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こんばんは。退屈ロケットのスガタカシです。皆様いかがお過ごしですか。本日はヨルダンの首都アンマンから。旅に出てはじめて、本格的な風邪にダウンしている退屈ロケットの2人ですが、負けじとこれまでにないボリュームの写真とともに、サハラでノマド=遊牧民を辞めて、定住者になったムバラクのくらしをお送りします。

日本でも「ノマド」という言葉がずいぶん話題の昨今。本場のノマドはどうやって生きているのか。どうぞ、お楽しみください!

Biotope Journal リポート #026|ムバラク

> Web "Biotope Journal" ムバラク編 メルズーガ サハラ砂漠の小さな家。彼がノマドをやめた理由

「サハラ」とはアラビア語で「砂漠」を指す。したがって「サハラ砂漠*」という表記は本来、適切ではないといえる。「フラダンス」(フラはダンスの意)や「チゲ鍋」(チゲは鍋の意)と同じだ。

そんな言葉遊びはさて置いても、単にサハラといえば世界のあらゆる人が、砂丘の波がどこまでも続く灼熱の死の砂漠を思い浮かべることだろう。英語では"The Sahara"。サハラといえば砂漠だし、砂漠といえばサハラだ。この砂漠は、東はエジプトの紅海から西は大西洋に至るまで広がり、広大なアフリカ大陸を南北に分けている。

サハラ砂漠では、ノマドの集落も見ることができる
40年ほども前に、当時弱冠22歳の日本人青年*がサハラの横断を試み、そして命を落としている。しかし、彼のような極限の旅をするわけではないふつうの旅行者がサハラを体験したいとする。その場合に最も適している国のひとつが、モロッコだ。地中海に面した港町の多い北側からアトラス山脈を越えて南下すれば、空気には砂塵が混じりはじめ、風は乾きはじめ、砂漠の予感がどんどんと濃くなっていく。そうして辿り着く最後の街の名は、メルズーガ。地図を見れば、その先は途切れている。けれども、明確な終点があって道が終わっているわけではない。道は徐々に砂漠に吸い込まれ、あいまいに消えていくのだ。人や動物、四駆などが通るために道があるのではない。そこでは、それらが通ることによって踏み固められ、道ができていくのだ。よそ者には道と砂漠との見分けをつけるのは難しいが、四駆のドライバーはきちんと正しい道を辿っていく。進むほどに、ただの茫漠とした荒野に見えたあたりに点が浮かび上がり、やがてそれらは建物の形をしはじめる。集落だ。集落というにはいささか家々の間が離れすぎているけれど、広大なサハラの中で、それはたしかに集落といえる。
ムバラクの家の裏手で、子どもたちと

ムバラクの「家」をたずねる

砂漠の砂の圧倒的な質量は、あらゆる境界を無意味なものにしてしまうかのようだ。最も文明に近い砂漠の民というべきなのか、あるいは最も砂漠に近い定住者というのが正しいのか。ともかく、そんな曖昧な地域に家を建てて暮らす一家がいる。家長のムバラクはノマドの家に生まれた、元ノマドのベルベル人だ。かつてはこの先の砂漠で、山羊を率いて暮らしていた。

現在の彼の家は、投宿していた砂漠の宿からほど近い、徒歩圏内にあった。この「家をたずねる」ことの容易さは、考えてみればありがたいことだ。もしも彼が今もノマドであったなら、移動生活を営む彼に会うことははるかに難しかったに違いない。かくして彼の家へ向かう。文字通り、まっすぐ向かう。このあたりには、厳密な意味での道もなければ、道でない場所もないからだ。砂に足をとられ、足取りはやや重たくなる。

ムバラクの家ちかくの井戸
井戸があり、小さな商店があり、そして道が――ここでの「道」というのは、徒歩の人間や四駆車や驢馬などが通るときに選ぶ「もっともましな場所」という意味だが――あり、その向こう側にムバラクの家がある。見た目の質素さは他の家々と変わりない。でも迎え入れられてみれば、ほかにはなかなか見られないような構造をしていることがわかる。多くの用途に使える中庭のようなスペースがあり、キッチンはふたつの部屋に分かれている。片方には、伝統的な調理法のための釜がしつらえられている。もう片方には現代的なガスキッチンだ。作る料理によって使い分けるのかもしれない。そして奥のほうには、人々の集まることができる大きなスペースがある。
集落の商店。あまり住宅と見分けがつかない

実はこの家、7年前にムバラク自身が建てたものだ。約一年の期間をかけて、年下の友人とたったふたりで造りあげた。ムバラクは多くの特技を持っているのだが、そのなかで最も重要なものが、建築だ。ひとつところに留まらず、移動を繰り返して暮らすノマドの特技が建築だいうのも不思議な話。ムバラクはこの技術を父から学んだのだが、父ももちろんノマドだった。

実は彼らは、その技術を自らのために用いていたのではなかった。時折街にやってきて、誰かしらのための建物を造り、そして金を稼いでいたのだ。ノマドをやめるにあたって、ムバラクは初めて、その技術を自分自身の家のために使う機会を得たというわけだ。

家の入口

なんでもできる「オールドマン」

現在38歳のムバラクは、周囲の人々から「オールドマン」と呼ばれている。これはなにも、最近始まったことではない。もっと若い頃から、彼はそう呼ばれていたのだ。近しい友人は、冗談めかして「彼が老け顔だからだ」という。ムバラクもそれを聞いて笑っている。でも、もっと根本的な理由がある。それは彼の特技の豊富さだ。彼が得意なのは建築だけではない。観光客を相手にガイドをやってきたから、英語もしゃべることができる*。料理もできる。耕作の方法も、井戸の掘り方も知っている。山に行って鉱夫として働くこともある。とにかく多くの経験があり、それに裏打ちされた知識を蓄えているから、周囲の人々は困ったことがあれば彼をたずねてくるのだ。「オールド」というのは、成熟した頼れる男につけられる、いわば尊称のようなもの。多くの人が、彼に敬意を抱いているのだ。
砂漠でも、モロッコでは木を植える
ムバラクの特技の数々は、生活のための直接的な必要に応じて身についてきたものだ。そういう部分は、ノマドらしいと言うこともできるだろう。でもノマドでなくなった今も、彼は知識を蓄え続けている。よく読む本は、アラビア語で書かれた薬草*についての本だ。今では、簡単なものならば自分で調合できるようになった。そう、彼はアラビア語を読むことができるのだ。これは彼の世界の広がりにとってとても大きな意味を持つことだ。
屋根の下はおどろくほど涼しい
ノマドの子どもたちは、通常学校に通うことはない。というよりも、通うのが困難なのだ。それは当然の話で、彼らは次々に移動を繰り返して暮らしていくけれど、学校のほうはついてきてくれないからだ。学校で教育を受けるうえで、定住というのは必須事項ともいえることだ。
伝統的なキッチン。基本的にはここで料理。(クスクスとか)
モロッコの公用語はアラビア語ではあるけれど、ベルベル人にはそれを理解できない者も多い。しかし、ムバラクが幸運だったのは、叔父が街で定住生活を営んでいたということだ。ムバラクをその家に預けられ、5年間にわたって学校に通うことができた。そのため彼は、アラビア語の読み書きができるのだ。ベルベル人は世界最古の民族と言われながら、しかし現在、ベルベル語の話者数は非常に少なく、さらに減少を続けている。対してアラビア語は、世界第4位の話者数を誇る言語だ。これが意味するのは、多くの人とコミュニケーションをとれるということだけでなく、多くの本を読むことができる、ということ。たとえばムバラクは、観光客のガイドをするうちに英語を身につけていったのだけれど、このときに参考にしたのはアラビア語−英語の辞書だった。もしも彼がベルベル語しか理解できなければ、英語の習得は困難をきわめていたことだろう。
モダンキッチン。現在は電気とガスが止まっていて使えない。

彼がノマドをやめた理由

ムバラクはノマドとしての暮らしが好きだった。しかし彼は7年前、定住の暮らしに移行する。これは大きな決断だった。暮らしかたを変えるということは、生き方そのものを変えてしまうことにつながる。でも彼がその選択をしたのは、子どものためだった。彼には子どもが4人いる。最年長の男の子は11歳。7年前といえば、この子のための教育を本格的に考えはじめなければならない頃だ。そして、学校に通うためには定住が不可欠。ノマドの誇りをしまい込んででも定住するに値する、重大な理由だ。
宗教的に撮影させてもらえなかった奥さん(美人)は廊下に絨毯を敷いて過ごしていた
子どもたちにどう育って欲しいかとたずねると、彼の答えは逆方向を向いてやってきた。つまり、「どう育って欲しくないか」ということを語るのだ。ムバラクは、「子どもたちには、自分のように育って欲しくないんだ」と言う。

彼は多くのことができるし、今も技能を増やすべく努力している。仕事の中で言語を身につけてしまうほどの知性があり、周囲の尊敬も集めている。それでも彼は、子どもたちには自分と違う道を歩んで欲しい。その意味することはただひとつ、「学校に通い、卒業して、きちんとした教育を身につけて欲しい」ということだ。

ノマドとしては、そして砂漠に暮らす民としては、彼は人並みはずれた十分な能力を持っている。でもそれゆえに、たとえば欧米などからの旅行者を案内するうちに、より広い世界を知ってしまったのだ。鋭い感覚を持つ彼は、外の世界で起こっていることを理解し、それがどのような意味を持つのかを的確に認識する。そこに出て行くためには何が必要か。それはとりもなおさず、教育だ。語学であり、世界についての深い知識なのだ。子どもたちには、ぜひ大学を卒業して欲しいと彼は言う。なにもモロッコにこだわる必要はない、海外にどんどん出ていけばいい。

奥の空っぽの部屋の食器棚。来客用とおぼしき食器が並ぶ
ムバラクは、自分の子どもたちに「世界を変えて欲しい」という。より広い世界を見て、様々な価値観に触れて欲しい。自分の世代と次の世代との間で様々なことを変えていこうという意識が、彼には強い。子どもたちを育てるうえで様々なことを意識しているのが、随所に感じられる。
奥の部屋の窓からは集落が、その奥には砂漠が見える

たとえば、誕生日についてのとらえ方。実はムバラクは、自分の誕生日を知らない。誕生日どころか、正確な誕生年もあいまいなのだ。ベルベル人にはもともと、誕生日や年齢を重要視する習慣がない。彼は一応38歳ということになっているのだが、それは父親からそのように教えられたからというだけのことで、どこかに明確な記録が残っているというわけではない。ノマドの暮らしでも、今の暮らしでも、別段不都合はない。

けれども、子どもたちは違う。もしも外国に出て行けば、生年月日というのは個人をアイデンティファイするうえでとても重要な情報になってくる。だから彼は、子どもたちにしっかりと自分の生年月日を認識させている。子どもたちの年齢をたずねてみると、彼はわざわざ子どもたちに質問して、自分が何歳になったのかを答えさせていた。

今日を正しく生きるために

ムバラクは、身近なことのみならず、社会のことをきちんと認識し、それに基づいて子どもたちの将来を考える。ところが、一見これと矛盾するようなことだけれど、彼は「明日のことは考えない」のだという。これは日本語で言うところの「その日暮らし」のようなこととはわけが違う。この裏には、彼の根幹をなしているふたつの重要な考えかたがあるのだ。
応接間のムバラク。チャイとピーナッツでもてなしてくれる
ひとつは、ベルベルの、特にノマドとしての伝統的な考えかた。彼らは山羊を率いて野山に暮らし、天候を読み、経験を省み、草と水を探して移住生活を送る。けれども、彼らの読みがいかに鋭いものであったとしても、また彼らの経験がどれほど重厚にたくわえられていたとしても、自然のわずかな気まぐれによって、それらは簡単に吹き飛んでしまう。人間が自然の前にどれほど無力かということを、ノマドたちはよく知っている。だから未来のことは考えない。考えないというのが正確でなければ、むやみに不安を覚えたり、また過剰に期待をしたりしないということだ。まさに「明日は明日の風が吹く」ということだ。
もうひとつは、イスラムの考えかた。未来について語るとき、彼らがしょっちゅう口にする言葉に、「インシャアッラー」*というのがある。「神の思し召しのままに」という意味だ。旅行者としてこれを聞くのは、たとえばバスの発車時間であったり、公的機関の営業時間であったりで、そんな無責任な答え方をされると思わずため息をついてしまうし、またときには怒りすら覚えるのだけど、これはそのように単純な言葉ではない。すなわち、今自分が生かされているのは神の御心によってであり、明日も神が自分を生かしてくださるかどうかはわからない、ということなのだ。これもまた、噛み砕いていってしまえば「明日は明日の風が吹く」。だからムスリムの教えを正しく守る人々は、今日余ったお金があったならば貧しい人たちに施してしまい、明日のためにとっておくということをしないのだ。未来への想像力を封じるためではなく、今日をまっとうに生きるための考えかた、なのかもしれない。
ムバラク家はブランコつき
ムバラクは毎日をそのように過ごす。誰が自分を必要としているかは日ごとに変わる。だから彼は、建築もすればガイドもするし、鉱山で鉱石を掘ったりもするのだ。もっとも、そうは言いながらも、子どものための資金だけはどこかにこっそり蓄え続けているのではないか、とも思えるのだけど。
スガのカメラをとり合う子どもたち

インタビューが終わると、ムバラクは仕事に向かうという。おんぼろのバイクに乗って颯爽と去っていく彼は、特定の仕事場にではなく、ガイドを必要としている観光客を探しに行くのだ。彼のいるところが、常に彼の仕事場。まさにノマドの働きかただ。誇り高いノマドの生きざまは、ちゃんと彼の中で、今も呼吸を続けている。

文・金沢寿太郎

オートバイのうしろに寿太郎くんを載せて、走り去るムバラク

今週の参照リスト

 

《ムバラク プロフィール》

 
名前 Mubarak
国籍 モロッコ
民族 ベルベル
年齢 38 ?
職業 大工、建築士、観光ガイド、鉱夫ほか多数
出身地 メルズーガ
在住地 メルズーガ
ここはいつから? 7年前から
家族、恋人 妻、二男二女との六人家族
好きな音楽 ベルベルの伝統音楽
自由な時間の過ごし方 読書(アラビア語の書物。最近は薬草についての本など)

《脚注》

◆サハラ砂漠
アフリカ大陸北部に横たわる世界最大の砂漠。総面積は1000万平方キロにも及ぶ。

◆上温湯隆
昭和50年、世界初のサハラ砂漠単独横断を試みた青年(当時22歳)。これは達成されることなく、彼はマリ共和国内の砂漠の上で渇死するという最期を迎えることになった。彼の手記を再構成した『サハラに賭けた青春』『サハラに死す』は有名。絶版により入手困難な時期もあったが、現在は電子書籍などでも購入することができる。

◆英語
ムバラクは、ほぼ観光客と会話をすることのみから英語を学んだ。観光客と話し、時には辞書を参照し、語学力を向上させていく。ビロールも同様のことをしていたが、各国の観光ガイドにこういう人はけっこう多い。ムバラクはベルベル語、英語、フランス語(かつての植民地支配の関係から、モロッコの人の多くはフランス語を理解する)を理解するトライリンガルということになる。

◆イスラムの薬草学
古代ギリシャの医者・学者であるディオスコリデスの『薬物誌』がアラビア語にも翻訳され、これがイスラム医学の発展に大きく貢献したという歴史がある。この医学には、現代も人々の生活に寄与している部分も多くある。

◆インシャアッラー
イスラムの人々は、未来の約束の話をするときなどには必ずこの言葉を付け加える。これは曖昧な表現というわけではなく、むしろ宗教的にはその約束についての誠実さを表すことになる。なおこれを逆手にとって適当なことを言い、観光客から金を騙し取ろうという者も一部にいたりするから注意しなければならない。

旅日記【ロケットの窓際】026 フェズ 迷宮の中で

 先進国とか途上国という言葉が具体的にどの国を指すのかということはむずかしい問題だ。システムのごく一部を切り取ってみれば、日本だって途上国だということはできるだろう。中国の田舎の村を見てこれが先進国だという人は誰もいないだろうが、上海の中心地はこれが先進国でなくてなにが先進国なのだ、という様子だ。要するにこれらの言葉の定義など常にたゆたっているし、便宜的に使われるテクニカル・タームにすぎないのだ。


 そこで、便宜的な言葉の使い方をしてみよう。モロッコというのは、我々が実に久しぶりに経験する途上国だった。もちろんヨーロッパの中にも、経済的にも国のシステムとしても、どうにも先進国とは言いがたい国はある。でもそれらとは違うのだ。たとえば中国内陸部、たとえばインド。それらに身を置くときに感じるのと同じような感覚。途上国というのはやはり不適当だ、やめよう。言わばそれは「旅先の国」。道は旅路で空は旅空だ、有無を言わさず僕にそう感じさせる国があるのだ。

 それらの国々は、僕の輪郭を過剰なまでに際立たせる。たとえば、見たこともない食べ物だとか、あるいは異常なほどの悪臭だとか、そうした街角に漂う異国の香りが鼻をつけば、たいして形が良くも悪くもない僕の鼻は自ら存在感を主張する。し続けなければ歩けないし、存在し続けられないのだ。日本と異なる種類の暑さや寒さは、その差異をいちいち強調しながら僕の肌を撫で続ける。人々の話す耳慣れない言語は耳を通り抜けていく。意味は残らず、響きだけが蓄積していく。

 そんなときに、僕は異国人だ、と強く感じるのだ。世界に自分の身体が縁取られているのを、僕は強く感じる。自分がひどく無防備な状態にあるような気がして、ぞっとする。それでも、人々の好奇の目に晒され、ときにはにこやかに応じ、ときには無視を決め込みながら、次の場所へと歩いていかなければならない。「旅先の国」とは、そんな国だ。

 フェズの街では、その異常なまでに入り組んだ迷宮のような旧市街が、いち早く出迎えてくれた。街がそんな具合であることはあらかじめ知っていたから、宿は予約をしておいたし、地図もある程度調べてはおいた。それでも、案内人のような男について歩かなければ、宿を発見することはできなかっただろう。彼にチップを渡す。古来の遺物である迷宮は、ただ非合理的なだけではなくて、ある意味では経済を回しているのだ。

 特にここは有名な観光地だから、モロッコの人たちを一般化して語ってしまうことはできないけれど、それでも彼らの明るさや親切さというものはよく伝わってきた。街を歩けば、子どもたちにまとわりつかれるし、大人たちも声をかけてくる。土産物を売りつけてやろうという魂胆のない人々も、ごく当たり前に話しかけてくるのだ。どこからきた、日本か? モロッコは好きか? 日本とモロッコはフレンドだ! といった具合。素朴な街並みが多く残っているにしろ、やはりここは観光地。簡単な英語ならば、話せる者は多くいるのだ。


 迷路の街を屋上から見下ろせるレストランで、ちょっと奮発した食事をとってみる。タジン鍋に、クスクス、そしてミントの香りが利いた紅茶。ここの食事は、人々のもてなしと同じように、とても優しい。刺激を利かせようというよりも、食べる者をリラックスさせようと意識しているかのような味わいだ。砂漠、山脈、厳しい自然に晒されて、かつての人々は安らぎを食の中に求めようとしたのだろうか。

 レストランのオーナーらしき老人は、足腰に負担をかけながらもしょっちゅう屋上にやってきて、なにくれと世話を焼いてくれる。街の見どころも解説してくれる。たとえばほら、ここからよく見えるあの施設。あそこではハシゴを作っているんだよ。なにしろフェズといったらハシゴ、まだ行っていないなら、あのハシゴ工場はぜひとも訪ねてみたほうがいいよ。

 老人は熱烈に推薦してくれるのだが、どうしても首をひねらざるを得ない。革工場が有名なのはよく知っているし、滞在中にはもちろん訪ねてみるつもりだけれど、ハシゴ工場というのは初耳だ。ともかく、ぜひ行ってみるよと応じると、老人は満足そうに頷く。しかしなぜハシゴなのだろう。迷宮のような街をショートカットして移動するために、屋上から隣の建物へハシゴを渡したりするのだろうか。でも見回してみても、そんなことをしている人の姿を見つけることはできない。


 数日後に革工場を訪ねてみると、そこで初めて、それは老人の言っていたハシゴ工場と同一の施設なのだと言うことがわかった。工場のモロッコ人が「革」の話をする、その発音を聞くに至って、初めて老人ははじめからずっと「革」の話をしていたのだということがわかる。彼は "ladder(はしご)" ではなくて "reather(革)" と言っていたのだった。モロッコ人の発音のせいなのか、日本人の耳のせいなのか。下手どうしの英語でも、同じ種類の下手さではないから、様々なことが混乱の渦に巻き込まれていくのだ。

 宿の屋上で街をぼんやり眺めていると、定時がやってきたのだろう、モスクからアザーンの祈りの声が鳴り響く。ハシゴのおじさんが話してくれたアザーンの話をふと思い返す。街にあるすべてのモスクがこれを同時に始めるのではない。ひとつのモスクに呼応して、近くのモスクが。それに呼応して、また別のモスクが。混じりあって溶け合った声はじわじわと広がっていき、やがて街のすべてを覆いつくしてしまう。目を閉じていると、やがてその音が僕の耳の内側で生まれ続けているような気分になる。すべてのモスクはやがて順番に祈りを終えていき、最後のモスクの響きが風に溶けてしまっても、耳の中ではなお祈りの声が微かに生まれ続けていた。

アフタートーク【ロケット逆噴射】026


スガ
これぜったいおなじ風邪だねぇ。
出発から7ヶ月目にして、ついに、というかんじ。

寿太郎
完全に風邪ですね。頭重い、熱、あと節々痛いと。
まあ考えようによっちゃ、アフリカに入る前に悪いものを全部出しといたほうがいいのかもしれないけど。アフリカで熱でも出たら、すわマラリアかと大騒ぎですよ。

スガ
すわ! マラリアでもうダメだ!

寿太郎
熱のせいでテンションがおかしくなってますね

スガ
これというのもヨルダンが寒いせいだよ。
中東なのにこんなに寒いなんて思わなかったじゃない。

寿太郎
なんだか砂漠的な気候ですね。陽にあたっているときだけじりじり暑くて、日陰だとおそろしく寒い。
なんだかいやらしい寒さですよ。体の芯を的確に狙って冷やしてくるような。

スガ
そうねぇ。で、あれだ。砂漠といえば今週はサハラ砂漠でしたよ。

寿太郎
サハラは凄まじかった。砂漠といって思い浮かべる、あの砂漠だからね。

スガ
夜中にひとりで砂丘に登ったら流砂に埋まりかけたのも、今はよい思い出です。

寿太郎
俺も夜中に砂丘に登ったら迷子になりかけていた。

スガ
ドキドキするよね。地平線のなかにいきものの気配がほとんどなくて、なにしろ簡単に死ねそうで。

寿太郎
あれはなかなか表現するのが難しい。夜中は風が強かったりして、どんどんこちらの方向感覚が狂ってくるし、なんだか生き物でない恐ろしい何かの意思が働いているような感じがあった。月明かり、星明かりも異様な明るさだし、なんだか現実離れしていた。

スガ
サハラそのものが巨大なばけものみたいなね。

寿太郎
今週の脚注でもちらっと紹介した『サハラに死す』を読んだけれど、魅入られてしまう気持ちもわかるような気がする。砂漠には妖しい魅力がありますね。

スガ
そういえば、モロッコの人たちも砂漠のこと語る時、誇らしげだったよね。サハラじゃどや、みたいな。

寿太郎
なにしろ世界一だからね。あれは確かに誇るべきものでした。

スガ
日本で砂と言ったら、鳥取砂丘くらいだもんね、サハラ出されちゃぐうの音も出ない。
で、えーと。取材したムバラクは元ノマドだったけど、元というか、ノマドを辞めてからますますノマド的な生活になっているという。

寿太郎
そのノマド的な生活というのは?

スガ
いやきみのレポートでもかいてたじゃない。

寿太郎
そうだっけか

スガ
ムバラクのいる場所が仕事場になる、ってやつ。

寿太郎
はいはい。「ノマド的な生活」という言葉にピンとこなかったけど、確かにそれはそうです。
というか「ノマド的な働きかた」になっていると。べつに「ますます」ではないと思うけれどね。

スガ
ますます、というのは日本で流行り?の「ノマド」にひきつけて見ると、ということ。ノマド=遊牧民という生活を捨てて定住者になったけど、遊牧という中心がなくなった分、手を出す仕事の幅が広くなって、「できることはなんでもやる」状態ていう。日本で会社をやめて、フリーになった人にかぶって見えるなと。

寿太郎
なるほど。ムバラクの場合は「ノマド→定住」でそういう変化が起こっているけど、日本では「会社→フリー」でそういう変化が起こる。そうすると構造としては逆になってますね。

スガ
そうそう、ムバラクは長い目で考えて、ノマドという生き方をやめることを選んだわけだけど、そのためには外部環境の変化に対応できるようにいろいろな技能を身につけている、というね。逆の構造なんだけど、伝統的な生き方を捨てるために必要とされるものは似ているんだな、という。それが面白いと思ったよ。

寿太郎
ムバラクはたぶんノマドの中では特殊で、ノマドとしての外部環境のみならず定住における外部環境のシステムにも適応できる能力・技能があったんだよね。だから、ノマドとして生きるうえでの不利益とかリスクから脱出することができた。
日本でノマドワーカーになろうとしたら、外的なリスク要因のことを熟慮しないわけにはいかないわけだけど、逆にムバラクの場合はノマドとしてそれに対応できる力がありながら、子どもたちの先を見据えてリスクを減らしていく方向にいったというような気がします。

スガ
ただ、僕たちの泊まった宿のスタッフとかにも、親はノマドだけど、自分は英語が喋れるからガイドとして働く、みたいな人たちがいたじゃない。だからムバラクほど、とはいかなくても、教育とか医療とかの定住のメリットとか、貨幣経済へのアクセスを考えてノマドを離れる、というのはひとつの趨勢な気がしたな。

寿太郎
そうだね。気候の変化みたいなこともあって、とにかくノマドにとっては暮らしにくい環境になってきているということはムバラクも言っていた。この2〜3世代にわたって、彼らをめぐる状況は劇的に変わっていくんじゃないかな。それに人一倍敏感で、様々なことを考えているのがたとえばムバラクだ、と。

スガ
そういうことかな。
ところで今週はまた、英訳お手伝いに新メンバーが加入! と。

寿太郎
西川光さん、京都から忙しい中協力してくださってます。ありがとうございます。彼女はハワイアンな京女なので、英語の面でもとても心強いです。

スガ
ハワイアンな京女…、それはハワイ育ちということですか、それとも性格的にハワイアンということですか。フラダンスに夢中、とか。

寿太郎
いや、留学してハワイの大学で学んだ経験があるということです。京都の大学で一緒だったんだけどね。性格的にハワイアンなのだろうか…? 日本人ぽくないとはよく言われるそうだけども。ともかく緻密にしっかり訳してくださってます。

スガ
ほーそうですか。ありがたいことです。

寿太郎
今後ともよろしくお願いいたします。ということで。

スガ
はい。というわけで今週のおたより。
東京都にお住まいの、納豆と米があわさる食感が苦手さんより、エアメールを頂戴しました。
「アフリカとか中東とかの宿って、ちょっと想像できません。どんな宿に泊まっているんですか?」とのことです。

寿太郎
納豆と米があわさる食感が苦手な感覚というのが、ぼくは想像できません。ああ懐かしい。納豆食べたいですね。

スガ
ぼくもそう言ったんだけどね。最近は納豆菌は宇宙人であってぼくたちは侵略されてる、という説があるじゃないですか。それによると、ぼくもきみもすでに洗脳されていることになるようです。(納豆菌の侵略についてはこちらなどをご参照ください)

寿太郎
ええ、そんな説があるの? 菌が宇宙人ってどういうことだ。しかしそれを洗脳と呼ぶのなら喜んで洗脳されようという感じですね。

で、宿についてですね。
アフリカと言ってもまだモロッコのみ、中東もトルコを含めなければここヨルダンのみですが、なかなか面白い宿に泊まりましたよね。特にモロッコなんかは。

スガ
フェズなんかはリヤドというタイプの宿、もとは伝統的な住宅だった宿に泊まって。なかなか優雅でありました。

寿太郎
建物の中に吹き抜けがあって、噴水があったりしてね。最近はこのタイプの宿泊施設、増えてきてるみたいです。リヤドなのにドミトリーがあるというとこがあって、ちょっと泊まってみましたね。

スガ
あれはなかなかいいものだったね。細密模様がきれいで、女の子にもおすすめできる感じで。あとサハラ砂漠の宿はやっぱり、かなり砂っぽかった。

寿太郎
砂漠地帯に突然ある感じだもんね。砂っぽいのは仕方ない、避けられない感じ。中国最西端のカシュガルもあんな感じだったな。ただ雰囲気はあった。

スガ
うん。まぁシャワーの水がか細かったりはするんだけど、さすがにサハラ砂漠ともなるとあきらめもつくってもの。いちばん問題あるのはヨルダンのこの、今の宿かもしれない。ドアノブは壊れて部屋から出られなくなるし、南京虫出没の噂もあるし、なにより寒い。

寿太郎
ここの宿は色々いわくつきのというか、有名な宿なのだけど、まあそれは旅行記などでのちに触れるとして。本当に、なんでこんなところで風邪をひかねばならんのか、という感じですね。南京虫は本当に恐ろしいし、安心して寝込むこともできない。

スガ
そうですね、また来週。

編集後記:退屈なしめくくり

おとといくらいからすっかりグロッキーだったのでしたが、どうにか今週もメールマガジンを発行できそうで一安心。ひさしぶりに風邪をひくと、無理するとからだを壊す、という、あたり前のことをしみじみ思い知らされます。しみじみ。

というわけで、ちょっと栄養のありそうなご飯でも食べて寝込んで、とっとと治してしまいたいと思います。東京もこのごろ寒い日が続いているとか。皆さまもおからだどうぞ、お気をつけて!

アラビア語のさよならは、マーサラマ!

スガタカシ