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こんばんは。退屈ロケットのスガタカシです。皆様いかがお過ごしですか。ゴールデンウィークを待ち焦がれる日本の皆さまを想像していたら、ちょっと今、よだれが出そうになりました。いいですね、黄金週間!

さてBiotope Journalは今週から、アフリカ、モロッコ編。日本の皆様に負けず、ぼくたちもアフリカで黄金の秘宝を手に入れたいと思います…が、白状すると、アフリカとはいってもモロッコは、まだヨーロッパの影響も強いハズ、とタカをくくっていたところがありまして。人も街も食べものも、太陽の光も、ヨーロッパとはぜんぜんちがって驚きました。(地中海沿いには、ヨーロッパ感あふれるリゾートもあるそうです)

今週は、モロッコ特産品のなめし革加工職人の見習い、マフムードを工房からリポート。取材でこれまで、いくつもの工房に伺ってきましたが、こんなにごちゃごちゃした職場ははじめてでした。それではどうぞ、お楽しみください!

Biotope Journal リポート #025|マフムード

> Web "Biotope Journal" マフムード編 フェズ なめし革職人は見習い中

迷宮や迷路といったものは、何のために造られるのだろう。たとえばそれは、何かを閉じ込めるためだ。たとえばギリシア神話ではミノタウロス*が閉じ込められた。そしてまた、何か大切なものを隠しておくためにも造られる。たとえばピラミッドで。そしてたとえば王妃の目から愛人を匿った王もいたという。

モロッコの都市フェズの旧市街(メディナ)は、迷宮都市として名高い。単にフェズではなく、特にフェズ・エル・バリ*と呼ばれるここに入れば、よそ者はあっという間に方向感覚を失ってしまうだろう。こうした市街の構造は中世イスラムに典型的なものだが、なかでもフェズのそれは現存する世界一のイスラム迷宮だとも言われている。

かつてイスラムの王朝が置かれたこの都市の迷宮が守っていたのは、しかし、王や貴族ではない。王宮はフェズ・エル・バリの外側、目立つ場所に堂々と建っている。ごく平凡な庶民の生活こそ、迷宮に隠されていたものなのだ。そこではよそ者の侵入が厳しく防止され、イスラムの平穏な暮らしが守られていた。

今のフェズにはもちろん、よそ者を締め出すような雰囲気はない。ひとつして同じ交差の仕方をしない道をあちらこちらへ行っては戻り、美しいクリーム色に統一された建物群の見分けがつかずに途方に暮れていると、道端で遊ぶ子どもたちが人懐こく声をかけてくる。少し栄えた通りに出れば、観光客目当ての土産物屋や観光ガイドたちもしつこく話しかけてくる。色鮮やかに陳列されて売られる香料やスパイスの香りが通り抜けた後には、すかさず驢馬*たちの糞尿の匂いが入り込んでくる。かと思えば、焼き立てらしいパンの香ばしい香りがやってきたりもする。匂いもまた迷路をさまよい、一歩ごとに別の角度から鼻腔を刺激するのだ。そんな匂いの中でも特徴的なのは、すぐにそれとわかるなめし革の匂い。ここフェズは、大中小を取り揃える革工場(タンネリ)から生み出される革製品でも、よく知られている。
フェズの革製品については、その多彩さ・質の良さと、革工場の異常なまでの悪臭が有名だ。ただその日は、さほどの悪臭を感じることがなかった。革なめしと染色の作業がたまたま休みだったからなのだろうか。案内されて屋上へのぼると、日陰に干されている動物の革と、色とりどりがすべて白く濁っている染色のためのプールだけが、打ち捨てられたように眼前に広がる。

迷宮が守る、古来の伝統

革なめしの作業は、今も伝統的な方法に基づいて行われている。なにしろ古くから、11世紀もの期間にわたって受け継がれてきた工程だ。おいそれと変えてしまうわけにはいかない。

ただ一方で、変化が必要とされることもあった。それはなめし職人たちの労働環境。彼らの置かれた状況は、つい15年ほど前まで、それはそれは酷いものだった。たとえば革なめしのためには、6時間もの間足踏みを続けて洗わなければならないという工程がある。これは職人の体に大きな負担をかけ、リウマチなどを発症する者も少なくない。体が資本の職人たちは、それによって糊口をしのげなくなってしまうのだ。

しかし、現在の状況は随分と改善している。まず、彼らは水車のような仕組みの道具などを導入し、手作りの美点を残しながらも効率化を図っている。それから最も大きいのは、政府による保護だ。保険の制度が整えられたから、体を壊してしまった職人の生活も保障される。この裏にはユネスコの存在がある。すなわち、1981年にフェズが世界遺産に登録されたことの影響だ。

そのようにして伝統が守られてきたここの革製品は、観光客のみならずモロッコの人々も他の都市から買いに来るほど、評判がいいのだとか。だからフェズでは、あらゆる場所で革製品が売られている。タンネリにも、数フロアに渡ってぎっしりと製品の陳列された売り場が併設されている。独特の羊革スリッパ(バブーシュ)*、鞄、クッションカバー、そしてジャケット。値段を聞いてみると、一応決まった答えが返ってくる。でもこれは定価というわけではないのだろう。このあとの値切る・値切らないの駆け引きが本番だ。そんな光景が、あらゆる革製品店で繰り広げられる。

それほど革製品が売られるということは、当然職人の数も多くなる。革職人のみならず、伝統的な意匠が施された建物の扉、その職人たちも、町のそこここで仕事をしている。路地なのか仕事場なのか判然としないようなスペースに板を出して、慎重に少しずつ彫り進めている。
職人の街。職人といえば長く経験を積んだ壮年の男をイメージしがちだけれど、彼らもかつては青年だった。ということは、今も若い職人の卵が多くいるはずだ。ベテランというよりも若手、そいて革なめしの職人というより、なめされた革を美しい製品に仕上げる職人に興味があった。そんな人物はいないかと案内してくれたタンネリのおじさんにたずねてみると、近くに工房があるのだという。さっそく案内してもらう。もっとも、近くとはいうけれど、右へ左へ上へ下へと迷路を辿りながら進むものだから、そう近くには感じない。急坂を上って賑やかな商店の隙間に入り込めば、その奥に工房があった。

居並ぶプロと、見習い青年

平屋の工房は雑然としている。というよりも、平屋の中で工房と呼べる部分がごく一部で、残りの部分には使われていない機械や革の切れ端などが散乱しているのだ。あるいはそれは、特定の法則とか決まりごとに基づいて整頓された状態なのかもしれないが、ともかく膨大な量だ。

2面の壁に沿うようにして、7人ほどの職人たちが並んでいる。つまり彼らは、L字型に並んでいることになる。最も入り口近くにいるのが、親方のような存在の職人だ。少し見ているだけでも、職人たちの尊敬を受けていることがわかる。彼の後ろにはコーランの一節が書かれたポスターが貼られている。

職人たちは、皆が同じ作業をしているわけではない。というよりも、同じ作業をしている者は一人としていない。ある者はひたすら型紙に沿って革を切り続けているし、ある者は厳しい顔つきでミシンに向かい、縫製を続けている。つまりは、完全に流れ作業が成立しているのだ。彼らは、それぞれの工程において熟練したプロだ。小さな鞄やバブーシュひとつとっても、ここでは複数の異なるプロが関わることによって初めて完成するのだ。

そんな中にひとり、最も単純な糊付けの作業を黙々とこなしている青年がいた。年かさのベテラン職人たちに囲まれて、彼の外見は明らかに若い、20代か、あるいは10代といっても差し支えないほどだ。モロッコの若者らしく、レアル・マドリーのレプリカ・ユニフォームを着ている。彼の名はマフムード。若干二十歳だが、ここで働きはじめてすでに5年になる。

マフムードはせっせと稼ぐ

モロッコの若者が革職人の道を選ぶ理由のほとんどは、父が革職人だからというもの。つまり、世襲というわけだ。聞けば、モロッコでは学校の成績が良い一部の者だけが政府の仕事などに就き、残りの大半は父を継ぐのが普通なのだとか。学校の勉強はあまり得意じゃなかった、とマフムードははにかんで言う。

革を扱う仕事の基本は、家で父から学んだ。でも、彼は15歳で学校を卒業してすぐにここで働き始めたのだ。父と同じ職に就いたのに、父の元では働かない。これは多くのモロッコの若者に共通することなのだという。というのも、家で働いてしまったら給料が貰えないからだ。仕事中は真面目にしていても、まだまだ遊びたい盛りの若者だ。おまけに彼には、恋人もいる。自分で稼いだ自由に使えるお金は、やっぱり欲しい。

職人たちの立場を保護するための国の仕組みは、徐々に整ってきている。政府によってお墨付きを与えられる免許のシステムも成り立っている。それに伴って、旧来の父と子だとか親方と弟子というシステムとは別に、職人を正式な従業員として雇用するシステムも整ってきているのだろう。彼らの伝統的な製法は変わらない。しかし、彼らの働きかたは、時代とともに変わっていく。

マフムードには、そのようにしてお金を稼がなくてはならない理由がある。それは恋人ではなくて、サッカーだ。クリスティアーノ・ロナウド*レプリカ・ユニフォームを着ている*から彼のファンなのかと早合点してしまったけれど、どうもそうではないらしい。リーガ・エスパニョーラ*のプレイヤーならば、マフムードはメッシ*が好きだ。なにしろモロッコとスペインは、ジブラルタル海峡を挟んで目と鼻の先。時差もほとんどないから生放送を観戦できるし、人々は皆スペインのサッカーに詳しい。ビッグ・クラブの試合の日などはカフェというカフェが満員となり、伝統のミントティーをすすりながら皆の目が小さなテレビに注がれるのだ。

でもマフムードが本当に好きなのは、地元フェズのクラブだ。名前を「マグレブ・フェズ*」という。地元の試合だけでなく、他の都市で行われるアウェイの試合にまで、彼はバスに乗って駆けつける。熱狂的といっていいレベルだ。

なめし革職人は見習い中

父から受け継いだ、ほとんど当たり前のようにして就いた仕事だけれど、でもマフムードは革製品の職人の仕事のすべてが好きなのだという。もっとも、先輩職人、師匠にあたる人々に囲まれて、実はあまり好きではないなどとは言えないだろう。若い彼には、嫌になってしまうこともあるかもしれない。けれども、仕事に集中する彼の眼差しは確かに真剣そのものだ。

革製品の好きなところはたくさんあるけれど、特にベルベルの伝統的な柄*がいいのだという。今はまだ見習いの彼は、近い将来なのか遠い将来なのか、ともかくいつかは、このデザインも担当するようになる。

彼らのデザインの方法は独特だ。ベルベルの伝統を受け継ぐために、まずは古来からあるモニュメントなどのデザインを紙に描き写す。でもそれは、デザインをそのまま革製品にコピーするためではない。そのようにして、彼らはデザインを頭に、心に、そして指先に刻み付けるのだ。実際に製品のための金型を作るときには、紙を見ることはしない。だから当然、デザインは揺らぐ。けれども、それは正確さが失われるということではない。むしろそのあいまいな隙間にこそ、職人おのおのが持つ個性が、確かな技術によって刻まれるのだ。だから、同じ伝統をもとにしていながら、異なった金型から生まれる、それぞれの作品のデザインは異なっているのだ。伝統を保ちながら、同時に職人たちの独創性を発揮させるための、シンプルだけど優れた方法。それ自体が、ベルベルの伝統といえるのかもしれない。

マフムードには弟が二人いる。彼らもやはり同じ職に就くのかとたずねると、もちろん、とのこと。それでは、その次の世代はどうなるのだろう。ベルベルの男たちの結婚は早い。順調に行けば、現在20歳のマフムードの子どもたちは、四半世紀の後には立派な大人になっていることだろう。その頃、伝統はどのような受け継がれかたをしているのだろうか。変わらず迷宮の街に守られながら、一人前の職人となったマフムードは、そんな製品を創り出しているのだろうか。

文・金沢寿太郎

今週の参照リスト

 

《マフムード プロフィール》

 
名前 Mahmoud
国籍 モロッコ
民族 ベルベル
年齢 20
職業 革製品の職人(見習い中)
出身地 フェズ
在住地 フェズ
ここはいつから? 5年前から
家族、恋人 恋人がいる。フェズの郊外に家族。
好きな食べ物 クスクス
自由な時間の過ごし方 サッカー観戦
好きなサッカーチーム/選手 マグレブ・フェズ/リオネル・メッシ

《脚注》
◆ミノタウロス*
頭は牛、体は人間といういでたちの、ギリシア神話に出てくる怪物。呪いをかけられた王の后が雄牛に欲情するようになってしまい、結果生まれたという、他のギリシア神話の例に漏れずなかなか凄まじい生い立ち。成長して手に負えなくなったミノタウロスを、王は迷宮に幽閉した。なお、日本に古くから伝わる妖怪「件(くだん)」は、逆に頭が人間で体が牛。ファイナルファンタジー5では、ジョブをモンクにしてアビリティ「まもり」をつけると楽に倒せる。「ぶんしん」も可。

◆フェズ・エル・バリ*
フェズ中心部はおもに3つのゾーンに分かれている。旧市街フェズ・エル・バリは8世紀に作られ、新フェズといわれるフェズ・エル・ジェリドは13世紀に、そして新市街のヌーベル・ビルは20世紀に作られた。街自体の複雑な組み合わせが、歴史そのものを表している。

◆驢馬*
フェズ・エル・バリの複雑な構造はとても車に向いておらず、通ることができない。しかしアップダウンは激しく、重い荷物などを運ぶためには驢馬に引かせた車が使われることが多い。また、同じ理由で原付のような小型のバイクの姿も目立った。

◆バブーシュ*
モロッコの伝統的な革靴。材料の革としては山羊や羊、また牛やラクダも使われることがある。靴といってもかかとの部分を踏んで履くため、スリッパだとかサンダルとかと同じような扱いになっている。屋内でも屋外でも履ける。日本でも近年、その鮮やかで可愛らしいデザインが評判となり、人気が上がってきている。

◆クリスティアーノ・ロナウド/リオネル・メッシ*
メッシはFCバルセロナ所属の、世界最高のサッカー選手の一人。あるいは彼こそが唯一の最高峰だという人もいる。アルゼンチン代表ごしても長年に渡って活躍を続け、バロンドールを4年連続4度受賞している。これは史上初の偉業だ。一方のロナウドはポルトガル出身、レアル・マドリー所属。彼もまた時代を代表する選手で、メッシより高く評価する者も多いのだが、バロンドールの争いではいつもメッシの後塵を拝している。これに不満を抱くサッカーファンも少なくない。

◆レプリカ・ユニフォーム*
公式に作られた本物なのか、それとも海賊版のような「レプリカのレプリカ」なのかはわからないけれど、ヨーロッパではもちろん、ここモロッコに入ってからも多くの若者が欧州サッカーチームのレプリカ・ユニフォームを着ている。いちばん多いのはやっぱり、圧倒的にバルセロナ。もちろん背番号は10。リオネル・メッシの番号だ。

◆リーガ・エスパニョーラ*
アルベルトの記事でも多く登場した、世界最高峰との呼び声も高いスペインのプロサッカーリーグ。スペインの不況とは裏腹に、レアル・マドリーだとかバルセロナというチームの資金は潤沢で、貧富の差が激しい。これらのクラブにはあらゆる国からスタープレイヤーが集まり、自然、人気も高まる。

◆マグレブ・フェズ*
正式には「Maghreb Association Sportive de Fez」。モロッコのプロサッカーリーグ「ボトラ」に所属するクラブチーム。1946年創立、70年近い長い歴史を持つが、モロッコ一部リーグではここ30年近く優勝を逃し続けている。ちなみにフェズにはもうひとつ、ウィダード・フェズというチームもある。

◆ベルベルの伝統的な柄*
かつてベルベル人は文字を持たなかったため、意味をこめた複雑な柄を多く作り出した、とも言われている。金属、目など様々なものをかたどったものがある。色は多彩で、絨毯などのデザインにも多く見ることができる。

旅日記【ロケットの窓際】025 ジブラルタル海峡は雨の中

 マドリード発モロッコ行き、というバス便がある。いかに距離的に近いとはいえ、二国の間をジブラルタル海峡が隔てているというのに?

 実はこのバスは、バスごとフェリーに乗り込んでしまうのだ。両国間を結ぶフェリーは驚くほど巨大で、バスのみならず一般の車両も多く運ぶことができる。その結果、モロッコにはヨーロッパからやってきた多くの車両が走っているのだ。ナンバープレートにはEUの印。フランスを表すFをつけたプジョーが優雅に走っているし、ドイツのDをつけた巨大なキャンピング・カーが迫力たっぷりに通りすぎていったりもする。

 さて、マドリードを出たのは日もすっかり暮れたあとのことだった。南へ向かうハイウェイを、バスはなめらかに確実に進んでいく。イベリア半島を南へ進みながら、地図を眺めれば、レコンキスタ(国土回復運動)の進捗状況の変遷を示した世界史の教科書の図表がふと脳裡に浮かぶ。かつてイスラム教徒たちはこの地に南から侵入し、西ゴート族を打ち倒して勢力を広げた。8世紀、ウマイヤ朝の頃の出来事だ。イスラム教はその先進的な学問・技術をヨーロッパに伝える。ヨーロッパキリスト教社会がルネッサンス期を迎え、いよいよ覇権国家として栄華を極めつつあったスペインによってレコンキスタが完了したのは15世紀も末になってから。コロンブスがインドを目指して出航するころのことだった。実に長い期間、この地はイスラム勢力の支配下にあったのだ。

 現在、多くのイスラム建築などが当時の名残りとして残されてはいるけれど、当時のムスリムの末裔たちが多く暮らしているということはない。いまスペインにいるムスリムの多くは、現代になってからの移民とその家族たちだ。特に国際色豊かなマドリードには、そうした人々が多く暮らす。自然、マドリードからモロッコへ向かう便の主な客は、それらの人々ということになる。立派な髭を生やした男性、スカーフを巻いた女性。国際交通機関の中では、時にこんなふうに目的地の空気を先取りして感じさせてくれる。

 窓の外が白み始めて、海の気配が感じられはじめる。不思議なもので、バスの中にいても、窓から海が見えなくとも、それはなんとなく感じられるものなのだ。あるいはそれは、街並みが海辺の人々の息吹を知らず知らずにたたえているからなのかもしれない。やがて目の前がぽっかりと開けて、大規模な港独特の無機質な開放感が空間を支配しはじめる。そんな景色の向こう側に見える黒々とした海は、どこかしら不吉な空気をまとっている。まして空は曇り空、降りはじめた小雨は、その勢いを強めるタイミングを待ちわびているかのようだ。

 結局、ヨーロッパを後にするのも、陰鬱な天気の中でのことになってしまった。思い返してみればヨーロッパに入ったのは雪の季節、そして最初に辿り着いた街はあの不吉なソフィアだった。わざわざ冬場にヨーロッパを訪れるほうが悪いといえばそうなのだけど、それにしても三ヶ月ものあいだ、空はほとんど一貫してご機嫌斜めのままだった。機嫌をうかがうことも虚しく、荘園領主に抑圧された農奴のような憂鬱と諦念の入り混じった顔つきで、これまで過ごしてきたのだ。ようやく辿り着いたオランダやスペインで、申し訳程度に太陽を拝むことができた。それでも結局、船出はこの始末だ。

 二十回も繰り返し計算して、今日が欧州諸国へのノービザ滞在のリミットであるきっかり九十日目であることはわかっていた。何の後ろめたいこともない。それでも出国手続きは、係員のスペイン人らしからぬ厳格な顔つきは、やはりこちらに緊張を強いる。結局はとどこおりなくスタンプが押され、ほっと一息つく。

 接岸し係留されたままの船は、揺りかごのように一定のリズムでゆらゆらと揺れている。船があまりに大きすぎるせいで、自分のほうが揺れているのかと勘違いしてしまうほどだ。客たちは席の確保もそこそこに、粗末な机にラップトップを乗せた係員のもとへ列を作る。彼はモロッコ側の入国管理官だ。モロッコへの入国手続きは、この船の中で行われるのだ。まだ僕の身体も意識もスペインにあるままなのに、国際法上僕はモロッコに入国したことになる。なんだか妙な気分だ。

 このようなフェリーに乗った初めての体験は、青森港から函館へ向かったときのことだった。その記憶も手伝って、そして日本人の悲しい性なのか、甲板に出ると頭の中に流れ始めるのは「津軽海峡・冬景色」だ。スペイン・モロッコ間、この地中海の最西端で、どうしてこの曲を脳の中で延々とリピートしなければならないのか。そう思っても石川さゆりは歌うことをやめず、ますますこぶしを利かせていく。原因のひとつは、異国情緒のようなものを塗りつぶしてしまう、このどんよりとした曇天のせいだ。そしてもうひとつは、2011 年の紅白歌合戦で石川さゆりが見せた圧倒的なパフォーマンスのせいだ。なんだかんだとNHKに文句を言いながらもついつい紅白を見てしまう保守的な僕は、あのセンスのかけらのない演出の数々の中でも魂を乗せて歌う演歌歌手たち、特に彼女のパフォーマンスに、生まれて初めて演歌によって心を動かされる経験をしたのだった。年をとっているのか。良いものの良さが分け隔てなくわかるようになったと喜ぶべきなのか。

 そんなことをとりとめもなく考えていると、いつの間にか船が発進していることに気付く。エンジン音でなく景色の流れかたによって、僕はそれを知る。白い飛沫を岸壁に打ちつけながら、船はヨーロッパを後にする。僕もヨーロッパを後にする。何かを忘れてきてしまったような気持ちに襲われ、ふと岸に向かって叫びたくなる。でも何を叫ぶべきかはわからない。
 雨はどんどん強くなっている。スペインが水平線の向こうに消えるより先に、僕は背を向け、客室へ退散することにした。

文・金沢寿太郎

アフタートーク【ロケット逆噴射】025

スガ
宿のおっちゃん、今日もごきげんだよ。

寿太郎
今日も元気に、合言葉は「オストラダムス」!

スガ
ダジャレが好きなんだよね。押忍…トラダムス!

寿太郎
「オストラダムス」はダジャレなんだろうか……単に日本の「押忍」を覚えて、なんとなくノストラダムスと合体させただけという気が。
もう最近、オストラダムス言いたいだけちゃうんか、という状況になってきている。

スガ
せめてもうちょっとレパートリー増やして欲しい気がするけど、毎日飽きもせずオストラダムス。昨日からはしきりに、ホラー映画の貞子みたいな奴の真似してるし、とにかくうれしそう。

寿太郎
たぶんね、サッカーのヨーロッパ・リーグでフェネルバフチェ(イスタンブルを本拠地とするチームのひとつ)が最近、快進撃してるでしょう。今後ろのテレビでもニュースやってるけど、準決勝まで行った。おっちゃんフェネルの熱狂的なサポーターだからご機嫌なんだよね。

スガ
気難しい時もあるんだけど、サッカーで機嫌が、わかりやすく変わってしまう。
ところであの、この匂いは…

寿太郎
なんかさっき、宿泊客のオッサンと宿のおっちゃんが話してたね。「ユーキャンクックオムレツヒア」って言ってたから、まあオムレツなんでしょう。

スガ
ただいま深夜1時50分。いい匂いが漂っております。
そういえば今週のBiotope Journal、フェズにも匂いの話が出てきたけど。

寿太郎
出てきましたね。迷宮は嗅覚で攻略せよ!

スガ
道に迷いそうになったら嗅覚で…っていや、匂い嗅いだって迷うでしょw

寿太郎
迷うけどまあ、迷いますよ。まあでもなんつうか、ものの喩えですよ。みなさん、ほんとに嗅覚を頼りにフェズ歩いたらダメですよ。小銭渡して宿の人とか地元の人に案内してもらいましょう。

スガ
犬じゃないんだからね、無理です。分厚い壁で道が囲まれてるから、匂いもけっこう分断されちゃってるし。パンを焼く匂いとか、時々すごくいい匂いが漂っていたけど、革工場の匂いは想像してたよりは強烈でもなかったし。

寿太郎
君はそうやって人のブンガクテキ表現に無粋なツッコミを……まあでも、感じの伝わり方としてはあの感じでイメージしてもらって大丈夫だと思います。革工場は休業日だったからマシだったみたいだね。というか、まあそういうのを挿入しないといけない感じに、今週は非常に苦しい週でした。

スガ
ブンガクテキ…。ピンチの時の必殺技みたいなものね。
今回は、マフムード自身が英語をしゃべれない上に、ぼくたちもフランス語しゃべれない。通訳を買ってでてくれた工場のおじさんとも、どうも話が話が噛み合わなくて、だいぶきつかった。今週のレポートはもしかしたら、マフムードの話ではなく、おじさんの話だったのかもしれない。

寿太郎
革職人全般のありかた、みたいなことになるね。ただその中でも、マフムードのような今の若い世代の職人たちはどんな感じなのか、ってのはまあある程度伝えられたかもしれない。「若者」と「職人」って、イメージ的に結び付けにくいとこがあるからね。

スガ
おじさんも、革職人の生活一般についてとか革製品をつくる工程とかについては、ふつうに面白い話をしてたからね。マフムードも、せめて仕事が終わったあとでもう一度つかまえるとか、出来ればよかった。写真的にはアフリカ上陸一発目、いきなりヨーロッパと一変して、面白かったけど。工場にしても、なんじゃこりゃ、みたいなかんじで。

寿太郎
うん、モロッコという場所はいろいろ特殊で面白いんだよね。あのあたりの地域にあって唯一(西サハラ問題とかもあって100%じゃないけど)平和だし。スペインとの地理関係も手伝って、なかなか独自の雰囲気を醸し出している。そんな国で、伝統はどのように変わっていくのか、また変わらずにいるのか、というのが次週にも続くテーマだったりもします。

スガ
はい。で、今週のおたよりは?

寿太郎
栃木県の「筋肉は裏切らない」さんからいただきましたエアメール。

「長く旅をしていると髪も伸びてきて、散髪なども必要になるかと思うのですが、どうしているのですか」

とのことです。

スガ
お、この方。筋肉とか言ってるけど、ほんとはエスパーですね。ぼくは一昨日、髪切りました。

寿太郎
まったく白々しい。なんだかお坊ちゃんみたいになりましたね君の髪型は。

スガ
お、お坊ちゃん…!? 髪切ったらトルコの人たちに評判よくて、いい気分だったんだけど。
きみはもうずいぶん髪伸びたけど、結局もう切らずに最後まで行くの?

寿太郎
僕はもともとけっこう髪長い人で(どんな人だろう)、出発直前のプロフィール写真なんかあれは異例に短い時期の頃だったんですね。だから一度も切ってなかったけど、少し前まではあんまり違和感なかったんだ。でも最近さすがに長いですね。ヘアゴム使わないと飯が食べにくくなってきた。

スガ
もともと髪長い人。そういえば中学生の頃とか、貞子キャラだったもんね。

寿太郎
そんなキャラだった覚えはないが。どんなキャラだよ。

スガ
貞子言われてたじゃん。髪が長い+コワイ=貞子

寿太郎
髪が長くて怖い人なんて山ほどいますよ。でもそういえば、スペインでスペイン人に「マドモアゼル」と声をかけられたことがあった。俺男だっつうの。それ以前になんでお前フランス語なんだという。

スガ
あーでもさ。日本だと、男の長髪もそんなに珍しくないけど、海外、とくに欧米以外は基本的に、髪短いよね。資本主義の発達ぐあいと、男子のロン毛率には関係がありそう。

寿太郎
そうですね。また来週。

編集後記:退屈なしめくくり

先週のメールマガジンでは、メインで使っているカメラを修理に出せず困っていたぼくですが、あらためて日本のペンタックスのサポートをに精密検査をお願いしたところ、カメラはイスタンブールから、設備の整っているというフランスへ、はるばる飛んでゆくことになりました。(イスタンブールは設備を入れ替え中で、ちゃんとした修理は難しいということでした。)

というわけでカメラを修理している間、ぼくたちはヨルダン、イスラエルへ。アフリカ編もスタートしたばかりですが、サブカメラを駆使したり寿太郎くんのカメラを借りたりしながら、突然中東編の始まりです。カメラとふたたび落ち合うのはエジプトを予定しているのですが、異国の地で別れたカメラと再会するとか、ロマンティックで恋に落ちそうですね。カメラに!

それでは、ギョリュシュメク ウユゼレ(じゃ、また)!

スガタカシ