているパッションのためだ、と彼は言う。もちろんそればかりではない。伝統的な製法で、現代にも受け入れられるようなモダンなデザインのものを作ることも、彼はしっかり意識している。
作業の傍ら、ひっきりなしにかかってくる電話の応対に忙しいヨセフ

ユダヤの民のふるさとは

ヨセフは敬虔なユダヤ教徒だ。嘆きの壁*に行くことはないが、金曜になれば、シナゴーグ*へ行って祈るのだという。神とは何かと尋ねれば、神はすべてだ、と彼は答える。その価値観は、両親に語り聞かせられて育ってきた過程で身についてきたものだし、また彼自身が聖書を読んで身につけてきたものでもある。信ずることなしに生きていくことはできない、と彼は言う。ユダヤ教徒として戒律を守っていくことは、なによりも重要だ。
店内にかかるヘブライ語曼荼羅
ヨセフは、両親のルーツを非東欧系のリビアにもつ、いわゆるスファラディ系ユダヤ人*にあたる。これらの人びとは、イスラエルのユダヤ人社会の中でも、下位の階層に置かれる。彼には選民思想的な傲慢さがまったく見えないこと、そしてムスリムたちへの敵対意識や差別意識も見られないこと、くわえて嘆きの壁には足を運ばないということには、あるいはこのことが関係しているのかもしれない。さらには自らのルーツに再帰的に引き寄せられているのかどうなのか、彼は砂漠が好きで、自宅はベツレヘム郊外の砂漠に構えているのだ。
店でのこだわりと同様に、彼はその生活においてもハンドメイドへのこだわりを強く持っている。砂漠に暮らし、馬を飼い、暇があれば自ら設計して、自宅の玄関を整えたり建て増しをしたりする。それが何より楽しいのだという。信じる宗教こそ違えど、まるで【モロッコで出会った元ノマドのムバラク】のような暮らしだ。この両者のルーツは同じ北アフリカ、サハラの影響色濃い、マグレブと呼ばれる砂漠地帯。古くからの暮らしぶりの共通点は、宗教の差異よりも強い力を持つことがある。
しかしそれと同時に、ユダヤ人らしいというべきなのか、彼は商売人としての気質もまた兼ね備えている。もともとヨセフはテルアビブの生まれで、そこで家族が経営していたレストランを任されるところから商売のキャリアをスタートさせた。これが弱冠18歳のときだ。そして24歳のときから織物を学びはじめ、29歳で現在の店を作ったのだ。突然織物を学び始めたのは神の意志に導かれたからだ、と彼は真面目に説明する。というよりも、説明はそこで終わってしまう。どうにもつかみどころがないから、もう少し突っ込んで尋ねてみると、つまり新たなことを始めるための、理屈で説明のつかない情熱が生まれてきたことを、彼はそう表現しているのだ。商売をするうえでの現実的なあれこれについてのアイデアも、そのひらめきは神がもたらしたものなのだ。
店内には、ヨセフの娘の写真も飾られている

ともあれ、ヨセフの商売の才覚が優れているのは間違いのないことだ。実は彼は現在、また新しいギャラリーを作りはじめているところだ。今度は伝統的なものというより、もっと現代的な陶器だとか絵画といったものを扱う。近所の人びとの中に、協力してくれるアーティストたちもいる。きっと新しい店を作るにあたっても、彼は多くの神の意志を感じることになるだろう。それは彼のハンドメイドへのこだわりを、そして伝統への敬意を、いっそう強めていくことになるのかもしれない。

文・金沢寿太郎

今週の参照リスト

 

《ヨセフ プロフィール》

 
名前 Yosef Gabso
国籍 イスラエル
民族 リビア系ユダヤ人
年齢 32
職業 織物職人/ショップオーナー
出身地 テルアビブ
在住地 ベツレヘム
ここはいつから? 3年前から
家族、恋人 妻、2人の娘、馬が2頭
自由な時間の過ごし方 自宅の建て増しなどを自分でする、馬に乗る
金曜日の夕暮れ、嘆きの壁の前を埋め尽くす黒服の男たち

《脚注》
◆イスラエルのシリア攻撃*
「アラブの春」以降のシリア情勢については、イランやレバノン等の周辺諸国から、イスラム教勢力が積極的に介入を行っている。この状況はイスラム社会と対立するイスラエルにとっても好ましいものではなく、ちょうど退屈ロケットがイスラエルを後にしたころ、先日5月5日にもイスラエル軍はシリアの軍施設を攻撃した。これに対しシリアも報復を示唆するなど、情勢は緊迫している。

◆ユダヤ・イスラムの小競り合い*
イスラエルとシリアとの関係が悪化している一報で、国内でもユダヤ・イスラムの関係を刺激するような事件が起こっている。エルサレムではユダヤ教徒が「モスクを破壊せよ」とのメッセージを掲げて岩のドームに侵入するケースがあり(岩のドームはユダヤ教徒も自らの聖なる場所であると主張している)、これに伴う混乱の結果、政府が岩のドームにアザーンを禁止するなどの措置を取った。エルサレム旧市街の中心でのできごとである。

◆イスラエルの建国*
この項で詳細にまで触れることは不可能だが、古代イスラエル王国やユダ王国がこの地に存在したことから、ユダヤ人は現在のイスラエルを彼らの土地であるとして強く主張している。なお国際政治上の現代にまで続くパレスチナ問題の大きな原因のひとつは第一次世界大戦中にまで遡る。当時イギリスが行った、いわゆる「三枚舌外交」が発端となり、現在もこの地ではパレスチナ人とユダヤ人の睨み合いが続いている。

◆キッパー*
ユダヤ教の男性がかぶるというよりも頭に載せる、小さな帽子のような装身具。ただ乗せているだけではすうに落ちてしまうため、ピン等で髪に留めている者も多い。これは神に対する敬意を示すものだという。なお嘆きの壁などを見学する観光客も、用意されたビニール製のキッパーを身に着けなければならないことになっている。

◆ユダヤ人の多様性*
ユダヤ人には、ロシアやポーランド系のユダヤ教徒の子孫であるアシュケナジー系ユダヤ人と、それ以外、つまり北アフリカやイラン、インドなど広範に渡る出自の者を総称したスファラディ系ユダヤ人がいる。イスラエル社会では前者が明確に上位の階層に置かれ、指導者階級もほぼ全てこれらの人びとによって構成されており、後者による不満は無視できるレベルのものではない。また、さらに下層に置かれるエチオピア系ユダヤ人の層も存在する。このように、ユダヤ人が世界史上で差別的に扱われてきたと主張するイスラエルのユダヤ人社会の内部にもまた、明らかに差別の構造は成立している。

◆ファティマの手*
これがデザインされた護符はハムサと呼ばれ、イスラム社会ではファティマの手、ユダヤ社会ではミリアムの手などと呼ばれる。他者のねたみの眼差し(邪視)から身を守る護符という点は同じ。民間信仰のレベルではイスラム教成立以前から存在していた。

◆ベドウィン*
ベドウィンはアラブの砂漠地帯の遊牧民族を指す言葉。古くからラクダや羊の遊牧を行い、また同時に運送などの仕事にも従事してきた。ベドウィンには多くの部族が存在し、アラビア半島を中心に広範に渡って分布するが、近年では遊牧生活をやめて定住するものも増えている。

◆ドラゴンボール*
言わずと知れた、日本を代表するマンガ・アニメ作品。日本のみならず、1990年代から世界各国で爆発的な人気を獲得している。アメリカでも史上もっとも人気の高いアニメ作品のひとつで、アニメのみならずゲーム等のメディアミックス商品も爆発的な売れ行きを記録した。

◆中東戦争*
イスラエルと周辺アラブ国家の間での戦争の総称であり、特に1948年から1973年までの4度の戦争を指す。ここにアメリカ、イギリス、フランス、ソ連などの大国の利害が絡み、世界的に影響を与える大きな戦争となった。なおヨセフによれば(彼が生まれる前の出来事だが)、1967年までが特に大変だったとのこと。これは第3次中東戦争が起こり、イスラエルが圧倒的名勝利をおさめて広範な領土を軍事占領下に置いた年である。

◆嘆きの壁*
エルサレム旧市街、ユダヤ人地区の端にあるユダヤ教徒にとっての聖地。紀元前、ヘロデ大王の時代に存在したエルサレム神殿の外壁であり、現存するのがこの壁の部分だけとなっている。エルサレムにおけるユダヤ教徒の聖地の象徴として、多くのユダヤ教徒たちがここを巡礼する。第3次中東戦争以降、彼らはこの地への自由な立ち入りを許可されるようになった。

◆シナゴーグ*
ユダヤ人にとっての祈りの場であり、またユダヤ人コミュニティーを形成されるための中心地ともなっている。ユダヤ人が世界各国に分布することに伴い、シナゴーグもまた世界各国に存在する。また、アシュケナジー系ユダヤ人とスファラジー系ユダヤ人では、たとえ同じ地域に住んでいたとしてもそれぞれ異なるシナゴーグで礼拝するのだとか。

旅日記【ロケットの窓際】029 コーダホテル


 コンスタンティノープル、ビザンティウム、あるいはイスタンブル。地名は変われど、地球上に位置するこの場所と、連綿と積み重ねてきた歴史は変わらない。交通の要衝として古くより多くの人や物が行き交った地。ヨーロッパの、中東の、アジアの玄関口。あるいは結節点。

 図らずも、この地を訪れるのは二度目となった。世界じゅうの空を巨大な鉄の塊が飛び交う現代になってもなお、交通の要衝としての地位は揺らがないことを、身をもって実感する。なにしろ二度のイスタンブル入りは、どちらも飛行機によってのものだ。

 イスタンブルにはふたつの空港がある。最大にして最も有名なアタテュルク国際空港。多くの国際線が乗り入れ、前回ウズベキスタンから(サンクトペテルブルク、フランクフルトをたらい回しにされながら)到着したのはこちらの空港だ。そして今回到着したのは、国内線や各地からの LCCが到着するサビハ・ギョクチェン空港だ。イスタンブルのアジア側。

 せっかくの二度目の滞在なのだからと、前回と同じ旧市街でなく新市街側に宿をとった。ふつうこうした都市では、安食堂なども多く滞在しやすいのは旧市街の側だ。ところがこの街では、旧市街の側があまりにも観光地化しすぎてしまっていて、新市街のほうがむしろ滞在しやすいという逆転現象が起きてしまっている。好きな料理を自由に組み合わせてメニューを作れる、大学の学食のような、トルコ独特のロカンタとよばれる食堂も豊富にある。大通りを歩いても怪しげな客引きはまったく声をかけてこない。それでいて、道行く人にはトルコ人以外の者も多い。国際都市の繁華街といった風情だ。自分が外国人だということを、さほど強く感じずに過ごすことができる。

 雑事を終え、栄養を蓄え、次に向かうべきは南だ。いよいよ中東らしい中東に入るのだが、ここで再び陸路が閉ざされてしまう。トルコから南進しようとすれば、いわゆるメソポタミア、イラクやシリアを通過せねばならない。世界史の序盤に肥沃な三日月地帯として登場して以来、現在に至るまで、良くも悪くも歴史上の重要地点であり続けているこの地域。現在、両国ともに、一般の旅行者が入国するには危険すぎる。日本を出るときからわかっていたことだが、それでもシリアの情勢などは落ち着くのかもしれないと期待をしていた。しかし一向に変わらないどころか、ますます悪化を続けているというのが現状だ。イスタンブルから再び空路、ヨルダンへ飛ばなくてはならない。最安値のチケットはカイロ経由。今後の通過地点であるはずのカイロをわざわざ経由するのも、なんだかもどかしいような気分になる。イスタンブルからカイロへ、カイロからアンマンへ。それぞれ短時間のフライトだというのに、エジプト航空は律儀にわざわざ毎回機内食を出してきて、貧乏旅行者は貧乏症的にすべてを平らげてしまわざるを得ないものだから、むやみと腹が膨れてしまう。


 アンマンの空港は驚くほど綺麗に整っていて、そこから市街に伸びる道路も見事に整備されている。中央分離帯には几帳面にやしの木が等間隔に並べられ、そのそれぞれは不必要なほど高く高く、もう暮れてしまった夜空へ向けて伸びている。夜空は決して暗くない、都市部独特の鈍色の明るさをざわざわとたたえている。

 もはや真夜中も近くなるころ、アンマンでは有名な日本人宿にたどり着く。あらかじめ得ていた情報とはずいぶん異なる。とても親切だと旅行者の間で知られた宿のスタッフは、ちょうどその宿を去ったばかりのところだった。正式な宿の名前の脇にカタカナで記された宿の別名だけが、もともと得ていた情報と一致していた。その名は「コーダホテル」という。

 この宿の近所にはもうひとつ、似たような安宿がある。十年ほど前には、そちらに多くの日本人旅行者が集まっていた。当時そこには、また別のよく知られたスタッフがいた。旅行者たちになにくれと世話を焼き、バスなどのチケットも細やかに手配してくれると有名だった。あるとき、やってきた日本人青年が、彼にイラク行きのバスチケットを手配してくれるよう頼む。イラク戦争終結後、かの地はいまだ混迷の渦中、テロは多発し市井の人びとは苦難のもとにあった。そこで何が起こっているのかをこの目で見たいと語る青年に、彼はそれがどんなに危険なことかを諭したという。でも青年は頑として譲らない。とうとう押し負けて、彼はバスチケットを手配してしまった。青年が出発したあとも、彼は日本大使館など各所に連絡し、八方手を尽くして青年を止めてくれるよう要請したのだという。しかし不幸にも、青年はバグダッドに到着してしまった。彼が武装勢力に拘束されたとの一報が届いたのは、それから間もなくのことだった。

 それからのことは、日本でもスキャンダラスに報じられたとおりだ。事態は最悪の結末を迎えてしまう。スタッフの彼は強烈な責任を感じ、思い悩んだ。その後に独立して別の宿に移った彼が遺族の許可を得て宿につけた別名が、青年の苗字からとった「コーダホテル」というわけだった。

 それから九年。今、このホテルを訪れる日本人には、その経緯を意識する者はもはやさほど多くない。イスラエルや死海、ペトラ遺跡への観光拠点として、アンマンのダウンタウンにある汚いが便利な安宿として利用されるばかりだ。よく知られたスタッフも去り、いずれ日本人旅行者の足も遠のくのかもしれない。この奇妙な言葉で書かれた宿の別名は、残っていくのだろうか。訪れた旅人は、いったいこれは何を意味するのだろうと、首をかしげるのかもしれない。

アフタートーク【ロケット逆噴射】029


スガ
噂のダハブ、ハエが多いよ。

寿太郎
蚊も多いね。

スガ
恋するダハブというけど、先人たちは虫にたかられながら恋していたんだね。頭がさがる思いです。なかなか根性すわってる。

寿太郎
ぬぁ〜にが恋するダハブだよ、ナメてんのか。こちとら虫にしかモテませんってんだよ。

スガ
でもカップルも多いけど、思ったよりほっとかれる感じなのは救いかもしれない。ひたすら虫にモテてると、みじめさを味わう暇もないという、ね。

寿太郎
みんな昼間はダイビング、夜はパーティーでしょうからね。我々なんぞに構ってる暇はありませんよ。

スガ
はい、というわけで今週はエルサレムのヨセフ。

寿太郎
旧市街のユダヤ人地区、わりと賑やかな一角だったね。

スガ
わりと賑やか…、といえばわりと賑やか。ユダヤ人地区のなかですごく人が集まっている一角のすぐ近くで。アメリカ人ツアー客がどどっとやってきたり、隣の店に兵隊が見張りに来たり。結局あの隣の店も、兵隊がなにしてたのかも謎だったけど。

寿太郎
そんなに常に人が多いというわけじゃないんだけど、やってきた観光客が必ず通る道にもなっているみたいで、ごみごみはしていないけれど人の流れは途切れないような感じがあったね。あの時期は東方教会のイースターにかぶっていたせいで、キリスト教系の人びとが多くやってきていて、それでちょっと覗いていくという感じのこともあった。

スガ
それでヨセフは忙しくて、なかなかつかまらなくて。彼の手が空くのを、合計4時間くらい待ったかもしれない。すごく暑かったからその間に、むだに600円くらいの、やたら高いアイスコーヒー…というかコーヒースムージーみたいなのを飲んだりして。ま、うまかったんだけど。

寿太郎
プラスチックのカップに入ったパピコみたいなもんですね、パピコ。まあうまかったけど、あまりにも高すぎる。イスラエルにしたって高かったな。アラブ人地区とかに比べて、ユダヤ人地区はいっそう高かった印象があるね。

スガ
ユダヤ人地区は高かった。その分味もこう、資本主義的に清潔で、洗練されていたのが逆に、懐かしさを感じたり。で、ヨセフの店で作っているユダヤ教の衣装もそれに通じるところがあって、伝統的なものではあるけど一方で、かなり洗練されていて。ファーティマの手とか、なかなかかわいかったと思う。

寿太郎
脚注にも書いたけれど、あれはユダヤ社会ではミリアムの手とか表現するんだよね。確かにかなりモダンなデザインのものは多かった。単純にデザイン的な意味でいうと、イスラムのものよりシンプルなのが多くて、個人的にはこちらのほうが好みだった。

スガ
伝統的なものを都会的・現代的なセンスで表現する、というのはどこの文化でもあることだけど、ヨセフの店においてあるものは、そういう意味で成功している感じ。イスラムでも、以前イスタンブール近代美術館のミュージアムショップに行ったら、ふつうの土産物屋とちがう、かなりおしゃれなグッズが置いてあったけど、それに近い。

寿太郎
なるほど。ヨセフのとこは洗練された感じだった。なかなかユダヤの場合、伝統的なものを伝統的な、ある意味やぼったい感じのままやってるところには触れにくいけど、そういうとことも比較できると良かったね。イスラエルのもっと田舎のほうなどに行けばあるんだろうか。あるいは別の国のほうが見つかりやすいのかな。たとえばポーランドのクラクフでユダヤ人街などを見る時間がなかったのは、ちょっと悔やまれるね。

スガ
あぁそうだ。クラクフにもユダヤ人街はあったのに、結局行けなかった。
プロダクト面じゃなく、人としてみても、ユダヤ人といっても出自も主張も実はかなりいろいろで、ヨセフの店だけでも、ヨセフ自身と、髭の彼と、元サーカスの青年、だいぶキャラクターがちがったからね。

寿太郎
全然違うよね。ユダヤ人という定義がそもそも難しいし、「ユダヤ人」「ユダヤ教徒」「イスラエル人」それぞれ全然違う。事実上「ユダヤ人」という言葉でくくられる集団は存在しないのじゃないかというほど。本文ではひとまず便宜的な言葉の使い方をしたけれど、まあ複雑な話です。

スガ
そうそう、だからぼくはヨセフの店を指して「ユダヤ人の商売上手」と言うのも、ちょっと酷なんじゃないか、と思ったんだけどw

寿太郎
それはいわばステロタイプだからね。別にそれに乗っかるつもりはないけれど、ただ、そういうステロタイプがどういうふうに成立したのかを考えると、こういう抜け目ない気質は昔からあったんじゃないか、という風にも思ったということ。べつに商売上手なこと自体は悪いことじゃないですからね。『ヴェニスの商人』的なニュアンスで言ってるわけではないし。

スガ
それはそうなんだけど、じっさい取材を経て、それをユダヤ人と結びつけて語れるのか、ということね。ぼくは別にあんまり、そういうふうには思わなかった。記事ではもうずいぶん抑えてもらったけど、今回は物価の高さと、攻撃的な物言いをする髭の彼のお陰で、寿太郎くんの心象が悪くて悪くて。

寿太郎
ヨセフの商売に対する姿勢は、べつにまったく心象が悪いことはなくて、フラットに書いたつもりではあるけれど。ただ髭の彼はほんとうに、正直言って、酷かったね。傲慢で狭量で視野が狭く幼稚で卑劣だった。たまたまああいう人にばかり会ってしまうと、ユダヤ人に対して偏見を抱いてしまう人もいるのかも。まあどんな集団の中にもそんな人はいるわけだけれどね。
ただ、なんでユダヤ人の姿勢みたいなことと引きつけて考えたかというと、髭の彼が宗教的なことがらを隠れ蓑にして、傲慢な態度や選民思想的な偏見を正当化しているように感じたから、ということ。たとえばヨセフの敬虔な信仰そのものについて批判するような気持ちは、まったくないです。

スガ
まぁ、髭の彼が狭量な物言いであったのはたしかだからね。彼に対して腹を立てるのはしかたがないとも思うんだけど、結局それが、多少なりとも彼だけでなくヨセフの店全体の書き方に影響したな、と思うんですよ。ぼくはああいう時も、こういう人もいるよな、で終わってしまうので、きみが腹を立てるのにどうも乗れないというのもあるんだけど。

寿太郎
そこは感じ方の違いだよね。僕が腹立ったのは2点あって、1点は品物の高さについて、「ここは聖地だから高くて当然」という態度。物価高は神もなにも関係なくて、イスラエル政府の誤った政策によるものじゃないですか。こいつアホか、という。そしてハンドメイドだから高価なのは当然だけど、それについてハンドメイドの素晴らしさをイスタンブルのジハンみたいに真っ直ぐに語るなら理解できるんですよ。ただ彼は全部「神」を隠れ蓑にして居直っているだけだし、正直罰当たりじゃないかとさえ思う。
それから2点目は、イスラムの人びとに批判的なことを言うときに、我々日本人に対して「お前らもイスラムを下に見るのであれば、こっち側に入れてやるぞ」的なニュアンスがあったこと。これはもう幼稚きわまりないし、呆れました。
で、まあそんな男を雇って店に出してるわけだから、ヨセフ自身は真面目ないい男だけれど、責任はあるよねという気はします。正直なところ。

スガ
なるほどね。そう言われると腹の立たないぼくのほうがむしろおかしいんじゃないかという気もしてくるんだけど。でも世界の人って、まぁ日本だってそうだけど、そんなに良識派ばかりじゃないだろう、ということは思うんですよ。で、相手が非常識でバカみたいなことを言ってたとしても、そこにはそういうことを言うようになったなんらかの理屈とか論理があるはずで、そこに純粋に興味がある、というのがぼくの姿勢なので。まぁ感じ方というか姿勢の違いというのかな。それがここまで浮き彫りになったのはじめてかもしれない。

寿太郎
いや、スガくんの見方のほうがプロジェクト的に正しいと思いますよ。通常はもうちょっと冷静に見られるんですけどね。まあこのあたりの偏狭な民族意識に対する嫌悪感みたいなものは、ちょっと僕個人のことがらに密接にかかわってくるとこがなくもないので、説明が難しいです。またもっと明快に語れる機会があればいいのだけど。
ところで、今回書いた内容自体についてはいろいろ考慮しながらも率直に書いたわけで、アンフェアだとは思わないけれど、全体としてはもっとまともに腰を据えて話をしてくれるユダヤ人を探せればよかったなと思います。次週出てくるパレスチナ人とのバランスの上でも。そのあたりを全体的に見るとややアンフェアだったかもしれません。ここは反省すべき点かなと思います。時間的制約があるにしてもね。

スガ
まぁそうね。たしかにヨセフとはなにしろ、まともに話せる時間が短すぎた、というのはある。世界中に散らばっているユダヤ人に、また取材できる機会があればいいんだけど。

寿太郎
はい。……で、今週のおたよりコーナーですけれど。

スガ
あっ…もう4時。日本は23時ですよ。もう今週はおたよりおやすみ。配信しないと!

寿太郎
そうですね、また来週。

編集後記:退屈なしめくくり

Facebookページなどではすでにお知らせしておりますが、今週、KDDIのオンラインマガジン Time&Space Online で、Biotope Journalのスピンオフ企画「世界のアプリ・スマホ事情」の連載が始まりました。海外の人びとがスマートフォンやアプリをどのように利用しているのか。ひとり目は以前Biotope Journalに登場した絨毯王子・ジハンの友人で、イスタンブールで織物の輸出入を営むレジェップ。 今後はBiotope Journal「人とくらし」で紹介した人々も登場します。どうぞ、おたのしみに!

…と、先週のメールマガジンで「近々お知らせが…」とお伝えしておりましたが、それはこれとは別件で。たぶん来週あたりこそ! と準備中です。どうぞ今しばらく、お待ちあれ!

じつはせっかくのリゾートなのにまだ、海に入ってもいない退屈ロケット。明日あたりこそ、海に触るぞ! と決意も新たに、今日はいまからご飯でも食べに行くことにします。

スガタカシ

 
 
Souvenir Photo in Jerusalem