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こんばんは。退屈ロケットのスガタカシです。先週の風邪もだいたい治って、本日はエルサレムの街を見下ろす高台に建つ家の一室から、カラッとした風に吹かれながらおおくりします。ちょっと日差しが強すぎるけど、さわやかな風は初夏の日本を思い出します。黄金週間…、う、羨ましくなんかないん…だぜ!

さて、今週のBiotope Journalは2度目のイスタンブル。イスタンブルと言えば、以前お伝えしたのは絨毯王子のジハンですが、今週のギュルはまた、彼とはまったくちがうタイプ。一応イスラムの国だし、街なかではスカーフをかぶった女性も目にするので、気だるい英語を操るノリノリのギュルには正直、びっくりしました。(今思えば、イスタンブルでスカーフをかぶった女性は少し年配か、ほかのイスラム国家からやってきた観光客だったような…。)

まだまだ奥の深い、イスタンブル。今週もどうぞ、お楽しみください!

Biotope Journal リポート #027|ギュル

> Web "Biotope Journal" ギュル編 イスタンブル ピアス・タトゥー・イスラム!

イスタンブルを初めて訪れた人は、重層的な歴史を伝える様々な史跡に、そして金角湾、ボスフォラス海峡、マルマラ海の美しい眺めに、さらには驚くほど近代的な街並みに驚くことだろう。それらは「イスラム」という言葉から想起される一般的なイメージとは、きっとかけ離れている。砂漠もなければ、民族衣装に身を包んだ男がラクダを引いているわけでもない。多くの日本人が「右から左に読むらしい」ということ以外にほとんどなにも知らないアラビア語も、街中で目にすることはない。
定められた時間が訪れ、モスクからアザーンの声が響き始めるにいたって、旅行者たちはあらためてここがイスラム国家なのだということを思い起こす。そしてそれと同時に、この国がいかに開かれているかということにあらためて驚く。酒の看板もあらゆるところで見られるし、肌を露出した服で歩いている女性も多い。さすがに豚肉を出すような店はないけれど。

イスティクラール通り
イスタンブのヨーロッパ側のなかでも、いわゆる「新市街」といわれる街は、ガラタ橋のガラタ塔側にある。塔の裏には目抜き通りのイスティクラール通り*が伸び、両サイドにはお洒落なファッション・ブランドが立ち並ぶ。道なりに進めばタクシム広場*。脇道から下り坂に入り込めば、やがて陽光を受けてきらきらと輝く金角湾が見えてくる。そんな坂の中腹に、家族経営のそう大きくないホステルがある。レッド・リバー・ホステル*。昼の間、レセプションにいるのがギュルだ。流暢な英語でビシビシと攻めてくる感じの彼女の口癖は " You know ? "。ベルリンあたりのホステルにいそうな雰囲気をかもし出す彼女の鼻には、リングタイプの鼻ピアスがビシッと装着してある。

ユルいホステルの、スルドいレセプショニスト

家族経営のこのホステル。ここの家族たちは、ひとりひとり、いちいち「キャラが立っている」。たとえばギュルの叔父にあたるオーナーのフェブジ。人懐っこい感じの笑顔がかわいいオジサンだ。最近は「押忍」という日本語を覚えたのだが、なぜか「ノストラダムス」と合体させて「オストラダムス」という言葉を発明したところで、ことあるごとに口に出す。この発明の意味や意義は不明。とにかく日本人の客を見つけると「オストラダムス!」と挨拶をしてくる。ほかにも「サヨナラ」などのレパートリーがあるが、使うタイミングはどうにもズレている場合が多い。なお彼の機嫌は、イスタンブルのサッカークラブであるフェネルバフチェ*の成績に左右される場合が多い。彼によれば、家族は全員面白い人物で、それどころか「クレイジー」なのだという。
レッドリバー・ホステルの未来を見つめるオーナー・フェブジ
さて、その姪にあたるギュルは、とにかくよくしゃべり、押しが強い。日本人同士が日本語で喋っていれば、「わかんないから英語で喋りなさい! You know」とくる。ここを常宿にしている日本人の長期滞在者の方などは、いつのまにかスタッフの一員のようにされてしまって、やれお茶を入れろだの、ジャムを煮込んでいる鍋を見張っておけだの、すっかり顎で使われるようになってしまっていた。
茶目っ気ギュル

英語が上手だから押しが強いのか、それともそんな性格だから英語の力を効果的につけることができたのか。たぶん後者のほうが現実なのだろう。トルコの女性は一般的に、それほど英語をよく喋ることはできない*。でもギュルは、大学卒業後に2年間イギリスで暮らした経験もあって、しっかりと英語を操ることができるのだ。加えて、大学で学んでいたのは、おもに輸出入についてのこと。だからそれらの能力を生かして、昨年までは大きな会社の貿易にかかわるセールスパーソンのような仕事をしていた。彼女がビシッとした服装をして商売の話をしているところというのは、ちょっと想像できない。ずいぶんキャラクターとかけ離れているような気がする。本人にとっても同じ違和感があったのだろう。彼女は耐えられなくなって、その仕事をやめてしまったのだ。特に、フォーマルな服装で一日中働き続けるのが性に合わなかった。

そんなわけで、今はひとまずこのホステルで働いている。Tシャツにデニムといったいでたちの彼女は、いつもとても自然体に見える。同じく英語を使う仕事でも、世界各国からやってきた旅行者とカジュアルな話をするのはやはり楽しい。あまり優しい口調ではないけれど、旅行者が困っていれば、彼女はなにかと親切にしてくれる。

レッドリバー・ホステル入り口

音楽の夢破れて

ギュルが得意なのは、ギターだ。ただ得意なだけではなくて、若い頃には専門的に学ぼうと考えていた。だから大学進学時に彼女が目指したのは、音楽大学だったのだ。でも、この種の大学に合格するのは、他の国々と同じく、ここトルコでもとても難しいことだ。彼女は努力をしたのだけれど、残念ながら合格することはできなかった。落胆ののちに、彼女はこう考えた。「オーケー、もういいわ、私にはこんなことにかかずらわっている暇はないの。大学では貿易を勉強することにするわ」。突き放したように言うのは、彼女一流の切り替えかただし、悔しさを隠すためでもあったのだろう。昔の話よ、と今は笑って言うけれど、ともかく彼女にとっては大きな挫折だった。
レセプション。フェブジかギュル、たまにパソコンを使う客が座っている。
でも、彼女の音楽への思いがそれでなくなってしまった、というわけではない。今も彼女はよく、ギターを弾き、そして歌う。たとえば友人と集まってお酒を飲むようなとき(そう、後述するけれど、彼女は日常的にお酒を飲む)。友達はドラムを叩き、彼女はギターを弾き、セッションのようなことになる場合もある。あんまり盛り上がりすぎて、近所から苦情が来てしまったこともあった。「それぐらい、トルコの伝統音楽に免じて許して欲しいものよね!」とのことだったけれど。
イスタンブルの飲み屋で。一番右が有名なエフェス。

彼女がプレイするのは、おもにトルコの伝統的な音楽だ。そういう種類の音楽も、トルコではけっこう現代風にアレンジされて、アコースティックギターで弾きやすい。若い人たちにも親しまれている。もちろん、ヒットチャートに載っているような外国のポップ音楽のほうが圧倒的にポピュラーではあるけれど、彼女は伝統音楽が好きだ。もともとは中東の影響を受け、アナトリアの大衆の中で紡がれてきたトルコの大衆音楽の歴史を、彼女は少し語ってくれた。ギターのような伝統的な弦楽器に「サズ」というものがあるけれど、彼女がギターを弾くことの背景にはこの存在があるのかもしれない。

一方、リスナーとしてのギュルはあらゆる種類の音楽を聴く。クラシックやジャズ、ブルースからロックまで。多くの名前が出てくる。ノラ・ジョーンズ、B.B.Kingからニルヴァーナ、果てはメタリカやメガデスまでと、幅広い。また、ゴラン・ブレゴヴィッチとかゴーゴル・ボールデロ*といったジプシーたちやバルカン半島の伝統を汲む音楽。地理的にもトルコに近く、オスマン帝国の時代などには同じ版図内にあったりもした、けれどもあくまで独自の伝統を保っている地域。だからこそ、親近感と目新しさが組み合わさった魅力を感じるのだろう。

CDも併設しているイスティクラール通りのブックストア

ピアス・タトゥー・イスラム!

同世代、つまり三十歳前後の人たちのうちでも、また特にイスタンブルの人々の中で、ギュルは比較的伝統的なものを重んじる傾向にあるのかもしれない。音楽の好みにもそれは表れているし、イスタンブルのどこがお気に入りの場所なのかということにも、それをうかがうことができる。彼女が好きなのはヨーロッパ側の新市街でも旧市街でもなく、アジア側の街並みだ。ヨーロッパ側のように人で溢れかえっていたりしない。時間がゆったりと静かに流れていて、古くからの街並みも残されている。
レッドリバー・ホステルロビー、誰かの手紙がかかる。

近年、イスタンブルは目覚ましい変化を遂げてきた。トルコの経済は活況で、その中心地であるこの都市はどんどんと先進的になってきている。最新の家電製品からファッション・ブランドまであらゆるものを手に入れることができるし、トラムや地下鉄をはじめ、交通網は整備されている。豊かな史跡の数々もきちんと手が入れられて、案内板なども充実し、世界じゅうから押し寄せる観光客を受け入れる体勢は万全だ。

このホステルにももちろん、多くの観光客が、それも、どちらかというとお金を節約したいような人びとが集まってくる。彼女はレセプショニストとしては、当然観光地としてのイスタンブルに人が集まることを歓迎する。多くの人にトルコの・イスタンブルの魅力を知ってもらいたいし、また様々な国からの旅行者たちと話して考え方とか体験を共有していくことは、とても刺激的な体験だ。

でも一方で、彼女は恐ろしいスピードで変わっていくイスタンブルの状況をあまり好ましいとは思っていない。たとえば、今でこそこの表通りは観光地化されてしまって、半数が海外からやってきた人なのではないかというぐらいだけれど、15年前にはこのあたりにいる人々の70%以上はローカルの人々だった。べつに彼女は外部の人々を疎んじているわけではない。その影響でトルコがどんどん変容していってしまうことが嫌なのだ。トルコが発展を続けているとはいえ、まだまだ力のある諸外国には及ばないし、それらの国から人々の一部はとても傲慢に振る舞うことがある。それに影響されてほしくない、というのが、彼女の願いだ。「たとえば、極端な例だけど、トルコでは人前でゲップをすることはとても失礼で恥ずかしいことなのよ。でも、外国から来た人の中には、平気でゲップをする人もいるでしょう」。

普段はギュルが泊まっている最上階のダブルベッド
彼女のこの考えかたは、彼女自身の海外体験の裏返しといえるかもしれない。彼女はかつて、2年間もの期間をロンドンで過ごし、英語と貿易についての勉強をしていた。そこでの体験で印象的だったのは、トルコに対してかなり強烈な先入観を持っている人が多かったということだ。トルコといえばイスラム教*、イスラム教といえば保守的、という短絡さ。「女性は男性に顔も見せてはいけないんじゃないの?」だとか、そんなことを言われたこともある。たしかにイスラムの国々には、厳しい戒律が実際にそんな状況を生み出している場合もあるけれど、少なくともトルコはそうではない。だいたいギュル自身、まったく保守的な人物ではないのだ。保守的な人物は、鼻にピアスをつけたり、背中にタトゥーを入れたりはしない。それに彼女はお酒だって飲むのだ。
彼女の面白いところは、お酒を飲むという点ではまったく保守的ではないけれど、一方でトルコの伝統的なお酒(ラク)を好むところは伝統にのっとっているというあたりにある。もっとも、味の嗜好に保守もなにもなくて、ただその味がたまたま彼女に合っていたということかもしれないけれど。とにかく、イスラム国家のなかでもっともオープンな国のひとつといわれるトルコにあって、彼女は伝統を重んじながらも、しっかり自由を謳歌しているように見える。
トルコの地酒、ラク。水で割ると白く濁る。

「でも、民主化しているといわれているトルコだって、人権がしっかり守られているわけではないのよ」と彼女は言う。「たとえば政治家に靴や卵を投げつけるとするでしょう。すると投獄されてしまうのよ!」とまくしたてる。でも、政治家に靴や卵を投げつけて投獄されない国家というのはあるのだろうか。ちょっと想像がつかない。

美しい眺めに、彼女が夢見るものとは

ギュルの部屋は、ホステルの最上階の、なんとこの宿でもっともいい部屋だ。半ば物置のようなドミトリーの狭いベッドで毎日寝起きしている身としては唖然としてしまうけれど、そもそもこの部屋に泊まる客が皆無に等しいのだとか。たしかに、お金に余裕のある旅行者たちは、そもそもこのホステルを検討に入れないだろう。安宿に不似合いな豪華な部屋は、その素晴らしい眺めにもかかわらずいつも空き部屋になってしまっていて、結果ギュルの寝床と化したというわけだった。もちろん、予約が入った場合には彼女はここを空けるし、週末にはアジア側にある家に帰る。だからここには彼女の私物は一切なくて、部屋ではもっぱらテレビを観るか、または本を読んでいる。今読んでいるのはスティーグ・ラーソンの『ミレニアム』シリーズ*。彼女のキャラクターに合った嗜好といえるかもしれない。映画ならばタランティーノ*とのことだけれど、これもなんとなくキャラクターに合っている。
ギュル、動かないターンテーブルをいじる。
でも彼女がここに寝泊りするのは、つまり彼女がここで働くのは、あとわずかの期間かもしれない。実は彼女は、翌日に就職のための面接を控えていたのだ。ここでの仕事は楽しいけれど、家族経営ということもあって、彼女自身の稼ぎはそう多くない。少なくとも会社に就職して仕事をすることに比べれば、はるかに少ないのだ。でも彼女はお金が欲しい。もっと多くの国を訪れてみたいのだ。イスタンブルからなら、金曜の夜から日曜日にかけてのわずかな時間でも、ヨーロッパのどこへでも飛行機でひょいと飛んで、ちょっとした観光をしてくることができる。とりあえず次に狙っているのは、スペインだ。「素敵なスペイン人の彼氏を見つけるのよ!」と彼女は笑う。でもこれは冗談で、彼女にはちゃんと、もう10年も付き合っている恋人がいるのだ。彼女にはまだまだやりたいことがたくさんあるから、結婚しようという具体的な予定は今のところないけれど。
レッドリバー・ホステル屋上から

イスタンブルの街並みを、彼女はホステルの屋上のテラスから眺める。外国からやってくる多くの人にとっては、驚くほどエキゾチックで美しい、異国情緒あふれる街並みだ。それが彼女にとっての普通の景色。徐々に変わりゆく、日常の景色だ。もちろん、そんな景色を彼女は愛する。特に夕暮れ時の海の美しさは、言葉ではちょっと言い表せないほどだ。でも彼女の感じる「美しさ」の意味は、旅行者にとっての「美しさ」とはまた異なるものなのだろう。慣れ親しんだそんな景色を眺めながら、ここではないどこか別の場所を、彼女は夢見ているのかもしれない。

文・金沢寿太郎

イスティクラール通りには旧型トラムが走る

今週の参照リスト

 

《ギュル プロフィール》

 
名前 Gulseren Koc
国籍 トルコ
年齢 31
職業 ホステルのレセプショニスト
出身地 スィワス
在住地 イスタンブル
ここはいつから? 15年前から
家族、恋人 交際10年になる恋人
好きな音楽 クラシック、ジャズ、ブルースからハードロックまで多数。ノラ・ジョーンズ、B.B.King、メタリカ、メガデス、ゴラン・ブレゴヴィッチ、ゴーゴル・ボールデロなど
自由な時間の過ごし方 読書(現在はスティーグ・ラーソン『ミレニアム』)

《脚注》

◆イスティクラール通り、タクシム広場
イスタンブルのヨーロッパ側、それも金角湾の北側の「新市街」と呼ばれる地域のランドマーク。賑わう街だが、ツーリスティックというよりもふつうの繁華街で、観光客目当ての客引きも多くはない。タクシム広場はメトロやバスなど交通の拠点としても重要。

◆レッド・リバー・ホステル
2012年開業の比較的新しい家族経営のホステル。レッドリバーの名は、一族の地元であるスィワスを流れる川からだとか。イスティクラール通りから徒歩3分、タクシム広場・ガラタ塔も徒歩圏内で、交通の便もよい。良くも悪くも家族経営ゆえのユルさがある。安宿はツーリスティックな旧市街側に集中しているので、安食堂なども多い新市街側にこの宿があるのはけっこう旅行者にとっては嬉しい。

◆フェネルバフチェ
イスタンブルに多くあるサッカークラブのひとつで、人気・実力ともにナンバーワンのガラタサライに次ぐ存在。どちらかというと庶民派のクラブというイメージがあり、アトレティコ・マドリーのサポーターであるアルベルトがレアル・マドリーを憎むのとまったく同じ理由で、フェネル・サポーターはガラタサライを憎む。

◆トルコ人女性の英語力
もちろん個人差はあるけれど、一般的に英語を話せる女性は多くなく、また話せたとしてもそれほど流暢ではない。ギュルによれば、これは英語教育の開始が遅すぎるせい(通常高校から)であり、また日常生活で英語を使用する機会が少ないためでもあるとのこと。もっとも、一般的な日本人の英語力と比べてもどんぐりの背比べといったところだけれど。

◆ゴラン・ブレゴヴィッチ、ゴーゴル・ボールデロ
ゴラン・ブレゴヴィッチは、サラエヴォ出身、つまり旧ユーゴスラヴィア・現ボスニア・ヘルツェゴビナ出身の作曲家。10代の頃からすでに自身のロックバンドで成功を収め、その後も作曲家として活躍している。特にエミール・クストリッツァ監督の映画音楽などで有名。またゴーゴル・ボールデロはニューヨークの多国籍パンクバンドで、メンバーの多くは移民としてのルーツを持つ。両者はタイプこそ違えど、ロマ(ジプシー)音楽の色濃い影響をそのバックグラウンドに持つ点で共通している。

◆トルコのイスラム教
以前の記事でも触れたとおり、トルコはイスラム教国のなかでももっともオープンな国のひとつとされている。さすがに豚は食べないけれど、たとえばお酒は国内のあらゆる場所で手に入れることができるし、レストランでも楽しむことができる。EUとの距離感の持ちかた、中東のリーダーとしての立場など、ますますイスラム教人口の比率が増していく今後の世界の中で、トルコの存在感は増していくことだろう。

◆スティーグ・ラーソン『ミレニアム』
映画化されたことでも有名な、スウェーデンのジャーナリストだったスティーグ・ラーソンのデビュー作にして遺作となったのがこのシリーズ。第1作は『ドラゴン・タトゥーの女』として映画化もされた。世界じゅうで激賞され、多くの人に読まれている。ポーランドのヴィオラも、途方もなく長い時間をかけて読み進めていたけれど、果たして読み終わったのだろうか。

◆クエンティン・タランティーノ
『キル・ビル』などで知られるアメリカの映画監督で、監督であると同時に、日本の仁侠映画などにまで詳しい筋金入りの映画マニアでもある。『パルプ・フィクション』ではカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。この映画に出てくる感じの、恋人とレストラン強盗をはたらく女とか、体じゅうにピアスの穴を空けている麻薬の売人の妻、といったキャラクターたちは、なんだかギュルと共通点があるように思える。

旅日記【ロケットの窓際】027 サハラ砂漠へ


 ヨーロッパから見ればモロッコは、アフリカ大陸のほんの入り口に過ぎない。ここから南へ数千キロにわたって大陸は続き、遥か南半球、喜望峰にまで続いている。それにもかかわらず、この国にはどこか「地の果て」のような雰囲気が漂う。それというのも、すぐ南に広大なサハラ砂漠が横たわっているからだ。もちろんサハラはモロッコのみを横切っているのではない。西端のここから、東端は紅海に至るまで続いている。


 フェズからひたすら南へ下る。バスは夜行だ。申し訳程度の集落以外の場所では、外の景色はほとんどなにも見えない。バスのヘッドライトが散らした光のかけらが、窓の外に散っては、流れて消えていく。それらはほとんど何をも映し出すことはない。暗さのせいではなく、映し出すべきものが、そもそも、何もないのだ。けれどもその事実は、何をも物語らないということではない。僕は簡潔な事実を実感することになる。何もないところへ、今このバスは向かっているのだ。

 まどろみの中で、肌寒さに妨げられて、うっすらと目を開けてみる。きっと標高が上がっているのだ。つまりここは、アトラス山脈。暗闇の夜空に地図を描く。切り立ったこの山脈が南下する者に告げるのは、〈この先、世界の果て〉という事実だ。アトラスを越えたということはつまり、サハラ砂漠は目と鼻の先であるということを意味する。

 しばらくぶりにバスが止まる。山の中ほど、山を越える者たちの多くが休息をとるのだろう小さな茶屋だ。モロッコ風のミント茶の味は変わらない。乗客たちは皆、疲れきった顔つきで茶をすすっている。これからさらに数時間、砂漠へ向けて走らねばならないのだ。

 外に出て夜空を見上げてみると、雲が恐ろしい速さで通り過ぎていく。まるで何かから逃げているみたいだ。その向こうにちらちらと、星空がのぞく。まだそれほど多くが見えるわけではない。そのうちにバスのエンジン音が聞こえはじめ、静寂をかき乱して、出発時間の到来を乗客たちに教える。人々は会計を済ませ、またのろのろとバスへ吸い込まれていく。

 バスはかなりのスピードを出して、くねる道を進んでいく。相変わらず外は真っ暗で何もわからないのだけど、でもかろうじて、その暗闇の中に漠然とした広い空間の存在は感じることができる。恐らくここは、谷だ。それも、窓の外の、目と鼻の先から始まっている。ということは、このバスは今、かなり切り立った場所のギリギリを、このスピードで進んでいるところなのだ。そう考えると、この夜に感謝しなければならないかもしれない。もしも昼間なら、恐ろしくて生きた心地がしなかっただろうから。ただ視覚を遮断することだけでなく、夜は不思議な安心感を与えてくれる。何かを諦めるのに似た感覚だ。その中で、僕は再び眠りに落ちることができた。

 今がまだ夜なのだということは、目が覚めるほんの一瞬前からわかっている。けれども、何かが違う。今は夜で、しかも明るいのだ。窓の外は奇妙な白さで照らされている。触れてみなくてもわかる、信じられないほどに粒子の細かい、さらさらの砂。見たこともないような形の潅木を眺めていると、やがてそれらは、その背を伸ばして椰子の木になるのだということに気付く。

 これらを照らしている白い光の正体は、まばゆいほどの星の光だった。明るさが異なるというより、色が異なるのだ。空から溢れそうな無数の星は、その混じりけのない光で、世界の果てを指し示しているかのようだった。その光景、恐らくは夜明け前の短い時間だけに訪れる奇跡のような光景を一度目にしてしまえば、視線を逸らしてしまうことはなかなか難しい。ここでは、特にこの時間は、星空の支配が圧倒的に強いのだ。植物も人も何もかもを従わせ、無力化してしまうかのような圧倒的な輝き。今すぐにエンジンが沈黙し、バスが停車してしまったとしても、僕は何ひとつ驚くことはないだろう。


 世界の白さが薄れ、それぞれが本来の自らの色を取り戻しはじめる。茶色に近いような濃い砂の色は、日中に太陽に灼かれ続けたかのようだ。その太陽は地平線から上昇を始め、あっという間に星空に変わって世界を支配する。気温は今にも音を立てそうな素早さで上昇する。バスから吐き出された僕らは、次いで迎えの自動車に乗り込み、砂漠の中の宿を目指す。最後の街であるメルズーガより先は、小さな集落が点在するのみ。 GPSを頼りに地図を追っていたが、地図上ではすでに道は途絶えてしまった。気付けば自動車が走っている場所も、道なのかどうなのかが曖昧になりはじめている。道があるから人が通るのではない。人やラクダや車が通るから、そこが道になるのだ。そしてどこを通るべきかということは、子どもだって動物だって、きちんと知っている。砂漠の文法。

 辿り着いた宿には、しかしその日は泊まらない。荷物だけを置いて、夕方からラクダに乗ってさらなる砂漠の奥地を目指すのだ。案内役のガイドが、紐で結わえられて強制的に連ならされた四頭のラクダを引き、それぞれの上に旅行者たちがまたがる。だく足歩行の独特なリズムにようやく慣れる頃には、尻のあたりが痛みはじめる。日差しが西陽に変わりはじめ、鋭い角度で瞼を刺しはじめる頃になって、ようやくテントに辿り着く。一晩だけの、ノマドの暮らしだ。季節を越え、移動を繰り返さずしてなにがノマドの暮らしか、という気もするけれど。砂交じりの風が、夜風の冷たさをまとい始める。砂漠の夜は近い。

文・金沢寿太郎

アフタートーク【ロケット逆噴射】027

スガ
ここはなんというか…、のどかなとこだね。

寿太郎
ね。イスラエルなんてニュースで聞くといっつも不穏な話題だけれど、エルサレムは全然そんなこともなく。太陽もまぶしい。のどかです。

スガ
ここは南京虫はでなさそうだし、めしは食べ放題だし、いいことです。じゃがいも率がちょっと高すぎるけど。建物とかサービスとか、いや、サービスって言うのは正しくなさそうだけど、まぁ全体的にゆるい感じがまた…なんとも言えない。

寿太郎
宿ではないからね。じいさんの家に泊めてもらって、こちらはお礼としてお金を寄付する形。まあ、ここの話ものちほど出てくると思いますが、とにかく面白そうな街ですね、エルサレム。

スガ
もっと先進国ぽい感じなんだと思ってたら意外と中東感満載で。で、とりあえず今週はイスタンブルのギュル。

寿太郎
ギュル、とは「バラの花」という意味だそうでございますが。

スガ
あっ…とそうそう、イスタンブルにはカメラ直しに行ったんだけど、どうにか直してもらってぶじ受け取れました。

寿太郎
よかったですね。カメラトラブルはなんだか、断続的に年明けからずっと続いてた感があったので。もう起こらないことを願うばかり。

スガ
そうだね。イスタンブルに直しに行ったのに結局そこでは直せないとかで、フランスに送ってヨルダンで受け取って。関税ガッポリ持っていかれるし。海外でカメラ壊れるとこんなに大変なのか、というのを痛感しましたよ今回。
で、バラね。

寿太郎
いや、バラはまあ「ああ、そういう意味なんだ」という以上の何もないけれど。

スガ
まぁ名前だからねw でもギュルのトゲがあって、華やかな感じ、わりと似合ってるかもしれないよ。

寿太郎
確かに。話し方も鋭くて、ギュルッと突っ込んでくるからね。You know?

スガ
ギュルッとツッコミ入れてくる時と、なんか妙に甘ったるいこともあるよね。ユーノゥ? って。

寿太郎
気だるいんだな、どっちかというと。あとなんかすぐKill youとかいって殺してくるね。

スガ
まぁ一言で言うとビッチ感がすごいというか。インタビューしてみると割とまともなこと言うのに。

寿太郎
イギリスのイケイケの女性ってあんな感じのこと多いと思うけど、なるほどイギリスに暮らしてたわけだ、という。でも確かに、しっかり話をしてみるととても知的な感じだよね。話し方はそれほどでもないけど、言ってることはけっこう知的でまとも。

スガ
でもなぁ、全体的には知的なんだけど、見てると彼女自身のバランスの取り方なのか正直よくわからないところがあって。たとえば、彼女はインタビューの翌日面接に行くみたいだったけど、フォーマルな服きて働いていたら、また嫌になっちゃうんじゃないか、とか。

寿太郎
そうそう、というかバランスとるの苦手そう。けっこう人生大変そう。ゴリゴリ進むことでバランス取ってるみたいな、自転車みたいな。そんな印象ありますね。

スガ
あー自転車。立ち止まるとバランス取れなくなって倒れちゃう的なね。
彼女が音楽を志すのをやめた話とかも、なんか大事なことをわりと軽率に決めていきそうというか、それでよかったのか? みたいな。まぁ実際はもっといろいろあったのかもしれないけど。

寿太郎
でもね、結構音楽について挫折した話をするときの様子なんか見てると、やっぱりかなり入れ込んで頑張った上での挫折という感じがしましたよ。ただ、あくまでそれを軽薄な感じで語ると。本文にも書いたけど、それが彼女のスタイルであり、前を向いていくために必要なことなんじゃないかね。「昔のことよ」といって笑ってたけど、あんな風に笑えるまでにけっこう時間がかかったんじゃないかなあ。

スガ
うん、確かにそんな気がする。でもまぁああいう風に、あえて軽い感じに語ると。
彼女の軽薄なキャラクターも、そういう妄想を持って眺めると好感がもてる…というかぼくは、彼女の軽薄さ、けっこう好きかもしれないな。
まさかイスタンブールにああいう人がいるとは思わなかったけど。

寿太郎
軽薄さは軽やかさにつながりますからね。予防接種のための病院の予約を頼んだときとか、そういうやや複雑で真面目な話をした場合だとか、理解も行動も素早かったしちゃんと親切だったね。そういうタイプ。やや絡みがめんどくさい場合もあるけどw、僕も彼女のキャラクターは好きです。

スガ
まぁもしかするとギュルはいないかもしれないけど、イスタンブルで安宿をお探しの方には、レッドリバー・ホステル、けっこうオススメです。便利な場所にあるし、安いし、もしかしたら半分スタッフ化した日本人の方もいるかもしれない。フェブジもやや絡みがめんどくさいこともあるけど、基本的にはいい人です。

寿太郎
はい、脚注にも書いたとおり。Hostelbookersとかからだと割引もあったりすると思うので、イスタンブルにご旅行予定の貧乏旅行者の皆さまは、ぜひ。というわけで、今週のおたよりコーナー。

スガ
はい

寿太郎
埼玉県在住の「家に帰るまでが飲み会」様から、エアメールをいただきました。「私はビールが大好きですが、最近は子育てが忙しくてあまり飲めません。お二人が世界じゅうでいろんなお酒を飲んでいるかと思うと、羨ましくてなりません。ふだん、どんなお酒を飲んでいるんですか?」とのことです。

スガ
ああ、女の人は妊娠中とか授乳期間中とか、飲めないと言うよね。ぼくの親しくして頂いてる方にも、嫁がいちばんの飲み友達だったのに飲めなくなってつらい…と言っている方がいました。

寿太郎
大変みたいですね、なかなか。誰に聞いたんだったかな、授乳期間中に辛抱たまらず飲んでしまい、そのあと酒抜きのために搾り出す作業をしなければならなかったとかいう恐ろしい話を耳にしたこともありました。お母さんは大変だ。

スガ
で、ええと、お酒と言えばまず今週のギュルね。彼女はラクが好きと言っていたけど、数日前、自分のアイコンをラクの画像にしていて、あ、そんなに好きなのと。

寿太郎
我々の記事を受けてのことだったりしてね。ま、でもラクはけっこう美味しかった。僕は苦手なお酒というものはないのだけど、スピリッツとしてはわりと飲みやすい部類じゃないかなと思いました。ちょっと臭みはあるけれどね。

スガ
個人的にはラク、かなり気に入りました。ぼくはカンパリが好きなんだけど、ラクに入っているアニスというのは、あの香草っぽい香りに似てて。下手な焼酎、ウォッカ、ジンあたりよりは好きな気がしたな。ま、一杯しか飲んでないんだけどね。

寿太郎
そう、まず強いお酒が大丈夫かどうか、それにあの香りが大丈夫かどうかだね。どっちもクリアできる人ならけっこう楽しめるお酒。透明なとこに水を入れると白くなったりね、そこらへんも楽しい。これはたぶん、ルーツとしてはギリシャのウーゾだとか、バルカン半島のラキヤだとかと同じものですね。

スガ
ラキヤはセルビアとかブルガリアでも飲んだけど、あっちでは水で割ったり、というのは聞かなかったよね。水で割る分、トルコのラクはちょっと飲みやすくなる、というのもよかったのかもしれない。

寿太郎
ラクはトルコの魚料理なんかとよく合いそうだったな。そのへんをお供に飲んでみたかった気もします。……で、ほかの国でなんか印象に残ったお酒ありますか。

スガ
んー、まぁあとは圧倒的に…ビールかなぁ。
マドリードではやたらとジントニックが流行っている、みたいな話があったけど、あれは日本のハイボールブームみたいなものかな。

寿太郎
チェコのビールは素晴らしかった。ドイツもよかったね。ヨーロッパは全般的に、やっぱりビールが安くて美味しかった。
マドリードのジントニックは、そんなとこかもしれないね。飲んだけど、なんというか、べつにそれほど飛びぬけて美味しいことはなかった。いや、ふつうに美味しくはあったけどね。

スガ
うん、そう。まぁマドリードのジントニックは、まぁ…ふつうw
東欧はビール天国だったけど、どこが美味かったかな。安さだと一番はやっぱりブルガリアなのか。

寿太郎
安さだとそうなりますね。たぶんあれは、中国より安かったんじゃないか。

スガ
中国といえば、逆に今のところビールの味が一番微妙だったのは中国。
青島ビールはうまかったけど、ほかはわりと軒並み微妙だった気が…。

寿太郎
そうだね。だいたい冷えてない場合が多いし。ただしっかり冷えた青島ビールは、やっぱりいいものでした。

スガ
日本だと青島ビールって一種類しか見ないけど、青島ビールにもいろいろあるんだよね。

寿太郎
日本でも最近は何種類か手に入るみたいだけどね。中国では主要なのは5種類みたい。また訪れたときに意識して飲み比べてみたいものです。

あと個人的にいちばん美味しかったのは、ちょうど別行動してたときでアレなんだけど、チェコのチェスキー・クルムロフで飲んだご当地ビールの「エッゲンベルク・ビール」というやつかもしれない。

スガ
ほお。チェコとかドイツとか、ふつうに街単位でビールあるからね。

寿太郎
チェスキー・クルムロフではビール工場にレストランが併設されてるんだけど、そこでできたてのやつを飲んだのが忘れられない。黒もラガーもよかった。世界一美しい街だそうだけど、ビールの味も喉ごしも美しかったです。

スガ
ははぁー、それはよろしいこって。

ていうかこれから先アフリカとかは酒不毛の地な気がするんですけども。
モロッコなんてモロッコ・ウィスキーとか言うから何かと思えばミント・ティーだし。

寿太郎
ウィスキー長らく飲んでないな。ビールも飲みたい。とりあえずアフリカより前に飲んでおきたい、というか、せっかく中東にしては手に入りやすいイスラエルだから飲みたいものですね。

スガ
そうですね、また来週。

編集後記:退屈なしめくくり

トルコと言えば、旅人にうれしいのが食の充実。最近はちょっと風邪を引いたり、アラブめしに負け気味になったりしていたので、寿太郎くんとふたり、手頃な値段で、からだによさそうなものがたっぷりとれるトルコの食堂(ロカンタ)を懐かしんでいます。

今泊まっている宿(というか正確には家…)は、じゃがいもやらトマトやらバナナやら、食材はたっぷりあるのですが、ほっておくとじゃがいもばかりになるのが難点。というわけでそろそろ、ヨーロッパで鍛えたパスタ職人の腕を披露する時も近そうです。

ヘブライ語のさよならは、レヒットラオート!

スガタカシ