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こんばんは。退屈ロケットのスガタカシです。ゴールデンウィークもそろそろおしまい。みなさまいかがおすごしですか? 今週のぼくたちは、先週と変わらずエルサレム。街中に鳴り響く鐘の音色に耳をかたむけつつ荘厳な気分でお届け…と書いていたらたった今、山のように食材が届いたので、キッチンへの運搬を手伝うように命じられました。

(労働→帰還→息切れ)

さて、今週のBiotope Journalヨルダンの首都、アンマンから。思い返せばヨルダンは、はじめて訪れた中東の都市。おりしも風邪をひいていた僕たち二人の前にあらわれた若きドクター、ムハンマドの日常をお伝えします。

今週もWebの記事とあわせて、どうぞお楽しみください!

Biotope Journal リポート #028|ムハンマド

Web "Biotope Journal" ムハンマド編 アンマン さわやかイスラム研修医

>〈研修医〉 Mohammed, in Amman, Jordan 1/7
>〈休暇〉 Mohammed, in Amman, Jordan 2/7
>〈ナツメヤシ〉 Mohammed, in Amman, Jordan 3/7
>〈酒〉 Mohammed, in Amman, Jordan 4/7
>〈子ども〉 Mohammed, in Amman, Jordan 5/7
>〈クリスティアーノ・ロナウド〉 Mohammed, in Amman, Jordan 6/7
>〈ハイキング〉Mohammed, in Amman, Jordan 7/7

ヨルダン。イラクだとかシリアだとかのきな臭い話題で、たびたびニュースに出てくる国名だ。でもたいていの場合、それは中継ポイントとしての登場だ。記者たちは比較的安全な隣国ヨルダンに拠点を構え、情報を発信するのだ。日本の暮らしの中では、ヨルダン自体はどういう場所なのか、どんな人びとが暮らしているのかということについての情報には、あまり接する機会が得られない。先ごろ行われたワールドカップの予選で、日本代表が戦った相手がヨルダン代表だった。残念なことに、一部のヨルダン側サポーターは、「アウェイの洗礼」などという言葉では済まされないほど苛烈なマナー違反で日本代表を攻撃した*。この記憶も新しく「ヨルダン人はけしからん」という印象をもっている人も、あるいはいるかもしれない。でも、「ヨルダン人」というのはいったいどういう人々を指すのだろう?

アンマン近郊にて

実は、ヨルダンという国家の特殊性のひとつは、その国民の構成にある。実はこの国、半数以上がパレスチナからの難民とその子孫によって占められるのだ。また、イラクやシリアなど情勢が不安定な近隣諸国からやってきた者も多い。そもそもこの地は、オスマン帝国の支配ののち、国連の委任統治領を経て独立したという経緯をもつ。映画『アラビアのロレンス』*をご覧になった方ならば、映画のストーリーを思い出せば、そのあたりの事情が見えてくるかもしれない。そして近年も、他のアラブ諸国と同様、イスラエルとの間に様々な問題を抱えている*

さて、今回話をうかがったのは、若き医師であるムハンマドだ。彼もまた、その出自をパレスチナに持つ。ただし彼の家族が住んでいるのは、そして彼が生まれたのはカタールのドーハだ。つまり、カタールへのパレスチナ難民の子孫、ということになる。いずれにせよ、ここヨルダンには彼と同じパレスチナにルーツを持つ人がたくさんいるのだ。

ドクター・ムハンマド

医者の暮らしは忙しい

ムハンマドの働くクリニックは、ヨルダンの首都・アンマンの中心地からやや離れた場所にあった。タクシーでおおよそ20分程度。もっとも、中心から離れているからといって閑散としていたり、貧民街が広がっていたりというわけではない。むしろ、この付近にはどちらかというと豊かな人びとが暮らしているようだ。幹線道路は綺麗に整備され、その脇には高級ホテルや(その中に日本料理店の看板も見える)大手スーパーのカルフール*も立ち並んでいる。そしてその先には、ヨルダン最高の総合大学であるヨルダン大学だ。小奇麗な格好をした学生たちが闊歩し、キャンパスライフを満喫している様子が見てとれる。
マクドナルドやバーガーキングがならぶ幹線道路から、クリニックへ向かう道
マクドナルドやバーガーキング(ここではなかなかリッチな食事だ)が立ち並ぶ裏手の、やや庶民的な生活感が濃くなってきたあたりに、そのクリニックはある。2階建ての建物の1階、階段の上には歯科医。そしてこのクリニックの様子は、ほとんど日本でいうところの街医者に近い。高熱が出た、咳が止まらない、あるいはずっとだるさが続いている、そんな場合に誰もがまず受診する、近所の「街のお医者さん」。彼は毎日、だいたい午後になるとここにやってきて働いている。
アンマンのクリニック。2階には歯科が入る。

彼の現在の身分は、研修医*だ。半年ほど前に、大学の医学部を卒業して医師免許を取得したばかり。彼が医学を学んだのはここヨルダンではなくエジプトのカイロ近郊、「10月6日大学」*という不思議な名前の大学だった。もっとも彼が学んだ内容はべつに不思議でもなんでもない。ごく当たり前の、日本の医学生が学ぶのと同じような、最先端の西洋医学だ。同時に、伝統的なイスラム医学についての知識をたくわえることも忘れない。なにしろ彼は、真面目なのだ。

その後彼はアンマンにやってきた。彼が毎日勤務しているのは、プリンス・ハムザ病院。今世紀に入ってからできた、ヨルダン屈指の、最先端の設備を整えた病院だ。そこで最新の知識と技術を学ぶことができる、というのが、彼がこの国にやってきた理由のひとつ。そしてもうひとつの理由は、ここでは研修医の立場でも実際に患者を診察し、経験を積むことができるということ。たとえば彼の母国のカタールでは、研修医はこうした経験を積む機会にあまり恵まれていないのだという。

クリニックの診察室。日本にも劣らない清潔感。
ムハンマドは、毎朝7時に起きて病院に向かい、研修医としての業務をこなす。その後でこの小さなクリニックにやってきて、街医者として仕事をする。それが終わるのが夜の12時。このあたりには学生が多くて、昼間は大学で勉学に励んでいるから、夜になって診察を受けに来る患者が多いのだ。そんなわけで、彼の暮らしは恐ろしくハードだ。寝ている間にも、救急のためにかり出されることはいくらでもある。それが毎日続き、特別な場合を除いて、定期的な休みというものはない。「だって僕は医者だから、医者に休みなんかないんだ」と彼は言う。なにしろ彼は、真面目なのだ。
酸素吸入器と引き出しの中の薬品

「暮らす」余裕もない、ひとり暮らしの部屋

ドア枠の上にあるのは靴磨きクリームと…黄色の液体は油?
ここアンマンに、ムハンマドはひとり暮らしをしている。緊急時に駆けつけなくてはならないから、もちろんクリニックのすぐそばの建物。部屋はスタジオ形式、日本で言うところのいわゆるワンルームだ。キッチンとバスルームがついていて、大きな窓がある。彼の持ちものはごく少なくて、ベッドと机とテレビ、それに積み重ねられた医学書といったところ。椅子の上には衣類が乱雑に積み重ねられていて、ほとんど椅子としての役割を果たしていない。それどころか、ベッドだとかあらゆる場所に、衣類だのなんだのが散らばっている。そんな様子を彼は恥ずかしがり、「だって男のひとり暮らしなんてこんなもんだろう」なんてもごもごと言い訳じみたことを言う。それには個人的にも同情の念を禁じえない*し、なにより彼のハードな暮らしを聞けば、こうなってしまうのも仕方ないという気がする。彼はこの部屋では、まず第一に眠らなければならないのだ。いつ叩き起こされるかも知れない眠りの中で、しっかりと体力を回復させなければならない。
大慌てで整えられたベッド

それほどハードな生活に耐えながら、それでも医師としてやっていこうという彼のモチベーションはどこにあるのだろうか。日本では、たとえば親が医者だからという理由で医者を志す者も多くいる(もちろん、彼らには彼らの大きな苦労がある)。でもムハンマドの場合はそうではない。お父さんはショッピング・モールのマネージャー、お母さんは学校の先生だ。他国に留学して私立大学の医学部で学ぶぐらいだから、わりあい裕福な家庭ではあるのだろう。そんな状況にも恵まれて、そしてなにより自分の強靭な意志に基づいて、彼は医者を目指した。

彼は昔から、自分で調べて薬などの知識を得ることが好きだった。その動機には、家族や近しい人びとが苦しんでいるのを見るのが辛い、という思いがあった。家族が体調を崩したときに、自分が調べて手に入れた薬を飲んで回復する。そこに彼は喜びを見出したのだ。そんな少年が医者を志すようになるのは、自然すぎるほど自然な流れだ。彼は学業に勤しみ、そして医学部へ入学した。そんな兄を見ていたひとりの弟は、兄と同じように医者を目指すようになった。彼のことを、ムハンマドはとても誇らしく思っている。そしてそんな息子たちを、故郷の両親もまた誇らしく思っていることだろう。

慌てて部屋を整えていたら、カーテンが外れた
部屋を見せてもらったときに、ムハンマドがいちばん恥ずかしがっていたのは、窓際に煙草の吸殻を発見されてしまったときだった。医者の不養生という言葉もあるけれど、そういえば日本の医療ものの映画だとかテレビドラマでも、激務に疲れ果てた医者が屋上なんかでこっそり煙草を吸うシークエンスによって、そのアンビバレンスを描くようなケースがよく見られる。煙草を吸うのかと尋ねたら、たまにね、と彼は答える。真面目すぎるほど真面目な彼だってもちろん、人間なのだ。
窓枠に煙草の吸殻を発見するも、すばやく撤去されてしまう

真面目が白衣を着て歩いている

でも、べつにムハンマドは不摂生な生活をしているというわけではない。たまの休みにすることはといえば、主にスポーツだ。バスケ、テニス、サッカー、スイミング、それからビリヤードに卓球まで。確かに彼は、がっしりとした体格をしている。患者と向き合うためには、まず自分自身を健康に保たなければならない。それは身体のみならず、精神についてもいえることだ。そのためにスポーツは、とても有用だ。まったくその通り、なにも突っ込みどころがないほど、正しい。やっぱり彼は、真面目なのだ。
ムハンマドと、やってきた近所の友人
サッカーについてはプレイするばかりでなく、他のヨルダンの人々と同じように、観戦することも好きだ。好きなチームは、リーガ・エスパニョーラのレアル・マドリー。ここヨルダンでは、ほとんどのサッカー・ファンはレアル・マドリーかバルセロナのどちらかのサポーターだ。「昨日のバルサは全然ダメだったね*」と言う彼は、心なしか嬉しそうだ。このあたりの様子は、世界じゅうのサッカー・ファンたちと共通している。
ネスカフェコーヒーとともに振舞ってくれたナツメヤシ
なかでも彼のお気に入りの選手は、もちろんというべきか、クリスティアーノ・ロナウドだ。正確な技術に裏打ちされた驚くほど滑らかで素早いドリブルも、ディフェンダーとキーパーの隙を突いてゴール隅を射抜く豪快なシュートも、すべてが彼を魅了するのだ。ロナウドの集中力は素晴らしい、と彼は言う。そして、それは医療にも通じることだと付け加える。彼の話はいつでも、結局ここに戻ってくるのだ。彼は小児科医を目指しているのだけど、子どもの診察をするときには、集中力がとりわけ重要になってくる。子どもは自分の病状を正確に認識して説明することができないし、また子どもは繊細だから、些細な誤診が取り返しのつかない結果を生んでしまうことにもなるのだ。ロナウドがボールを扱うみたいに君は子どもを扱うわけだね、と言うと、「僕は子どもを蹴ったりしないよ!」と笑う。
ライハナくんが風邪をひいたのが、ムハンマドと知り合うきっかけ
「でもね、時間があるときに何をするかと言えば、第一にすべきことは医学書を読むことだよ」と彼は、大真面目な顔で大真面目に言う。医学は常に進歩を続けていて、新たな薬や技術が生み出され続けているし、それに正しいとされることも時とともに移り変わる。医者としてそれについていかなければ、患者をきちんと診察することなんてできない。事実、彼の部屋には医学書が積み重ねられていた。そのすべては英語で書かれている。彼は医学のすべてを、アラビア語でなく英語で学んできたのだ。
大学で使っていたテキストは英語
ただ、新しいことだけでなく伝統的なことにも、彼は目を向けている。たとえばアラビア医学について。アラブ世界では古来から、薬草や、またときには動物由来のものを用いた伝統医療がよく知られている。こうした治療法はすべて自然のものを使うから、副作用が起こらないなどのメリットがある。日本における漢方薬の位置づけと同じようなものだ。もちろん彼の医療の中心にあるのは最新の西洋医学だけれど、「医者として知識は持っておくべきだと思う」と彼は頷く。そして、「君たちみたいな東洋の人は、強い薬よりもわりとこういう自然由来の薬を好むよね」と付け加える。外国人の患者の傾向も、ちゃんと知っているのだ。
ムハンマドのうちにあった香辛料

インシャアッラーと医学の間で

ムハンマドはもちろん、ムスリムだ。それも、しっかりと真面目なムスリム。たとえば彼は、たまに友達と街へ繰り出したとしても、お酒は飲まない。これは医者としていつ呼び出しがかかるかわからないということ以前に、ムスリムにとって当然のこととして、お酒を自らに禁じているのだ。
実は、ヨルダンには非ムスリムの住人がけっこういる。この国では国民のおよそ90%がムスリムなのだけど、それは裏を返せば10%は非ムスリムということ。イスラム国家としては、これはなかなか高い比率だ。まして、ムハンマドのクリニックには学生の患者が多い。海外から学びに来ている学生も多い。でも、いざ医者として患者に向き合うときには、患者の民族や宗教などといったことは何も関係ない。彼は患者が健康を取り戻せるように、ただただ全力を尽くす。
ムハンマドに診察を受ける(普段は白衣です)
ただし、彼自身の内側で、イスラム教への信仰と医者としてのあり方は、深く結びついている。彼は敬虔なムスリムではあるけれど、忙しくてモスクへ通うこともできない。彼は毎日、自宅や職場で祈りを捧げるけれど、それと同時に患者と向き合うことは彼にとっての祈りそのものだとも言えるのだ。
ムハンマドのキッチン。料理の形跡はない

ムスリムの人々は、未来のことを語る時には必ず「インシャアッラー」という言葉を添える。直訳すれば「アッラーの神の思し召しのままに」。これが何を意味するのかと尋ねると、人々は必ずこのように説明してくれる。「明日自分が生きているか死んでいるのかもわからない、なぜならすべては神がお決めになることだからだ。だから未来のことはわからない、というわけだ」。

翻って、ムハンマドの仕事。それは人々の健康を取り戻すこと、その手伝いをすることだ。人が病気になること、老いていき、いずれその命が消えていくことは、避けようのない自然の摂理だ。それを彼らは、神のご意志ととらえる。それでは、ムスリムとして神のご意志に反するなどということはあり得ないし、彼の仕事はいったいどういう位置づけに置かれるのだろう?

クリニックの前庭。あまり手入れされてる気配はない

その答えは、ごくたまに休暇が取れたときに彼が向かう場所に見ることができる。短いたった一日の休暇に、彼はハイキングに出かける*。ハイキングといってもなかなかタフなもので、時には崖をよじ登ったり川を泳いで渡ったりしなければならない。彼はそんなふうに、自分の肉体を使って自然に挑んでいくことが好きなのだ。そのことによって、自然の強大な力に接近していくのだ。それを征服するためではなく、自らをそれと一体のものとするために。
医療とは、もしかすると、彼にとっては神に接近するための祈りの一部ということができるのかもしれない。まるでスーフィーダンスの踊り手が、旋回運動の繰り返しによって神に近づこうとするように、ムハンマドは集中力を研ぎ澄ませ、時に笑いかけて安心させてあげながら、患者と、特に子どもたちと向き合い、医療を施していく。そんな過酷でありながら意義深い毎日を、彼はこれからもずっと、繰り返していくのだろう。

文・金沢寿太郎

アンマン近郊の幹線道路沿い。くつろぐラクダたち

今週の参照リスト

 

《ムハンマド プロフィール》

 
名前 Mohammed Asfour
国籍 カタール
民族 パレスチナ人
年齢 27
職業 医師(研修医)
出身地 ドーハ
在住地 アンマン
ここはいつから? 1半年前から
家族、恋人 両親と4人の兄弟、2人の妹、カタールに婚約者
好きなサッカーチーム レアル・マドリー(特にクリスティアーノ・ロナウド)
自由な時間の過ごし方 スポーツ(バスケ、サッカー、スイミング、ビリヤード、卓球)、近郊の自然遺産でハイキング

《脚注》
◆サッカー日本代表対ヨルダン代表(2013/3/26)*
2014年ワールドカップのアジア最終予選としてヨルダンで行われた試合。これに勝利すれば、あるいは引き分ければ日本代表のワールドカップ出場は決定していたが、1-2で惜しくも敗れた。なおこの試合中、ヨルダン側観客席から川島永嗣選手(GK)や遠藤保仁選手(MF、PKを蹴ろうとしていた)にレーザーポインタの緑色の光線による妨害が加えられ、日本サッカー協会はこれについてアジアサッカー連盟に抗議文を提出した。なお、現在でもアンマンの街を歩いていると、若者たちはこちらが日本人と知るや「ウェルカム・トゥ・ジョーダン(ヨルダン)、2-1! 2-1!」と声をかけてくる。鬱陶しいったらありゃしないが、ともかく彼らは、かくもサッカーを愛しているのだ。

◆アラビアのロレンス*
デヴィッド・リーン監督、ピーター・オトゥール主演の、1962年のイギリス映画。アラブ反乱を支援した実在するイギリス将校のトマス・エドワード・ロレンスをモデルにした歴史映画。その物語の重厚さ、長回しにより砂漠の広大さを描く優れた手法などにより、アカデミー作品賞をはじめ数々の賞を受賞した。その輝きは半世紀を経た今でも色あせず、たびたびリバイバル上映が行われている。古きよき序曲・休憩・終曲を含んだ構成も含め、ぜひ映画館で鑑賞したい作品。

◆ヨルダンとイスラエル*
そもそものイスラエルの成り立ちに端を発し、またその後に中東戦争などの経緯があり、他のアラブ諸国と同様にヨルダンとイスラエルの関係は良好なものとはいえない。ただし、相対的に見れば「まだマシ」な部類であり、陸路で国境を超えてイスラエルに向かう旅行者の大半はヨルダンを起点とする。近年は水資源問題などで両国が連携する動きも出てきている。ただし、今もなお両国関係は危うく揺れ動いており、予断を許さない。

◆カルフール*
フランスの世界的スーパーマーケットチェーン。先進各国のみならず途上国にも出店しており、途上国では特に高級スーパーのような位置づけになっていることもしばしば。現在までの旅程の中でも、中国の各都市、ブルガリア、ポーランドなのでその巨大な店舗を目にすることができた。

◆ヨルダンの研修医*
6年間の大学教育を終え、医師免許を取得して研修医になるという部分は日本と同じ。研修医の期間中には様々な科を回り経験を積む、という点も同じ。ただし副業として街医者に勤務するなどのことは、日本では法的に禁じられている。ムハンマドの場合はヨルダンの法律にのっとって許されているが、収入は歩合制で、それほど高いものではないようだ。

◆10月6日大学*
首都カイロ近くの「10月6日市」という都市にある大学。この日付は、1981年に当時のサダト大統領が暗殺された日付。開発の進む比較的新しい都市で、大学や大企業などが多い。この大学も1996年創立の、新しい私立大学。総合大学ではあるが、特に医学や薬学、歯学などの分野に力を入れている。

◆男のひとり暮らし*
まったくどうでもいいような余談だけれど、男のひとり暮らしというのは概してものが溢れ、散らかってしまうものだろう。これはどこの国でも変わらないことなのかもしれない。日本にも、「俺は完璧主義者だから、完璧に掃除ができるだけの十分な時間がとれないうちは掃除をしない」という理屈でどんどん部屋の収拾をつかなくしていった某退屈ロケットのライターがいる。

◆欧州CL準決勝、バイエルン・ミュンヘン対FCバルセロナ(2013/4/23)*
前夜のアンマン市内でも、街角に集まってテレビを眺める群集から時折ワッという歓声が湧き上がっていた。試合の結果は、なんと4-0でバイエルンの圧勝。ホーム・アウェイを入れ替えて行われた8日後の試合でも、バルセロナは0-3と完敗し、まったくいいところがなかった。ライバルチームの醜態にムハンマドはほくそ笑んでいたが、彼のサポートするレアル・マドリーもその翌日、つまりインタビュー当日の夜、ドルトムントに4-1という惨敗を喫してしまった。

◆Wadi Zarqa Ma'in*
ムハンマドが最近訪れたのは、Wadi Zarqa Ma'inという場所。旅行ガイドブックなどにもあまり記載は多くないが、アンマン近郊でも最上級に訪れる価値の高い美しい場所だという人もいる。

旅日記【ロケットの窓際】028 死のサハラを後にして

 砂漠の淵を撫でるように走るバスが向かうのは、モロッコ第一の都市であるマラケシュだ。さほど長い距離でもない。でも高速道路が整備されているわけでもないし、それにバスは実にしばしば停車して乗客を吐き出し、また飲み込んでいく。それで、僕らはほとんど日がな、バスに揺られ続けることになる。

 それにしても、ほとんど何もないようなこの場所にも多くのふつうの暮らしがあるのだ、ということに改めて驚かされる。もしもここに突然放り出されたら途方に暮れてしまうだろう、というような、バス停というよりも荒涼としたただの道端で、人々は次々に降りていく。人々の足取りの確かさは、確かにその先に日常の暮らしを感じさせる。こんな場所で、どんな暮らしを送るのだろう。バスの窓からぼんやりと、彼らの後ろ姿を眺める。四方に開けた見通しのよい土地は、けれども、砂地も岩づくりの背の低い建物も何もかもが強烈な陽光に晒されて、逃げ場をふさがれ閉ざされているように見える。その中に敷かれた道路を、バスはなおも進んでいく。

 日が傾き、同時に道路はくねり、標高が上がりはじめる。あたりの気温が急速に下がる。再びアトラス山脈に入ったのだ。今度は南から北へ。そして今度は日没前だから、景色を眺めることができる。アトラスの景色は、文句なしに美しく、同時にとても異様なものだった。それは今までに見たどのような山の峻厳さとも異なっていた。ヒマラヤとも、天山とも違う。それらは圧倒的な高さを誇り、生身の人間には到底手が届かないと思わせるような神性をもってこちらを見下ろしていた。でも、アトラスの輪郭は奇妙に滑らかなかたちで背景の曇り空に映っている。拒むのではなく、むしろ誘っているような空気を感じる。それは僕に、あのサハラの夜を思い起こさせる。甘い死の誘惑。


 サハラの夜、真夜中近くに、僕はテントを這い出して砂丘に登った。星はそれほど多く見えない。上弦の月が、日本で見るときの数倍の明るさをもってあたりを照らしているからだ。折しも日付は春分の日。月は間もなく、沈んでいくはずだった。星の見えかたは変わるのだろうか。

 目を凝らし、なだらかな砂の斜面に、歩くのに最も適した場所を見定めながら、慎重に一歩ずつ足を踏み出す。星を邪魔する月を疎んだ気持ちはすぐに消える。もしも月明かりがなかったなら、僕の体などはあっという間に砂に飲み込まれてしまうのではないかという気がする。

 足元にばかり気をとられながら、小さな砂丘を、それよりもう少し大きな砂丘を越え、ふと振り返ってみれば、後にしてきたテントが見えなくなっている。ただ死角になっているだけで、すぐそこにテントがあるということは頭ではわかっている。でも砂漠はそうしたささやかな想像力を完全に遮断してしまうのだ。視界の限界が世界の果て、その世界からは永遠に逃れることはできない。

 見渡す限りに生き物はいない。さそりさえいない。その隙間を突くかのように、風はまるで命あるもののように生き生きと吹きつけはじめる。じゃれるように砂を巻き上げ、撒き散らす。砂地に砂が撒かれていき、砂漠は少しずつ滑らかに形を変えていく。

 ここはあまりにも静かで、それゆえに風の音がまるで嵐のように聞こえる。それはやがて、ノイズの中から小さくささやき始める。いっそここに朽ち果てて、小さな砂の一粒になってしまえ。ここには生きているものなどいない、死んでいるのが普通なのだから。そう誘ってくるのがサハラ砂漠だ。かつてラクダに乗って、このサハラの単独横断に挑んだ若者――生きていればもう老人になっている頃だが――のことを僕は思う。こんな砂漠で渇死していくというのはどんな気持ちなのだろう。きっと極限状況になれば、砂漠は死への恐怖さえ朽ち果てさせてしまったことだろう。それが何より恐ろしい。僕は身震いを覚える。砂漠の夜の寒さのせいだと自分自身に思い込ませ、もと来た道へと戻っていく。月は沈んでしまったけれど、風の舞い上げる砂粒のせいだろうか、星はそれほど美しくは見えない。

 太陽のない夕暮れどきは、アトラスのすべてを薄くて暗い青で塗りつぶしている。バスは山脈を抜け、それに合わせるようにしてあたりは暗くなっていく。徐々に窓の外に賑やかさが認められはじめる。いよいよマラケシュが近いのだ。

 バスを降り、吹っかけてくるタクシー運転手たちをかわしながらなんとか適正価格のタクシーを見つけ、旧市街へと向かう。フナ広場には多くの屋台が出店して、まるで祭りのように賑やかだ。その後数日にわたってこの街に滞在してはじめて、その賑やかさは毎日繰り返される当たり前のことだということを知った。

 無数に立ち並ぶ屋台を楽しむコツをなんとなく掴みはじめ、香具師たちの出しものがさほど面白くもないことを知り、物売りが売りつけてくる隣国アルジェリアから密輸された安煙草の適正価格がわかるようになる頃には、僕らは次の街へ進まねばならない頃合いを迎えていた。ここから向かうのは港湾都市のカサブランカ。正確にはその飛行場だ。地中海の上空をひとっ飛び、向かうのはふたたびのイスタンブル。今度は西進ではなく、南進のための滞在だ。向かうというより帰るという感覚。イスタンブルの美しい街並み、美味しい食事が懐かしい。経てきた旅の過程の中に懐かしさを覚えるというのは、どこかしら奇妙な気分がするものだった。

アフタートーク【ロケット逆噴射】028

スガ
今日はイースターでしたっけ?

寿太郎
いいえ、こどもの日です。

スガ
あ、そうでしたw 子どもといえばここ数日、あのウクライナの子どもの姿が見えないね。

寿太郎
そうね。どういう経緯でかはわからんけど、おかあさんと一緒に滞在してる(た?)ね。ここのイブラヒムじいさんに色々助けてもらってるみたい。で、彼らにとっては東方教会だから、今日がイースターというわけか。

スガ
一昨日くらいに教会に行く、みたいな感じで出て行ったからね。あと、ゆうべの日付変わった後にあたりに鳴り響いてたベル? というか、なにかかわいい感じの音楽があったじゃない。あれはやっぱりイースターのはじまりだったみたいで。さっきアンナに聞いたら、そんなことを言ってた。
とにかくここ数日はロシア系の人たちがすごく集まっているよね。

寿太郎
そうそう。西方教会と東方教会のイースターは、年によって同じ日にやる場合もあれば違う日の場合もあるみたいね。今年の東方はずいぶん遅めで、今日というわけか。とか言ってたら、今ちょうどイスラムのアザーンが鳴ってたけど。まったく宗教が入り乱れて変わった街です、エルサレム。

スガ
イスラムとキリスト教とユダヤ教。ほんとに、ちょっとわけがわからないレベルの入り乱れぶり。で、物価が高いわりにそんなにお金があるようには見えなかったり。おかしなとこだよ。でもまぁ、ここはヨルダンと比べればちょっとネットが早いから、おかげでおもい仕事がひとつ、どうにか片付いたというのはあるんだけど。

年明けくらいから、そろそろやるよとか言いつつ、いつまでたっても始まらないメールマガジン有料版の発行という話がありまして。有料版のスタートと一緒にする予定のちょっとしたお知らせがあるんだけど、それの目処がようやくつきつつある感じ。やっと来週か再来週には、正式にお知らせできると思います。

寿太郎
日々のことに忙殺されてなかなか思うように進んでこなかったけれど、ようやくちょっと状況が進展し始めてますね。なにしろこれからネット状況から何から不安なアフリカだから、それまでにいろいろなことの目処をつけておかないと。

スガ
そうそう。メルマガをずっと、毎号読んでくれている人なんかもう、「有料版はじまらねーなーw」と思ってるんじゃないかと思うんですよ。資金的にヤバいとか言ってるくせに、大丈夫かよと。

寿太郎
全然大丈夫じゃないっすよね。貧乏ヒマなしですよ。

スガ
いつも見ていただいている方にはちょっと面白がってもらえるお知らせになるはずなので、もう1週間か2週間、お財布にぎりしめてお待ちくださいと。

寿太郎
というわけで、物価の高いイスラエルもそろそろ終えて、一度アンマンに戻るわけだけど、先日のアンマン滞在で取材したのがお医者さんのムハンマドでした。

スガ
ムハンマドね。ちょうどぼくたちふたりもアンマンでは風邪ひいてたけど、ムハンマドにつなげてくれたのが、たぶんぼくたちが風邪をもらったライハナくんで。
アンマンではまず、ぶっとんだ感じの日本人女性と知り合ったんだけど、彼女に圧倒されたり半日息子のライハナくんと遊んだり、ぐしょ濡れの彼を抱っこしたりしてたら、その日から強烈にからだが重くなって…。

寿太郎
きみはなんだか、ほとんどお父さん状態になって彼の面倒を見てたからね。ライハナくん→スガくん→俺 と風邪が移ってきた感じがある。実に元気な子だった。ぐしょ濡れだったのは死海に行ってきたからで、その死海では目に濃い塩水が入って泣きわめいていたみたいだけれど。
まあともかく、ライハナくんのお母さんによると、子どもの面倒をよく見てくれた若くて優しいお医者さんがいる、ということだったので、彼のところにうかがってみたわけですね。

スガ
ムハンマドに会いに行った時には僕たちの風邪はもうだいたい治ってしまっていたのが惜しいというかなんというか。
それにしてもムハンマドはまぁ…もう好感しか持てなかった。

寿太郎
好青年でしたね。そしてめちゃくちゃに真面目。真面目すぎてツッコミどころがない。「マジメか!」しか言うことがないし、それにしたって「はい、マジメです」という感じだからね。

スガ
部屋に服がバサーっと積み重なってるとか、じつはちょっと煙草吸ってるとか、そういうツッコミどころはあるんだけど、それに対する彼の恥ずかしがり方とかを見ていると、ほんとに純粋なんだな、というのが伝わってきて。なんというか、かわいいんだよね。

寿太郎
そうそう。特に煙草のとこなんて、医者なんだからこんなもの吸っちゃだめだ、ということについて真面目なのがよくわかる。でも煙草ぐらいいいじゃないですか、ねえ。そりゃストレス溜まりますよ、あのハードな生活は。

スガ
忙しいから、彼の部屋もクリニックのすぐ近くで、日付かわるまで仕事して、帰ったらすぐ寝る、みたいな生活だもんね。2つの病院のかけもち? だし、大変だ。

寿太郎
しかも救急のケースとかで呼び出されることもしばしば。好きじゃないと絶対続けられない仕事だよね。あらためてお医者さんというのは大変なのだと実感させられました。

スガ
あとムハンマドは日本の男性の一人暮らしに近いスタイルだったけど、じつはそういうのはほとんどはじめてで。服が散らかっていてお茶とやかんとナツメヤシがあるだけで、みごとに生活感なかったね。

寿太郎
なかった。でも仕事忙しい男のひとり暮らしなんてあんなもんじゃないですかという感じだね。料理とかも、そもそもできる時間がないみたいで、外食が多いという話だった。

スガ
まともな生活感とか秩序とかがない分ね、部屋の鴨居…? じゃないけどドア枠の天井に近い縁のところにとつぜんKIWIの靴磨きがポツンと置いてあったり、なぞの黄色い液体がボトルに入っていたりするのがすごく目立ってて。そういうのが、なんかわかるなぁという感じはしたけどね。
部屋をどうしたい、とかっていう発想そのものがない感じ。
それでいて恥ずかしがりはするんだけどw

寿太郎
そりゃプライベートな空間だから、恥ずかしがりはするでしょう。
本文にも書いたけど、まず第一に寝る場所ですからね。部屋にいる時間がそもそも短いけれど、その短い時間のうちの7割ぐらいは睡眠時間なんじゃないかという気はする。

ところで、「ムスリムのお医者さん」というのがどんな人なのかと思っていたけど、日本のお医者さんとか、たぶん他の欧米のお医者さんともほとんど変わらないよね。先端医療の知識や技術はかなり広く世界じゅうで共有されてると。当たり前の話なのかもしれないけれど。

スガ
西洋医学ってもともとはイスラム圏から入ってきたんだよね。だからなにかちがう流儀をのこしているかと思ったけど、もう、彼がカイロの大学で学んだテキストからして英語という。

寿太郎
うん、だから外から見える部分においてはほとんど変わらない。ただ、内側にある医者としての哲学とか倫理だとか、そういう部分が強くイスラムと結びついてる感じはありました。そのあたりがおもしろい。彼はまだ研修医の身分だけれど、たとえば終末医療とかの分野になってくるとけっこう違いがあるのかもね。死生観とかがかかわってくるから。

スガ
たしかに、終末医療はちがうかもしれない。なにしろ「インシャアッラー」だからねぇ。終末医療とか脳死とか臓器移植とか避妊とか、宗教観が色濃く出る部分についての考え方を聞けなかったのはちょっと悔やまれる。

寿太郎
時間もなかなか限られていたし、そういう点は課題ですね。それにしても「インシャアッラー」と医療の間で、ということは面白い。宗教と医療の間には様々な問題がありますからね。たとえば、ユダヤの厳しい人たちとかがそうだったと思うけれど、輸血をしてはいけない宗教とか、いろいろ。日本で訴訟なんかがあったりもしました。

スガ
彼のクリニックに行ったら、想像していたよりも日本と同じような感じで、それに彼の話を聞いても一見あまり違いを感じなかったから、それで見逃してしまったところはあるね。
今医者やっている友だちに、日本の医療ではどうなのか、というのをきみは聞いていたりしてたけど。

寿太郎
そうそう。伝統的なアラビア医学というのは日本における漢方の位置づけと似てる部分があるので、漢方について聞いたりとか。あと研修医のシステムとかね、丁寧に色々教えてもらいました。もう僕は彼とは小学生の頃からの付き合いだ。埼玉あたりで整形外科にかかりたい読者の方、おられましたら、ご紹介しますw

スガ
ではつづいて、今週のおたより。今週は東京都豊島区にお住まいの「ごはんはにがてです」さんからエアメールをいただきました。

寿太郎
ん、気のせいかこの方どっかで出てきた気がしますね。ごはん苦手ですか。ぼくは日本のお米が懐かしくて仕方ありません。

スガ
昨日中華で米食べたけど、なんか中国のにおいしたしね。日本クオリティのごはんはなかなか食べられないものです。
で、おたよりは
「ヨーロッパ以外の国だとだいたい、物価は日本より安くて、バカみたいな値段で買えるのでしょうか。すごくハッピーですね」

寿太郎
ところがどっこい!!!
まさに今が地獄です。ここイスラエルは、頭おかしいんじゃないかというほど物価が高い。たとえば500mlのペットボトルのコカコーラ、これが日本円にして200円以上します。どうなってんだ!

スガ
物価の話になるととつぜん元気になる寿太郎くんw 怒りにうちふるえております。

寿太郎
それじゃあなんだか俺が守銭奴みたいじゃないですか。いや、うちふるえますよこの物価は。

スガ
まぁ、イスラエルはたしかにちょっとびっくりするよね。街なかのぼろい食堂で、アラブめしなんか食べただけで、あっという間に1200円以上飛んでしまったり。

寿太郎
政治的な事情もからんでいるんだけど、とにかく凄まじく物価が高い。唯一、公共交通機関だけはまともな値段ですね。これは政府が価格を抑えているみたいですけど。

スガ
でもこの間宿に泊まってた他の日本人と話してたんだけど、日本の物価て、食費とか、抑えようと思ったら、けっこう安いよね。

寿太郎
格差社会における二極化ってことが大きいんじゃないですかね。貧しい階層の人々は、吉野家だのユニクロじゃないと消費ができない。だからニーズに合わせて「安いカテゴリ」の何やかやが豊富になってくる。一方で高いもんはべらぼうに高いと。

スガ
んー、日本の格差社会というのはヨーロッパと比べても非ヨーロッパ圏と比べてもまだ、ぜんぜんじゃないのかな。
で、90年代以降出てきたそういうチェーン店は安くてもクオリティがバカにならないのがすごいところで、そこそこお金持ってる人もたまには行くかもしれない。たとえば表参道とかそういうところでも、たとえばナントカ製麺みたいな安いうどん屋があったりして、手打ちのうどん200円とかだっけ? ああいう非ヨーロッパ圏と比較しても健闘するレベルの安飯が、物価の高いところに突然ある、というのは、すごく日本の特殊なところだなぁ、と思ったりするな。

寿太郎
丸亀製麺は実はけっこう高いですよ。トッピングとかついついするとなかなかの額になる。はなまるうどんなんかはひと玉100円とかなのかな。ああ食べたいな、うどん。
それはともかく、なにしろ選択肢が山ほどあるのが日本の特徴だなという気はしますね。日本の場合ここ数年のぶっ飛んだ経済政策もあって、色々ちぐはぐになっているし、それが多様性を生んでいるとも思います。東京にいればどこの国の料理も食えるからね。そんな状況になってる街なんて、今のところほとんどない。

スガ
ほんとに吉野家とかユニクロじゃないと消費ができないというより、お金がなくなったけど、でも消費社会としては成熟していて。だから食費をきりつめて、欲しいものを買う行動様式、みたいなのが90年代後半以降言われるようになったよね。

寿太郎
一点集中豪華主義でいけ、みたいなことを寺山修司が言ってましたね。汚い四畳半に住んでもかっこいいスポーツカーを買え、とか。

スガ
バブル崩壊後のカルチャーの背後には、寺山修司あり、だったのか…。寺山修司とか出てくるとムダに説得力が増すのが困る。

寿太郎
ところで、物価が安かったのはどこの国でしょう。単に安いだけなら中国とかだけれど、なんというかコストパフォーマンス的な意味で。

スガ
んー、コストパフォーマンス。クオリティに対してこれは安い!、というのが多かったのは東欧じゃないかな。ブルガリア、セルビア、ポーランド。

寿太郎
そうだね、それは同意します。あとチェコなんかも含まれるかな。

スガ
そうね、あのへんは全般的に、安くてもクオリティがそんなに低くならないというか。

寿太郎
あ、モロッコはどうでしょう。

スガ
マーケットで、古着が1枚10円でたたき売りされてたことがあったね。あの時買った服、最近けっこう愛用してる。

寿太郎
生しぼりオレンジジュースもうまかった。タジン鍋とかもなかなかでした。そういう意味では、あそこは穴場かもしれないね。

スガ
そうですね、また来週。

編集後記:退屈なしめくくり

メールマガジン冒頭で宿に運び込まれた食材はというと、カリフラワーになすにきゅうり、トマト、じゃがいも、卵。宿がベジタリアンなので肉はなし。1週間の滞在中、おそらく初登場となるナスに期待して、今日の晩御飯を待ちたいと思います。

Biotope Journal の Facebook ページでは、退屈ロケットふたりの記念写真や「ふつうのくらし」の写真を掲載してきました。でも、Facebookをやらない方もいるよなぁ…というのが地味に引っかかるところだったのですが、ならいっそ、メールマガジンでも送ってしまえばいいじゃない! ということで、今週からは、Facebookページより一足先に、メールマガジンにも掲載することにしてみました。1発目はアンマンの街を見下ろす高台に建つ、アンマン城の遺跡から。こちらも毎週、楽しんでいただければうれしいです。

東方教会のイースターでいちばん宿に集まっているのはロシア系の人たち。というわけでロシア語のさよならは、パカ!

スガタカシ

 
 
Souvenir Photo in Amman