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こんばんは。退屈ロケットのスガタカシです。本日はスペインの首都・マドリードからお届け。太陽の国で久しぶりの青空のもと、陽気に歌い出したりひと目をはばからずいちゃいちゃしたり、ラテンな人々を前にお送りします。(と書いていたら、たった今、ぼくのいる横ではなにかもめ事がはじまりました。スペイン語、分からない…)

さて、今週のBiotope Journalは旧東ドイツの大都市のライプツィヒの街から。一見シャイな日本の"OTAKU"文化研究者ローマンでしたが、話題が彼の研究テーマの核心に近くなると本領発揮。気がつけばあっという間に数時間ほど話し込んでいて、帰り道はふたりとも、興奮気味でありました。

それでは今週もどうぞ
、お楽しみください!

Biotope Journal リポート #020|ローマン

> Web "Biotope Journal" ローマン編 ライプツィヒ リアルと虚構のあいだの"OTAKU"

海外で日本のポップカルチャーが大流行している、という話は、昨今よく耳にする。マンガやアニメといった分野の、いわゆるオタクカルチャーの勢いは確かにすごい。特にヨーロッパ圏では、大規模なコスプレイベントなどが催されることもある。

古くから出版文化の街として知られるここライプツィヒでは、ヨーロッパ随一のブックフェア*が毎年催されている。近年、この一角で規模を急速に拡大しているのがマンガ部門だ。単なるマンガの見本市ではなく、この場はコスプレイヤーたちが集まるフェスティバルのようになっている。日本におけるコミケ*の役割の一端を担っているともいえるのかもしれない。

この街で出会ったのは、今まさにライプツィヒ大学*の修士課程を修了しようとしているローマンだった。オタク、というのとはちょっとわけが違う。彼は社会学的な文脈の中で、日本のオタク文化を含めたポップカルチャーを研究対象としているというのだ。そんな彼の部屋はいったいどんな様子なのか、一緒に住んでいる日本人の恋人のゆうりさんはどんな方なのか。そんなことを楽しみに、ライプツィヒ中央駅からトラムで数駅のところにある彼のフラットへ向かった。

この部屋はなにか奇妙だ

ローマンとゆうりさんのリビングに通してもらう。不思議な部屋だ。一見したところ、ワークデスクやソファなんかがすっきりと整って配置され、彼の趣味らしい何本ものギターが格好良く飾られているふつうの部屋。でも、棚に飾ってあるものを眺めてみると、いろいろな発見があるのだ。

たとえば、数多くの和風の小物。この多くは、ローマンが日本を訪れたときに買ったお土産だ。でもそのなかに、ひときわ異彩を放って置かれている小型の大仏がある。これはローマンのお母さんが、なんとドイツのテレビショッピングで購入したものなのだという。この大仏はイルミネーションを備えており、またスイッチを入れると水が流れ出してもくるという仕掛けまで施されている。なぜそんなものがテレビショッピングで売られるのか。なぜそんなものをお母さんは買ったのか。そのあたりの事情はどうもはっきりしない。お母さんは仏教のことなどわからないのだけど、ただ大雑把になんとなく、エキゾチックな雰囲気が好きなのだという。せっかくお母さんがくれたものだから、ローマンはちゃんとそれを棚に飾っている。でも、日本文化どころかインド仏教の知識さえ持っているローマンは、イルミネーションだの水だのの仕掛けを作動させたりはしない。大仏に対して持つべき敬意が失われてしまうような気がするからだ。そこのところのバランスをとるのは、なかなか大変なのかもしれない。

ローマンの出身は、ドイツの山間部。ハルツ地方*と呼ばれる自然豊かな場所だ。家族はみな、今もそこに暮らしている。両親や祖父母だけでなく、ひいおばあちゃんまで健在なのだという。しかも彼女はまだ87歳。ローマンが27歳だから、ずいぶん若い。彼の説明によると、両親の世代までは、この地方の女性が子どもをもうける年齢が一般的に低かったのだという。ローマンはお母さんが19歳のときの子どもで、お母さんもおばあさんが19歳のときの子どもだ。つまりのおばあさんは、弱冠38歳にして孫をもったというわけだ。

こうした状況は、けれども、変化しつつある。彼が5歳のころに東西ドイツが統一されたことも、もちろん無関係ではない。社会では次第に学歴が重視されるようになり、それに応じて階層化がよりくっきりと示されるようになってくる。ローマンのように学業優秀な者は上位の高校に進み、一流大学へ進学する。でもたとえば、彼の小学校の同級生の多くは、すでに結婚して子どもをもうけていたりする。

ローマンはしばしば、同世代の若者と会話が成り立たない状況を経験する。つまり、相手の教養レベルが低いと、会話がまるで成り立たないのだ。日本を研究していると彼が言うと、「日本」がドイツの島の名前だと勘違いした者までいたのだという。ちょっと信じられないけれど、現実に起こったことだ。

彼が社会学を学ぶ者らしく鋭く指摘するのは、こうした溝はますます深くなっていくだろうということ。階層は世代を追うごとに再生産され、格差は拡大していくのだ。学歴社会のシステムがそれを成り立たせる。

オタク研究への道は長く険しい

こんなふうに、現実に起きている現象を論理的に分析して説明したいというのが、ローマンの興味の向くところだ。とりわけ日本で起きていることは、分析のし甲斐がある。日本の文化はドイツのそれとはかけ離れているし、社会のありかたにも異なる部分、一見して不可解な部分が多くある。HENTAI文化なんて、わからないことだらけだ。だからこそ、彼は多くの文献を読みこなし、論文を仕上げるのだ。彼の修士論文は、大塚英志*の言説分析だった。東浩紀*だとか柄谷行人*といった、日本の重要な学者・思想家の名前も、彼の話にはよく出てくる。

けれども、ここまでの道はそうたやすいものではなかった。オタク文化の流行も手伝って、学部一年生のころには多くの学生が日本学を志す。ローマンの同級生は40人ほどもいた。けれども、すぐにオタク文化が研究できるというわけではない。教授たちは厳しく、日本の歴史や言語の基本をきちんと身につけさせようとする。日本語のテキストの難易度は、課を追うごとにおそろしい勢いで上がっていく。日本人からしても無茶ではないかと思ってしまうほどの急速さだ。そのうえ最初のたった一学期で、彼らは縄文時代から江戸時代までの日本史を学ばなくてはならない。しかもテキストは英語だ。そんなわけで、二学期になる頃には同志は20人ほどにまで減ってしまう。修士過程までを修めることができたのは、彼ともうひとり、たったの二人だけなのだという。

修士課程になれば、そうした難しさはなくなる。けれども、代わりに多くの日本語文献を読み、論文を書かなければならない。彼はほとんど家にこもりっきりで、それに励んだ。でも日本語のテキストを4時間も読めば集中力は磨り減ってしまい、その後にドイツ語で難しい内容を書こうとしても、なかなか捗らないということになる。四苦八苦しながら、つい先日、論文を書き終えたところだ。

美的なアダルトゲームとは

ローマンとゆうりさんの本棚には、様々な参考書がある。でもそんな中に突然、日本のマンガ、それもボーイズラブもののマンガがあったりする。これは、翻訳者をしている先輩*からチェックを依頼されたもの。なにしろこの家には、日本語を話せるドイツ人と、ドイツ語を話せる日本人がいるのだ。恋人のゆうりさんは別の大学で出版経済を勉強していて、ふたりの日常会話は基本的にドイツ語だ。なるほど、チェックを頼むにはうってつけなのかもしれない。

しかし、エロマンガだからといってなめてはいけない。マンガの翻訳で問題となるのは、オノマトペの翻訳だ。つまり、擬音語・擬声語・擬態語の類。とくにエロマンガでは、様々なオノマトペが行為の生々しさを彩っている。時には日本人でも理解に窮するようなこれらを明確なニュアンスで訳すのは、至難の業だ。

ローマンの不思議なところは、オタク的なものに対して一定の距離を置いているところだ。あくまで研究対象としてそれらをとらえるあたりは、研究者らしい態度といえる。でも一方で、初めて日本を訪れたときに手に入れたエロマンガがしっかり棚に飾ってあったりするし、寝室の壁に飾ってある絵の中では、よくわからないエロゲ(アダルトゲーム)のキャラクターの女の子が3人も並んで裸になっていたりもするのだ。

彼がもっともらしく語るところによると、それはあくまで美学的に美しいものなのだという。つまり彼女たちはなにか性的な意味合いで裸になっているのではなく、日常の一コマとして風呂に入るために裸になっているのだ。ドイツ人は裸を見たぐらいで興奮しない。というのも、いろいろな所にいわゆるヌーディストビーチのような場所*があって、人びとは平気で裸になっているからなのだという。そんなものだろうか。

でも、そんな話を聞きながら隣で大笑いしているゆうりさんによると、彼がその美学的に美しいアイテムを手に入れたのは彼女の実家を訪れた昨年夏のことで、日本のアニメ・同人ショップに大興奮していたとのことだった。どのあたりまでが個人的な趣味なのかということは、かなり判断がむずかしいところだ。

リアルと虚構の間

だいたい、ゆうりさんは小柄で可愛らしいタイプの、明るくてよく気のつく女性だ。手作りのケーキまで出してくれる。まるでなにかの日常系アニメから出てきたような彼女を恋人にして、うまいことやりやがって、という気にもなる。

ふたりが出会ったのは、語学のためのタンデムパートナー*としてだった。ローマンは日本人の女性に対してもともとそこまでの興味はなかったけれど、日本学を学び始めて2年が経つころには、もはやドイツ人の女性には興味がなくなってしまっていたのだという。日本人の女性は押しが強くなくて、相手を立ててくれるところがいい。でもゆうりさんのドイツ生活も長くなり、だんだん主張が激しくなってきた。ローマンは「以前はもっと優しかった」とぼやくのだとか。

なぜかドイツ人女性と日本人男性という組み合わせはほとんど見られないのだが、ローマンたちと同じようなカップルは周囲に何組かいる。ローマンによると、日本学を学ぶドイツ人男性の80%は日本人女性を恋人にしているのだとか。あまりに高い数字に驚いていると、実はローマンの研究室にいる5人のうちの4人、ということだった。80%には変わりないけれど、社会学的にはいかがなものかというほど乱暴な統計だ。

これからのことは、まだはっきりしていない。というのも、ローマンの成績が出るのはもう少し先のことで、それがなければ応募できない求人が多いためだ。つまり、就職活動を満足にできないのだ。うまくいけば、夏から働くことができる。でも、それも確実なわけではない。
彼はもちろん、日本で働いてみたいとも思っている。彼の基本的な姿勢は、リアルと虚構をつなぐこと。そのためには、今まで彼の想像というフィクションでしかなかったことを実際に体験して、リアルなものにしなければならない。そうして初めて、リアルと虚構を結ぶ論理を強いものにすることができるのだ。

3度の訪日体験から彼が今思い出すのは、有名なランドマークではない。たとえば、パチンコに挑戦して夢中になり、ちょっとだけ勝ったこと。自転車を借りて、街中にある名もない小さな神社を見てまわったこと。居酒屋で食べたほっけが美味しかったこと。そんな素朴な体験だ。彼はこれからもきっと、そんな小さなことがらに潜むリアルと虚構の隙間を見つけて、世界を解き明かしていくのだろう。

文・金沢寿太郎

今週の参照リスト

《ローマン プロフィール》

 
名前 Roman Thuar
国籍 ドイツ
年齢 27
職業 学生
出身地 ハルツ地方
在住地 ライプツィヒ
ここは何年前から? 21歳(大学入学)のときにライプツィヒ
結婚、恋人 恋人・ゆうりさん
好きな食べ物 日本食ならほっけ、イクラの寿司
自由な時間の過ごし方 ギターを弾くこと
好きな映画/監督、音楽/ミュージシャン、小説/作家 菅野よう子、Die Arzte

《脚注》
◆ ライプツィヒのブックフェア
500年を超える歴史を持つ、世界でも有数の書籍見本市。もちろんマンガだけでなく世界じゅうの新刊本が一堂に会するのだが、近年はマンガ・アニメにかかわるイベントも多く催され、コスプレコンテストまで行われるようになっている。

◆ コミケ
コミックマーケットの略で、40年近い歴史をもつ日本の同人誌即売会のこと。近年は毎年二回東京ビッグサイトで催され、日本全国から50万人以上を動員するとされている。単なる即売会でなく、オタク文化が集約する祭りの場としての意味合いも大きい。

◆ ライプツィヒ大学
ハイデルベルク大学に次いで、ドイツで二番目に長い600年以上の歴史を誇る大学。ゲーテやニーチェ、デュルケームといったそうそうたる顔ぶれがここで学んだ。また日本との関わりも深く、森鴎外や朝永振一郎らも留学生としてここに学んだことがある。

◆ ハルツ地方
ハルツ山地を中心とする地方で、かつて中世においては魔女の住む地とされ、現在は観光地としての人気が高い。ゴスラー・クフェトリンブルクの両都市は、その歴史的価値において世界遺産に指定されている。

◆ 大塚英志
神戸芸術工科大学教授、ほか様々な研究機関に属し、批評家としてのみならず小説家・漫画原作者としても幅広く活動している。その言論はサブカルチャーから戦後民主主義にかかわることまで横断的に多岐に及ぶ。著書に『物語消費論――「ビックリマン」の神話学』『「おたく」の精神史――1980年代論』など多数。

◆ 東浩紀
早稲田大学文学学術院教授。博士論文『存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』以来、現代思想のフィールドで幅広く活躍してきた。近年は思想誌の発行にも積極的で、メールマガジンの編集、また小説の発表など、多方面にわたり活動している。『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』、『クォンタム・ファミリーズ』など。

◆ 柄谷行人
思想家、文芸評論家。60年代末より批評家としての活動を開始。構造主義・ポスト構造主義についての論を80年代から多く発表した。浅田彰と雑誌『思潮』『批評空間』を主宰し、2000年代には国家と資本への対抗運動の活動として「NAM」を立ち上げる。『探究1』『探究2』『トランスクリティーク カントとマルクス』など。

◆ 日本マンガの翻訳版
TOKYOPOPなどの会社が有名で、マンガの出版権を得て翻訳版を発行している。この会社はドイツ、アメリカ、イギリスにオフィスを持っており、日本の人気マンガも多く出版されている。(写真上)
> TOKYOPOP Webサイト

◆ ドイツのヌーディスト
特に旧東ドイツの湖のほとりなどで、ひとびとが裸でくつろいでいる様子はよく見られるのだという。ドイツの場合、「FKK」と表示されている場所であれば、ヌーディストとして利用してよいということになるようだ。

◆ タンデムパートナー
たとえばドイツ人と日本人がペアになり、互いに自らの母語を教える、という方法がタンデムと呼ばれる。主に大学などで、手軽かつ実践的に、また経済的に語学力を高める方法として、しばしば現地の学生と留学生がパートナーとなる。

旅日記【ロケットの窓際】020 ワルシャワに閉ざされ

 夜の中に列車は停まり、雪の中を歩く。目指す宿は、ちゃんと地図に見定めてある。それでも、実際に歩き始めてみなければ、その距離感はわからない。縮尺の問題ではない。その街の空気、そのときの気候、疲れ具合によって、その距離は縮みもすれば伸びもするのだ。何メートルという単位で測れるものではない。

 ワルシャワの街はむやみと広い、というのが最初の印象だった。足元をぐしゃぐしゃにしてしまう雪もその理由だけれど、街の造作がそれに拍車をかけていた。通りの幅も、建物の規模も、なんだかやたらと、そして漠然と大きいのだ。夜の中ではそれはいっそう誇張される。ようやく細めの路地に入って等身大の歩き方ができると思ったところで、今度は坂が増えてくる。疲労は雪のように降り積もっていく。

 この街の歴史ある旧市街は、先の戦争でドイツ軍の苛烈な攻撃を受け、その何もかもが破壊されつくしてしまった。戦後になって人びとが、写真や記憶を頼りに精緻な修復を行ったのだ。その情熱的な作業を含めて高い評価が与えられ、世界遺産として指定されたことはとみに有名だ。

 そんな姿勢が息づいているのかいないのか、温故知新という言葉の似合うものが、この街には多い。たとえば、伝統的な手法のなかに現代的なセンスの光るポーランド陶器の数々なんかがそれだ。重い荷物を引きずりながら歩いた夜には気付かなかったけれど、明るい時間に細かな部分を眺めて歩けば、様々なところにワルシャワの魂を感じることができるような気がする。

 でも、少し奥の路地に入れば事情はまた変わってくる。廃墟なのか人が住んでいるのかもわからないような不気味な建物だとか、あるいはそんな建物がすっかり取り壊されてしまった跡なのだろうぼんやりとした更地が目立つような場所も増える。投宿していたホステルの角ばった建物も、周囲を更地に囲まれて、なんだか不安そうに雪の中にたたずんでいた。隣の土地がただの更地なのか広場なのかということも、雪にすっかり覆われてしまっているために判然としない。まるで冬に備えるための貯蔵庫のようなこの建物の、しかも地下の部屋に、僕らは何日もの間留まり続けることになった。瓶詰めのピクルスにでもなったような気分だ。

 唯一の遠出はといえば、取材のために訪れた郊外の街だった。長距離列車ではなく、近郊路線の果てのあたりまで列車に揺られる。辿りついた駅より先にはさらにローカルな路線が細々と走っているばかりで、ほとんどの線路はこの駅が終着点になっている。いくつもの線路が途切れている様は何かしら不吉なものだ。そして、なおも先まで続いている単線は、よりいっそう不吉だ。でもこの単線に乗り換えて、さらに一駅先に進まなければならない。

 ふと空を見上げると、しばらくぶりの青空がのぞいている。不思議なことだが、都市部から離れるほどに青空を拝める確率というのは上がっていくのだ。都市がこっそりと曇り空を生産しているのではないかと思えるぐらいだ。今しがた通ってきたばかりの線路に沿って遠くを見遣れば、どんよりとした灰色の雲が追ってきているのがわかる。

 逃げるように単線に乗り込んで次の駅へ。そこは森に閉ざされた場所だった。雲は驚くほどの速さで僕らの頭上に到達している。森を貫く道路に沿って歩き始める。

 青空のもとでの深い森というのは暗い印象を与えるものだけれど、曇り空のもとでのそれはは、なぜか温かい。針葉樹林ならばなおさらだ。深い森に守られながら雪を踏みしめて歩けば、やがて同じように深い森に守られた小さな建物にたどり着く。その博物館で僕らは、若いアーティストたちと子どもたちのつくり出すいきいきとした空間に出会ったのだった。

 雪は深くとも、寿司は不味くとも、あるいはショパン・ミュージアムが期待はずれのものであったとしても、それらを追いやってしまえるほどのよき出会いがワルシャワにはあった。冷たい雪解け水がしみこんでしまわぬようにそれを仕舞って、次に向かうべきはベルリンだ。ふたたびのドイツ。旧型の国際列車はがたがたと音を立てながら夜の中を進んでいく。ここの国境では、車掌や地元の警察が入れ替わり立ち替わり合計四度も、切符やパスポートのチェックにやってきた。やましいところなどひとつも無いというのに、なぜだか気持ちを不安にさせられる。まどろみ方も浅くなる。

 やがて窓の外に灯りが増えはじめ、ベルリンが近づいていることを僕は知る。そういえばこのあたりはかつての東側なのだ、とあらためて思う。べつにあらためて思う必要もなく、ここのところ通ってきた場所はどこもかしこも旧東側なのだけれど、でもベルリンであるというだけで、なぜだかそれが特別なことのように思えてくる。ベルリンという地名とは、閉ざされた場所、そそり立つ壁、超えてゆくのは雲と鳥ばかり、というような情景のイメージが、僕のなかで分かちがたく結びついている。たぶんそれは、幼い頃に「ベルリンの壁」という言葉をインプットしてしまったせいだ。街の中に壁があるというのはどんなものなのだろう、と僕は何度も想像してみたものだった。ドイツから帰国して同じ小学校に転校してきた友人が、破壊された壁のかけらをお土産として見せてくれたのを覚えている。でもそれは、どのような方向からも僕の想像力を刺激しなかった。ただの乾いた石くれのように見えただけだった。

〈続〉

文・金沢寿太郎

アフタートーク【ロケット逆噴射】020

スガ
前回はアムステルダムだったけど、まもなくマドリードともお別れ。2週間前からは考えられないくらいあたたかくなってる。

寿太郎
確かに。ただ暖房の効き方がそれに伴って弱くなってるから、あんまり変わってる気がしない。屋内だと。
でも大きいのは、青空が見えるということだね。

スガ
たしかに青空がみえるだけでぜんぜん気分がちがう。マドリードにしてはここ数日、ずいぶん天気が悪いみたいだけど。

寿太郎
そうそう。太陽の国だと思ってたのに、はじめのうちは全然太陽が出なかったね。ずっと雨。

スガ
南に来たからか、雨の感じもあんまり冷たくなくて春の嵐という感じだけど。アフリカに渡るとまた変わるのかな。

寿太郎
我々の南下と同時に、季節も変わってますからね。なんか急激に環境が変わりそうな予感。

スガ
今週やってるライプツィヒあたりから、ヨーロッパに滞在できる残り期間が短くなって、駆け足になってるしね。もうアフリカとかテンポ早い。

寿太郎
アフリカとかまったく実感がないですね。とはいえモロッコはまあ、アフリカ大陸にあるというだけで、あんまりアフリカ感はないですけど。

スガ
地中海沿岸だし、ヨーロッパの影響も強いという話ね。まぁどんなとこだか、たのしみであります。
で、ライプツィヒのローマンだけど…。

寿太郎
はい。いやあ、おもしろかった、いろいろ。

スガ
突っ込みどころが多すぎるのもあるし、ふつうにとてもおもしろい話もしていたしね。最近けっこう海外のオタク部屋みたいのがネット上で話題になることが多いじゃない。日本のオタク文化を研究している、と聞いて最初はそういうのを想像して会いに行ったんだけど、ローマンはそれとは少しちがう。「あくまでも研究」w

寿太郎
だからパッと見、部屋もふつうなんだよね。彼女と暮らしているからというのもあるけれど、オタク的ではない。で、本当に彼の姿勢もオタク的ではないんだけど、でもよーく見てみるとところどころ変なものがあるからね。

スガ
そう、よーく見てみると。エロ漫画が飾られていたり、エロゲーのポスターが寝室にはられていたりね。これで彼女と暮らしているとか、どういうことだよと。

寿太郎
TENGAとかまであったからね。何なんだと。

スガ
でも彼の「オタク的でない」ということについてだけど。

寿太郎
はい。

スガ
ローマンはたしかに、たとえばエロマンガとかエロゲーのポスターとかは詳しく知らずに買ってるんだよね。たぶんもの珍しさと、日本に来た記念というのも手伝って。
でも菅野よう子とかは本当に好きで、関連するアニメをあつめてるところがあって。
だから「オタク的でない」というのもどこまで言えるのか、なかなか難しいところ。

寿太郎
カウボーイ・ビバップとかね。あれは面白いね。それに海外で人気があると聞いたことがある。

スガ
カウボーイ・ビバップはぼくも好きだなぁ。

寿太郎
まあでも、ざっくり言ってオタクとはいえないと思うよ。オタクだったらあんな程度じゃ済まないよ。
菅野よう子作品集めようなんて考えたら、ほんとに膨大な量になっちゃうからね。

スガ
まぁね。でも彼は研究者ということもあって、思考回路として「自分が好きかどうか」で物事を語らないところがあるじゃない。
だから好きというのが見えにくいんだけど、でも彼の言葉は額面通り受け取れないところもあって。彼の話したことの中には、分析的な興味の枠をはみ出た「好き」というのもあるんだろうな、と。
あ、「美学的に美しい」というのがそれか。

寿太郎
というかね、ただ好きというのではオタクではないからね。意味性より情報そのものが勝ってしまいはじめるとオタク、というのがひとつの考え方だと思うけど(データベース的な)、彼にはそういうのはない。むしろ対極で、意味性を追い求めていくタイプだからね。

スガ
あーその文脈ではそういうことになるね。

寿太郎
社会学的な研究をする人で、なおかつオタク的な属性も持ち合わせてる人ってのはいるけど、なんとなーくそういう人は量的な研究のほうに行ってる気がする。彼の場合は思いっきり質的な方向に寄ってる研究だからね。
いや一般論としてはそうともいえないか。ま、でも彼の場合はやっぱりオタク的じゃないと思うね。もしかしたらHENTAIなのかもしれないけど、もしかしたらですよ、でもOTAKUではない。

スガ
うんローマンは性質として「オタク的」というのではないね。でも性質としてオタク的ということ言ったら、オタクカルチャーの中ではそれをオタク的に受容するタイプばかりじゃなくて、意味性を追求するタイプの人もけっこう多い気がして。なかなかややこしい話になってきておりますけれども。

寿太郎
まあなんというかな。たとえば彼は菅野よう子が批判されても、発狂したりはしないだろうなというのがありますね。オタク的だとわりとそういうとき発狂気味に激怒するけど。

スガ
それはw たしかにそういうタイプのオタクもいるけどさ。

寿太郎
あ、別にそういうのをけなしてるのではないですよ。僕もジャンルによってはそういうとこありますので、念のため。

スガ
うーん難しいなぁ。なんか身の回りを考えるとオタクカルチャーをいわゆるオタク的に、データベース的に消費してる人ってそんなに思い当たらないんだよね。だいたいふつうに話ができるし、好きな理由も意味的に語れる人が多かったりする。ぼくがソフトなオタクしか知らないだけかもしれないけど。

寿太郎
ソフトなオタクしか知らないってのはあると思います。オタクであっても、好きな理由を意味的に語れもするんだけど、情報量っていうことに価値的比重がすごく乗ってるってことね。
あと彼の場合は、そういう純粋にデータ的な情報をいち早く得ようということに全然積極的じゃないでしょう。積極的ならSNSとかも活発にやってると思うけれど。

スガ
うんそれはわかる。オタク的な性質のポイントが情報"量"なのだとしたら、彼はそうではないからね。ただ「オタク的」というのはそういうことだと言い切っていいのかなぁ、ということね。それだけだとしたら海外でこれほどはやらなかったんじゃないかと。それが"OTAKU"ではなく"HENTAI"ということなのかもしれないけど。

寿太郎
いや、全然言い切ってないよ。ひとつの考え方だと言った。それに基づけばオタクではないと。まあでも、オタクにせよおたくにせよOTAKUにせよ、その定義みたいなものもどんどん移り変わってる感がありますからね。
あとどうでもいいけど隣の席のカップルがさっきからチュッチュしまくってて勘弁して欲しいです、共用スペースだというのに。

スガ
情熱の国だねえ。

寿太郎
音が出ないレベルにとどめておいて欲しいものです。

スガ
スペインは地下鉄の中で音楽演奏する人がいたり、いろいろおおらかな国だよね。
まぁローマンの話の続きは彼が日本に来た時に居酒屋でってことにしとこうか。

寿太郎
僕いちおう大学では社会学をやっていたので、逆にあんまりここでは話したくないですね。細かく話そうとすると止まらなくなるし、おおざっぱに言いたくもないし。またほっけでも食いながらということで。

スガ
はい。ということで続きまして、今週のおたより。
東京都にお住まいの、伊勢うどん大好きさんからエアメールをいただきました。

寿太郎
俺はうどんは細めの麺のほうが好きだなあ

スガ
へえ、伊勢うどんて太いんですか。
「2人は海外で、どうやって宿を探しているんですか。ぼくは髭が濃いのですが、髭剃りとかはついてますか」
とのことです。

寿太郎
宿は事前にネットで検索して探すことが多いです。ホステルブッカーズとかホステルワールドという便利なサイトがあります。あとぼくは髭が薄いのですが、髭剃りの質問の意味がよくわかりません。

スガ
宿のアメニティとして、カミソリとかがついてるか、てことじゃないの。

寿太郎
なるほど。そんなものは通常ないですね。僕らホステルとかゲストハウスと呼ばれるような宿、いわゆる安宿にだいたい泊まるので。カミソリなんかついてたこと一度もなかった気がします。
何も決めずに安宿街みたいなところに着いて、えっちらおっちら宿を探すのもそれはそれでいいものなんですけどね。でも我々の場合、まともなネット接続がないとプロジェクト的に死ぬなどの深刻な問題があるので、だいたい事前に予約してしまってます。

スガ
ぼくはバックパッカーとかしたことあまりなかったから、海外どこでも安宿というものがこんなにたくさんあるとは知らなかったよ。探せばわりとWifiつながるし。

寿太郎
Wifiはもう常識になってるよね。ないと客なんか来ない。

スガ
相部屋というかドミトリーに泊まったのも今回はじめくらい。
日本にはこういう海外みたいな安宿ってないよね。相部屋もユースホステルくらい?

寿太郎
いや、日本にもあるっちゃありますよ、一応。ユースホステルのほうが便利そうな気がするけど。
東京だと浅草あたりに集中してるんだよね

スガ
あ、そういえば前に言ってたね。でも今回みてると、どこの都市にも、そんなに金がなくても旅してる若いやつがいて、そういう人が泊まるための宿があって、ああそういうものなんだなぁ、と。
東京はまだあるかもしれないけどさ、日本の地方都市とかどうなんだろうと思うんだよ。観光地は別として。ビジネスホテルとか高級なホテルくらいしかみたことない。あ、民宿というのがあるか。

寿太郎
そうそう。

スガ
たしかに民宿の安いところはけっこう安いね。

寿太郎
ロンプラとかには結構載ってるんじゃないかな。逆に外国人宿みたいになっちゃってて、日本人にはあまり知られてないみたいなとこ。

スガ
そういうことか。自分のイメージが数年前から更新されていないからかもしれないけど、日本の民宿って古くて、Wifiとかぜんぜんという感じじゃない。安くて、でも設備がそれなり、ていう宿があったら日本でも使いやすいよな、と。

寿太郎
まあ主要都市・観光地にしかそういうのはない気がするけど。東京、京都、大阪とか。でも、それはどこの国でも言えることだよね。田舎に行ったら安宿はない。もちろん、日本は全体としても少ない部類に入ると思うけど。あとWifiはダメなことが多そうだ。この先のアフリカも、ネット事情がかなり怪しいですけどね。

スガ
そうですね。また来週。

編集後記:退屈なしめくくり

まえがきのところではじまった宿のケンカですが、収まったと思ったのもつかの間、今度はフロントあたりで再燃しているようです。宿の女性スタッフに男性が食ってかかっているのですが、なかなかおだやかならぬ雰囲気。触らぬ神に祟りなし、とは言うものの、このメールを配信次第さっそく現場に急行します。

さて、このように危険に巻き込まれる兆候を、巷では死亡フラグと呼ぶそうです。無事だった場合はBiotope Journalへの感想、ご意見、おたよりコーナーへの投稿など、引き続きお待ちしております!

ところでスペインはパエリヤ、タコ、ハム、オリーブと、なかなか料理が美味しいのですよね。でも来週はたぶんアフリカから。スペインでのお別れは、アディオス!

スガタカシ